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WILL  作者: 桜雪猫
一年目
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一年目―秋2(ドイツでの記憶)

倉富家は元々、長男のせい、長女のけい、次男のかいの三人兄弟だった。父親は流通業界では有名な男で、全国展開のスーパーマーケットとコンビニを経営する会社を運営していた。母親は年若くして幼い子どもたちを残して他界し、父親は男手一つで三人の子どもを育てていた。

ルイはそんな倉富の家に幼稚園のころに養子として迎えられた。シングルマザーだった母と双子の妹を事故で亡くし、天涯孤独の身であったルイにとっては倉富の父は自分に新たな家族をくれた大切な人だった。たとえ引き取られた理由がどうであれ……。


倉富の父は子どもたちを将来、自分の会社で重要なポジションにつかせる為に経済学や経営学、語学など幼い頃から英才教育に余念がなかった。その教育はもちろん養子になったルイにも分け隔てなくほどこされるようになった。その当時は誰も知らないことだったが、Lackであるルイにとって知識を得ることは何物にも変えがたい幸福感をえられる行為だった。元来の性格ゆえか座学はあまり好まなかったが、護身術の教師を兼ねた外国人の語学教師とは気があったのか他国語で喧嘩をするほどであったという。


そんな父は長男の星が二十歳になった年に子どもたちにとある課題を課した。それは子どもたちに幾ばくかの資金を提供し、小さな子会社を経営させるというものだった。企画運営にいたるまでその采配は全て子どもたちに任せられた。四人の子どもたちに与えた資金は倉富の財産から考えたら微々たるもので、たとえすぐに経営が破綻しようとも痛くもなんともないほどの金額だった。おままごとの延長線上程度の実践を踏ませ、失敗経験をさせることが狙いなのだと近しい者には話していたらしい。

二十歳の星、十八歳の蛍、十七歳の海、ルイに至っては当時わずかに八歳。父の分け隔てのなさに半ば呆れ顔だった兄弟達も、やる気になっているルイを微笑ましく見守ることにしていた。紆余曲折はあったが、詳細を省き結果だけを言うと会社という形で動き出せたのは星とルイだけだった。その上でルイは半年後に、最初に与えられた資金を父親に全額返済してみせた。それはすでに父の仕事に本格的に関わっていた星でさえもなしえなかったことだった。父はルイを大いに褒め、自身の直轄の親しい部下達に自慢して回ったほどだった。

兄弟にとってこのことは大きな恐怖となった。いままで歳の離れた妹をライバルなどと考えたこともなかった兄姉たちのルイを見る目が変わったのはその頃からだった。あからさまだったのが蛍と海で、嫌みをいったり嫌がらせをするようになる。ルイにしてみると会社を乗っ取る気などさらさらなく、育ててもらった恩を返すだけの才能があったことが純粋に嬉しかっただけなのだ。その辺りはどれだけ才能に恵まれていようとも、子どもだったのだ。


ルイにとってそこからは災難続きの日々となった。

星が大学に通いながらも倉富の後継者候補として父の仕事を手伝っていた頃、父が病に倒れた。当面は病床から父が指示を出し、右腕と呼ばれる人たちが社長の不在の会社を支えた。

後継者候補筆頭たる星と父がその才能を認めたルイ。周囲の関心はその二人に集まっていた。どちらにつくべきかと本人達の意思を無視した派閥争いは激化し、彼らには本音を言って安らげる場所はほとんどなくなってしまっていた。

そんな中でも星はルイへの態度を変えなかった。むしろ時間が空けば共に過ごしてお互いの息抜きとしていた。ルイにとって星は子どもらしさを出せる唯一の相手になっていた。


しかし事態は最悪の方向に動いた。




「お兄様と御旅行できるなんて嬉しいです」

「僕も君も少しは息抜きしないとね。とはいえ、僕の仕事のついでで申し訳ないけどね」

「とんでもない。お連れいただけるならどんなところでも喜んでお供します」


子どもっぽく笑うルイの姿を星は久しぶりにみた。屋敷にいるとルイは笑わない。必要な時以外は部屋にこもり、一日中本を読んだり、趣味の絵描きをして過ごす。あまりにも悲しい家に縛り付けてしまった血の繋がらない妹に引け目を感じながらも星にはどうすることもできなかった。


「でも星兄様、何故ルイだけをドイツにお連れくださったのです?」

「ルイと二人で旅行をしたかっただけだよ。日本国内じゃどこに行ってもうるさいだろ、特に蛍がね。だったら俺の本拠地ドイツだったらいいんじゃないかと思ってね」


ルイは無邪気に星に飛びついた。普段星はドイツの拠点作りを進めるため日本とドイツを行き来して仕事をしている。そのせいであまり一緒に過ごせなくなっているが、誰にも心を許さないルイがたまにこうして甘える唯一の相手だった。


