最終章 『魔界統一』④
「……ミカ、起きよ。……ミカ」
誰かの呼ぶ声が耳に届き、ミカは上体を起こした。
「ここ、どこ?」
魔界へと誘われた時と同じく、辺りを見回す。
だが、此度は、彼女にもはっきりと場所が分かった。ここは、魔界ヶ原。そして、目の前にはルシファーと、その後ろに隠れるようにしてリストの姿があった。
「あれから、どうなったんですか?」
まるで夢の続きでも聞くかのように、そうミカが問う。
ルシファーは答えた。
「ミカ、貴様は勝った。ゆえに、現在の魔界の支配者、皇帝は貴様だ」
「そう、ですか……」
何の感情も沸き起こることなく、ミカは、その場に立ち上がった。それから、おもむろに周囲を見渡す。南北の城は大きく形状を変え、崩れ落ちたその姿を晒している。ここからならば微かに霞がかり見えていたはずの西の城は、完全に消え去っていた。
「あれって、私がやったんだ」
今はなきリスト城を遠く眺め、ミカが呟いた。
「左様」
ルシファーが頷くと、その後ろからリストが、
「ミカ姉ちゃんとは、もう二度と戦わないからね」
と、怯えつつもその顔を彼女に見せた。
そこに、リストへと振り返り、ルシファーが言った。
「これで分かったであろう、リスト。弱き者だと考えていた人間に、貴様は負けたのだ。なれど、その敗因は、力の差ばかりではない。仲間を想う心。その情に、貴様は負けたのだ」
「分かったよ。それって、パパが僕を想ってくれている心と、同じなんだね」
見上げるリストの頭をルシファーが優しく撫でる。それを見つめていたミカは、彼の背中に大きな傷ができているのに気がついた。
「ルシファーさん、それって……」
ミカが傷を指し示す。
すると、彼女へと向き直り、ルシファーは口を開いた。
「ミカ、我は貴様に謝らねばならぬ。……すまなかった。此度、貴様を魔界へと誘ったのは、全て、我が息子リストのためだったのだ」
「リスト君のため?」
「そうだ。リストは、己の持つ力を過信していた。たとえ魔界全土から魔物がいなくなったとしても、天界を滅ぼせば、先の“天界大戦”への弔いとなる。それが、魔界の支配者、皇帝のなすべきことであると考えていたのだ。しかし、その理は間違いだ。仮に天界を滅ぼし、人間界を消し去ったとて、そこに残るが己のみならば、それは、空ろに浮かぶ点も同じ。そして、その点さえも、やがては時の流れとともに移ろい、消える。全てが無に帰することとなるのだ。我は、それを危惧した。我の死を境に、息子リストがその過ちを犯すのではないかと危惧したのだ。そして、そのような折、ミカ、貴様が召還魔術を施した」
「『召喚大図』を使って……」
「左様だ。しかして、我は、貴様に魔界の統一を命じた。我の予測どおり、貴様は仲間との輪を培い、育みながら邁進して行った。我は息子の敗北を予感した。さらに、唯一の理解者であったベリアルをも消し去ったリストを見た時、それは確信に変わった。我は、息子の死に諦めを抱いたのだ。だが、実際に貴様のインフェルノがリストの身を焦がさんとした瞬間、我の体は勝手に動いた。無我夢中で、我が子を守っていた。これまで、魔界の行く末を案じ、考えていたつもりの我であったが、所詮は、一介の親にすぎなかったというわけだ」
零れ落ちようとする何かを隠すように、ルシファーが両目を閉じる。
ミカは言った。
「その気持ち、私にも分かるような気がします。魔物も人間も、親が子を想う気持ちというものは同じでしょうから」
「そう言ってもらえると、助かる」
ルシファーはミカに向かって頭を下げた。人間に礼を伝える父親を見て少し驚くリストだったが、彼も慌ててそれに倣った。
「それで、これから魔界はどうなるんですか?」
広い草原に視線を移し、ミカがルシファーに尋ねた。
「あぁ、それについてだが、新しく魔界の支配者となった貴様には、もうひとつやってもらわねばならないことがある」
「何でしょう?」
「最後の選択だ」
「最後の選択?」
「左様。今から貴様には、二つのうちのどちらかを選んでもらう。ひとつは、魔界を現状のまま留めおくこと。そして、もうひとつは、此度の争いで死んだ魔物たちを、その敵味方を問わず、元に戻すこと。これは、新皇帝がのちの魔界での戦を有利にするために……」
「生き返らせてください! ルキフグスさんもベルゼブブさんもアスタロトさんもプラチナも、……全部!」
ルシファーが語り終えるのを待たずして、ミカはそう叫んだ。
すると、次の瞬間、魔界ヶ原を埋め尽くさんばかりに、魔界中の魔物がその姿を現した。
「おお! 元に戻ったぞ!」
「ということは、人間のミカ様が勝ったのか?」
生き返った魔物たちがあちこちで声を上げる。
やがて、それはミカを称賛する歓声となり、魔界全土に轟いた。
「おめでとうございます。ミカ様」
ミカの前に立ち、ルキフグスが彼女の手を取る。彼の右腕は元に戻っていた。
「ミカ殿、これで人間界に帰ることができるな」
巨体を揺らしてアスタロトが笑う。
「ミカ。あたしはあんたを、信じてたよ」
そう告げるベルゼブブが、ミカに向かって杖を振った。土や埃に塗れていた彼女の体はたちまち綺麗になり、服も人間界の物へと変わった。
「ありがとう。皆、ありがとう!」
ミカが魔物たちに手を振ると、突然、彼女の体が宙に浮いた。
「プ、プラチナ!」
呼びかけるミカの声に、
「キュイイイイ」
と、プラチナは嬉しそうに嘶き、彼女を背に乗せて魔界ヶ原上空を、円を描いて飛び回った。
地上からの鳴り止むことのない喝采が、ミカの耳に届いた。
そのような中で、そっとリストへと近づく一体の魔物が。それは、ベリアルであった。
ベリアルは、リストの前に跪いて言った。
「此度の敗戦、誠に残念でございました」
それに淡く笑って見せ、リストが答える。
「うん。でも、戦いは無駄じゃなかったよ。僕には足りないものがあるってことを、パパやミカ姉ちゃんたちに教えてもらったからね。……ねぇ、ベリアル。もし、よかったら、これから先も僕の傍で、僕を見守ってくれないかな?」
「……リスト様!」
歓喜の涙で頬を濡らしながら、ベリアルがリストを抱き締める。
「い、痛いよ、ベリアル」
そう言葉にしながらも、リストは、強くベリアルを抱き締め返した。
こうして、魔界統一は、僅か十一歳の人間の少女、天音ミカの手により成し遂げられたのだった。
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『魔界への誘い』の本編は、これにて終了。明日のエピローグで、最終回となります。




