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WILL  作者: 桜雪猫
一年目
2/13

一年目-春2

車は千葉県に入り、この辺りで最大の歓楽街にあるビルの駐車場で止まった。


「ルイ、まだ生きてるやんな?」


助手席のドアを開け、幸が覗き込んでくる。


「残念ながら生きてるわよ」


出血のせいで貧血を起こしているのかクラクラする。気を抜けばたぶん意識が飛ぶだろう。

そうなれば痛みも不快感も感じずにすむだろうが、なんだか悔しいので絶対に嫌だ。


「こっちやで」


幸がルイを抱えるようにしてビルの中に入った。エレベーターで五階へ上がる。

このビル、外観こそ怪しげな金融会社やソープが入ってそうな感じだったが中は清潔感溢れる普通のオフィスビルだった。エレベーターを降り、長細い廊下の一番奥まで進む。どの扉もスモークガラスになっていて中の様子は分からない。

こんなありふれた場所に暗殺者の居城があるなんて信じがたい。

それでも非常口と窓の位置を確認してしまったのは長年の癖だ。

幸が立ち止まった扉の窓からはとっくに日付が変わった時間だというのに明かりが漏れている。


「やっぱりまだ起きとったか」


幸の様子だと連絡を入れて待っていてもらったと言うわけではなさそうだ。


「ここ?」


不安な気持ちを隠し切れず幸にしがみつく手に力をこめる。


「さあ、こっからが勝負やで。死にたなかったらはったりでも何でも使いや」


小声で囁かれ何を呑気に……と幸を見るとその表情に何となく緊張した様子が伺えた。


「幸、ひょっとして緊張してる?」

「ちょっとな」


苦笑した幸にまた頭を撫でられた。子ども扱いをされているようでなんか悔しい。

幸がノブに手をかける。同時にあたしは両足に力を入れて幸から手を離す。

自然と戦いに赴くような気持ちになった。


「ただいま、麻生。起きて待っててくれたんか?」


軽い口調で幸が扉を開けて中に入る。

彼にくっついて部屋に入るだけで心臓がおかしいぐらい速く鳴る。

部屋の中は普通のオフィスだった。事務机が2つと応接セット、あとは書類や資料と思わ

れる大量の紙。

広すぎず狭すぎない理想の事務所といった感じだった。


「無理言って悪かったな幸。報告は明日でも………………」


部屋にいた唯一の人間ーー黒スーツの男の視界にあたしが入る。

有り得ないものを見てしまったという顔をしているが、そりゃそうだ。今頃死体になってるはずの女が目の前にいるのだから。

この麻生と呼ばれた男性が幸の上司なのだろう。

幸を初めて見た時も思ったことだが、この人もカッコいい。


どちらかというと中性的な顔立ちで身長は幸よりやや高め。と言っても男性の平均身長よりは若干低いと思う。

長めの前髪が目にかかり表情を読みづらくしているが、それがよけいにクールな渋さを醸し出している。