「星兄様、ルイは幸せすぎて恐ろしいです。きっとこの後にルイに何かよくないことが起こるのですわ……」


ルイは冗談めかして服の袖で目元を覆って見せた。星はそれを見て微かに笑った。困ったような、何かとてつもなく苦しいことを堪えているような、歪んだ作り笑いを感情の機微に聡いルイは見逃さない。


「星兄様?」


気分を害するようなことを言ってしまっただろうかと心配になったルイが兄を見上げる。丁度その時、星の携帯が着信を告げた。


「KURATOMI…………Ja……ja……」


電話の相手と短いやりとりをして通話を終えた星はたいそう申し訳なさそうにルイに言った。


「ルイ、暫くここで待っていてくれないか?」


星がそう言いだしたのは人通りのあまりない時計台の下だった。初めての海外で年端もいかない少女を置き去りにするにはあまりにも危険だと容易に想像できる状態だった。


「ここでですか?」

「急な仕事が入ってちょっといかなければならないんだ……すまない」


星の瞳をルイが見つめる。兄の歪んだ微笑とドイツにきてから度々物思いにふけっていた理由を悟ってしまう。それでもルイは暫く悩み、笑顔で答えた。


「いってらっしゃいませ、星兄様。ちゃんと待ってますので」

「本当にすまない、ルイ」


星はそう言うと大通りの方に走って行った。


「お兄様もあたしが邪魔ですか?」


ルイは寂しそうにその後ろ姿を眺め、見えなくなると時計台に腰をおろした。

それから何時間が経っただろうか、あたりが夕焼け色に染まりだした頃だった。


「Guten Abent (こんばんは)!」

「……Was kann ich für sie tun (何かごようでしょうか)?」


ルイは突然声をかけてきた青年に流暢なドイツ語で返す。兄の手伝いが少しでもできればと英語とドイツ語は積極的に学んでいたので日常会話には困らなかった。


「日本語でいいですよね、倉富ルイさん」


名前を呼んだ青年からルイは慌てて距離をとった。こんな所に自分のことを知っている人間がいるのはおかしいと考えたからである。しかも青年は何処からどう見ても日本人だった。

兄と同じぐらいの年齢で中性的な美貌の青年は長い髪を風にたなびかせてそこに立っている。黒いスーツのその姿にルイはこの人は死神だと感じた。


「何故あたしの名を?」

「警戒なさるのももっともです。僕は水上月夜、見ての通りの日本人です。倉富星さんにご依頼賜りましてこうやってここに参りました」

「星兄様の……そうですか」


兄の依頼という言葉の意味が理解できないほどルイの日常は平和ではなかった。

ルイは寂しそうに月夜の顔を見つめた。月夜の微笑みはどことなく星のそれに似ていた。それが今は何故か無性に切なかった。


「仕事の段取りがつかなくて迎えにこれなくなったそうですよ」


月夜はそう言うとポケットから一通の手紙を取り出した。


“不甲斐ない兄ですまない”


右上がりの癖のある字で、ただそれだけが書かれた手紙。ルイにはそれで充分だった。


「水上さん、あたしはここに残ります。兄様の仕事が終わるまでいつまででも」

「危険ですよ。ここは治安もよくありませんから」

「危険であろうとなかろうとあたしにはもう関係ありませんから」


ルイは月夜に引きつった笑みを向けた。


「それなら僕と来てもらっても問題はありませんね」


月夜の瞳に冷たい色が浮かび、口元にはさっきのままの笑みが残っている。月夜がまとう気配はルイがよく見知り嫌悪するもののそれと同じだった。やはり死神だと思った自分の感覚は間違いではなかったのだ。


