第四章 呪術師ザルーム(19)
──翌日。
午前中の作業を終える頃、ルウェンはミルファのいる宿に向かって歩いていた──その後ろに十名程の兵士をぞろぞろと付き従えた、随分と物々しい有様で。
罰ゲームをきちんとやり遂げるかどうかを見届けるにしては人数が多過ぎる。疑問に思ってよくよく見ると、昨夜の面子にはいなかった人間も数名混じっている。
「……何でこんなに人が増えているんだ」
苦々しい思いで隣を歩く男──今回の罰ゲームを命じた人物に問い質すと、男は軽く肩を竦めてこちらも苦笑いを浮かべた。
「いやあ、それがどうも朝の内に方々に話が広まったみたいで。俺みたいに見てない人間も結構いますし、そうでなくてもあの誓いは一流の剣士しか出来ない特権でしょ。見たいって思う奴は少なくなかったようです」
「俺は見世物か……」
何だか釈然としない気持ちになるが、受けた以上はこなさねばならないだろう。多少観客が増えた所で、何となく気恥ずかしさが増すだけでやる事は変わらない。
ルウェンは文句をつける事を諦め、げっそりとした表情でため息をついた。こんな事になるんなら軽い気持ちで参加するんじゃなかった──と今更後悔しても後の祭りである。
その間も足自体は止まらない。というのも、いつもなら休憩時間の辺りになると自ら姿を見せるミルファが、今日に限っては朝から姿を見せないからだ。
確かに人通りの多い場所で晒し者になるよりはいくらかマシだが、それならそれで心配にもなる。
昨日までの様子を思い返すに急に体調を崩す事もないと思うが──今までずっと神経を張り詰めていたと言っても過言ではない。いくら男顔負けの采配を振るうと言っても、十代の少女である事実は変わらないのだ。帝都を前にして、その緊張がついに限界を超えた可能性もある。
何故なら帝都に辿り着けば、次に目指すは皇帝の座する帝宮。そして──。
(……帝宮に辿り着いたら、皇帝との対決は避けられない……)
反乱軍に与する者にとっては皇帝は討つべき『敵』である。だが、ミルファにとっては同時に血を分けた父親なのだ。
可能な限り話し合いで解決しようとミルファは考えているかもしれないが、乱心後の皇帝に行いを考えるに、無血で片が着くとはルウェンには思えなかった。剣の腕を磨き、一見吹っ切れているようにも見えるが、まだミルファの中に皇帝に対する拘泥がある事は確かだ。
ミルファが具合が悪いのであれば、こんな茶番に付き合わせる訳には行かない。付いて来ている兵士達を適当に言い包めて退散せねばならないだろう。
──いっそ、そのままうやむやにしてなかった事に出来ないだろうか。
そんな不届きな事を考えながら、ルウェンはやがて見えてきた宿の看板を見上げた。
+ + +
辿り着いたミルファの部屋がある廊下は、人気がなくしんと静まり返っていた。
(……もしかしてここにもいないのか?)
ノックをしようと腕を持ち上げた姿勢で、しばし悩む。
自分の立場を理解しているミルファは、基本的に一人で勝手な行動は取らない。作業状況を確かめに行く際などは、きちんと伝令などに行く先を告げて行く。来る途中で尋ねても誰もそうした話を聞いていないという事だったので、私室に籠っているのだろうと判断したのだが──。
ちらりと目を階段の方へ向け、そこで見守っている兵士達の期待に満ちた視線にげんなりとなった。もし不在なら、このままミルファの姿を求めて探し回る羽目になってしまうのだろうか。
(そんなのはゴメンだ、いくら何でも)
頼むから居てくれ──そんな祈りを込めて扉を叩こうとした、その時。そこから少し離れた場所から軽い木製の扉が開く音が聞こえた。
(……うっ!?)
皇女が使っている事もあり、当然ながらこの宿には反乱軍の女性ばかりが入っている。
そのいずれであっても、今の状況はあまり芳しいものとは言えなかったが、廊下へ出てきた人物は出来れば会いたくない部類に入る人物だった。
「──あら? ルウェンさん」
その声にルウェンは思わず扉に伸ばしていた手を引っ込め、首だけを声の方に向けた。その顔にまるで悪戯を見つかった子供のような、ばつの悪い表情を浮かぶ。
「これは……、ティレーマ様」
「ミルファに何か御用ですか?」
そこにいた人物──ティレーマは、よもや罰ゲームなぞの為にここに来たとは思ってもいない目を彼に向けて来る。
ティレーマがいつも身に着けている真っ白い神官服が妙に目に眩しい気がするのは、心に少々後ろ暗い所があるからだろうか。ふと胸元に見慣れた淡桃色の聖晶がない事に気付いたが、その事を尋ねる状況ではなさそうだ。
ルウェンはティレーマの方へと向き直ると、さてどう答えたものかと考える。当たり前だが、真実を言えるはずもない。内容的には言っても差し支えはないが、その後の起こり得る面倒を考えるとそうする事は得策には思えなかった。
ティレーマは穏やかな視線を彼に向けたまま、彼の返答を待っている。
ミルファの気圧されるような覇気はないが、嘘や誤魔化しが出来ないそれは、また別の意味で脅威だとルウェンは思った。
「ティレーマ様……その、ですね……」
「はい」
(だ、駄目だ……!)
他の人間なら適当に言い包められるが、冗談も本気で受け止めてしまいそうなティレーマに対してはうまい言い訳が思いつかなかった。
下手な事を言って信じられてしまうくらいならいっそ、正直に話してしまった方が良い気がする。呆れられてしまうかもしれないが、それもまた仕方がない。
「それがですね……昨日、彼等……と……!?」
自分だけがこんな目に遭う必要もないはずだ、と見届け役として付いて来た兵士達も道連れにしようとしたルウェンは、背後を見て固まった。
(──いねえし)
先程まではそこに群がってこちらの挙動を見守っていたはずの兵士達は見事に姿を眩ましていた。
(あ~い~つ~ら~~~~ッ! 後で見てろよ!?)
