引き継ぎは重要です《1年目秋》
亀並みの更新にお付き合いいただき、ありがとうございます。
今回の話は本編に入れるべきかどうか悩んだのですが、CROWの仕組みについて少々説明させていただく回にしました。
怒濤の特務課異動から2日。とりあえず最低限の生活環境が整った麻生は引き継ぎの為に一旦安房支社へ行ってくると月夜に告げた。
「引き継ぎにわざわざ行くなんて律儀ですね。この組織では引き継ぎなんてあってないようなものなのに」
人生のほとんどを組織に従属して生きている月夜が感心したように言った。そんな月夜に麻生は恨めしそうな視線を向けた。
「引き継ぎのない究竟交代がどれだけ支社を混乱させるか、身をもって体験したからな。私は生きているのだからそんな酷いことはしたくない」
究竟の殉職による交代が多い為、必然的に引き継ぎもないことが多い。生きていて、尚且つ引き継ぎを真面目にしようとする究竟は稀だった。かく言う月夜も麻生に丸投げしてドイツに渡ってしまったくちだ。
社会人にとって最低限の引き継ぎさえもないというのは結構な死活問題だということを麻生は痛いほど経験してきているのである。
「まあ、まだ仕事の方はしばらく回ってきませんし、ついでに自分たちの荷物も引き上げてきたらどうですか?」
「元々そのつもりだ」
「なあ麻生、ワイも行く」
唐突に二人の間に割って入ったのは幸だった。
「究竟の私だけ行けば事足りる。別にこなくてもいいぞ」
「んー、引き継ぎっつうより自分の荷物の引き上げに行きたいって方が正しいんやけどな。麻生が引き継ぎしとる間にみんなまえ片付けといたらはよ終わるやん。かまわんやんな、月夜」
「ええ、もちろん構いませんよ。今週いっぱいぐらいは暇でしょうから。月が変わったらまた忙しくなりますしね」
あっさりと許可が出た麻生と幸が出かける支度をしているのを見たルイが慌てて言う。
「あたしも行きたい!」
「貴方はお留守番ですよ」
「なんで?荷物ならあたしもあるのに!」
「どうせ大した量じゃないでしょうし、麻生達に頼みなさい」
半年足らずの生活ではあったが、少なからず親しい隊員たちもいた。そんな人達に一言の挨拶をすることもなくこちらに来てしまった。荷物などは口実で、本当はそんな人達に一言、挨拶がしたかったのだ。
しかし月夜はルイが安房支社についていくことを許可しなかった。なおも食い下がるルイに月夜は美しい笑顔で言い放った。
「今の貴方には覚えなければならないことがまだまだたくさんあるんですからね。こちらに残ってお勉強ですよ」
「……と言う名の訓練だよね」
「当然です。少なくとも1対複数人の戦い方を身につけてもらわなくては話になりませんからね」
丸くなったと麻生たちが言った。それでも仕事に関しては妥協一切なしのスパルタ方針は変わっていないのだと麻生も幸も理解した。こんな時の月夜に逆らうのは得策ではないと知る二人はさっさとルイに留守番を頼み、安房支社へ向けて出発してしまった。
「何かあるのか?」
「何か?」
二人きりになった車内。ハンドルを握る麻生が助手席の幸に尋ねる。
「お前がわざわざ荷物だけの為にあそこまでついていくと思えない。むしろ残ってルイの訓練に付き合うものだと思っていたからな。月夜と空夜しかいない家にいることは、まだルイには辛いだろう」
ルイからの独白を聞いてしまった今、彼女が月夜を恐怖することはいたしかたないことだと理解できる。それだけの傷を月夜はルイに植えつけたのだから。しかし幸はぼんやりと窓の外に視線を向けたままあっけらかんと言った。
「慣れるしかないないんやし、これも訓練やろ。これからはなんぼでもこんなことあるんやし。それにルイは麻生がおもとるほど柔やないで」
「それはそうかもしれないが、いくらなんでも……」
「なんや、連れて行きたない理由でもあるんか?」
「そういうわけではないんだが……」
言葉を濁す麻生。そんな麻生の様子に幸は初めて運転席の方を見て言った。
「まあ、片付け言うんは口実で、ほんまは麻生から預かっとった疎開資料やら物やら返す為なんやけどな」
「疎開資料……ってまだお前が抱えていたのか?」
