第四章 『夜襲』⑤
そこに、
「ルシファーがインフェルノを唱える前に殺るんだよ! 殺れ!」
隙を狙ったベルゼブブの金切り声が響き渡り、取り囲む魔女たちから一斉に黒炎魔法が放たれた。
「きゃあ」
ミカが悲鳴を上げる。
「臆するな」
ルシファーはそう命じるが、
「……とはいえ、まだ無理か」
とすぐに諦め、自らのマントを真上に放り投げた。
マントは大きく広がり、プラチナごとすっぽりと包み込む。
黒炎魔法は全て弾き返された。
自らの放った炎で大慌てとなる魔女たち。そんな最中、ミカの耳にルシファーの声が聞こえてきた。
「さて、何はともあれ、先ずはあの小蠅を討たねばならぬ。後の貴様の戦いにも関わること。よく見ておけ」
「インフェルノって魔法を使うんですか?」
マントで包まれる闇の中でミカが問う。
「そうだ」
迷いなきルシファーの答えを聞き、彼女は提案した。
「あの、ベルゼブブさんたちを、殺さないというわけにはいきませんか?」
「貴様、我の話を聞いておったのか? 今、あれを滅しておかねば、これより先、貴様が苦労することに……」
「分かっています。だからこそ、私が魔界統一を成し遂げるためにこそ、ベルゼブブさんたちに死んでもらっては困るんです」
ミカが真剣に訴える。闇でも目が利くルシファーは、この時、彼女の瞳に迷いなきものを見た。
「よかろう。如何な考えがあってのことか理解できぬが、できた振りをしてやる。どの道、盟約を果たせねば、貴様は魔界の住人となるだけだ」
「はい」
ミカの返事を聞くとルシファーは、覆っているマントを片手で払い除けた。
「ベルゼブブ。貴様の命運も、もはやこれまでだ」
冷ややかにそう彼が告げる。
万策尽きたか、ベルゼブブはただ黙って睨みつけるだけだった。
そんな彼女の前で、ルシファーは唱えた。
「我、魔界の皇帝ルシファーの名において命ずる。紅蓮の炎、縒りなし集え。集いて奏でるは、死への序曲」
「う、……嘘。じょ、冗談よね、ルシファー」
赤い光を放ち始める彼の右腕を目に留め、俄かにベルゼブブの顔が恐怖に歪みだす。
だが、それを構うことなくルシファーは続けた。
「我、闇に忍びしも、讒に伏さず。今、塵埃払わんが如く、神を滅さん。……インフェルノ!」
高く右腕を上げる。その途端、一条の赤光が魔界の空へと駆け昇った。
赤光は、縒った糸のように絡み合い、次第に空中で膨らんでいく。
やがて、それは、赤き巨大な玉となった。
まさに、旭日昇天の勢い。魔界全土が、朝の日の光を浴びるが如く明るく照らされた。
「飛散せよ!」
鋭くルシファーが告げる。
次の瞬間、赤光放つ巨大な玉を中心に、その光は何本もの赤い線となって放射し、魔女たちへと降り注がれた。
赤い光の線は、まるで意思を持っているかのように箒だけに当たり、魔女たちは次々と地面へと落とされて行く。
そこに、
「今こそ好機ぞ。殺せ!」
地上で待機していたルキフグスの号令が響き、魔物たちは一斉に魔女へと襲いかかった。
だが、
「待って! 殺しちゃ駄目!」
ミカの叫び声がその動きを止めた。彼女の命に背く魔物なく、皆、従ったのである。
「よ、よかったぁ」
安堵の息をつくミカに、ルシファーが言った。
「ベルゼブブの処罰は任せる。しかし、我が貴様に手を貸すのは、これが最後だと思え。それから、早くプラチナを休ませてやれ」
「……はい」
俯き頷くミカの頭に右手を乗せ、ルシファーは皇帝の力を彼女に戻した。
「では、さらばだ」
最後にそう告げると、彼はその場から消えた。
こうして、ミカの初陣は幕を閉じた。
話し合いで解決する。皆と仲よくし、ともに頂を目指す。そんな理想を掲げて行動した彼女が結果として残したものは、自分に味方してくれたルキフグスとプラチナの傷だけであった。
懸命に翼を広げて城へと戻るプラチナ。その背に、ミカの涙が落ちる。不甲斐なき自分への悔し涙か、それとも、味方が傷つけられたことへの悲しみの涙か。彼女にはよく分からなかった。
ただ、ひとつだけはっきりと分かった自らの偽りなき胸中。それは、「自分を好きでいてくれる仲間が傷つくのを、これ以上見たくはない」ということ。
そのためには……。
今、ミカの右手が、彼女も知らぬ間に淡く赤色の光を放ち始めた。
これにて、第四章『夜襲』終了です。
この章で苦労したのは、ご想像ついているかとは思いますが、魔法を放つ際の呪文の言葉です。
創作当時には既に三十をすぎていたおじさんが、辞書を広げて詠唱の文言を紡ぐ。その姿は、端から見れば恐らく異様だったと思いますが、誰にも見せていないので平気です。
そして、そこまでやったからには、当然、詠唱の文言には意味がありまして、それは、五章以降で語られます。
それでは、次回からの第五章も、引き続きよろしくお願いします。