正に今、道連れにしようとしていた自分を棚に上げて心の中で歯軋りする。
これで罰ゲームどころではなくなったのは事実だが、事態はむしろ悪化している気がするのは気のせいだろうか。
「ルウェンさん? どなたかそこに……?」
「い、いえ!! あー、その、ですね……」
このまま沈黙していても余計に怪しまれるだけだと判断したルウェンは、取り合えずその場を何とか誤魔化す事にした。
「実は……、内密に皇女殿下に奏上いたしたい事がございまして。それでここに参った次第なのですが……」
これなら取り合えず嘘ではない──部分的には真実でもないが。
「内密に……ですか?」
だが、基本的に人を疑う事を罪悪と感じるように育てられているティレーマは、その言葉を神妙な顔で受け止めた。
「それは……、他の誰かに知られたくない──あるいは、知られる訳には行かないという事ですよね?」
「はい……」
答えてルウェンは、しばらく考えると、憚るように声を潜めて続きを口にする。
「──あの方の側には、常に《影》がついておりますしね」
どうせお見通しなのだろうが、罰ゲームで騎士の誓いを再現するなど、あのザルームにも見られたくない姿だ。そういう意味を込めての言葉だったが、その言葉にティレーマははっと目を見開いた。
頭一つ近く上にあるルウェンの顔をまじまじと見つめ──やがて微かに震える声で問う。
「それは……、その《影》に関する事だからですか」
単に『邪魔のない所で話したかった』というニュアンスだけで《影》の存在を口にしたルウェンは、その反応におやと思った。
(なんか、違う所に引っ掛かったような……)
あまり気に留めていなかったが、この様子だとティレーマはミルファに従う《影》──ザルームを知っているようだ。
おそらくミルファ自身が紹介したのだろう、と昨日の出来事を知らないルウェンは軽く考えた。あれだけ周囲から存在を隠しているザルームである。よもや自ら姿を見せたなどとは思いもしない。
「……実は、そうなのです」
深く考えないまま話の流れで答えると、その返事に見るからにティレーマの表情が強張った。
単にこれ以上追求して来ないように張った予防線のつもりだったのだが、ルウェンはその反応にその目論見が失敗した事を悟った。
「もしや……、ティレーマ様も何か《影》について思う所がおありですか?」
もしやと、鎌をかけてみる。
よくよく考えれば、神殿育ちで世間知らずな所のあるティレーマである。今まで接点のなかった得体の知れない呪術師というものに警戒心を抱いているだけかもしれない──そう思ったのだが。
予想に反してティレーマははっきりと頷き、内心驚くルウェンに気付いた様子もなく、何処か思い詰めた様子でティレーマは自身の『思う所』を口にしたのだった。
「わたくし……、あの方がミルファを傷つけたのではないかと思うのです」
その一言で、その場にあった空気は張りつめたものへ変化を遂げた。
「傷……!?」
思いがけない言葉に、ぎょっと目を見開く。ひやりと背筋に冷たいものが走った。
今朝からミルファの姿が見えないのは、そのせいだったのだろうか? 思えば、ザルームと話し合えと言ったのは自分だ。もしや、その時に何かあったと言うのだろうか。
そんなルウェンの動揺に、言葉が足りなかった事に気づいたのか、ティレーマが慌てて言い添えた。
「あの、傷と言いましても、目に見えるものではなくて……心の傷なのですけど」
「……心」
なんだ、と一瞬肩から力が抜けかけたが、よく考えると問題は大して変わらない。ティレーマの言葉の通りだとしたら、ミルファとザルームの話し合いは破綻してしまったと考えられるのだ。
「昨日、何があったんですか」
「それが……、夕刻にわたくしが神殿から戻って来た事を報告しようとミルファの部屋を訪ねたのですが……。呼んでも返事がなかったので心配になって部屋に入ったら、ミルファがこれ以上とない程に憔悴していて……」
ぽつりぽつりと歯切れ悪くティレーマは思い返しながら答える。そうする内にその時の様子を思い出してしまったのか、ティレーマの表情も自然と暗いものになった。
「──まるで、信じていた誰かに裏切られてしまったかのようでした。ザルームさんの事は昨日顔を合わせただけでよくは知りません。ですが、フィルから聞いた話だと今までずっとミルファの側にいた、もっとも身近な存在との事ですし……」
「ええ……、片腕に等しい存在のようですね」
言葉を引き取り、ルウェンは重いため息をついた。本音を言わせて貰うなら、『何をやっているんだ、あの二人は』といった所だが、流石に口にする訳には行かない。
あと数日もすれば、帝都に向けて出立するというのに──その大事を前にした重要なこの時期に、最悪の状況を作ってくれるとは。
だが、事が起こってしまったのなら、今更そんな事を言っても詮無き事だ。
「それで……、ミルファ様は?」
「今は医師様から頂いた精神安定の効果がある薬湯のお陰で眠っていると思います。昨晩はほとんど眠れなかったようですし……」
ティレーマはそこで一度言葉を切ると、不安を隠さない瞳をルウェンに向けた。その目は『聖女』と慕われる者ではなく、誰か縋れる者を求める無力な娘のそれに近かった。
「ルウェンさん……、わたくしは何だか嫌な予感がします。何か、取り返しのつかない事が起こってしまった──そんな気がして……」
やがて吐息のようなか細い声が、彼女の胸の内に秘めていた考えを紡ぐ。それは正に、今の状況を言い当てていた。