「あたしを殺しますか?」


ルイははっきりと月夜に尋ねた。月夜はルイをとらえ背後からナイフを突きつける。


「僕の正体が何なのか分かっているんですね」


ルイはまったく抵抗せずに月夜に身体をあずけた。


「星兄様も蛍姉様や海兄様のようにルイをお捨てになる。……だったら方法は一つでしょう」

「では兄上たちのご依頼通りに仕事させていただいていいんですね」

「煮るなり焼くなり好きになさって下さって結構です。どうせ日本(いえ)に帰ったところであたしの居場所はもうどこにもないのですから……」


こうして初めて会った男に殺されようとしていることより、また一人自分の心のより所が消えることの方がルイには痛かった。

月夜は無抵抗のルイの首筋を軽く叩いた。ただそれだけでルイの意識は闇の中へと落ちていった。






「ん……あたし……」


軽くうめいてルイが目を覚ましたのはもうどっぷりと日が落ちてからの事だった。

ルイは目覚めると辺りを見回し、そして月夜がいるのが視界に入るとこれが現実だと確信した。

ホテルの一室のようで、ベッド以外には備え付けの冷蔵庫とテレビぐらいしかない。


「気分悪くないですか?」


月夜は読んでいた本をパタンと閉じるとルイに近づく。ルイは自分の両手がベッドヘッドに縛り付けられてほとんど身動きが取れないことにようやく気づく。

不思議と恐怖心はなかった。小さな胸の内を占めるのは行き場を失った諦めだけだった。


「いいわけないでしょ。逆の立場ならどうなの?」


ルイは不機嫌そうに答える。


「そうでしょうね。でも、僕の顔を見て今生きているということを驚くほうが正しいと思いますけどね」

「ええ、驚いているわ、充分ね。何故一思いに殺してはくださらなかったの?」

「兄上たちはなかなか厄介な依頼をなさったんですよ」


月夜はナイフを手に持ちそれをルイに突きつける。ルイは目を見開き、月夜のナイフを凝視する。逃げることは叶わない。目の前の男がその気になれば一瞬で命を失うだろう。

何故かはわからないが、彼にもたらされる死はとても甘やかな感触を与えてくれそうな気がしたのだ。だからルイは目を閉じた。首筋に一瞬だけ感じたヒヤリとした金属。それが手に握られていたナイフであることはすぐにわかった。自然と身体はこわばる。

恐怖など感じていないはずなのに……。


「恐いんですか?そりゃそうでしょうね。でもあなたは生きている限り今後もこうやって憎まれそして命を狙われ続けるんですよ。そんなの嫌じゃありませんかお嬢さん?」

「お嬢さんなんて呼ばないで!怖くなんかないわ!」


跳ね起きようとしたルイ。じゃらりと手首にかかる手錠が音を立てる。肩と手首に鈍い痛みが走った。拘束されていることを思い出したルイが悔しそうに歯を食いしばり、ベッドに身体を投げ出す。


「貴方もなかなか勇気のある子ですね。そうでなくては兄上たちの依頼は実行できないんですけどね。これから多くの恐怖を味わってもらわなくてはいけないのですから」


仰向けで天井を睨んでいるルイの隣に月夜が腰掛ける。二人分の重みを受けたベッドがギシっと軋む。


「っ……」


ルイはかろうじて悲鳴を上げるのをこらえる。月夜はそんな強張ったルイの頬に指先で優しく触れた。それまでとは明らかに異なる感情をルイが示す。ヒクっと喉を鳴らして月夜にすがりつくような眼差しを向けたのだ。


「星兄様はあたしのどんな酷い最期を望んでいらっしゃるの?」


月夜は少し眉を顰め、そしてさもつまらなさそうに言った。


「聞きたいんですか?あなたの兄姉があなたに対してどんな仕打ちを望んだのか」

「ええ、今の水上さんの言葉だけで相当酷いことをされるのだということは想像できるわ。でも実際にそれをこれからされるのは私なの……知る権利はあるはずですよ」

「あなたの言葉を聞いているといずれこんな日が訪れることを予感してたみたいですね」


月夜の意地悪な言い方にルイは少し口元を緩めた。歪んだその微笑みは年齢よりも大人びて見えて、どことなくアンバランスな危うさを感じた。


「倉富ルイとして生きることを決めた日からいつこんな日が来てもおかしくないと思っていたわ。だってあたしは望まれた子どもじゃないから」


また浮かぶ諦めきった笑顔。期待しなければ傷つかずに済むと身につけたのだということは月夜には容易に分かる。その一方で彼女が本当は“痛い”“苦しい”“助けて”と全身で嘆いていることも感じていた。

それらの様子は月夜がよく知る子ども達によく似ていた。彼女を見ていると日本に残してきた彼らが今、どうしているのかが無性に気になった。しかし今はそれをぐっと飲み込んで冷笑を口元にたたえる。


