第二章 『皇帝の力』②
「ここって、魔界なんですか? 地獄じゃなくて」
人が死んだら天国か地獄。そう信じて疑わなかったミカの頭は、いよいよこんがらかる。
そんな彼女の気持ちを察し、ルキフグスは説明した。
「恐れながら、ミカ様。地獄と魔界は、まったくの別物にございます。地獄は生前に悪をなした人間の仕置きのための場所で、魔界は魔物の住処です。魔界に人間が入ることは、通常、ありえません」
「でも、私は、その魔界にいるんでしょう?」
「ミカ様は特別なのでございます。何せ、あのルシファー様より直々に、こちらへと誘われたのですから」
「どうして、そんなことを?」
「それは、ルシファー様が、ミカ様にチャンスをお与えになったからでございます」
「魔界に呼ばれたのが、チャンスなんですか?」
「左様。再び母君にお会いになれるチャンスです。ルシファー様は、ミカ様を人間界に戻してもよいとお考えなのです。もちろん、母君のご病気は治した上で」
「本当ですか?」
荒野で一輪の花を見つけたかのように、ミカの瞳が輝いた。
「はい。しかしながら、それには条件がございます」
「どんな条件ですか?」
身を乗り出して問うミカに、厳しい顔をしてルキフグスは告げた。
「魔界の統一にございます」
「私が、魔界を?」
「はい。現在この魔界は、複数の勢力が台頭し、その覇権争いに鎬を削っております。そこで、ミカ様におかれましては、ルシファー様に代わり、魔界の統一を成し遂げていただきたく……」
「そんなの無理に決まってるでしょう。私、小学生なんですよ」
ミカが声を荒げる。だが、それでもルキフグスは平然と言ってのけた。
「無理は承知にございます。されどもルシファー様は、ミカ様がこの話をお受けになると考えていらっしゃるようです。それが証拠に、ミカ様を魔界へと誘う際、ルシファー様は、ご自身の魔力の大半を、貴女様に託されました」
「私に、……魔力を」
ミカは、『召喚大図』を灰にしたあの赤い光のことを思い出した。
「左様で。ひと度その気になれば、この地を焦土と化すことができるほどの、絶対的な魔力にございます」
「そんな力が、私に?」
ミカは、自分の両手を見つめた。
しかし、それはいつもと変わらぬ見慣れた手の平。別段、違いなどないように思われた。
「そのうちに実感なさるかと存じます」
ルキフグスが頭を下げる。
そこに、何かに思い至った様子でミカは尋ねた。
「あの、ルシファーさんにそんな力があるのなら、どうして自分でやろうとしないんですか?」
それは、まったくの正論だった。そのため、ルキフグスは、残り僅かとなった毛髪がしがみつく頭をぽりぽりとかきながら困り顔で答えた。
「それが、恥ずかしながらルシファー様は、現在の魔界に厭いていらっしゃるようでして。あまりにも強大な力をお持ちのせいか、弱者との争いは面倒だと仰せられるのです」
「そんな理由で、私に任せたんですか?」
ルキフグス同様、ミカも困惑した表情になる。
「はい。とはいえ、あのルシファー様のこと、理由はそれだけではないと私は考えております。魔界の統一をミカ様にお任せになったのには、もっと大きな意味があると」
「どんな意味が?」
「それは分かりません。あの方のお考えが、私などに理解できようはずがありませんから。ただ、はっきりと申し上げられるのは、ミカ様にこの話を拒むことはできないということです。何故なら、貴女様は人間界の住人。ここにずっと留まろうなどとは、考えておられないでしょうから」
「まぁ、それはそうですけど……」
「では、ルシファー様に代わり、魔界を統一していただくということでよろしいですかな?」
ルキフグスが確認する。
意を決したように、ミカは答えた。
「分かりました。それで人間界に戻れるんだったら、私、やります!」
「さすがはミカ様。ルシファー様の魔力を受け継がれたお方でございます。私も、微力ながらお手伝いをさせていただきますぞ」
「ありがとうございます」
心強いルキフグスの言葉に、ミカは謝意を伝えた。
ところが、
「しかしながら……」
と、彼は続ける。
予期せぬ逆接に、ミカは身構えた。
「な、何でしょうか?」
「恐れながら、このルキフグスも魔の物にございます。人間であるミカ様の味方をなすならば、それなりの見返りをいただかなくては、他の魔物に示しがつきません」
「見返りって、何を差し上げたらいいんですか? 私、あげられるものなんて……」
「ございますよ。先ほどから、よき香りがしておりますからな」
「香り?」
「左様。甘い香りにございます。隠そうとなさっても、私の鼻は、……ごまかせません!」
言うが早いかルキフグスは、一直線にミカに飛びかかった。
「きゃあ!」
大きな悲鳴を上げてミカがその場に尻もちをつく。彼女は、手に持つ紙箱を掠め取られた。
「ちょ、ちょっと、何をするんですか!」
怒りを露わにして、ミカは尻に手を当て立ち上がった。
だが、ルキフグスは聞いていない。
「ほれ、やはりお持ちであった」
そんなことを呟き、奪った紙箱をガサガサと開くと、中にあるプリンを取り出した。
それから、彼は、まるで穢れを知らぬ幼子のように、目をきらきらとさせて頼んだ。
「これ、いただいてもよろしいですかな?」
「え、……えぇ。どうぞ」
仕方なく、ミカはそう答えた。「お尻が痛かったから嫌です!」などとは言えなかったのである。
「おお、ありがとうございます。私、一生ミカ様について行きますぞ」
おおげさな台詞とともにルキフグスは、付属のスプーンでプリンに貪りついた。
その様を唖然として眺めながらミカは、『召喚大図』に記されていた「婦凛を好みし珍奇なる魔物也」の一文が真実であったことを確信した。




