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死へのバージンロード


     ***





「またいなくなってしまったようですね」


 宮下は老婆にそう話しかける。


「なかなか続かないねえ」


 老婆は視線を上げ、その部屋のある場所を見上げた。


 裏野ハイツ。

 立地条件は悪くなく、賃料もこの辺りでは比較的手頃な物件である。

 しかし、なぜか新しい住人が長続きしない。

 今回もまた、石田という30代の独身の男がいなくなってしまった。


「別になにも問題はないはずなんだけどねえ」


「そうですね。せっかく仲良くなれるかと思っていたのに、残念です」


 宮下は腰に手を当て、ため息をつく。


「それにしても、石田さん、どこに行ってしまったんでしょうね」


 宮下の呟きは、夕焼けに染まった空へと消えていった。





     ***





「あなたが悪いのよ」


 彼女は言った。






 おれはそのころ仕事に忙しく、彼女との恋愛に割く時間をあまり作れていなかった。

 だけど、彼女と付き合いだして三年目。彼女の不満もよくある倦怠期からくるものだと思っていた。


 カリカリカリ。

 彼女はイライラしたとき、自分の体のどこかを掻く癖があった。そのときも彼女は、自分の腕の辺りをカリカリと掻きむしっていた。そして、その音を聞くと、いつもおれは嫌な気持ちになるのだった。


「結婚したいの」


 彼女の言葉に、おれはどう返せばいいのか悩み、しばらく考えた末、こう答えていた。


「うん。それはいずれ考えるよ。だけど今は仕事のほうが忙しくて、それどころじゃないんだ。もう少し待っていてくれないか」


 それは嘘ではなかった。本当にその頃の自分は忙しくて、恋愛とか結婚とかそんなことを考えている余裕がなかった。

 だけど、自分との結婚まで考えてくれている彼女が、まさか自分から離れるわけがないと高をくくっていたのも事実だった。


「私たち、もう別れましょう」


 だから、彼女の口からそんな言葉が飛び出してきたときは、まさに寝耳に水だった。

 それからおれたちは口論となり、話し合いとなったおれのアパートの部屋は修羅場となった。

 なぜわかってくれないんだ。

 今は駄目でも、いずれは結婚するつもりだと言っているのに。

 きみを嫌いになったわけじゃないのに。


「あなたが悪いのよ」


 その台詞でおれはかっとなった。

 キッチンから包丁を持ち出し、驚きの表情を浮かべる彼女の胸に、深々とそれを沈めていた。衝動的犯行だった。

 赤く染まっていく彼女の胸。その日の彼女の衣装は、皮肉にも、花嫁が着るような純白のワンピースだった。その白を彩るように、赤い血の色がワンピースを染めていった。

 おれは自分のしでかしたことに、衝撃を受けた。しかし、かっとなっていた頭が冷静さを取り戻すと、次にやるべきことを淡々と考えている自分がそこにいた。

 死体はスーツケースに入れてレンタカーで運び、人里離れた山奥で穴を掘ってそこに埋めた。誰も足を踏み入れないような、深い深い山の奥。


 もう二度と戻ってくることはないだろう。

 さようなら。美智子。


 おれは彼女と決別し、新たな生活をスタートするために裏野ハイツへとアパートの引っ越しを決めたのだった。






 もう二度とやってくることはないだろうと思っていた山道の入り口のところで、今おれは立っていた。

 そしておれの隣には美智子が並んで立っている。

 おれは彼女に導かれ、再びこの地にやってきたのだ。


『寂しいの。だからあなたも一緒に来て』


 裏野ハイツというアパートで、なぜ彼女が現れたのか。どうしてこんなことになってしまったのか。

 理由はわからない。

 けれどもしかしたら、あのアパートにはそういうものを引き付けるなにかがあったのかもしれない。


『さあ、行きましょう』


 彼女はおれの腕に手を回して、先を促した。

 抵抗など、今となってはできるわけがない。

 やはりおれは、彼女と結ばれる運命だったのだ。


「ごめんよ。随分待たせてしまって」


 おれは彼女に微笑む。

 彼女も嬉しそうな表情を浮かべていた。

 そうしておれたちは、深い深い山の奥へと進んでいった。




  〈了〉

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