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天秤の月  作者: 宗像竜子
第四章 呪術師ザルーム
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第四章 呪術師ザルーム(24)

 ──激しい雨の音が聞こえる。

 壁一つ隔てたように、少し遠いけれど、叩きつけるようなその音に間違いはない。

 周囲は塗りつぶされたような、夜とは違う闇。

 ……また、あの夢なのだろうか。この間見た、不吉な夢。もう二度と見たくはないのに──。

 そう思うのに、やはり聞こえてきたのはいつかの夢を再現するかのような言葉。


「──我が主に、玉座を」


 キィキィ、と動物の鳴き声のような耳障りな音が小さく聞こえた。そして、ドサリ、と何かが地面へと倒れる音。

(もう嫌、見せないで……!!)

 夢の通りならば、次に目の前に現れるのは倒れた少年の姿。

 そして、不意に視界は闇から一転し、今にも崩れ落ちそうな薄暗い廃屋に変わる。椅子に腰掛ける自分の足元。そこに彼が倒れている。

 白い、本来なら汚れ一つない神官職の者だけが身に着ける服を、血の赤で染めて──。

(ああ……)

 記憶に残っている彼はいつも笑顔だ。

 怒った所なんて一度も見た事がなかったし、逆に悲しんでいる顔も見た覚えがない。そして、血の気を失って青褪めた顔も。

 なのに、どうしてこんな──見たくもない、変わり果てた姿を見なければならない……!?

 そんな理不尽さを内に抱えながら、動かす事は出来ても自ら閉じる事の出来ない目で、力なく地面へ転がる少年を見つめる。

 以前はこの後すぐに目が覚めたが、二度目だからか取り乱す事はなかった。これは夢だとわかっているからかもしれない。

 それでもじっと見ていたい光景であるはずがない。早く目が覚めないだろうか、それだけを考えていると、ふいに近くから声が聞こえてきた。

「さて……、こちらはどうしようか」

(……!)

 椅子の横に立っているのか、正面を向いたミルファにその姿はわからない。どうやら声の様子からすると若い男のようだ。

(この声……?)

 聞き覚えが、あった。必死に記憶を手繰たぐり寄せ、誰のものだったかを思い出そうと試みる。身近な人間のものではない事は確かだ。もしそうなら、すぐに誰かわかるはず。逆にそうでないとなると、条件は一気に絞られる。

 数少ない会話で記憶に残る──それだけ強い印象を残した人物。


『折角こんな変装までしたのに──無駄になった』


(まさか……)

 心当たりはすぐに思い浮かんだ。仮にそれが正解だとして、どうしてここにあの男がいるのだろうか?

 記憶を辿たどってみても、覚えている限りでは、あの廃屋に自分とザルーム以外には誰もいなかったはずだ。そう──今、目の前にある変わり果てたケアンの姿もなかったのだ。だからこそ、これは夢ではないかと思ったのだし、自分の内にある不安が形になっただけだと思い込もうとした。

 ケアンはこの世界の何処かで生きている。そう信じていたかったから。

 ――けれど。

 不安が夢と言う形になったのだとしたら、魔物に襲われた時に顔を合わせただけの男が現れるのはあまりに不自然な気がする。

 その時、軽い混乱に襲われるミルファの耳に不意打ちのように別の声が飛び込んできた。

「……わ……、が……」

 それは大地の奥底から聞こえてくるような、陰気な声。言葉にすらならない、掠れた断片だけでもすぐに誰のものかわかる。

(──ザルーム?)

 しかし、声はすれども姿は見えない。視界の外にいるのだろうか。けれども今の声は、背後や横から聞こえては来なかった。

 むしろ正面、更に詳細に言えばケアンの横たわる辺りから――。

 いぶかしく思っていると、ケアンの首の下に広がる小さな血溜りに変化が起こった。

(!!)

 ずるり、とそこから何かが伸び上がる。まるで穴から這い上がるように、赤黒い塊が血溜まりからその『腕』を伸ばしていた。

 それはあまりにも奇怪で、おぞましい光景だった。おそらく身体の自由があったなら、流石のミルファも悲鳴を上げていた事だろう。

 やがてその不定形の固まりは、次第に一つの形を作り出す。腕、身体、そして──頭。赤黒い色はそのままに、それは不完全ながら人の形を取る。

「わた……し……が……」

 そうして言葉を紡いだその姿は、人の形をしていながら、それでも決して人では在り得ない姿だった。少しでも衝撃を与えれば崩れて元の血溜まりに戻ってしまいそうだ。

「お前……」

 男が意外そうな声をあげる。しかし、その声には目の前の異形に対する恐怖はない。単純に驚いている雰囲気だけが伝わってきた。

「まだ『器』も与えていないのに、それだけの意志を見せるなんて……」

「わ……たし、が……」

 男の言葉など聞こえていないかのように、うわ言のように繰り返される言葉。

 実際、こちらの言葉は届いていないのだろう。今にも崩れ落ちそうに身体をゆらりと揺らしながら、その腕をこちらへと伸ばしてくる。

 ──身動きの取れない、ミルファの方へと。

「……駄目だ。お前はまだ不完全だからな」

 男はそう呟き、壁になるようにミルファの前に立ち塞がった。ようやく姿を見る事が出来たその背が、思いのほか小さい事にミルファは驚く。

(……子供?)

