第二章 『皇帝の力』③
それにしても、この老人ならぬ老魔、尋常でないほどにプリンが好きらしい。僅かな時間でそれを食べ終えると、今度は、容器の中に舌を挿し入れて舐めだした。その姿は、まるで犬。ミカは、見てはいけないものを見てしまったような心持ちになった。
犬で思い出し、彼女は、ルキフグスから視線を逸らすと、それを後方の仔犬へと向けた。
仔犬は、今も変わらず、じっと門の前で座っている。
「飼い主を待っているのかしら。賢いのね」そんなことを思うミカに、魔界ではそれが許されているのか、プリンの容器をポイ捨てしてからルキフグスが言った。
「ミカ様。あれは、ケルベロスでございます」
「ケルベロス?」
「左様。あの先の大門は、天界へと続いておりまして、ケルベロスは、魔物が勝手に天界へと行かぬよう見張りをしているのでございます。奴が“魔界の番犬”と呼ばれるのも、それが理由でして」
「へぇ、あんなに可愛い仔犬が番犬だなんて、なんだか笑っちゃいますね」
言葉どおりに、ミカが笑みを浮かべる。
すると、ルキフグスは、その表情を俄かに真剣なものに変えて尋ねた。
「まさか、ミカ様にはあれが仔犬に見えますのか?」
「はい、見えますけど、違うんですか?」
「違うとも正しいとも言えます」
「どういう意味ですか?」
首をかしげるミカに、ルキフグスは答えた。
「実はケルベロス、魔物の所持する力に応じ、見える大きさが異なるとされておりまして、下級の魔物の目には、五メートルを超える巨大犬に映るとのことです。因みに、宰相の地位にある私でさえ、三メートルほどの大きさには見えます」
「そんなに大きく?」
「はい。胴体より首は三股に分かれ、それぞれに無数の蛇が鬣として絡まっております。牙や爪は刃が如く鋭く、敵する相手の身はもちろん、魂さえも引き裂きます。それが、ミカ様には仔犬に見えると」
「えっと、……あ、……はい」
「なるほど。それは恐らく、ルシファー様のお力を受け継がれたためにございましょう。たとえケルベロスといえども、ルシファー様の前では仔犬のようなものでございましょうからな」
「そうなんでしょうか」
相変わらず実感が湧かず、ミカは曖昧に返事をした。ただ、もしそうならば、蛇の鬣を見ずにすんだことだけは幸運であった。何を隠そう彼女は、大の蛇嫌い。もし、それが無数に絡まっているのを目にしようものならば、卒倒してしまうに違いないからだ。
「さて、ルシファー様の魔力が無事にミカ様に託されたと分かったところで、参りましょうか?」
「どちらに?」
「あちらです。ルシファー様の、いえ、本日よりミカ様の居城でございます」
そう告げてルキフグスが樫の杖で示したのは、高い外壁の先にある西洋風の城であった。
「あそこに?」
「左様。配下の魔物どもは既に城庭にて集結し、ミカ様のご到着を待っております。城までは飛んで行きますゆえ、失礼して……」
そう言うとルキフグスは、ミカの返事を待たずにその手を取った。
「飛ぶって、どうやって?」
ミカが不安げに問う。
「こうでございます」
言葉とともにルキフグスは、その場で軽く飛び跳ねた。
次の瞬間、ミカの体は地面を離れた。手を引かれるままに、魔界の空へと昇り始めたのである。
瞬く間に、砂の地面は遠くへと離れていった。
「如何ですかな。飛ぶというのは、気持ちのよいものでございましょう?」
赤紫色の空を悠々と旋回し、ルキフグスが語りかけてくる。
だが、
「きゃあああ」
ミカは叫ぶだけで精一杯。聞いてはいなかった。
「ミカ様、あれをご覧ください、ケルベロスの守る門の先に、天へと続く階段が見えましょう? しかし、あれは、大門を通過せねば上がることはできないのです。まぁ、今では天界へ行きたがる魔物など殆どおりませんから、別に構わないのですがな」
地上を指差し教えてくれるが、これもしっかりと目を閉じているため、彼女は見てはいなかった。
「ところで、ミカ様。この魔界にて物を使わずに空を飛べるのは、ドラゴンを除けば私だけにございます。たとえルシファー様にあっても、それは適いません」
少しの自慢を織り交ぜてルキフグスが言う。
「きゃあああ」
やはり、彼女は聞いてはいなかった。
こうして、生きた心地のしない空の散歩を経てミカは、高く外壁の取り囲む居城へと降り立ったのだった。
【一口メモ】
今回、登場した“ケルベロス”ですが、魔界を描いた他作を参考にしても大体ルキフグスの説明と同じような姿形となっているようです。
よろしければ、“ケルベロス”で画像検索してみてください。怖そうな3つ首犬の他にも可愛らしい仔犬たちが出てきますよ。
「もし、“ケルベロス”が仔犬だったら……」考えることは私も仔犬の写真をお撮りになった皆さんも同じみたいです。




