第四章 呪術師ザルーム(25)
本来、人をもてなす為の部屋ではない為、椅子も十分とは言えない。この部屋にもう一脚だけあった椅子はティレーマが腰掛け、ルウェンはその後ろに立って控える形となった。
ルウェンは見た所、普段と比べても特に変わった様子は見えないが、ティレーマは明らかに緊張を隠せない顔をしている。ミルファでなくても、これから始まる話が決して愉快とは言えない話である事は想像出来ただろう。
「話というのは……?」
そんな推測を立てながらミルファの方から話を切り出せば、ティレーマは僅かに躊躇いを見せた後、意を決したように口を開いた。
「気なる事があって。ルウェンさんから今までの話を聞いていたのだけれど──魔物が集団で現れるようになったのは東の異変の時から。それは確かね?」
「ええ。私も直接この目で見た訳ではありませんから断言は出来ませんが、異変を生き延びた者などの報告を聞く限りではそのようです。……それが?」
何を言い出すのだろうとは思っていたが、よもやこの姉の口から魔物に関する言葉が出て来るとは思ってもおらず、ミルファも困惑を隠せなかった。話が読めない。一体、姉とルウェンは自分に何を伝えようとしているのだろう──。
「今の時点で……、他に集団で現れたという報告はありますか?」
心許ない様子のミルファに、ティレーマは静かな口調のままで問いかけた。
「他?」
「東と南、そして──先日のパリルと神殿を襲った集団以外で。他の場所でもそうした事は起きているのかしら?」
「それは……──」
姉の言葉に、ミルファは頭の中にあるここ最近の記憶をかき集めた。
南領から定期的に届く近況報告、帝都側の情勢──実に様々な情報が日々齎されるが、その中に魔物に関する情報がどれだけあっただろうか。
前代未聞の魔物の集団による襲撃が東領で起こって以来、人々の魔物への警戒は高まっている。もし何処かで同様の事が起こったなら話が聞こえてくるはずだ。
魔物が複数で現れる時点で十分異常事態だ。覚えている限りではそうした報告はなかった。全くないと言う事は、図らずとも以前ミルファが立てた仮説を証明する。つまり──。
「……お話とは、魔物達が何者かによって意図的に操られている──その事についてですか?」
おぼろげながらティレーマの言いたい事を感じ取り、ミルファは居住まいを正した。
皇帝乱心の背景に問題の人物が何処まで関わっているのかは不明だが、そうした存在がいる事はほぼ間違いない。それも、強大な力を持つ呪術師かそれに類する存在である事も。
それを表立って断言出来ないのは、確証がない事も理由の一つだが、最大の理由は公にすれば確実に反乱軍内外で混乱が起きると予想されるからだ。
呪術に関しての人々の感情は、総括すれば『畏怖』になる。その使い手であるばかりか、魔物すらも操る事が出来るとなれば脅威以外の何物でもない。士気は確実に落ちるだろう。
そしてミルファの個人的な感情からも、明確な事実が示されない限りはその事を肯定出来そうになかった。
(公に認めてしまったなら……、疑わなければならなくなる)
何故なら浮かび上がる条件に、ミルファが知る限りで『彼』以上に合致する人物が他にいないからだ。ミルファだけではない。その存在を知る人間はおそらく最初に彼を連想するに違いない。
一瞬だけ視線をティレーマの背後に控えるルウェンに向ける。何故ティレーマと、と思ったが、ルウェンは彼──ザルームを知っているし、あの東領での変事を生き延びた生き証人だ。
話が十中八九、その事に違いない。そう思ったのだが、ティレーマはミルファの問いかけに小さく首を振って否定した。
「確かにその事は前提になるのだけれど……、神殿が魔物に襲われた時、反乱軍の方へも襲撃があったそうね?」
「はい。集団とは言えない程の数でしたが──」