「そうですか……じゃあこれも想像はできていたのでしょうか?」


月夜が背後を振り返る。そして片手を上げて見せた。それはまるで何かの合図の様だった。ルイが首だけを横に向けてそちらを見た。


「……誰?」

「こんばんは」


人の良さそうな笑みを浮かべた男性がそこに立っていた。今の今まで気配さえ感じなかった。いったいいつからいたのかまったくわからない。


朝葉あさば、挨拶はいらないのでさっさと彼を見せてあげなさい」

「へいへい。お前、相変わらず上司扱い荒いよね」


色の濃いブロンズの柔らかそうな髪をした男が肩をすくめてみせる。時計台の下で見た月夜よりも、身長は10センチ以上高そうだった。黒のピタッとしたカラージーンズも、黒の革ジャンもとてもよく似合っていてその言動も合わせてチャラそうな遊び人の匂いがした。


「ごめんね、可愛いお嬢ちゃんにこんなもの見せたくないんだけどね」


言葉があまりにナチュラルな日本語なので月夜と同じ日本人かと思ったが、顔立ちを見ると明らかにこちらの人だ。ハーフか何かかなと意外と冷静にルイは推察する。

その朝葉と呼ばれたチャラ男がクローゼットを開けた。その中から引きずり出された塊がなんであるかを理解するのにしばらく時間がかかった。


「あれ?わかんないかなぁ?」


朝葉がその塊を掴み、ルイに見えるように持ち上げた。ようやくそれが“誰”かを認識する。


「兄様!!」


いつもきちんと整えられている髪が乱れ、衣服は破れたり汚れたりしている。ぐったりと力なくなされるままになっている姿はあまりにも衝撃的だった。何より、その腹部に刺さっているナイフと染み出した血液が、彼がすでに息絶えているのだと思わせた。その状態でも見間違うことはない。それは自分を時計台の下で捨てたはずの兄、倉富星だった。


「僕が受けていた二つ目の依頼です。依頼主は倉富……」

「何故……星兄様が……星兄様はあたしを……」


ルイは縛られているのもかまわず兄のもとに行こうと必死でもがく。手錠が擦れて手首から血が流れようとももがくことをやめられなかった。

月夜はそんなルイの手首を握り、見るものを魅了する笑みを浮かべて見せた。


「倉富の三兄弟が揃って貴方の暗殺を依頼した。同時に弟と妹は兄を亡き者にしようとした。抵抗されたから先に殺した。それだけのことですよ」


彼にとっては日常的で、改めて特別扱いをするような内容ではないのだと言われた気がした。他所から来た自分だけでなく、本当の兄を殺めてほしいと言ってのけた蛍と海の考え方にゾッとした。跡取りとはそうまでしてなりたいものなのだろうか……。


「ショックですか?」


月夜はルイの堪えきれず頬をつたう涙を指でぬぐった。


「もういい……分かってた……あたしは倉富の兄様、姉様にとって邪魔な子でしかないのよ。それでも私は気づかない振りをするしかなかった……。でもあたしがいなかったら蛍姉様や海兄様をここまで追い詰めなかった。星兄様まで殺されなくてよかったはずなのに……。水上さん、私はこれからどうしたらいいのでしょうか?」


誰かに尋ねずにはいれず、自分を見下ろす男に尋ねた。月夜はルイの言葉を聞いて苦笑する。


「暗殺者であり依頼を実行する立場の僕にそんなことを聞きますか?まだ依頼は残っているんですよ。あなたを酷く貶めるような殺め方をするという依頼がね」

「そうですよね……」


ルイは全く感情のこもっていない声で呟く。殺すならいっそ早く殺してほしい。兄のように腹を刺されて痛みに苦悶しながら死んでいってもいい。それで少しでも兄と同じ思いが共有できるのなら、あの世でもう一度、大好きだったお兄様の腕に抱かれたい。


「人を信じて裏切られるのは辛いですか?」


月夜は氷輪と揶揄される眼差しをルイに向ける。それはルイのよく知る星の表情と似ていた。


「他人なんて信じるんじゃなかった……」


月夜はやれやれといった表情で拘束していた手錠を外した。しかし起き上がることもできるのにルイは月夜を見上げるだけで動こうともしなかった。


「いいの?」

「逃げる気もないんでしょ。まあ、暗殺者二人から逃げられるとも思っていませんけど」


月夜の冷たいのにどこか優しさを含んだ瞳に見つめられるのが今のルイには痛かった。


「星兄様……」


ルイは月夜に向かってぽそっとその名を呼んだ。そしてまたこぼれ落ちる涙を隠すように自由になった両手で顔を覆った。


「僕は倉富星じゃないんですけどね」

「分かってる。そんなことは分かってるの……でも…………」


ルイは月夜の服のすそをきゅっと掴んだ。自分自身でさえも何故自分を殺そうとしている人物にこんな事ができるのか分かっていないだろう。


「……ルイを見ていると僕の知っている子たちを思い出しますよ。我慢強くて人のことを第一に考える。そのくせ自分が傷つく事には無頓着で疎い。生きることが辛いんですか?」