 身長はそれなりにあるようだが、まるで急に成長した子供のように肉付きが足りない背からはそんな感想を抱く。十五、六辺りかもしれないが、ひょっとすると十二歳程度の可能性もある。

 そう認識すると、聞こえてくる声も何処となく高い──初めて言葉を交わした時のものより幼いものに聞こえた。

「まずはお前に形を与えよう。血肉を供えた身体と、契約を果たせるだけの力も。……全てはそれからだ」

(契約……?)

 どちらにしても、訳がわからない。

 これは夢ではないのだろうか? それとも、現実に起こった事なのだろうか? 夢にしては奇妙だと思う。しかしこれが事実だとするなら、ザルームは人ではない事になってしまう。

 ──今まで一度もローブに隠されたその姿を見せた事のないザルーム。それは彼が、異形の生き物だからなのだろうか……?

 ふと気付くと、目の前にいたはずの男の姿が消えていた。再び雨音だけが聞こえる室内に、相変わらず身動き出来ないミルファと──そしてもう一人。

 先程の男の代わりのように自分の前に立つのは、たった今思い描いた姿と寸分変わらない、赤黒い布で全身を覆い隠した長身の人物。

 見慣れた姿に、無意識の内にほっと安堵する。身動きままならない自分を見下ろし、彼──ザルームは静かに口を開いた。

「……皇女……ミルファ……。私の、主……」

 一言一言確かめるかのような言葉。その何処か余所余所しい口調に、居心地の悪さを覚えた。

 彼はしばらく黙り込み、やがてその手をぎこちない所作で持ち上げる。骨のような、白い指。それが、膝の上に載せられたままの聖晶を取り上げた。

「──ラーマナの……欠片……」

 ぽつりと呟き、それをじっとながめた後、ザルームはそれをそっとミルファの首へとかけた。

(あ……)

 思わず目を疑う。先程までは確かに色を失くしていた聖晶が、光を取り戻していたのだ。

 彼が一体何をしたのかはわからない。それでも一瞬見えたのは、紛れもない春の空を映した青だった。

「全て、私が……」

 やがて紡がれた言葉と同時に、前触れもなく視界が闇に染まる。

 そして──全てを始める『呪文』は紡がれた。


+ + +


「──……?」

 ふと気付くと、視界は先程までとは全く様相の異なる場所になっていた。

 決して広いとは言えない、こじんまりとした部屋。それでも必要最小限の調度は整い、何より清潔感が漂っている。

 明らかに廃屋などではない──宿の一室だ。

 次いで、自分が部屋の片隅に置かれた書き物机の椅子の上にいる事に気付き、転寝をしていたのか、と思う。

 確かに昨夜はろくに寝付く事が出来なかったし、少し開いている窓からは西領特有の心地よい風が入ってきていて、ついうとうととなっても不思議ではない。

 そんな事を思いながら、無意識に額を拭うと、そこには冷汗が浮いていた。

(夢……?)

 何だかとても長い夢を見た気がする。

 途中まではこの間見た夢と同じだった気がするが── 後半は何故かおぼろげで、たった今見たはずなのにその内容を思い出せない。

 何か── とても重要な事を見た気がするのに。

(……考えても、仕方がないか)

 歯痒がゆい思いを抱えながら、気分転換でもしようと椅子から立ち上がった時、扉を叩く音がした。次いで、控えめな声が聞こえてくる。

「ミルファ? あの……、少しいいですか?」

「……姉上?」

 ティレーマが自分の元を訪れる事は決して珍しい事ではなくなっていた。特にこの二日というもの、ろくに食事も摂らない自分を心配して幾度も様子を見に来てくれている。

 だが、それにしては今のは何だか、妙に遠慮した口調だったような気がする。

 怪訝けげんに思いながら扉を開くと、そこにはティレーマだけではなくルウェンの姿もあった。

「どうしたのです、二人揃って……?」

 今までを思うに、この二人が共に行動した事はほとんどなく、益々ミルファは困惑する。そんなミルファに、まずティレーマが口を開いた。

「大事な話があるのです。時間を貰えるかしら?」

「え、ええ……」

 真剣な表情に気圧されたように頷きつつ、視線をルウェンに向けると、彼もまた口を開く。

「私も同様に尋ねたい事があります。よろしいですか?」

「ルウェンさんも、わたくしと同じ事について話したいそうなの。同席して頂いてもいいわね?」

 何が何やらわからない。それでもすぐに自分を取り戻したミルファは、ティレーマとルウェンの顔を交互に見比べ、どうやら立ち話で済む内容ではないらしいと判断した。

「……わかりました。二人ともどうぞ。中へ入って下さい」

 その言葉に、ティレーマは思わずほっとした表情になる。

 今朝までのミルファは、まだ何処か心ここにあらずといった様子で危うさがあった。果たして話を聞く余裕があるだろうか──そんな心配すらしていたのだが、杞憂に終わったようだ。今は大分落ち着いている。

 ──これならうまく行くかもしれない。

 ティレーマとルウェンは一度視線を交わすと頷き合う。もうここまで来たら後には引けない。そして二人はミルファの部屋へと足を踏み入れた。

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