第二章 『皇帝の力』④
城の屋上テラス。それが、ミカが再び地に足をつけた場所だった。
「こ、……怖かった」
換言しようのない感想を口に出し、その場に座り込む。
そこに、ルキフグスが進言した。
「恐れながら、ミカ様。配下の魔物どもが待ちわびておりますゆえ、お声かけをお願い致します」
「あ、はい」
今も笑い続ける膝を無理に起こし、ミカは立ち上がった。それから、眼下に広がる城庭へと視線を落とす。
その途端、
「……え」
彼女は凍りついた。
それもそのはず、そこには、蟻や蜂の巣を開いたかのように、大勢の魔物たちがひしめき合っていたのである。
人間そっくりな魔物がいれば、馬と虎を合わせたような魔物もいる。中には、ミカの苦手な蛇に近い魔物までがいて、それは、喩えようもない恐怖を彼女に与えた。
「さぁ、お声かけを」
再度ルキフグスが促す。
だが、それでも、ミカの口が開かれることはなかった。
そうこうしているうちに、城庭の魔物たちがざわめき始めた。
「おい、いつになったら挨拶するんだ!」
「本当にそのガキがルシファー様の後継者なんだろうな? 嘘だったら喰っちまうぞ!」
そんな野次が、あちこちから聞こえてくる。
戦戦兢兢としてミカは、唯一の逃げ場となりそうなテラスの後方に振り返った。
しかし、そこに見えるのは、巨大な見張り塔のみ。退路は完全に断たれていた。
いよいよ野次は、城庭全体へと広がった。皆、聞くに堪えない罵りの言葉を口々に上げている。
すると、
「静まらんか、この小童どもが!」
突如、魔界の地を引き裂くような大声が、テラスより城庭へと向かって響いた。
びくりと肩をすくませ、ミカがそちらへと目をやる。
猛き声轟かせたその主は、頭上へと樫の杖を突き上げていた。
「ルキフグスさん」
名を呼ぶミカにルキフグスが微笑んで見せる。
彼は、水を打ったように静まり返る城庭を見下ろして、告げた。
「こちらに御座すは、ルシファー様より魔力を賜りし、天音ミカ様である。即ち、人間なれどもミカ様は、ルシファー様と同等のお立場。この魔界を統べるべき皇帝にあらせられる。因りて、今後不逞をなす輩は、皇帝を敵する魔物として処罰するゆえ覚悟せよ」
凛としたその姿勢に戦き、魔物たちは皆、直立不動になった。
それをゆるりと見渡すと、ルキフグスはミカの傍らへと歩み寄った。
そして、彼女の前で一度丁寧にお辞儀したのち、空の一点を指し示しながら密かに何かを伝えた。
「え? あ、はい」
躊躇いながらも、ミカはそれを承知した。
覚悟を決めた彼女は、テラスの最前まで歩を進めて口を開いた。
「皆さん、初めまして。私は、ルシファーさんから魔界を統一するよう任された、天音ミカです。ルシファーさんは、私に、魔界が統一できたら人間界に戻すと約束してくれました。私には両親がいて、学校があって、友達もいて、だから、早く元の世界に帰りたいです。でも、そのためには、私ひとりの力ではどうしようもありません。皆さんの協力が必要なんです。お願いします。力を貸してください。もちろん、皆さんの中には、いきなり現れた人間の子供に何ができると、不安になっている方もいることでしょう。そのお気持ちは分かります。そこで、私がルシファーさんの魔力を受け継いだのだという証拠を、これから見ていただこうと思います。……では」
そこで一度言葉を切ると、ミカは、右の拳をぎゅっと握り締めた。
それから、先ほどルキフグスに教えられた空の一点目がけ、一気にそれを突き上げた。
次の瞬間、ミカの拳から赤い光が放たれた。
城庭の魔物たちが一斉にどよめく。その中で、魔界の空には限りがあるのだろうか、赤い光は何かに衝突して弾けた。
凄まじい爆裂音とともに、遥か遠くの空から地面へと、火の粉が雨のように降っているのが見える。
「す、凄え! 皇帝様だ。皇帝様の力だ!」
一体の魔物がそう叫んだのをきっかけに、城庭は、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「……ルキフグスさん」
ミカが戸惑いを露わにする。そんな彼女の視線の先で、ルキフグスは小さく頷いて見せた。
この時、城庭にいる魔物たち全てが、ルシファーからミカへと皇帝の力が受け継がれたことを確信し、また、その大きさに驚愕した。
だが、誰よりもそれに驚いたのは、他でもないミカ自身であった。
そして、彼女は気づいてもいた。今しがた披露した力は、自らの奥底に眠る魔力の、ほんの一片にすぎないのだということを。
此度、ミカが放った赤い光。それは、魔界全土、どこからでも見えるものだった。そのため、皇帝の地位を狙いし他城の魔物たちは、これを宣戦布告の狼煙として受け取ったのだった。
これにて、第二章『皇帝の力』は終了です。次回から第三章に入ります。
因みに、物語は全六章構成。引き続き、よろしくお願いいたします。




