第四章 『夜襲』②
「さあ、ミカ様が出陣なされたぞ! 後に続け!」
既に後方遠くなっている城の屋上テラスから、ルキフグスの声が聞こえてくる。
直後、城門が開き、雪崩のように駆け出す魔物たちが土煙を上げた。
しかし、ミカにそれを眺めている余裕はなかった。落ちないように手綱を握りしめ、怖くないように前だけを見つめて、彼女は北西へと一直線に飛んだ。
「お願い、プラチナ。急いで!」
切羽詰まった様子でミカが語りかける。
「キュイ」
短く鳴いて返事をすると、プラチナはその飛行速度を上げた。
何ゆえ、ミカはこんなにも先を急いでいるのか。それは、彼女が、魔界統一を任された時から密かに決めていた“ある策”に起因する。
即ち、“話し合いで解決する”という策である。
話し合えば、分かり合える。話し合えば、争いは起こらない。話し合えば、敵味方どちらの魔物も傷つかずにすむ。そう彼女は考えていたのである。
後に続く魔物たちがベルゼブブ軍まで辿り着いてしまったら戦いが始まるのは明白。その前に、どうしても和睦を成立させなくては。
焦るミカの視線の先に、今、箒にまたがり浮遊する魔女の一団が見えてきた。
「ベルゼブブさん。ベルゼブブさんは、いらっしゃいますか?」
そう問いかけながら、ミカが魔女たちの前で止まる。その途端、彼女は円形に取り囲まれた。
ミカを中心として三百六十度。どこを見回しても魔女、魔女、魔女だ。まさに、四面楚歌、八方塞の局面となった。
通常、戦場でこのような状況に追い込まれた場合、それは敗北を意味する。
だが、戦いの経験など皆無のミカが兵法など知るはずがない。
彼女は、再び問いかけた。
「ベルゼブブさんは、いらっしゃいませんか?」
すると、正面の輪が解かれ、奥から一体の魔女が姿を現した。
「煩いねぇ。そう何度も呼ばなくたって、聞こえてるよ」
面倒そうに答えながら、栗色の髪の毛を耳元から後方へと手で流す。彼女こそが、魔女の軍団を率いる君主、ベルゼブブだった。
人間界では、十六歳。そう聞いていた割には、ベルゼブブは、顔も体つきもずっと大人びていた。黒色のミニスカートのワンピースを身に着け、同色のつばの広い円錐形の帽子を被っている。左手には、トネリコの木の枝で作られた長さ三十センチメートルほどの杖を握っていた。
「あんた、天音ミカって人間だろ? ルシファーの代わりを任されたんだって?」
そうベルゼブブが問う。
「はい」
ミカは頷いた。
「へぇ。人間のくせに、ひとりで魔界に殴り込みってわけ?」
呆れたようにベルゼブブが言うと、ミカを取り囲む輪から一斉に嘲笑が聞こえた。
「いいえ、別にそんなつもりは」
「じゃあ、何さ?」
「あの、私は、ただ話し合いに……」
ミカは「話し合い」のキーワードを出した。
だが、すぐに、
「ふざけるんじゃないわよ! 魔女を舐めてるの?」
「人間と話し合いなんて、ありえない!」
彼女を罵倒する声が、四方八方から飛んでくる。
そんな魔女たちを手で制し、ベルゼブブは言った。
「まぁ、いいじゃないの。あんたの話、聞いてやるよ」
「ありがとうございます」
「それで、ここまできたってことは、大方、和睦のお願いなんだろ?」
「そうです。あの、私、魔界を統一しないと人間界に帰れないんです。だけど、ベルゼブブさんも魔界の頂点に立ちたいと思っている。だから……」
「あたしとあんたで手を握り、仲よく魔界の天辺に、……と?」
「はい」
「却下!」
ミカが返事をすると同時に、ベルゼブブはそう答えた。
「え?」
「聞こえなかった? 却下、って言ったの。だって、その話、あたしになんの得もないじゃない。あたしは、あたしが一番でないと気がすまないの。それはアスタロトやリストちゃんも同じ。魔界ではね、誰もが皇帝というたったひとつの椅子を巡って争ってるの。皆、必死なんだよ。それなのに、誰とでも仲よくしようなんて頭の中お花畑の人間が、今その地位を持っているんだ。これほど楽に皇帝になれるチャンスは、この時をおいて他にはないんだよ」
「そんな……」
まったく予想していなかった展開に、ミカは言葉を失くした。
それでも構わず、ベルゼブブは続ける。
「いいこと? お馬鹿なお嬢ちゃん、よく聞きなさい。話し合いってのは、お互いに利益があるからこそ成立するものなの。あんたの言うこちらに利益のない話し合いは、単なる“押しつけ”にすぎない。それを受け入れるような間抜けは、人間界にいたとしても、魔界にはいやしないんだよ!」
ベルゼブブが、杖先を真っ直ぐにミカへと向ける。取り巻きの魔女たちから、ひと際高い黄色い歓声が湧き起こった。