「返せって言われんかったしそのまんましもたあるんやんか。たぶん麻生でも見つけられんと思うねん」
「……お前が言うなら、たぶんあのビルを解体でもしなければ見つからないんだろうな」
隠すということに天才的な才能を示す幸。それは形ある物質はもちろんのこと、情報や感情といった目に見えないものに対してもそうだった。麻生には幸の本気の隠し事を見抜く自信はない。
一方で麻生自身も本気の隠し事は誰にもばれない自信があった。たぶんそれは少なからずこの世界にいるものなら身につける能力だろう。あとは上手いか下手かただそれだけのこと。
「ちゃんと出して次の奴に引き継いでもらうさかい安心してや」
安房支社までの道のりは長い。それでも二人があまり無駄話をすることはなかった。別にそれは二人にとって自然なことで、会話を特に必要としないということなのだ。
「究竟!!」
「“元”な。今はお前だろ。本部から正式に異動の通達来てるだろ」
安房支社の究竟室に二人が姿を見せたのは夕刻。安房が活気を見せ始める時間帯のことだった。
たった2日前まで麻生が仕事に使っていた机の上には3つの山ができていた。その向こうから麻生の声に反応した館山が半泣きで姿を見せる。
「俺は究竟代行です。究竟に一級権限証を押し付けられたせいでとんでもないめにあってるんですよ!!」
ー究竟代行権限証ーとは、各支社においてなんらかの事情により究竟が支社を離れる場合にその代わりを務める隊員に付与される権利の所在を明確化するものである。
権限証には三種類あり、
・完全に究竟としての権限を代行者に一任する“第一級”
・所属隊員の処分権以外の究竟権限を認める“第二級”
・あくまで事務決裁のみの代行を許可される“第三級”
に分かれる。
通常、究竟が休みの日に第三級を、会議などで完全に支社を離れる場合に第二級を付与することが慣例となっている。ただし、究竟補佐と呼ばれる補佐官が任命されている場合はその限りではない。何故なら、究竟補佐には常時第三級程度の権利が保証され、緊急時には特例として究竟の承認なしで第二級権限までを行使することができると隊規にも定められているからである。
その為、普通なら補佐官のいる支社では権限証はそうそう発行されるものではなく、発行されるにしても精々第二級止まりだった。理由の一つは人選を誤ると権利に乗じて不当に隊員が処分される恐れがあること。そしてもう一つの理由が、第一級権限による隊員の処分権には究竟本人も含まれてしまうからなのだ。地位欲しさに寝首をかかれることがある程度頻繁に起こるこの世界において、そんな危なっかしい権限を人に預ける度量を持つものはそうそういない。
「って、異動ってどういうことですか?いつもみたいに唐突に呼び出し食らっただけじゃないんですか?」
「辞令出てないのか?」
「出てませんよ!でも、貴方に第一級権限証を与えられたってことでみんなに無理難題押し付けられてますよ!!異動なら異動で可及的速やかに次の究竟を任命してください!!」
館山の必死の訴えに麻生は少しだけ悪いことをしたような気分になった。いつも的確に現場での采配を見せる館山がたった2日でここまで追い詰められるとは思ってもみなかったのだ。
「お前ならうまくやれると思うんだが……このまま究竟、引き受けないか?」
麻生は第一級権限証を渡した段階から何かあったら後任究竟は館山にしようと思っていたのだ。人望もあるし、能力もある。真面目過ぎず、適度に軽いのも気に入っていた。
「…………大出世なんで普通なら喜んで飛びつきますよ。年齢も年齢だし、妻子養うにはありがたいですよ。でもね、水上究竟、志斉究竟、その後任ってどんな嫌がらせですか!俺はもうちょっと穏やかに渋い究竟になりたいんですよ!!」
どちらかといえばやんちゃの跡を隠しきれないカジュアル系オヤジへの道を歩んでいる館山の渋い究竟姿など麻生にも想像は難しかった。しかし、本人はいたって真剣なのでツッコミはせず真面目に仕事をすることにした。
「わかったわかった。話は聞いてやるからとりあえず集められる上級集めて引き継ぎと話し合いをしような」
「ほんならワイは用無しやし片付けしてくるわ」