まだ若そうだが、見方によっては十代にも三十代にも見える。

そしてなにより一言目に思ったことだが、無駄に声がいい。バリトンには少し高い気もするけど、雰囲気とあった色気がヤバイ。


「幸、それはなんだ?」


麻生さんがあからさまに不快そうな表情であたしを指差した。

こんな状況なのに不謹慎にも相手の分析をしているなんてけっこう冷静なのかもしれないと思ってしまった。


「何って倉富ルイやん。ファイル読んでへんのか?」

「暗記できそうなほど読んだ。たぶんお前よりも彼女について詳しいだろうな」


いったいどれだけの個人情報が書かれていたのだろうとまたもや緊張感のないことを考えてしまう。きっと人間、緊張し過ぎるとかえって冷静になるというあれだ。


「私が聞きたいのは何故、それをお前がつれて帰ってきたのかということだ」

「スカウトしてきたから」

「ここに?」

「それ以外に何があんねん」

任務失敗フェイルとみなされたらお前を消さなくてはならない。その場合は私も道連れだ。それが分かっていて言ってるのか?」

「当然。ちゃんと了承は得てる。麻生に害がでそうなら残念やけどその場で殺すって。なぁ?」


まるでドラマみたいなやりとりだなと他人事みたいに思わず見とれていたら急に話を振られ、あわてて2・3度頷く。


「そんなリスクを背負ってまで生かしたい理由があるのか?」

「同じだけのリスクがあったのに麻生はワイを拾ってくれた。それに理由があったんか?」


そう言えば、幸が麻生さんは命の恩人だとか言っていた気がする。どうやら言い返せないようだ。


「倉富ルイ」


いい声で名前を呼ばれて思わず背筋を伸ばず。


「はいっ!」

「今の話は本当か?」

「はい。リスクのお話は伺いました。それでも可能性があるなら私はここで働かせて欲しいと思っています」


声は震えない。

今は腕の痛みも感じない。

得体の知れない寒さも消えた。

なんだか清々しい。


「ここで働くということは人を殺すということだ。当然、恨みも買うし、命も狙われる。仕事の失敗には報復もついてくる。組織のために死ねと命令されることもある。肉体的にもそうだが、精神的にもかなり過酷だ。一度足を踏み入れてしまえば堕ちるとこまで堕ちるのがこの世界。死ぬまで抜け出せない者も多数いる。それでもお前は今死ぬことよりも僅かに長く生きられるかもしれない可能性に賭けるか?」


たぶんこの人は優しいんだと思う。

今、死んだほうが楽だと彼の言葉が言っている。それは幸も似たようなニュアンスのことを言っていた。きっとそれは彼らの実体験が言わせていること。

怖いし不安だ。

でもそれ以上に何故かワクワクしている。それがあたしを後押しする。


「どうせ賭けの勝ち分で生きている現状です。これから先も勝ち分だけ生きられるなら悪くないと思います。私の人生を私が賭け札とするなら、その失敗のリスクは自分で背負う覚悟がありますから」