その時の月夜の表情がルイにはやけに優しく見えた。でもその視線は自分を通り過ぎ、違う誰かを映しているように感じた。


「辛い……」


覆ったルイの涙に濡れた赤くなってしまった瞳が月夜に哀願する。


“生きていることに疲れた”と。


そんなルイに月夜は言った。


「僕と賭けをしませんか?」

「賭け?」


ルイは相手が自分を殺そうとしている男だということを忘れそうになっていた。ルイの心をこの時支配していた願いはたぶん一刻も早くこの生から解放されることだっただろう。


「僕はこれからあなたに、耐え難いであろう苦痛を与えます。あなたが死ねば僕の勝ち、あなたがもしこの先も生き延びることができればあなたの勝ち。簡単でしょう?」

「どのみち貴方はあたしを殺すように依頼を受けている。あたしが死んでも貴方は何も得はしないんじゃないの?」

「別に僕は楽しめたらそれでいいですから。死にたいと言ってる子を、そのまま殺してもなにも楽しくないじゃないですか。それならいっそ生きる希望を打ち砕くぐらいが楽しくないですか?」


人としては確実に狂っている発言だった。人の生き死にを楽しいか楽しくないかで考えるなどルイには理解できない考え方だった。それなのに何故かワクワクした。死にたかったはずの気持ちが少しだけ薄らいでしまった。


「じゃあ、貴方に希望を打ち砕かれず、あたしがしぶとく生き延びたら、水上さんはあたしになにをくれますか?」


ルイはニヤリと笑った。まるでこれから起こるのが楽しいパーティであるかのように。そして月夜もそれがプレゼントであるがごとく言う。


「この先、二年間生き延びたのならあなたを倉富の家からさらいにいきます。そしてそこであなたに新しい生きる術を与えましょう。二度と倉富の姉や兄に貴方の命を脅かされないための術をね。貴方が貴方らしく人生を謳歌するために」


ルイはキョトンとして月夜の言った言葉の意味を確認した。


「それはあたしが二年間生き延びたらその先もずっと生きていていいってこと?」

「ただし僕の準備できる場所ですからまともな世界とは思わないでくださいね」

「冷静になったらあたし、兄を殺した貴方を恨むかもしれないわ。次に貴方に合った時には貴方を殺そうと思っているかもしれないわよ」

「できるものならどうぞ」


今はまだ兄が死んだという実感が正直ない。恐怖も悲しみもなにもかもが痺れて靄がかかったように曖昧になってしまっている。だからかもしれないが、月夜を殺したいという気持ちは不思議と湧いてこない。でもいずれは考えてしまうかもしれない。それをなんでもないことと月夜は受け入れた。


「どうしますか、この賭け乗りますか?」


ルイは月夜の顔を真っ直ぐ見て速答した。


「乗るわ」


月夜は満足そうに微笑むと二人のやりとりを見守っていた朝葉をよんだ。


「本当にやるのか?」

「ええ、体裁はつくろっとかないと後々面倒ですから」

「そっか。ならしゃあないよな。正直趣味じゃないんだけど、ごめんね」


朝葉が月夜の代わりにベッドに上がり、ルイを背中から抱き起こすように抱えた。


「水上さん何を……」

「次に合った時に覚えていたら僕のことは月夜でいいですよ。あの子たちと同じようにね」


ルイはその優しい笑顔の男が次の瞬間には自分を地獄に落とすとは思っていなかった。それからその場で起きたことはいつまで続くともしれない地獄の時間となった。

最終的に腹を裂かれて意識を失うまで、月夜は言葉通り耐え難い苦痛をルイに与えたのだった。




次に目が覚めた時、ルイは病院にいた。東洋人ばかりを狙った性犯罪に巻き込まれたのだと説明されたが、それが真実で無いことはルイが一番よく分かっていた。警察の聴取に付き合い、様々な検査をされ、ルイが日本に帰れたのは翌月のことだった。当然、兄の葬式は終わっていて、家の中の空気はガラリと変わっていた。その心労もあったのだろうが、それから間も無く病気療養していた義父がなくなった。ルイの味方はもういなかった。




ルイが月夜に出会った日のお話でした。

最後の方で何があったのかはこちらでは掲載できなさそうなので、語りたくなった暁にはムーンライトの方にお世話になろうと画策してます。



まずは現在に戻ります。

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