一年目―秋3
突然ですが、
ここからはBL注意報を発令します。
とはいってもかなりマイルド仕上げになってますので、直接的な表現はないかと思います。
それでも苦手な方は回れ右をお願いいたします。
「その後の一年半は……語らなくても貴方達の方がよく知ってるわよね」
ルイが一頻り語り終えたと言わんばかりに、ふぅとため息をつく。
「……なんかすまない」
「なんの謝罪なの?」
「辛いことを語らせた」
「お互い様でしょ。それに、色々吹っ切れちゃってることもあるから」
その言葉を証明するかのようにルイの表情は穏やかだった。
「そうか」
何がと尋ねることはなかった。ただ三人の間を穏やかな沈黙が流れた。思い出に浸っていたルイがふとテーブルの上の封書に手を伸ばした。
「そういや、招待状とか言ってたけど、何考えてんのあいつ」
もはや月夜をあいつ扱いしているルイが開けなければならないとわかっていつつも開けられずにいる封筒を手の中で弄ぶ。突然現れてわけのわからないままに渡された封筒を開けるのは何と無く気味が悪い。
「どこに招待するつもりなんやろうな」
「まあ帰ってきたばかりなら本部ぐらいしか考えられないんだけどな」
「なんで?」
「本部ビルが月夜の実家みたいなもんだからだ」
幼い時にはそこで過ごしていたらしいと麻生はそれだけを言い、ルイの手の中から封筒を取り上げる。その麻生も封筒を開けるのは勇気がいるようで何度か深呼吸をしてからハサミを手にした。中に入っていたのは往復葉書サイズの厚手の紙が一枚だけ。内容は非常に簡潔だった。簡潔だからこそ麻生の表情があからさまに歪んだ。
「げっ!?」
いつも年齢より老け……もとい落ち着いた物腰の麻生の口から「げっ」などという驚きの言葉が出てきたことにルイが驚く。そんなすごいことが書いてあるのかと不安にかられていると麻生がガバッと立ち上がり、その紙を幸に投げつけた。
「館山に仕事を押し付けてくる。幸も自分の持ってる仕事を誰かに押し付けろ」
「なっ、なんやなんや?うぇっ……これ、あれやん!」
幸も書面の内容に呻き声を上げた。
「何が招待状だ。本部召喚状じゃないか」
「しょうかんじょう?」
置いてけぼりのルイの手にようやく書面が乗せられ、その字面を見たルイがギョッとした。
「…………召喚状!?」
『志斉麻生
神河幸
倉富ルイ
上記三名。
下記に記す通り、出頭のこと』
下記に記された日付は明日。場所は本部社長室。召喚要請者は紅井大和となっている。
「ねぇ、紅井大和って……」
ルイが油ぎれのロボットのように麻生を見る。明日ということも、本部ということも驚きなのだが、何よりルイを驚かせたのは呼び出し命令を出した人の名前だった。
「CROW日本支部社長だ」
「当然わかってるわよ。ってなんでそんな人にあたしまで呼ばれてるの?なんかした?やっぱりお前生きてる価値ないよ、死ねって?」
珍しく半狂乱のルイが早口にまくし立てる。そんなルイの様子に苦笑した麻生がなだめるように言う。
「落ち着け。月夜絡みだから大和さんの名前が出てるだけだろ。たぶん久しぶりに挨拶に来いってことだろうな。ルイのこともあるし直接紹介しに来いってことだろうさ」
「なんでそんなに落ち着いてるの?持ってきたのあいつなのよ。呼び出したの社長なのよ」
「あー……たぶんルイもすぐに慣れる。月夜が帰ってきたなら良くも悪くも巻き込まれるはずだ。あいつが何を考えてるのかわからないが、ルイがここにいるのが故意ということが分かったいま、なにかあるに決まってるんだ」
そんなものに慣れたくない!と内心ではツッコミつつも明日のために引継ぎがあるから後にしてくれと言われたら黙るしかない。
「えーっと、あたしにできることある?」
「明日に備えていい子で早く休め。明日は朝早いぞ」
ポンポンと頭を叩かれ、ルイが気恥ずかしそうにムッとむくれてモゴモゴと言い返す。
「子ども扱いしないでよね」
でも本当はちょっとだけ嬉しかった。
【翌日の昼過ぎ】
「……着いちゃった」
「着いちゃったって、徹夜した上にここまで車を飛ばした私の努力を否定するようなこと言わないでくれ」
さすがに疲労感が漂う麻生を先頭に本社ビルに入る。
「安房支社の志斉麻生だ。本日、紅井社長から出頭命令を受けている。取次を」
「少々お待ちくださいませ」
インフォメーションカウンターでやりとりをするとすぐに受付嬢は奥のエレベーターホールを示した。
「勝手に来るようにとのご指示です。上で秘書課に声をおかけください」
「分かった」
勝手知ったるなんとやらで迷うことなく進む麻生と幸の後ろをルイが早足でついていく。なんとなく先ほどから視線を感じて仕方が無い。そのうちの何割かからは殺気にも似たものを感じる。
「ねえ幸、なんかヒソヒソされてる?」
「気づかんふりし。ワイらちょっと目立つみたいやねん」
「Lackだから?」
「わかっとるんやったら堂々としとり」
ルイは、内心では初めての本部にビクビクしながらも視線の感じた方向に向かって微笑んで見せた。ハッタリが得意だと以前に幸に言ったのは嘘ではない。そのことが今後のルイの評価を大きく左右するということをこの時のルイは想像もしていなかった。
ビルの最上階。エレベーターを降りるとその先に部屋は二つしかない。社長室を守るアマゾネス集団秘書課。そしてその奥、この日本CROWを率いる男紅井大和の居城である社長室だ。
“コンコン”
麻生は社長室前に立つと大きく深呼吸してから扉をノックした。
「入れ」
中から返事が返ってきて、三人が中に入る。
「失礼いたします。安房支社究竟、志斉麻生、出頭命令により参上いたしました」
麻生が日本の主の前で膝をおる。
「安房所属、神河幸」