今の今まで黙って場の状況を楽しんでいた幸がそれだけを言って究竟室を出て行く。麻生はそれを止めようとも思わなかった。
「さてと……」
安房支社のビルは商業用で本来は住環境設備は整っていない。しかし隊員たちが仕事の為に寝泊まりすることも配慮してシャワーブースと仮眠室が用意されている。それ以外にも使われていない部屋が結構あり、幸はそんな一室を自分専用に陣取って生活していた。
公には帰るのが面倒だからそれまで生活していたアパートを引き払ったと話しているが実際は違う。
月夜がこの支社を離れて以来、究竟室で寝泊まりすることを決めてしまった麻生を心配してというのが語りはしない本音だった。
「ただいま〜」
昔からの習慣で誰もいない部屋にそんな挨拶をしながら幸が部屋に入る。
簡易式の折りたたみベッドと衣服を収納する為のチェスト、ホームセンターで買った木製の本棚、会議室から拝借してきた木の長机。視界に入る生活用品はそれぐらいしかない。
「荒らされてるかとおもたのにそんなんする奴もおらんのやな」
よくも悪くもこの支社は水上月夜と志斉麻生によって躾られてしまっている。だから同じ枠組みにいる幸に対しても手を出そうとする者は滅多にいない。仮にいたとしてもそれは全て幸自身によって内々に返り討ちにされてきた。
慌てて出て行った日のままになっている部屋の中で幸は腕を組んで暫く固まった。それはわずか数秒のことで、また誰にともなくニィッと笑うと簡易ベッドを折りたたんでその下にある点検口を開けた。身軽にその中に入るとまず小さなダンボール箱を2つ部屋に放り出す。
「おとりその1、その2」
そしてまたゴソゴソと点検口の中に入り、右に折れ曲がった所の目を凝らさなければ壁との継ぎ目を見分けられない様な隠し扉を開ける。この扉、実は安房支社の建物の図面にも載っていない。幸がいざという時の為に実際の壁との間に1メートルぐらいの隙間を作ったにすぎないのだ。
その中から幸が取り出したのは大小様々なテディベアが5つ。どれもお年頃の男子が隠し持つには可愛らしすぎるものばかりだった。それを全部抱えて扉を閉めると幸はようやく点検口から出てきた。
「ワイのくまさん、お留守番ありがとうな」
そして目の前のテディベアに合掌するといつも腰に吊るしているナイフでクマの首を一つ、また一つと落としていく。ただ一つ、一番古ぼけた手作りのクマを除いて……。
「デジタル社会と世間は言うが、ほんまはこっちのほーが確実なんやんなぁ」
クマの頭の綿を全部出すとその中から出てきたのは折りたたまれた紙片。それは集めると十数枚に及び、紙にはびっしりと文字と数字が手書きで羅列されていた。
「ぜーったいハッキングでけへんもんな」
どれだけ強固なファイアーウォールも人によって作られているのだからもちろん破ることができる。
そうなると実は手書きの紙媒体を隠す方が機密性が高かったりする。古典的過ぎて逆に気づかれないという笑い話だ。
「どないするかなぁ」
ダンボール二箱の中身もおとりとはいうものの監査に見つかれば一悶着も二悶着もある代物だ。それよりなにより、テディの中身が問題だった。
「処分してまうんが一番安全なんやけどいざって時に困るしなぁ」
一人でいる時に無駄に喋り続けてしまうのは幸の昔からの癖だった。考え事をする時は黙っているよりも言葉に出している方がまとまりがいい気がするのだ。
「麻生にぶちまけたらワイの今までの努力が水の泡やしなぁ」
さてどうしたものかと考えた挙句、幸は開けた紙片を改めて小さく折りたたむとそれを一つの封筒に入れた。そして持ってきたカバンの中から何故かダルマを一つ取り出した。それは貯金箱で、底が開くようになっていた。その中に封筒を押し込むと満足そうにそのダルマを疎開資料が詰まったダンボールの一つに入れた。
「あとは中澤の兄さんに頼んどくんが得策やろうな」
一人でよしよしと頷くと幸は部屋の中にある荷物を適当にダンボールに詰め、疎開資料入りダンボールだけを手にして部屋を出た。
「麻生、これどないしたらええ?」
究竟室では一通りの引き継ぎを終えた麻生が自分の荷物を片付けているところだった。