答えながらもその時の事を思い返し、無意識に身体が強張る。もしかしたらあの時、自分は死んでいたかもしれないのだ。空を一瞬にして赤く染めた炎。その記憶は今もまだ、鮮やかに思い浮かぶ。
「わたくしはその時神殿にいましたし、詳細な状況はわかりません。でも、どうしてもその事が引っ掛かって」
「引っ掛かる?」
「パリルや神殿が襲われた理由がわたくしの命を狙う為だとして……、どうしてその魔物達はミルファ達を襲う事が出来たのか」
「え……?」
その疑問は今までまったく思いもしなかった事だった。西に向かう反乱軍を足止めする為──そう認識はしていたが、それ以上の事を考えた事はなかった。
今のティレーマの疑問は、ミルファが考えもしていなかった──否、無意識に考える事を避けていた──ある疑念を否応なく引きずり出す。
だからこそ。
一つ間違えれば取り返しのつかない状況になるかもしれないとわかっていながら、ルウェンはティレーマと共に賭けに出たのだ。
「何を仰りたいのですか、姉上?」
表面的には動揺は出なかったものの、言葉が僅かに硬くなるのを自分でも止める事が出来なかった。
そんなミルファを、ティレーマは痛ましげな目で見つめ──しかし、すぐに表情を改めた。今の様子からもその話題が今の時点で『ミルファの弱点』である事は明らかだ。
触れられたくない話題だからこそ、本音が引きずりだせる。そんな乱暴な手段を提案したのはルウェンだが、その役目を引き受けたのはティレーマ自身の意志だ。
場合によっては憎まれる事にもなりかねないだろう。それでも──。
「わたくしが居た、地方神殿へ辿り着く道は一つではないわ。やろうと思えば、道を無視して進む事も可能です。……わたくしも主神殿を出てここまで来るのに、街道は使わずに可能な限り最短距離を進むようにしました」
それは西領が他の地に比べ、起伏が少なく比較的見通しのよい土地柄であるからこそ出来る事だ。
最悪、道に迷ったとしても、相応の装備と星や太陽の位置を読み取る知識さえあれば、遭難する危険は少ない。実際にミルファも、ティレーマのいる神殿へと向かう途中で街道を外れて進んだ所もあった。
──それは裏を返せば、自由度が高い分、相手の行動を読むのが困難であるという事。
「なのに、どうして魔物はミルファ達を待ち伏せする事が出来たのか」
「……!」
「おかしいでしょう。わたくしがあの地方神殿に身を寄せていた事は周知の事実でしたし、東の異変でもそうです。お兄様があの場所にいる事は誰もが知っていた。南の……セイリェン、でしたか? その時もミルファがそこを目指す事は誰でも予測が出来たと思います。けれど……」
「西へと向かっている最中の反乱軍の正確な位置を知る事は、普通ならばかなり困難、そう言いたいのですね……」
行軍中に何処で休息を取るか、どの進路を取るか──それらは全て、事前に呪術で周辺の様子を調べたザルームの意見を参考に、ミルファと重臣達がその場その場で状況に応じて決定していた。
ある程度は前もって計画を立てていたものの、パリル壊滅の知らせを受けてそれは大幅に変更され、最初のものとは丸きり異なるものになっていたと言っても過言ではない。
……にも関わらず、魔物は反乱軍の進む先で待ち構えていた。それが意味する事は──。
ティレーマの言葉は、すでに答えを述べているようなものだ。それでもまだ認めきれずにいるミルファへ、それまで黙っていたルウェンが口を開いた。
「結論を言いましょう。──内通者がいる、としか考えられません」
「ルウェン……」
言われた事が理解出来ないかのように、何処か呆然とした様子で見上げて来るミルファに、ルウェンはゆっくりと首を横に振った。
「それも──ミルファ様の身近にいて、反乱軍の状況に通じ、あの時点で起きていた全ての出来事に関わる事が出来た人物。……何か否定材料はありますか」
直接誰だとは言及せずとも、それが誰を示すのかは明らかだった。