麻生の隣りに幸がつく。
「お初にお目にかかります。安房所属、倉富ルイです」
二人にならい、幸の隣りに膝をつき頭を下げる。
「唐突にすまなかったな。普段通りでかまわん」
「ご無沙汰しており申し訳ありません。大和さん、お元気そうで」
麻生は大和に勧められた椅子にさっさと座り、幸もその隣りに座って笑っている。
「麻生も立派になったな。究竟になって何年になる?」
「2年になります」
「そうか」
ルイはどうしていいのか分からずに幸の隣に立っている。
「ルイと言ったな、座らないのか?」
「あの……」
どうしたらいいの?とルイは視線で幸に訴える。
「座ったらええねん。社長室まで来てしもたらこっちのもんや。狙撃される心配もあらへんからな」
ルイは心の中で“狙撃って何!”と突っ込みを入れつつも幸の隣りに大人しく座る。
「相変わらずのようだな」
「はい。ところでこんな唐突な出頭命令の用件はなんですか?」
社長を目の前にしているというのに幸と麻生の態度は普通とあまり変わらない。
「ワシはもう少し先に連絡しておいた方が良いのではないかと忠告したのだが、あいつがな……さっさと出てこい。いつまでそこに隠れているつもりだ?」
社長―紅井大和―は向かって右奥にあるつい立てに言う。その人物はすぐに姿を見せた。幸とルイは出てきた人物を見て溜め息をつく。
「二人ともいくらなんでもその態度は失礼じゃありませんか?」
「招待状とかほざいて召喚状なんて置いて行くからでしょ。しかも翌日だし」
うんざりとした表情でルイが言う。
「おや、今日からあなたたちの上官になる人間に向かってそんな口の聞き方してもいいんですか?」
「なんやて!?」
「あなた方は世界各地のCROWの支部に特務課を設置している国があることを知っていますか?」
月夜の先の読みにくい問いかけに幸と麻生は知っていると答え、ルイは名前ぐらいはと答える。
「特務課が何か?」
麻生は自分の中にある一つの予感を押し込めて問う。
「日本にも特務課が設置されることになったんですよ。総本山の命でね。賢いあなた方なら僕が言いたい事、もう分かりますよね」
麻生は自分の予想がやはりハズレではなかったことに肩をすくみて見せる。この二年うじうじと悩んできたことも全て目の前の男の手のひらの上だったのだとここにきてようやく気づく。
「今度は特務課か。ドイツ行きもこの布石だったのか?」
麻生の態度が今までと一転する。これが本来月夜に接してきた麻生の姿なのだろうとルイは考える。
「僕も全部が全部分かっていたわけじゃないんで、布石とは一概に言い切ることはできませんが……まあそうなりますね。結果的には……」
「その命を拒否することはできるのか?ここに三人で呼ばれたということはルイも頭数に入っているんだろ?」
「そうや、ワイらだけやったらまだ分かるけど、ルイはまだ半年やねんで」
「拒否できるような命が総本山から下ると思いますか?大和が断りきれずに僕に命令したことですよ?何のために彼女に半年で上級資格を取らせようとしたと思ってるんですか。Lackをこれだけ集めて特務課を作るなんて最初から何かの陰謀としか思えませんが、突っぱねるには元々僕たちには分が悪すぎますしね」
月夜の表情が何を馬鹿なことを言っているんだと言っている。拒否できないことぐらい彼らにも分かっていた。ルイも特務課というのはよく分からないが彼らの言いたいことは痛いほど分かるつもりだった。受けなければ消される、受ければ今以上に死線の傍を歩くことになる。この半年、死に物狂いで頑張った。目標があった方が頑張れるだろと示された数にはまだまだ到底及ばないのは分かっている。それでも彼らは本気で自分の為に手を尽くしてくれた。だからルイは彼らに言った。
「詳しいことは何も分からない。特務課とかも昨日の話で名前を聞いたに過ぎないわ。でも、それが絶対の命令で逃れられないものなのだとしたら私はたとえそれが地獄の果てでもあんたらと共に歩んで見せるわ。それにね、Lackにそんな重要そうな仕事をさせるなんて地位向上をはかるチャンスだと思わない?」
その場にいた誰もが一瞬唖然とした。その後、幸と麻生はルイらしいと苦笑し、月夜と大和はルイという少女がどういったものかを認識した。
「ルイがそういうんだ。ここで我々がごねたら格好つかないな。だから月夜、我々はメンバーの一員として任務を遂行するよ。ところで他のメンバーは?」
「詳しいことは大和が説明してくれると思いますよ」
話を振られて大和は仕方ないと言った表情で話し始める。
「本来ならわが国のように治安の安定した小さな島国に特務課が置かれるとも考えづらいんだが、総本山がじきじきにメンバーまで指定してきた。メンバーは五人……」
「特務に五人って他国に類を見ない少人数制ですね。しかもメンバーが指定ということは転属はなしですか?」
麻生が大和に向かって皮肉めいて言う。五人と言われた瞬間にルイ以外にはメンバーが分かっていた。いまさら改めて言わなくても分かっていることを知りながらも大和は苦笑しながら続けた。
「究竟、水上月夜。所属隊員、水上空夜、志斉麻生、神河幸、倉富ルイ」
「空夜も戻ってくるん?」
「ええ、空夜呼んでますよ。出てきたらどうですか?」
「呼ばれへんかってもここにおるんよ。」
「!?」
いつのまにか幸たちの背後に立っていた和服の人物。黒の着物に銀糸で流線形の刺繍が入った帯をしているとても美しい人だった。身長も髪の長さも顔も水上月夜に瓜二つだった。それなのに雰囲気はまるっきり異なり、中性的ではあるがどことなく女性的な物腰の人物だった。
「いつからそこにおったんや?」
「最初から月夜と同じとこにおりましたんやけど、気づきはらへんかった?」