「……まさかそれ全部疎開か?」
「自分で預けたもんぐらい覚えときぃや」
「お前が勝手に隠した分まで覚えておけるか!」
「まあまあ、このまんまとりあえず後任に渡しといたらええかなぁ?後は適当に処理しよるやんな。どうせ監査一回乗り切ったら用無しなんやさかい」
どかっとダンボールを置いた幸がニパッと笑った。その表情に麻生が苦笑する。
「次の期末、安房支社はてんてこ舞いだろうな」
「ええ〜この程度の資料、どこの支社でも隠しとるやろ。それぐらい捌けんで何が究竟やねん」
普段の人懐っこい感じを見ていると幸の方が有効的だと思われがちだ。しかし実際には幸の方がよほど割り切った性格をしている。
「そういや次の究竟って館山で決まったんか?」
「いや、結局……」
「山さん今、本部から…………あれ?何やってるんすか、ボンたち」
二人の会話をぶち破って究竟室に登場したのはみんなのお父さん中澤。手には一枚の紙切れ。どうやらFAXのようだった。
「引き継ぎに来たんだ」
「あー、通達が今届きましたよ。本部特務課設立の初期メンバーらしいですね。で、ここはどうするつもりですか?上級二人抜かれて期待の有望株だった嬢ちゃんまで連れて行かれちゃって」
万年人手不足は誇張表現ではない。常にかつかつの人員でやりくりしている安房支社で突如として三人も人材が減ったら死活問題だった。
「とりあえず補充は本部に掛け合っておく。で、次の究竟だが上級の奴らと話し合って一旦人事課預けで行くことになった。店がある奴らを究竟にしたらそちらの方もややこしくなるからな」
「あれ?山さん……館山様にするんじゃないんですか?」
「全力で拒否された。どうしても私の後の究竟は嫌だそうだ。そんな辞令がおりようもんなら田舎に帰ると言われてしまった」
そんなこんなでとりあえず今回は人事課にたのんで究竟を何処かから異動させてもらうことにしたのだ。
「まあ、補佐ならやってもいいと言っていたのでその後の引き継ぎは問題ないだろう」
「つうわけで中澤の兄さんにはこれ預けとくわ」
幸がポンポンとダンボールを叩く。
「なんですか、それ?」
「疎開くん」
「……館山様に押し付けときます」
「うまいことやってな」
にいっと笑った幸がダンボールを少しだけ中澤の方に押した。中澤は嫌なものを見てしまったというようにちょっとだけ箱を開けてみた。当然のように視界に入る“ダルマ”。
「これは?」
「兄さんにプレゼント。大事にせなバチあたんで」
中澤が手に取り、そのダルマを眺める。貯金箱であることは中澤にもすぐに分かった。
「君のプレゼントならとんでもないバチがあたりそうだな」
「そやし大事にしたってな」
「幸、なんでダルマなんか?」
「ワイかて願掛けぐらいするやん。まだ成就しとらんからあとは中澤の兄さんに託そうと思うただけなんや」
幸の突飛な行動は今始まったことではないので、麻生は早々に考えることを放棄して片付けに戻ることにした。
中澤はそんな麻生の背後で物言いたげにダルマを手に立っていた。しかし言葉を紡ぐことはできなかった。何故なら麻生の横で幸が冷笑を浮かべてこちらを見ていたからである。
結局、二人が荷物を片付けて支社をあとにする瞬間まで幸はダルマの正体に言及することはなかった。
そして麻生が支社の今後を残していく隊員達に再度丁寧に託し、最後の挨拶を終えた。先に部屋を出た麻生の少しだけ後ろで幸は中澤に向かって言った。
「後は任せるわな」
「俺にできる範囲の努力はするさ」
この支社には二人だけが知る秘密がある。幸はそれを麻生には語らない。もちろん中澤も口にしない。それは初めて共犯の関係になった時からの暗黙のルールだった。
お互いに視線を交わし、互いに頷いた。全ての引き継ぎが終わった瞬間だった。
実はWILLの原型を初めて書いたのは高校生の頃になります。
その頃からの読者である友人にいつから幸はこんなに目立たなくなり、代わりに麻生の存在感が増したのかと言われました。
確かに初期版ではお茶を持って同じ部屋に二度入ってくるなんて影の薄さを見せていた麻生がかなり出張ってますね(笑)
少しずつ他のキャラたちも活躍させていきたいと思います。