1割の自信、8割のはったり、残りの1割は彼らと関わることが運命だという予感。

じっと麻生さんに見つめられても視線をそらそうとは思わなかった。

ついに麻生さんがため息をついた。


「やるだけのことはやってみるが、駄目だった時は諦めてくれ。ただでさえリスクの高い身の上なんでな」

「ありがとうございます」


勢いよく頭を下げたら目の前が真っ白になった。

一つ目の関門をクリアして気が抜けてしまったみたいだ。倒れるかと思ったら誰かに抱き留められた。


「ごめん……」

「大丈夫か?」


幸だとばかり思ったらすぐそばで美声が聞こえる。

視界が鮮明になったら目の前に麻生さんがいた。


「ひぃっ!!」


驚いた。ひたすら驚いたら変な悲鳴を上げてしまった。


「ごっ、ごめんなさい」


慌て離れようとしたら両肩を捕まれた。

すっかり忘れていた痛みが頭の芯まで突き刺さる。


「っう!」

「怪我をしているのか?」


答えられずに悶絶してると袖を捲られた。血に染まる布を見た麻生さんの表情が険しくなった。


「幸、お前か?」

「何も残さんかったらあれかと思て」

「あほ、やり過ぎだ」


袖を戻され一安心したのもつかの間、今度は足元をすくわれ抱き上げられる。

見た目よりも力持ちなんだ、とかときめいてしまうのは悲しきかな乙女の性。

とりあえずすでに何かが自分の許容範囲を越えてしまっていて、太刀打ちなどできないので完全に成り行き任せになっている。

応接用のソファーに寝かされると腕を触られたり脈を測られたりした。

そういえば幸が“麻生に治療を”と言っていた。どうやら医療の心得があるらしい。


「何かやるにしても殺すつもりがないのなら出血させすぎだ」

「派手な方がええかと思って」


よし決めた。

生き延びたら殴ろう。絶対、遠慮なしに一発かましてやる。


「一応止血はされているからすぐに命には関わらないだろうが、それでももうかなり具合悪いだろ。その状態でよく立っていたな」

「気力にだけは自信があるので」


その台詞を聞いた麻生さんが初めて表情を崩した。


「気に入ったよ、倉富ルイ。さっさと交渉済ませて楽にしてやる。うまくいったらその腕、私が責任持って治療しよう」


幸と同じように優しく頭を撫でられた。


部屋の奥の机で電話をかけている麻生さんをぼんやり見ていたら幸にほっぺたを突かれた。


「麻生、かっこええやろ。好みのタイプか?」


地べたに座り込んだ幸が小声で声をかけてくる。


「何言ってんのよ」

「ワイと扱いがちゃうやん」

「だってあんたの上司って聞いてたから、もっとおじさん想像してたんだもん。あの顔にあの声、口説かれて落ちない女はいないんじゃない?」


にぃっと笑うと幸も笑った。


「ルイって腹くくったら怖いもんないって感じやな。まだルイにとってはここ、敵の居城やのに」

「そりゃ怖いわよ。でも、もうすぐ終わるかも知れない人生なら楽しんどかなきゃそんじゃない?死にたくないって考え続ける一分も、麻生さんがかっこいいって考える一分も同じ一分だもん」


“人生楽しんだもの勝ち”


母の口癖、あたしの座右の銘。


「ふ~ん。ほなもし仲間になる件、あかんかったら麻生に殺してもらいいや」

「何でそうなるのよ」

「ワイより麻生の方がええみたいやし」

「なに拗ねてるの。あんただって後十年もしたらあれぐらい大人の魅力も出るわよ。素地は十分いいんだから」


他愛ない会話で気を紛らわしていたら急に大爆笑された。


「よくこの状況下で騒げるな。気が気じゃなくて胃が痛い思いをしているのは私だけか?」


いつの間にか電話を終えた麻生さんが傍に立っていた。


「だってワイが麻生みたいになんのに十年かかるって言われてんもん」


何故か麻生さんが険しい顔して見下ろしてきた。


「それは私が老けてるって言いたいのか?」

「そんなつもりじゃなくて、大人の色気があるって意味で……」


麻生さん、何でそんなに嫌な顔するの?

幸、何でそんなに爆笑してるの!


「ルイ、フォローすればするだけ墓穴ほってんで」

「はぁ?」


どの辺りだと問いただそうとしたのにそれより早く答えを知ることになる。


「私をいくつぐらいに見たのかは知らないが、そこのぼけなすと私は一つしか年齢は変わらない。倉富ルイ、お前の二つ上だ」


顔のすぐそばに麗しいお顔が……。


「ちっ、近い!って二つ上……17歳!?」


まだ若いとは思っていたが、それでも二十歳過ぎを想像していた。まさかのティーンエイジャー、同年代……。


「あー、笑ろた笑ろた」

「えらく余裕だな、幸。結論は聞かなくていいのか?」

「そういや、えらい早いこと話ついたんやな。もっとかかる思ってたんやで」

「お前たちが急がせるような状況を作ってたんだろ。夜中に大和さんの携帯に直接連絡をいれる羽目になった私の身にもなれ」


なんか一括りにされてる?


「ワイは別に急がへんで。夜が明けてからでも全然かまへんかったんやで」

「あたしが辛いじゃない!失血死したらどうしてくれんのよ!」


思わず突っ込んだ。

またもや麻生さんが屈んで顔の近くで喋る。絶対、この人はタラシだ。


「待たせて悪かったな。すぐ楽にしてやる」


頬に当てられた手が首筋をなぞり、喉を絞めるように力がこもる。


「嘘……」


駄目だったんだと思った。こんな苦しい死に方したくないとも……。

一瞬で背中を冷たいものが走った。


「死にたくない…………」


無意識で呟いていた。

涙が溢れそうになったのに、ぎゅっと目を閉じ、歯を食いしばったのは、なけなしの意地だろうか?