含みたっぷりの京言葉はこれまた月夜と同じくアルトの穏やかさであった。
「まったく、相変わらずやな……久しぶり、空夜」
「ほんに長いことおうてへんかったもんねぇ。二人とも元気そうで何よりやわ」
空夜が艶やかな微笑みを浮かべる。たぶん大半の男性がドキッとするに違いない。が、あいにく麻生も幸も見慣れ過ぎていていまさら空夜にときめくことなどありえない。
「空夜、何で黙ってたんだ。最初から参加できるってことは前から引継ぎしてたんだろ」
「色々事情があったんよ」
麻生も文句は言うものの会えたことに喜びを感じているのか優しい笑みを浮かべていた。
「……空夜さんって月夜の弟さんだって聞いた気がするんですけど」
ルイの複雑そうな表情を見て空夜が近づく。
「初めまして、ルイはん。うちは水上月夜の弟の空夜どす。今日から一緒に仕事させてもらうことになったさかいよろしゅうね」
納得いかないと言った表情のルイ。明らかに自分よりも女性的な魅力に溢れた様相の人間が男だといわれたら複雑だ。なんで和装なのかとか、なんで京言葉なのかとか問い詰めたいことは山のようにある。が、いきなりそんなことをすることもできないので結局はぺこりと頭を下げるにとどめた。
「……よろしくお願いします」
「みなさん、積もる話は後にしましょうね」
月夜はそう言うと大和の前に膝をつく。空夜、麻生、幸がそのすぐ後ろで同じように膝をつく。ルイも少し遅れてそれに習う。
「水上月夜、水上空夜、志斉麻生、神河幸、倉富ルイ、以上五名、謹んで辞令を拝命いたします」
「総本山が何を考えているかは分からんがお前達なら大丈夫だと思っている。武運を祈る」
「ありがとうございます」
月夜が代表して五人分の辞令を受け取り立ち上がる。形式的なやりとりはこれで終わりだと言わんばかりに部屋を出ようとする。その背中に大和の声がかかった。
「そうだ。ルイ」
「はっ、はい!」
四人の影に隠れてそそくさと部屋を出ようとしていたルイがビクッと背筋を伸ばす。
「そう怯えるな。別に危害をくわえようというんじゃない。そこの四人と同じように接してもらって結構だ」
んなわけに行くか。とツッコミたいのをぐっと我慢して曖昧に微笑む。上にたてついたらなにされても文句は言えないのだと散々あちこちで吹き込まれたルイにしてみると緊張するなという方が間違っている。
「なんでしょうか?」
「お前にはこれも渡しておかなければならないのを忘れていた」
差し出されたのは辞令と同じ形の厚紙。ルイはそれに恐る恐る手を伸ばす。しかしその内容が視界に入った瞬間、ルイの手は止まった。内容があまりにも突飛過ぎて受け取ってしまっていいのか迷ったのだ。
「上級隊員資格?……あたし……私がですか?」
何年もかけて実績を積んだものだけが手にすることのできる幹部への足がかりだと聞いた。学園というところのエリートコースで学んだ者でも数年はかかるはずだ。そんなものを半年で手にすることができるはずがない。
「もちろん規定には実務数が圧倒的に足りていない。はなから半年足らずではどうすることもできないので数だからな。だが、麻生も幸もワシが命じた通りにルイにこなさせようと努力をし、ルイ自身もそれに応えようと努力をした。そのことは評価をするに値する。報告書も目を通させてもらった。それを踏まえて今回は特例措置を利用することにした」
「特例措置?」
その言葉に疑問符を投げたのは意外にも麻生だった。規定に届いていないことは重々承知していたが、それが彼女の力量不足ではないことを切々と綴った報告書を確かに大和に送ったことはあった。しかしまさかそれが特務課設置に向けた布石だとは思いもしていなかったし、実際にルイに上級隊員資格が与えられるとも思っていなかった。規定値に達していない隊員を上級昇格させられる裏技があることさえ麻生は知らなかったのだ。
「既存の上級隊員五名の推薦書をもって実務経験の不足を免除するという特例がある。主に事務方を昇進させる時に使う裏技だがお前らにはもってこいだろ。四人はそこにいるんだからな」
四人と言われてルイが自分の周りを見渡す。それはまさしく今、特務課として指名された自分以外の四人に他ならない。
「僕と空夜はすでに推薦書を提出しました。あなた達の分は書類不備で突き返してある体裁になっていますので早急に提出なさい」
「麻生は所属長として特例申請書も提出しろよ。週末は事務方止まるから月曜までで構わないからな」
さらりと言われた言葉に麻生が青ざめる。推薦書と書き方も形式もわからない書類を作成しろと言われた上に期日は明後日の月曜日。
「……月夜、不勉強な私に特例申請書の書き方を教えてくれ」
「しょうがない子ですね。事務所にあなた方を案内したら夜にでも教えてさしあげますよ」
「すまない」
「麻生、ごめんなさい。あたしのせいで……」
しゅんと項垂れるルイに麻生が苦笑して見せる。
「気にするな。そもそも私がこの特例を知っていたらお前にこの半年、あそこまでの無茶をさせることもなかったんだ。私の怠慢の結果でもあるんだ」
「……ごめん」
「ルイ〜そういうときはかわいい笑って“ありがとう”でええんやで」
幸がニパッと笑って大和の手から辞令を受け取り、ルイの手に握らせる。
「そうですよ。どうせ上級資格者に限るなんて特務課設置に対して役員にごちゃごちゃ言わせない為だけに付けた条件でしょうし」
「月夜、そう身も蓋もないこと言うな」
肩をすくめる姿があまりにも普通のおじさんに見えてルイはクスリと笑ってしまう。それを見た面々は何処と無くホッとした表情を見せた。
