第5話 鬼事
ここは竜穴の内部だ。
といっても中心である特異点とはまだ距離がある。
中心にいくほど魔種も多くなるが、そのぶん強力にもなる。
あんまり奥へ奥へ突き進んでしまって、竜穴の主である魔龍にでも遭遇してしまったら最悪だ。
警戒しながらも少しずつ進んでいく。魔種に会いたいなら多少は奥に行かないといけないし。
木が生い茂った場所にきた。いかにも魔種の棲みかという感じだ。
もし今、木陰から何か飛び出してきても驚くまい。
そのときガサリと枝葉の揺れるような音がした。
……ん?
俺の気のせいか? 今あの木動かなかった?
「まあ、風だよな」
俺は気にした様子もなくその場を通り過ぎる。
……なんてね。
思わずニヤリと笑みがこぼれる。
いやー、小さいころは生き字引ならぬ生きモンスター図鑑、魔物ハカセなどと様々な通り名で畏れられたこの俺を欺こうなどと不逞な輩がいたもんですなあ。
などと得意になったところですこし落ち着いて考える。
気づかれないように、チラリとさっきの木を窺った。木の根元は何かが移動したような轍ができていた。バレバレ。
あれはトレントだ。植物系の魔種の中では、かなりメジャーな部類にはいる。
この前の実修のときにも、トレントを召喚しているやつがいたな。
それよりはいくらか大きい。野生化しているからだろうか、それとも竜穴の影響か。
わからないが、召喚で呼び出せるものより強力なのは確実だろう。
これがRPGなら斬りかかるなり、魔法を撃つなり攻撃のチャンスなのだが、俺はほぼ丸腰、何にも契約してないから魔法もない。
ナイナイ尽くしで、思い悩んで足が止まっていたら、むこうに俺が気付いていることを悟られてしまった。せっかくのアドバンテージが……。
トレントは木に擬態するのをやめその根っこを地中から引きずり出した。
同時に節くれだった太い木の幹の隙間からギョロリと両目をむき出す。
やるしかないか。
せっかくの好機を逃してしまった俺は少々イラつきながらもトレントと相対した。
右に左に振りぬかれる太い枝葉をよく見てかわす。
一際大振りな一発をギリギリかわした。
踏み込んだ左足を軸にして、かわした勢いのまま回転し、その回転エネルギーを上乗せした右肘をトレントの幹の中心に叩き込んだ。
重い打撃音がしても、堪えた様子はない。むしろ俺の右ひじが擦過傷でじんわり痛いくらい。
やっぱり素手では何ともならん。
一応中学までは、近所の道場でそこそこ強かったんだがなあ。
なんにしろ、武力をもって調伏させようとする作戦を密かに考えていたのだが、それがいかに甘かったのかがわかる。
諦めた俺は、コマンド「逃げる」を選択することにした。
いや、これは決して敗走ではない。戦略的撤退だ。うん、そういうことにしておく。
一目散に全力ダッシュする俺だったが、またもや見通しの甘さが露呈する。
木の根をかさかさと動かし追いかけてくるトレントは想像よりもずっと俊敏だった。
追いつかれる事は無いものの、つかず離れずで俺の逃走劇は進んでいく。
これ終わらせたのは第三者の介入だった。
決して正義の味方の登場ではない。というより状況は悪化した。
逃げた先で新手の移動中のトレントと鉢合わせしたのだ。一転して形成があちらへ傾く。
トレントの挟撃は俺を立ち往生させた。
だがピンチというのは往々にして、チャンスが裏側に隠れているもの。
俺はいろいろ詰まって大変重いバックパックを地べたに降ろし、2体のトレントからちょうど等距離に陣取った。腰をかがめ来たるべき瞬間に備える。
3秒後、2体のトレントは左右から俺に肉薄した。
いまだっ!
瞬間、俺は転がりながら緊急回避に成功。
同時に、鈍い激突音が俺の耳に響いた。
目標を失ったトレントたちは、勢いのままぶつかってしまっていた。よし、計画どおり。
どちらのトレントも、その巨木は半ばから断ち折れ、再起不能といった様子。
「……はぁ……はぁ……」
俺だって肺活量がもう限界だ。俺は思わずその場にへたり込んだ。
さあ今のうちにこいつらに対価を払って、こっそり契約させてもらうとするか……。
そう思いながら無残に横たわるトレントをみていたら、折れた断面が少しずつ盛り上がってきていることに気付いた。
……っ!。もう再生が始まってやがる。
トレントが唯一持っているスキル、「再生」は半時間ほどで彼らの傷をいやす。しかし野生のトレントの再生速度は異常だった。これでは5分もかからないかもしれない。
そうなればまたあの無益なおいかけっこを繰り返すことになる。それは避けたい。
いくら低能な低級魔種といえども、もう同じ手は食わないだろう。
俺はトレントとの契約を諦めた。
安全な場所を探して、簡単なテントを立て、野宿した。
携帯保存食料とはいえ、食べるものは持ってきていたので、困らなかった。
次の3日間、シルバーハウンド、火喰い鳥、ウィルオウィプス、ホーネットを見つけたが、どいつもこいつも単体じゃなかったから、囲まれるのを恐れ、挑戦できなかった。
気付けばもう日曜の朝、約束の期日は月曜なので、今日中に何とかしないといけない。
さすがに焦る。
焦るが、こんな危険な場所で焦燥に駆られていたら命がいくらあっても足りないぞ、と自分を気付け直し、俺は今日の探索を始めた。