あたしはまた色々なものを諦めそうになっていた。

しかし、いっこうに苦しくはならなかった。


「………………?」


薄っすらと目を開けると眼前で麻生さんが苦笑していた。

そして、首から手が離れる。


「冗談だ」

「へっ?」

「誰も殺さずにすんだ」

「焦ったぁ〜。あかんかったんかとおもたやん。許可おりたんやな?」

「ああ、いくつか条件は出されたけどとりあえずは」


意味を理解できない。頭が理解しようとしない。


「どういうこと……?」

「晴れて、殺される側から殺す側の人間になったってこっちゃ」

「あたし、生きていていいの?」

「そういうことだ」


何度も言葉を反芻する。

不意に涙が込み上げた。手足も冷たくて身体が震える。

気付かない振りをしていた恐怖と不安が解放されて一気に襲い掛かってきた感じだった。


「あれだけ幸と馬鹿騒ぎしておいていまさら泣いてどうする」

「だって怖かったんだもん。怖くて怖くて仕方なかったけど、弱いとこ見せたら幸の興味が失せると思ったから必死だったんだもん」


溢れる涙が止まらない。誰かに泣き顔を見られたのは一年半ぶり。

しかも皮肉なことにまた暗殺者が相手だ。


「よく短時間でこいつのこと正確に理解したな。掴み所がないのが幸の特徴なのに」

「ミステリアスって言うてえや」

「そんないい表現で表せる性格じゃないだろ。クラゲぐらいで十分じゃないか?」

「ひどっ!そんな冷静に突っ込みばっかり入れてるから老けて見られんねんで」

「なっ!?」


まるで漫才を見ているようで、気付いたら笑っていた。

身体の震えも止まっている。手足の感覚も徐々に戻ってきている。


「何がおかしい」

「だって二人見てたら仲良し兄弟みたいなんだもん」


二人が顔を見合わせる。そしてどちらからともなくため息をつく。


「結局、私たちは同じ人間に育てられた似た者同士なんだよな」

「兄弟みたいなもんやもんな」


なんかしんみりしてる?


「今日からお前も仲間入りだな」


悪戯を考えているような表情で麻生さんがソファーの脇に屈む。

言葉のニュアンスもさっきまでより柔らかい。

今なら自分と歳が近いのもまあ納得できそうだ。


「こんな姿勢のままですいません。改めましてよろしくお願いします。自己紹介は……必要ないですよね。暗記するぐらい私についての資料を読んでくださってるなら」

「そうだな。ただ、2・3確認しておきたいことがあるんだ…が……とりあえずは腕の治療が優先だな」


そういうと麻生さんは部屋の奥のたぶん隣の部屋に繋がっていると思わしき扉の向こうに入っていった。


「よかったな、ルイ」

「ありがと。ねぇ、正直なとこ勝率どれくらいだと思ってた?」

「1割あったらええとこって感じ」

「そっか」

「んな低い確率の賭けさせんなって怒らへんの?」

「賭けに乗らなきゃ今、生きてる可能性は0だったわ。それより高いんだからいいわよ」


本当のところはよく分からない。

この選択を後悔する日もきっとくる。でも、後悔できるだけ贅沢だと今は思うのだ。


「本当におまえら仲良いな。初対面なんだろ?」


治療用のものが入っていると思われる鞄とタオルを手に麻生さんが戻ってくる。


「んー、なんかたぶん波長があったんやと思う」

「認めたくないけどね」

「仲がいいのはいいことだ。当面は幸と常に行動を共にしてもらうからな」


応援机にタオルを広げ、ソファーの真横まで引きずりながらさりげなく言われた。


「ワイが直接面倒見るん?」

「私にもよく分からないんだ。とりあえず手っ取り早く話をつけようと思って大和さんに連絡したんだが……」

「そういやそんなんいうてたけど、いくら最強のコネとはいえ、あいつらおらんのによう連絡したな」


知らない人物の影がチラチラする。とりあえず大和さんと言う人は偉い人のようだ。


「向こうからも直接名指しで仕事振ってくるんだ、自分達の立場が特殊だと割り切るしかないだろ。特に今回は、大和さん自身がお前を指名してきたんだからな」

「で、大和さんなんて?」

「とりあえずことの経緯話して、フェイル扱いになるならこの話は聞かなかったことにして欲しいって言ったんだ。そしたら、自分が許すから育てろってさ。さっきも言ったけど条件付きでな」