「戸惑うことも多いだろうが、迷うことなく己の信ずる道を進め。ワシはルイがこいつらの潤滑剤として新しい風を吹き込んでくれることを期待している」
先ほどからツッコミはしなかったが、初対面の新人隊員でしかない自分の名前を呼ばれまくっている。そのことが社長にとって自分も麻生や幸たちと同じ土俵で見てもらえている気がして嬉しかった。
「紅井社長のご期待を裏切らないよう誠心誠意尽くさせていただきます」
ルイが礼の為にその場に膝を折ろうとしたのを、大和が止める。
「大和でかまわん。どうせそいつらの保護者みたいなもんだ。いずれ身内色が強くなるんだ、最初から慣れろ」
「……善処します」
そして、改めて五人は退席の挨拶を手軽に済ませてその場を後にした。
ビルを出たところで麻生が移動の為に車を動かそうとしたが、それを月夜が止める。
「すいません。片付けが間に合わず、駐車場が物置になっているんです。今日のところはここに置いていってください」
そう言われた安房トリオはてっきり列車移動になるのだと思った。しかし、月夜は本社を出ると駅前を離れ、住宅街に向かって歩いていく。そしてわずか数分、一件の家の前で足を止めた。
「ここです」
「ここって……」
事務所というのでてっきりビルかそれらしい建物だと思っていた。目の前にあるのはどうみてもちょっと大きめの一戸建てだ。この住宅街はお金持ちが多いのか、昔からの土地持ちなのか、全体的に広めの家が多い為、普通すぎるほど普通に見える。
「何やってはるの、はよお入りやす」
当たり前のように鍵を開けて手招きする空夜。三人はとりあえず言われるがままに入っていく。
中に入り、辺りをきょろきょろと見回していたルイが感想を漏らす。
「普通の家だと思うのあたしだけ?」
三畳ほどの玄関ホールから扉を一枚くぐるとこれまた絵に描いたようなリビングダイニングだった。黒を基調とした革張りのソファーセットとダイニングテーブル。窓にはモスグリーンのカーテンがかかり、壁には夏の海を思わせる絵がかかっていた。生活感がなく、どこか寒々しい感じはしたが、掃除はされているようで埃っぽさはなかった。
「初めての本社で疲れてはるんちがう?そんなとこ立ってはらへんでこっちに座りおし。ちゃんと掃除したさかい綺麗やよ。はい、どうぞ」
ルイは言われるがままにリビングのソファーにちょこんと座る。空夜が手馴れた様子でお茶を出し、全員がソファーに集まる。
「おおきに」
「いただくよ」
「ありがとうございます」
あまりにも普通すぎる光景にルイは何故か心が落ち着くのを感じた。出されたお茶は程よい温かさでおいしかった。
「三人とも飲みながらでいいですから聞いてくださいね」
「何や?」
幸が尋ねると月夜は机の上にそれぞれ三つずつ鍵のついた鍵束を三つ載せる。
「一つずつ持っていてください。こちらの二つがこの家の鍵、残りの一つが各個人の部屋の鍵です。階段上がって向かって右がルイ、正面が幸、左が麻生、階段の後ろが空夜の部屋です。僕は一階の部屋を使わせていただきます。最低限必要なものは揃えてありますが後のコーディネートは各個人にお任せします」
月夜はそれだけ言うと自分の分のお茶に手を伸ばし“ホッ”と一息つく。しかし三人は明らかに顔色を変えた。聞き逃すことのできないとんでもないことを言われた気がする。
「ちょいまち、その言い方やとワイら五人がここに一緒に住むみたいやないか」
「“みたい”じゃなくて、一緒に住むんですよ、幸。ここが事務所兼社宅になりますからね」
月夜はそれがごく当たり前のように言う。有無を言わせない感じは以前からまったく変わっていない。しかしそれに流されるにはあまりにも色々ありすぎた。が、月夜に対して強く言い返せないのも長年の習慣だった。
「月夜……ルイ一人だけ女性はまずいだろ」
「いままで安房支社の究竟室で寝泊まりさせていたんでしょ?貴方も幸も男だと思っていましたが?」
「あそこには他にも女性隊員がいただろ」
麻生が突っ込むが月夜は聞く耳を持たない。
「たいして困ることだと思いませんけどね」
「月夜、男四人に女一人はまずいやろ。ルイかていきなり知らん男四人と同居生活は嫌やろで」
幸も麻生に助け舟を出す。
「知らない男って空夜だけですよね?貴方達は半年付き合いがありますし、僕も二年前に一度あってますし。僕がルイに刺されることがあっても、僕がルイに危害を加えることはないですし、問題ないでしょう」
「問題だらけだろ!そもそもなんでこの五人なんだ。ルイまで巻き込むことなかっただろ」
「あなたはルイの父親ですか?メンバーに選ばれたのはLackだからです。女性一人なのは部屋に鍵もついてますから問題ないはずですよ。それにあなた方が手を出さなければいいんじゃないですか」
“僕が手を出すはずないでしょう”
月夜の瞳はそう言っている。
暫くその会話を黙って聞いていたルイが口を挟む。
「別にいいんじゃないここで暮らしても。あ、男ばっかりとかあたし気にしないから大丈夫よ。雨風しのげる屋根と被れる毛布があったら大概のところでは寝られるから」
『ルイ!』
麻生と幸が同時に叫ぶ。しかしルイは我関せずと言ったように言う。
「あたし以外が男だからなんだっていうの。もともとここにいる空夜さん以外はあたしを殺そうとした暗殺者だし、それに今更男なんて…………」
言葉尻が力なく消え、一瞬曇ったルイの表情。しかしそれは本当に一瞬のことで、すぐに挑発的な笑みを浮かべて言った。
「それとも麻生や幸はあたしに興味でもあ・る・の?」
「たわけたことを言うんじゃない!」
何故か麻生が怒鳴る。
「なんで麻生が怒るの?あたしの身体はあたしのものでしょ」
「ルイもワイもお年頃やもんな~」
「あら、幸が狼さんになるのかしら?」
