第五章 『一騎討ち』④
午後四時五十五分。ミカたちは、魔界ヶ原でアスタロト軍と対峙していた。周囲には、背丈の低い草が生えているばかりで、身を隠すような場所は両軍ともにない。そこに、魔界特有の生温い風が吹き抜けた。
前方に見えるアスタロト軍には、果し状を持って現れたサタナキアのような巨漢がごまんといる。その存在だけでも、こちらに与えられる威圧感は、並々ならぬものがあった。
だが、こうして向かい合ってから約三十分。ミカたちはもちろん、アスタロト軍にも主だった動きはない。恐らくは、夕刻五時という時刻を律儀に待っているのだろう。
そのような中で、ルキフグスは、
「サタナキア。サタナキアはどこだ? サタナキア」
まるで呪文のようにそう繰り返しながら、目を血走らせている。
やがて、決戦の時はやってきた。
「開戦!」
アスタロト軍の後方から大声の号令轟き、同時に、斧や剣を手にした大男たちが大挙して押し寄せてくる。
それに対し、
「見つけた! 見つけたぞ、サタナキアめ!」
左手に杖を握り締めたルキフグスが、いの一番に飛び出した。
続いて、ミカも風を切って駆け出す。今、彼女の右腕は、眩いばかりに赤く輝いていた。
ミカには、守りたい命がある。それを奪われようとしているのに手を拱いているのは、正義ではない。誰にだって、絶対に譲ることのできない“道”というものが存在する。譲れないのなら、戦わなければならない。それは、魔物も人間も同じなのだ。
人間として生まれて十一年。心優しく純粋なミカは、誰とでも仲よくしようと努めてきた。たとえ、それが、意地悪な子であっても、乱暴な子であっても。自分が我慢してさえいれば、よく話をすれば、きっと相手も分かってくれる。そう思っていたのである。
だが、現実は必ずしもそうではない。自分の優しさのせいで、仲間が傷つく。仲間が悲しむ。
「そんなのは、……そんなのは、嫌!」
鋭い叫びとともにミカは、赤く光る右腕を振り上げた。
ところが、その途端、突然彼女の体がふわりと宙に浮いた。
「ミカ。あんた、何をしてるの?」
呆れ口調でそう問う声が聞こえてくる。
「ベ、ベルゼブブさん! きてくれたんですね!」
ミカを抱え上げたのは、北の城の君主ベルゼブブであった。
喜ぶミカを箒に引き上げると、彼女は言った。
「あんたも、つくづくお人好しだね」
「え? どういう意味ですか?」
「あんなでかい奴らを全員相手にする必要なんてない、って言ってるんだよ。アスタロトさえ倒せば、それで終わりなんだから」
「……あ!」
漸く気づいたのか、ミカは、はっとしたように大きく口を開けた。
「さぁ、分かったのなら城に急ぐよ。雑魚は、あたしの魔女たちと爺さんたちに任せるんだ」
ベルゼブブが地上を杖で示す。
つられて見下ろすと、そこには、
「行くぞ、サタナキア! モテない男の恨み、思い知るがよい!」
そんな悲しい台詞を声高に響かせ、突進して行くルキフグスの姿が見えた。
「何だか、戦うのを楽しんでいるみたい」
見たままの感想をミカが口にする。
「そうかもしれないね。喧嘩しないと分かり合えないことって、どこの世界にもあるものだから」
そう答えるとベルゼブブは、南の城に向かって一直線に飛び出した。
城への道中でミカが言った。
「私がお人好しなのは認めますけど、ベルゼブブさんもお人好しですよね」
「ふん。あたしは、お人好しじゃなくて、“お魔女好し”だよ」
照れた様子でそう返すと、ベルゼブブは一気に箒のスピードを上げた。
「きゃあああ」
魔界の空にミカの悲鳴がこだまする。
こうして、ミカとベルゼブブは、あっという間にアスタロト城へと辿り着いたのだった。