長くなりそうと判断したのか話を途中でやめると麻生さんがあたしの身体を起こした。


「上半身だけでとりあえずはかまわないから脱いでくれ。幸が気になるようなら……」


麻生さんの言葉が終わらないうちにワンピースを上半身だけ脱いだ。キャミ姿なら幸にも見られているから別にいい。

傷口にスプレーの様なものをかけられる。しばらくしたら痺れてきたから麻酔の類だろう。


「たぶん気休め程度にしかならないだろうから痛むと思うが、文句はまとめて幸に言ってくれよ」


手際よく傷口を縫われて“気休め”の意味が分かる。叫びたいほどではないが結構痛い。

無意識に握ったのは幸の手。


「この程度の怪我の痛み、すぐになれるわ」

「できれば慣れたくないわね」

「だったら力を手にする努力を惜しまないことだ」


包帯を巻いて麻生さんが立ち上がる。


「本当なら話は少し眠らせてやってからにしたいんだが、どうしても確認しておけと言われたことがあるんだ」

「はい、なんでしょうか?」


だるい身体を形だけ起こしてみる。


「いや、いまさら改まったしゃべり方されても違和感あるぞ」


何で突っ込み!?


「でも麻生さんは幸の上司で、暗殺組織の偉い方なんですから、いくら年齢が近いとは言え……」

「幸、彼女にCROWのことや私のこと何と説明した?」


“クロウ”


聞き覚えのある名前だが、そんなはずはないと頭が否定する。


「説明なんてしてへんで。ワイ、自分が神河幸やってことと暗殺者やってこと、あとは上司にお伺い立てなルイ助けられるかわからんって話しかしてへんで。そういやCROWって名前は一度も出してへんかも」


やっぱり“クロウ”って言ってる。

いや、まさか、そんなわけがないと思いつつも“幸”が“神河幸”だった例もすでにあるわけだから確認はするべきだろう。


「つかぬことをお伺いしますが、さっきから口にされてるクロウってお二人の所属されている組織の名前ですか?」

「そうだ」

「まさかとは思いますが、あの大企業の“CROW”とは関係ないですよね?」

「ルイが想像しとるCROWで正解や」


爽やかな笑顔で幸があたしの淡い期待を打ち砕く。


「やっぱりあのCROWなんですね」


“CROW”

ありとあらゆる分野に進出し、その名を知らない人はいないといっても過言ではない大企業。今の日本ではCROWを敵に回して生き残れる会社はないだろう。現代において、政府よりも力と発言力があるのはもはや常識の範疇である。

確かにアンダーグラウンド的な仕事もやるってのは知っていたが、まさかお抱え暗殺者がいてそんな人に命を救われる日が来るなんて思ってなかった。


「そんな巨大組織の偉い人ならなおさら……」


麻生さんが大袈裟にため息をつく。


「幸、細部まで説明しろとは言わないが、せめてある程度のことは話してから勧誘しろ。何も知らせずに生かしてやるってつれてきたならある意味詐欺だぞ」

「文句は後で聞くって言うといたもん」

「変なところで面倒くさがるな」

「説明は麻生のほうがうまいやん」


もう一度麻生さんがため息をつく。


「すまない。悪い奴ではないんだが、変な奴なんだ」


この人も変な人、幸の同類に違いない。


「とりあえず自己紹介しておいた方がよさそうだな。私は志斉しざい麻生あそう、一応はここの管理責任者ーー究竟くきょうと言うのだけど、それをしている。肩書きで言うならCROW 日本支部 安房あわ支社究竟だ」

「麻生さんって名字じゃなかったんですね。……って志斉さん?」


いやいや、いくらなんでも今度こそ違うよ。あたしが知る志斉家は十年ぐらい前に屋敷を放火され、全員亡くなったはずだ。

これもニュースで大々的に取り上げられていた。


「ワイと一緒。死んだことになったけど生きてる人やで、麻生も」

「あの放火事件の唯一の生き残りだ。世間的には死んだことになっているけどな」

「ここって絶滅危惧種に指定された人した入れないんですか?」

「絶滅って……別にそういうわけではないんだが……。でも結果的にはお前もだし、そう思われても仕方ないか。ただ、我々はかなり特殊なんだ」

「志斉…究竟、さっきもそれを仰られてましたよね?」


なんか急に麻生さんが表情を歪めた。


「幸と同じように私にも話してくれないか?麻生と呼び捨ててもらって構わないから」

「でも……」


散々失礼な態度はとった気もするが、けじめはけじめとして使い分けなきゃいけない気がする。


「究竟と呼ばれるのもよそよそしい態度をとられるのも苦手なんだ。ここの究竟なのは確かだが、たまたま条件を満たしていたからって押しつけられただけで、実力じゃないんだから」