「いい加減にしろ!!」
麻生の叱責が飛ぶ。
『冗談なのに』
「お前らが言うと冗談も本当にしかねないだろ」
麻生にそう言われて二人は互いの顔を見合わせるとひらひらと手を振る。
『今はそこまで餓えてないから大丈夫』
「麻生、なんだか二人のお父さんみたいですね」
月夜が三人の様子を微笑みながら見ている。麻生はそんな月夜になにか言い返そうとしたが思うように言葉が繋がらない。麻生にとって月夜は自分を育ててくれた親であり兄であり……絶対的な存在だった。それでも二年間のモヤモヤは確かに麻生の中で積もりに積もっていた。
「月夜……私が父なら、月夜はお祖父ちゃんだな」
ぽそっとそれだけ言ってみる。
「僕、まだ四捨五入したら二十歳ですよ。お父さんならまだしもお祖父ちゃんの称号は大和にでも熨斗つけてプレゼントします」
月夜もむきになって言い返す。何となく微笑ましかった。年齢から考えるとこの場にいる誰もが大人びていた。
二十代二人に十代三人。うち一人は暗殺業を始めて半年。育ちも経歴もバラバラで、関係性もややこしい五人だけが寄せ集められた特務課。上の意図も、これからの展望も読めない先行きの不安さは確かにあった。それでも……。
「まあ冗談はこのくらいにして、本音を言うとあたしたちはこの人事を受けてしまった。だからここにいるしかないんじゃない?事務所兼社宅が一般住宅だったことはさすがに驚いたけど、ここまで準備してもらったものを無碍にするのもどうかと思うのよね。それに、特務課がどんなものかよくわかってないけど、危険だってことぐらいは理解してるつもりよ。Lackの寄せ集めってのも引っかかるし、なんかの陰謀かもしれないし。だったら一緒にいるのもありじゃないかなって思うのよね。それにね……本音を言えば、貴方が用意してくれた賭けの商品であるこの新しい生活にちょっとウキウキしてるんだ。だってこんな普通の家での生活に憧れてたから。だからあたしは貴方達と共同生活をしてみたいわ。いいわよね?」
ルイは不敵に微笑み月夜に言う。ルイは決めたのだ、まだ暫く生きると言うのなら多少の過去ぐらい目をつぶると。本当は今でも恐いけど、あの生活から救ってくれたことは嘘じゃない。だからもう少しだけまた信じてみようと思う。人を信じてもいいかもとルイの凝り固まった考えを解したのはこの半年の時間だったのは間違いないだろう。
「満足してもらえるような家だったら、僕も嬉しいです。麻生、幸、安心しなさい、僕はもうあの時みたいに馬鹿な選択をするつもりはありません。もし、いいといってくれるなら一緒に暮らしませんか?捨てたと勘違いさせるように仕向けた僕をもう一度、受け入れてくれるのなら……ですけど」
ドイツで何があったかは分からない。でも、幸たちにとっては昔よく見た、ルイにとっては初めて見る、月夜の本当に優しい微笑みだった。
「麻生も幸も本当は月夜が大切なんでしょ。傷つけられたかもしれない、裏切られたかもしれない……それはあたしの知らないことよ。でも優しさももらったんでしょ。今でもあんな顔して思い出語れるような関係なんでしょ」
ルイの言葉に幸、麻生はまだ言葉を紡げずにいた。その様子をずっと黙って見ていた空夜が二人の前に立ち言う。
「自分の気持ちを大切にしおし。いつまでもウジウジしはらへんの」
「ワイ、あん時月夜とあのまんま別れてしもたやんか……そやけどワイ、月夜と離れてみて月夜の必要さが少しだけ分かった気がするねん。まだあんたの下で学びたいことがようけあるんや。あん時、あんな啖呵きってしもたワイのこと許してくれるか?」
幸は恐る恐る月夜のほうを見る。その表情は悪戯をして見つかった子どもそのものである。
「あの時はあなたがどれほど麻生を大事に思ってくれているのかが分かり、正直嬉しかったです。逆に、僕はそんな貴方に大怪我を負わせてしまいました。それでもまた僕と共に働いてくれますか?」
幸は少し気恥ずかしそうに微笑み頷いた。一方の麻生は月夜にかけより彼の服を握りしめて涙目で訴えた。
「傷つけて、傷つけられて、それでも私は月夜が好きなんだと言うことをこの2年間で思い知らされた。もうどこにも行かないで欲しい。お願いだ、私を捨てないでくれ。私は……私は……」
「あんなやり方しか選べなかった未熟な僕は貴方を酷く傷つけてしまったようですね。繰り返すつもりはありません……新しいメンバーで新しい生活をしましょうね、麻生」
月夜がそっと麻生を抱きしめる。麻生はそんな月夜の首に腕を回し、顔を引き寄せると人前であることも謀らず唇に唇を重ねた。一瞬目を見開いた月夜だったが、すぐ麻生に応えるように目を閉じた。
「うそ……」
ルイが両手で口元を覆い、目の前の光景から目を逸らせずに呟く。
「月夜……月夜、もっと強く抱きしめて」
「部屋行きますか?ここはみんないますから」
麻生は小さな子どもがするようにイヤイヤと何度も首を振って月夜を放そうとしなかった。そんな麻生をなだめるように月夜が優しく髪を撫でる。ひくっと麻生の喉が鳴る。堪えきれなくなった涙が眦を伝う。それは次第に麻生の感情を震わせ、2年もの間耐えてきた悲しみを一度に吐き出すように溢れた。
「ふっ……う……」
月夜に甘えるようにしがみつき、声をあげて子どものように泣きじゃくる麻生。
「うちの部屋いこか」
しばらく二人きりにするべきだと判断した空夜は幸とルイを自分の部屋に招くことにした。二人は言われた通りに素直に二階に上がり、示された部屋に入る。
『おじゃまします』
「どこか適当な所に座ってええよ。というてもまだこっちは片付けができてへんさかい椅子もあらへんのやけど」
空夜はそう言うと部屋のさらに奥に入って行った。この家の構造では各々の部屋がさらに二つに区切られている。雰囲気からしてシェアハウスのようだった。それにしても何もないこの手前側の部屋だけでも六畳ほどあることを考えるとこの家は一般住宅よりかなり広い。
「幸、ごめんね」
ルイはとりあえず床に座り、辺りを見回していた幸に言った。突然の謝罪にキョトンとした幸がルイの向かいに胡座を組んで座った。
「何で謝るんや?」
「あたし、幸たちの過去に何があったかまったく知らないのにあんなこと言って話を進めちゃったから」
ルイが本当に申しわけなさそうに言うと幸はいきなりルイにでこピンをくらわせた。もちろんルイは頭を押さえてうずくまる。
「……なにすんのよ!」
「おっしゃ、それでこそルイや」
幸はうんうんと一人で納得している。ポカンとしているルイの手を幸は引っ張った。重力に逆らいきれないルイは幸の上に倒れこむ。なされるがままのルイは幸に覆いかぶさったまま彼を見下ろす。そんなルイに幸は言った。
「ルイかて辛いやろ、ほんまは月夜といるのが。ワイらは月夜に拾うてもろた身やさかい月夜とまた生活できるんは正直嬉しい。そやけどルイは月夜に殺されかけた記憶しかあらへんねやろ。あいつのせいで辛い思いしたんやろ?」
「そんなこと……」
ルイは幸の手から逃れようと抵抗を見せた。しかし幸の力にルイがかなうはずもなく難なく押さえ込まれてしまう。しかも一瞬の間に大勢を入れ替えられ、幸に押し倒されているような格好になっている。
「そういうことは自分の部屋でやらはったらほうがええよ、幸」
「空夜さんっ!?」
着物を普段の物に着替えてきた空夜にルイが顔を赤らめる。
「幸、やめよし」
幸がルイのことを放すとルイは“ヘタッ”とその場に座り込み、涙目で幸を悔しそうにキッと睨みつける。
「そうよ、あたしは月夜が恐い。時々、幸や麻生も怖くなる。命を狙われ続けていたあの頃の記憶がフラッシュバックするのよ。でもあたしもその一人なんだって思うと大丈夫なの。やっとこの生活に慣れてきたの。“今、生きてるんだあたし”って思えるようになったの。だからきっと月夜とでも生活できると思う。よくわかんないけど、約束はどんな形でも守ってくれると思えるのよ……あっ、空夜さんの前なのにこんなこと言ってすいません」
「かまやしまへん。あながち間違いやないさかい……うちら皆そうなんよ。そうや、ルイ、なんでうちにだけ敬語つかわはるん?うちも皆と同じでええんよ。空夜って気軽に呼んで。これから一緒に生活するんやさかい、気ぃはらはったら疲れますえ」
空夜は優しく微笑みかけルイも笑顔を返して頷いた。
「そうさせてもらえると嬉しいわ」
ルイはもうなんとも思っていないのか幸の隣りに座る。
「空夜って月夜の弟でしょ、と言うことは男よね。京言葉に着物って女性みたいで……あっ、気に障るようなこと言った?」
「そんなことあらへんよ。そやけどね、ルイ。人は見かけで判断するんやあらへんよ」
「へっ?」
ルイが疑問の気持ちを表情に浮かべた時には既に答えは出ていた。
「こういうことだ、ルイ」
「嘘……」
背後に気配を感じてとっさに身をかばおうとしたルイだったが、既に首には空夜の腕がまわっていた。もしそれが敵だったらと考えると血の気の引く思いである。ホールドされるまでまったく気づけなかった。
「俺はわけあって普段はこんなだけど、CROWの隊員で月夜の弟だからな。ルイ、俺の言いたいこと分かるか?」
月夜と同じ声と表情が向けられる。それはきっと誰が見ても男性であることを間違えはしないだろう。ひょっとすると月夜よりも男らしいかもしれない。ルイがコクンと頷くと空夜はルイを解放した。
「気をつける。……でも、もうこんな事しないでよね。いつこんなことされるか分からないんだったら、神経がもたないから」
「当然だ」
着物の裾の乱れを直し、優雅に座った空夜がちょっとだけ憂いを帯びた眼差しでルイを見つめた。それに引き込まれるように自然とルイも正面の空夜を見つめ返す。
「ルイ、うちから一つお願い。あの子たちが伸ばしてきた手を絶対にふりはらわんといて。ここにいるのは皆誰かに裏切られた子やさかい。親しいした人が去って行くが何より辛いことなんよ」
信じて掴んだはずの手を裏切られて放されるのは心を切れ味の悪い刃物で切られるように鈍く痛む。その痛みはいつまでも尾を引き、精神を苛み続けてしまう。それは痛いほど分かっている。ルイは少し頼りなさげに頷いた。
「ルイはほんにええ子やね」
空夜が嬉しそうに微笑む。その表情にルイはなんとなく“お姉様!”と飛びつきたい衝動にかられた。が、相手は男だと自分に言い聞かせて思いとどまる。一方、幸は少し落ちつかなそうにそわそわしている。
「どうしたの、幸?」
ルイが尋ねると幸は自分が態度に出していたと気づき罰が悪そうに苦笑してみせる。それを見て空夜がやはり困ったように苦笑した。
「幸はほんに麻生が大切なんやねぇ、。心配でたまらへんのでしょ。ふふふ、いくら月夜でも帰ってきてすぐには手、ださはらへんと思うわ。そこらへんは自重しはるんと違う?」
「そりゃまあそやけど…………ちょいまて、すぐってことはこの先はどうなるか分からんちゅうことか?認めるんか、空夜は!」
幸が血相を変えて空夜にすがりつく。
「うちかて自分の身ぃは、可愛いさかい当てにせんといてくれやす」
「そんな殺生な。ワイらが月夜の命令の前では無力に等しい事知っとるくせに」
暫くは何の事かと首を傾げていたルイが何かに気づきポンと手を打つ。ようやくさっきから引っかかっていた疑問が解けた。