「麻生はちゃんと能力もあるで。そうやなかったらこの年齢で究竟なんて何年も勤まらへんって。そやしそんな顔せんといてえや」


幸にとって麻生は大切な人だ。

初めてこいつのためやったら死んでもいいと思った幸が相手。

だから彼が傷つくのはすごく嫌だった。


ルイはこの場の空気を敏感に感じ、これ以上の問答は避けることにした。


「人それぞれ事情持ちって感じか。それじゃあ、あたしのこともルイって呼んでね、麻生。特別扱いなんていらないから」

「それはもとからするつもりなんてない」

「あっそ。で、さっきの話だけど、特殊な立場っていうのは自分を殺しに来た人にスカウトされたってこと?」

「それはこの業界ではたまにあることだ。なかなか自分で足を踏み入れる所じゃないからな。私たちが特殊だと言うのは……」


麻生の視線が一瞬幸をとらえ、ルイに戻る。

ルイは麻生のどことなく申し訳なさそうな感じが気になっていた。


「その特殊っていうのはあたしにも関係すること?」

「場合によっては……」

「ルイもLackやってことやろ。なんや、本部は情報つかんどったんかいな。ひょっとしてワイの読み漏らし?」


“ラック”

ルイにとってまた耳慣れない単語が出てくる。


「データには上がっていないらしい。大和さんの個人的な伝手からの情報だそうだが……お前、確認していたのか?」

「さすがにそれはようせんかった。でも受け答えがそんな感じやん。大和さんに確認せぇって言われたんはそれやな。……ルイに諦めてもらうか?」

「それしかないよな」

「任せられそうな女性隊員、うちにはおらんしなぁ」


言葉の端々から何を求められているか容易に推察でき、ルイは嫌な予感がしていた。


「ルイ、ごめんやけどそのキャミソールも脱いで」


ルイにとってそれは予想通りの展開だった。何かを確認したいから裸になれということらしい。


「……入隊にあたっての身体検査?」

「とりあえずはLackであるかないかの確認だけさせてもらえればいい」

「要するにこれがあるかないか確認できりゃええねん」


幸がカッターシャツを脱ぎ、中に着ていたTシャツも脱ぎ捨てる。

何してるんだとルイは思ったが、その言葉を口にはできなかった。

鍛えられた彼の身体に刻まれた無数の傷痕のせいだ。

そんなルイの視線と表情などまったく気にしていないように幸は言う。


「こんな痣、ルイにもないか?」


左胸のやや内側、丁度心臓の辺りにある六芒星の形をした痣を幸は示す。

ルイは自分の胸に手を当てて数秒だけ躊躇った。

ルイがここで衣服を脱ぎたくないのは彼らが男だからではない。誰であっても見られてはいけないと言われてきたからだ。


「おうて間もない男二人に脱げ言われて嫌やろうけど、重要なことやねん」


でも、もう隠さなくてもいいのかも知れない。だって倉富のお嬢様である必要なんてすでにどこにもないのだから。

ルイはそう思う。


「そんなに気を使わないで命令すればいいのに。だって、あたしには貴方達に逆らう権利はないんだから」

「なんかルイに命令したない感じやねん。命令したらそいつのことは格下に扱わなあかんやん」


実際に格下なのだが、そんな言われ方して悪い気はしない。


「ほんとに変な人ね。こんな身体でよければ好きなだけ見てくれていいわ」


ルイが立ち上がり、ワンピースを足下に落とす。下着だけの姿になっても顔色一つ変えずに今度はキャミソールを脱いだ。

まだ成長途中の少女らしさを残す胸には確かに六芒星の痣が刻まれている。

ルイは嘲笑を浮かべて二人に言う。


「倉富のお嬢様がまさかこんな身体してるとは思わなかったでしょ?」


ルイの身体にはいくつもの傷があった。切り傷や火傷の跡、特に腹部には大きな傷跡が残っている。ルイにとって傷痕だらけの身体はずっとコンプレックスだった。

しかし麻生と幸は傷痕には一切興味を示さず、本当に確認するべき痣だけに興味があるようだった。


「やっぱりLackや」

「決まりだな。もう服着ていいぞ」

「それだけ?傷だらけでも責めないの?曲がりなりにもあたし、女よ?」


あっけにとられるルイ。


「傷の有無で価値決めるとか最低やん。借金の形に売春宿に売り飛ばすわけやないんやし」

「どうせこの仕事をしていたら傷だらけになるんだ。そんな一円の価値もないコンプレックスは倉富の家にでも捨ててきたと思っておけばいい。美醜で人の価値が決まってたまるか」