「ああ、そういう事か。なるほどねぇ、つまり幸も麻生もこの家にあたしが女一人で危ないから叫んでたんじゃなくて、実際は自分の身が危ういから叫んでたってわけか。あれ?でも、さっき麻生って自分から月夜にキスしてなかった?それってつまりそういうことよね。ああん、こんなに美味しい話が身近に転がってるなんて幸せ過ぎるわ〜」
一人で妄想の世界にうっとりと浸るルイの肩を幸が叩く。
「ちょいまてや。何に幸せ見出しとんねん!」
「えっ?それはもちろんイケメン同士の色恋沙汰に決まってるじゃないの。今、リビングに下りたら十八禁的な展開になってるかな?」
危ない方向でウキメキしているルイに幸は盛大にため息をつく。世の中にこの手の乙女達が存在することは知っているが、まさかこんな身近にいるとは思っていなかったのだ。
「麻生の名誉の為にいうとく。覗き行為だけはやめたって。問い詰めんのも禁止や。好き好んで抱かれとんのとちゃうんやし」
「無理矢理?いやん、それはそれで萌えるじゃない。嫌だ嫌だと言いながらも身体は彼を求めずにはいられない……なんて王道なの」
「…………ルイ、腐女子なんやな」
「それがなにか?」
貴方に迷惑でもかけたかしら?とルイは悪びれることなく言ってのける。それに対して幸は肩をすくめて見せるだけだった。
「趣味にとやかく言うんは好きやないから別にええんちゃうか。ただ、ワイらにとっては死活問題やってことなんやけどな」
「ルイ……」
それまで黙って話を聞いていた空夜がそれはそれは低い声でルイに宣言した。
「月夜がそういった人種なのは認める。百歩譲ってそのことをネタに一人で妄想に浸るのも許そう。だが、俺の前でその妄想を垂れ流すな。いいな?」
イケメン男モード全開で空夜に脅すように言われたらルイはコクコクと頷くしかない。そしてそのままこの話題に触れることはやめざるをえなかった。
とりあえずルイにとって収穫だったのは月夜がゲイで男性にしか手を出さないということを知れたことだっただろう。
「まっ、とりあえずあたしは安全みたいだし、あとは頑張って〜」
趣味は妄想と人間観察とお絵かき。声フェチの筋金入り腐女子。お嬢様の皮を脱ぎ捨てたルイのはっちゃけた性格が特務課をどう動かして行くのか。それはまだ誰にもわからないことだった。
しかし、紅一点となる彼女の吹き込む風は因縁を抱えた男たちの背中を押すに十分なものとなることだけは確かとなりそうだった。
“ピロン”
麻生のことが気になりながらも久々の再会に空夜とこれまでの話に花を咲かせていた幸。ルイもそんな二人とまるで旧友のように屈託無く会話を楽しんでいた。どのくらいたった頃か、空夜と幸の携帯が着信を告げた。
「どうしたの?」
「月夜からのコネクトや」
「まだそのグループ解消してへんかったんやね」
コネクトとはメールとチャットを足したような通信アプリで、グループを組むとその仲間にメッセージが一斉送信されるというものだ。
「なんとなくな……」
「で、なんて?」
まだコネクトの仲間に入っていないルイが問う。幸は隠すことなくその画面をルイに見せた。
“夕飯を食べに行きましょう。降りていらっしゃい”
「下から呼んだら聞こえるんじゃないの?」
「ここ、各部屋完全防音やさかい、ちょっとやそっと叫んだぐらいやと聞こえへんのよ」
「やっぱりな……」
「素敵な家ね……」
予測はしていたものの、防音の部屋にあまりいい印象を持っていない二人は顔を引きつらせた。
とりあえずリビングに降りると月夜と麻生がお茶を飲みながら談笑していた。
なにがあったのか気になったものの聞くなと言われたのでルイは夕食の話題にしてしまうことにした。
「食べに行くって外にってこと?」
「自炊の準備が間に合わなくて」
「じゃなくて、特務課ってなんか特殊な響きだけどそんな普通でいいの?」
今度こそ日の下を歩くことのできない生活を強いられるのだと半ば覚悟していた。たとえ半年でも自由に生活ができたことが楽しかったし、新しい生活スタイルにまた楽しみを見つければいいかと思っていた。なのにいきなり外食とか言われたら戸惑う。
そんなルイの疑問を月夜はあっけなく打ち砕く。
「別に日常生活は自分が暗殺者だという事がばれさえしなければ普通にしてくださって結構です。買い物に行くも良し、遊びに行くも良し。趣味に興じていただいても結構です。ただし正体がばれたり、任務のミスは抹殺(死罪)以外にありませんから気をつけてくださいね」
「それってさぁ、今までの生活っていうか生きてきた中で一番普通の生活ができるってこと?」
ルイが奇妙な言い方をするのを聞いて月夜があることに気づく。
「そう言えばあなたたち普通とはかけ離れた生き方をしてきたんでしたね。いいですよ、仕事さえきちんとこなしていただけるんでしたら何をしてくださっても。話がずれてしまいましたけどルイ、何が食べたいですか?」
ルイはそう言われて恥ずかしそうに小声で言う。
「ファミレスに行きたい……」
安房支社でも幸や麻生と外食をしたことはあった。むしろ、ケータリング以外は外食だった。でもあそこは歓楽街の中にあって、ファミリー層向きの店は皆無だった。必然的に大人向けの店ばかりだった。だから、いままで憧れでしかなかった“家族向け”大衆食堂にいってみたいと無性にそう思ったのだ。
いくらなんでも拒否されるかとおもったが、意外にも月夜はあっさりと受け入れた。
「いいですよ」
「本当!?」
ルイがとても嬉しそうに目を輝かせる。こういう表情を見ると彼女がまだ少女なのだと納得できる。
「じゃあ今晩は皆でファミレスですね。でもその前に三人とも着替えてきてくださいね。いくらなんでもこの格好は目立ちますし」
月夜は本部に行ったままの格好に対してそう言った。そりゃ黒い集団が来ると誰でも驚くだろう。見た目がイケメンならなおさらだろうなと自分の美少女的な容姿を棚に上げてそんなことをルイは考える。
三人の子どもたち(?)は素直に従おうとして重大な事に気づく。
「私たちの着替えってないんじゃないのか?」
『あっ!』
「大丈夫、少しやけどそろえてあるさかい。サイズがおうたらええんやけど」
「助かる」
「安房の物も麻生が引継ぎに行った時にこっちに引き上げてきよし」
「そうだな」
空夜にそう言われて三人は安心して自分の部屋に向かう。それを優しく見つめていた月夜がぼそっと言った。
「いつまでたっても変わらない子たちですね」
「月夜がいはらへんようになったあとしばらくはえらいことやったみたいやよ。麻生もかなり荒れてはったみたいやし。そのあともあの子ら普通に振舞おうとはしてはったけど、どことのう危うい感じやったさかい。正直、こんなにすんなり特務課設立と共同生活を受け入れはるとは思うてへんかったわ。もっと険悪な状態だとおもってたんよ、うち」
月夜と彼らが一番大変だった時に空夜は何もできなかった。空夜は空夜なりに彼らを守ろうとその時の最善を選択し、本部にいた。月夜がドイツに渡ったと聞いたのはすでに安房のドタバタが片付いてしまった後だった。だからかもしれないが、弟のような少年二人が必死で平静を装い大人になろうとする姿を見てしまった時はなにも言えなかった。そんな彼らが今日、再び共に生活していた頃と同じように笑ってくれた。そのことが何より嬉しかった。
「今度はこの平穏がいつまでも続いて欲しい思てるわ、うち」
「そうですね」
一方、早々に着替えを終えてルイ待ちをしていた幸は麻生に尋ねていた。
「外、出ても平気か?」
なぜ問われるのかと麻生が訝ると幸が自分の首筋をトントンと叩いて見せた。その意味に気づいた麻生はサッと首筋を押さえ、顔を少し赤らめて決まりが悪そうに言う。
「大丈夫だ、何もされてない。幸、あの頃とは違うんだ。月夜も変わろうと努力してるんだ。私たちも変わらなくてはいけないんだ」
「……そうやな」
それ以上何も幸は言わなかった。たとえ麻生の首筋に赤い印がついていようとも……。
私服についてはルイが一言月夜、空夜に突っ込んだ。
「ピッタリなんだけどどうやってサイズ調べたの?」
それに対して二人は同じような笑みを浮かべて答えた。
「企業秘密です」
ルイは触れてはいけないと本能的に理解してそれ以上の追求はやめた。
そして五人は夕暮れの町を歩いていた。こうやっていると普通なのだ、何もかもが。どこにでもいそうな若者五人の集まりが談笑しながら街歩きを楽しんでいる。たぶん誰の目からもそうとしか見えないだろう。実際、彼らのイケメンっぷりに振り向くお姉様方は何人かいたが、それ以上の好奇な視線に晒されることはなかった。
暫く歩くとルイがじっと一組の親子を見つめ、突飛な行動に出た。
「とりゃ!」
『!?』
「何するんですか!」
ルイはいきなり並んで歩く月夜と空夜の腕にしがみついて嬉しそうに笑ったのだ。これにはさすがの二人もビックリしたようだった。ルイはずっと見ていた親子を指さして言う。
「こんなことしてみたかったの。これだけじゃないの。家族で食べるご飯、ちょっとした一日の他愛無い出来事を話してなんでもない事で笑うの。これからずっと一緒だよね、あたしたち五人。だったらもう怖がらない、だからもうあんな寂しい生活を家族の生活なんて思い出させないで欲しい……これはあたしの我儘だけど……」
得られなかったもの。それは五人が共通している物で、その名は人の温もり(家族)。
「消えない偽り(うそ)があってもいいかもしれませんね」
傷つけてしまった過去と傷つけるであろう未来を持っている彼ら。血の繋がりはなく、本当の家族にはなれないけれど、家族として生きていけるなら長いにこしたことはない。
月夜はルイの頭を優しく撫でてやる。それを後ろから眺めている幸と麻生。
「昔ようやったな、あれ。ルイ、なんで今でもあんな事ができんねやろ。つうかあいつ、今日が二人と初対面みたいなもんやのにな」
「それがルイだろ。あいつは月夜という人物を信じようとしているんだ。ルイの信じる事をやめないというのは見習いたいものだな」
麻生は幸にぼそっとそう言った。幸も同意するように軽く笑ってみせる。
「そやけどあれ、パパとママと娘に見えへんか?」
三人の様子を見てそう言う。そして麻生も笑って付け足す。
「我々もその子どもの一部だと思うぞ」
二人は顔を見合わせて笑った。どれだけ前だっただろう、こうして二人で笑いながら歩いたのは。
「聞こえてますよ。誰がパパで誰がママですって?」
ルイに腕をつかまれたまま月夜が後ろを振り向く。
「もちろん月夜パパと空夜ママだよね」
ルイが嬉しそうに二人を見上げる。
「大変やねえ、いきなり三人の子持ちやよ、月夜パパ」
「空夜まで……ははは、いっそ逆境に身を任せ楽しい生活ができたらいいですね」
月夜も空夜も観念したかの様にルイの手をしっかり握り夕暮れに染まる街を歩いた。
こうして五羽の鴉たちの不思議な共同生活はスタートを切った。これからくるであろう過酷な日々に不安もあったがそれはそれと割り切り今と言うものに順応できる力を彼らは持っていた。
そしてこの後、彼らは天国と地獄、楽と苦は表裏一体なのだという事を再認識させられることになっていく……
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to be continued
ようやく主要メンバーがそろいました。
ここらへんからは番外編で書きたいことを穴埋めしながら本編をちびちび進めて行きたいと思っています。
番外編もお楽しみいただけましたら幸いです。
(近日中の更新予定です)