目から鱗とはこれを言うのだとルイは初めて知った。

同時にここに来てからどんどん気持ちが楽になっていくのを再認識していた。


「別に意識してほしかったわけじゃないけどさ、女の子の裸見て顔色1つ変えない年頃の少年ってどうかとおもうわけよ」


ルイが衣服を身につけながら軽い気持ちで言う。

からかわれると思った予想に反して幸と麻生が苦々しい顔をした。


「仕事柄数見てきたし、いまさらなんやんな。確かに自分の歳考え直したらめっちゃかなしいわ、男として」

「同じく。期待に添えなくてすまない」


何となく落ち込んだ感じのする二人にルイが苦笑する。


「色々苦労してるのね、貴方たちも。で、ラックって何?」


いまさらのようにルイが根本的な質問をする。それに対して、麻生は次の特徴をあげた。


・通常の妊娠期間より数ヶ月早く生まれる。

・成長速度が通常と大きく異なる。

・肢体もしくは内臓に欠損を持つ場合が多い。

・左胸ー心臓の上辺りに六芒星の痣を持つ。

・知能指数、運動能力、五感などで異常に優れている場合がある。

・怪我や病気が治りやすいこともある。


その上で麻生はこう纏めた。


「この特徴をもつ人間はCROWでL•A•C•K……Lack-欠け人-と呼ばれている。私や幸はもその一人だ」

「どこも欠けてないけど?」

「私たちもそうだ。ただ成長が早く、ちょっと記憶力に恵まれたぐらいにしか思ってないんだが……」


麻生の表情が優れないことを見てもあまり、喜ばしい特記事項ではないらしい。


「世間もCROWもLackへの風当たりが強いんやんな、これが。普通と違うからって理由で行き場を無くしたLackの子どもがCROWにはそこそこの数おるんや。そやけど組織にしてみると得体のしれん異分子は使い捨てるぐらいがちょうどええって思われてるみたいなんやんか」


言葉を濁した麻生の代わりに幸が言う。そしてさらにルイの気持ちを沈ませる一言を放つ。


「頭の回転だけ異様に早いLackは、人になり損ねた化け物やから害をなす前に処分した方がええっていう、Lack否定派が組織にはおんねんか。んで、そいつらは日夜せっせとLack狩りをしとるからきいつけや」

「なによ。結局、命を狙われ続けるんじゃない……」


ぽつりと漏らすルイの頭を幸が軽く撫でて言った。


「全部返り討ちにしたったらええやん。ここは完全実力主義。生き残ってることが全てや」

「殺してでもってこと?」

「そうや。組織のルールにのっとっとったら、なんでもありやさかいな」


物騒な発言ではあったが、大変わかりやすくもあった。力が全て。

嫌いではない考え方だ。


「何も欠けてない欠け人ってなんか変な感じ」

「さすがに珍しいみたいやで。今、日本のCROWで把握されとるんはワイと麻生と……あと二人。んで、ルイが加わった5人やな」

「そっか。自分一人だったら珍獣みたいでやだけど、それだけいるならいいや」


何を納得したのか、ルイはそう言うと座っていたソファーの背に頭を預けた。色々と話は途中になっている気はするが、そろそろ限界だった。


「ごめん……これ以上は聞いても覚えてる自信がないから、明日でもいい?」


極度の緊張と失血でルイの体力はとっくに空っぽだった。


「すまない、気を利かせてやれなくて。そうだな。話はまたおいおいにして、今日はもうこのまま休め。ソファーですまないが、私がこんばんはここにいるから何も心配しなくていい」

「お言葉に甘えて……お休みなさい」


カクンとルイの頭がソファーに落ちる。そんなルイに麻生は自分が仮眠用に使っている毛布をかけてやった。

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