第四章 呪術師ザルーム(18)
(あいの……こくはく……?)
一瞬、思考が飛んだ気がする。
「──……何だって?」
余りにも予想外の事を耳にしたせいだとは思うが、言われた単語が脳内で変換されず反射的に聞き返していた。そんなルウェンの状態に気付いているのかいないのか、男は今にも鼻歌を歌いかねない上機嫌で繰り返す。
「だから、告白ですよ、告白」
「……誰に」
「ミルファ様以外に誰がいます?」
しばし、何とも表現の出来ない沈黙が漂い。
「ま──まてまてまてマテ待てッ!!! あんた、気は確かかッ!?」
ようやく言わんとする所を理解したルウェンは、血相を変えて問い質した。ルウェンはそうした立場の人間の中では非常に頭の柔らかい部類ではあったが、その冗談が言っていい事と悪い事かの区別くらいはつく。
今回のは冗談にするにしてもあまりにも性質の悪いものだった──が。焦るルウェンに対し、言い出した男を含めた周囲の反応は、妙に和やかなものだった。
「お前……、策士だな! 見直したぜ!!」
「こりゃー傑作だわ、ははははは!!」
「そう来るとはなあ。やるじゃん!」
「ルウェンさん、頑張って下さいね!」
「ミルファ様を幸せにして下さい! 俺ら、応援してるッス!!」
「はぁあああ!!?」
てっきり周囲が止めるなりすると思っていたのに、むしろ逆にそんな罰ゲームを考えた男を褒め称え、あまつさえ応援までも送ってくる始末。
咄嗟に反論も出て来ず、ルウェンはパクパクと酸欠状態の魚よろしく、開いた口が塞がらなくなった。
「──ちょ、ちょっと待て。待ってくれ。一つ、聞きたいんだが……!」
「はい?」
命がけで魔物を前にした時だって、これ程に動揺しなかった気がする。それ程にくらくらする頭を抱えつつ、それでも何とかルウェンは言葉を押し出した。
「……何で俺が、ミルファ様にあ、ああ、『愛の告白』なんぞを……?」
動揺の余り、声が幾分上ずっている。普段飄々としている彼にしては珍しいうろたえようだったが、男は面白がる訳でもなく、笑顔のままあっさりと答えた。
「何でって、罰ゲームだからでしょ?」
「いや、だからそうではなくてだな! ……告白までは、まあ良しとしよう。それはいいとして……なんで応援までされるんだ。あくまでも罰ゲームだろ!?」
正直、お遊びの延長で徒にやって良い事とはとても思えなかった。何しろ相手が彼が忠誠を誓い、剣を預けるミルファである。
あのミルファの事だから、まかり間違って本気に取られるという事はないだろうが、かと言ってこの手の事を笑って流してくれそうな感じもしない。
──昼間のやり取りを思い出す。
初恋の相手ですかと尋ねた時のあの素直過ぎる反応。今までの状況を鑑みても、恋愛慣れしていないのは明らかである。せめてこちらが本気ならばまだしも、こちらには忠誠心はあっても恋愛感情は欠片もないと来ている。
一体何をどう誤解してそう思われたのかは不明だが、男を筆頭にこの場にいる人間はどうもその辺りを勘違いしている気がする。
「言っておくが、俺はミルファ様に忠誠を誓っちゃいるがそれ以上の感情なんてないぞ?」
付き合いの長さもあるかもしれないが、今の所ルウェンから見たミルファは『剣を預ける唯一無二の主』と言うよりも『かつて剣を預けたソーロンの妹』という認識が一番近い。
誤解を解こうと口に出して強調するものの、周囲の態度は大して変わらなかった。適当に酒が入っている者が混じっているせいか、それとも元々そういう性格の者ばかりなのか、ルウェンのその発言にむしろ周囲の熱意は増した。
「流石は騎士殿、愛よりも忠義……泣かせるなあ!」
「ルウェン殿、心配なさらずともこの場の事は皆、胸の内に仕舞いますから!」
「そうですとも! ですから自分に正直になっていいんですよ!!」
「大丈夫ですって、お二人ともお似合いですから!!」
「実は結構前から、俺達話してたんですよ。なっ」
「そうそう、皇女様と騎士なんて、まるで御伽噺みたいな絵になる組み合わせだよなって」
「俺達はルウェン殿の味方です!」
「──だから何でそうなるんだ!?」
一方的な言葉の数々に、くらりと眩暈を感じた。今の言い様では、まるで自分が叶わぬ想いを秘めつつ一人耐えているようではないか。
自分で言うのもなんだが、なんて柄でもない設定だろうか。想像するだけで背中がむず痒い。
(あー、こんな状況……前も何処かであったよーな気もするよなー……)
くらくらとする頭を抱えながら、ふとルウェンはそんな事を思い出した。
あまり思い出したくない記憶の為、黒歴史として過去の事にしてしまっていたが、今回と似たような事があったのだ。
それは南領に満身創痍で辿り着き、フィルセルの監視の下、領館の世話になっていた頃。自分が知らない間に主に女官を中心に妙な噂が立っていた事があった。曰く──。
『命掛けで訃報を届けに来るなんて……。なんて美しい主従愛なの。感動的だわ……!』
『本当にね……! こんな事、生半可な忠誠心で出来ないわっ』
『ええ、そうよ……これはきっと、愛よ!』
『愛ね……!』
──結果として、ルウェンは男性陣からは妙に同情的な視線を向けられる事になり、一部の女官達から初対面にも関わらず親しげに話しかけられ、ソーロン絡みの謎の追求(仲が良かったのかやら、付き合いは長かったのかなど)を受ける事となった。
当初はそんな事になっているなど思ってもいなかったし、ルウェンも年頃の男である。若い女性から話しかけられて嫌なはずもなく、何故そんな事を聞かれるのか不思議に思いつつも正直に答えられる事を答えていたのだが。
やがてフィルセル経由で噂の内容を知る事となり、いろいろな意味で衝撃を受けると共にその誤解を解くのに苦労する羽目になったのだった。
いわゆる陰口ではないし、あくまでも好意的に受け止めた結果なのだが、そのせいで頭ごなしの否定も出来ないので大変困る。
ルウェンとしては訃報を届けたのはどちらかと言うとついででしかなく(もちろん、目的の一つではあったが)、何としてもソーロンの敵を討ちたいが為の強行軍だったのだが、そう言っても勝手に美談化されてしまう有様で一時は焼け石に水の状態だったのだから。
最終的にその噂は自然消滅したようだが、その件で南の人間が余所の人間も好意的に受け入れてくれる一方で、知らない所で勝手に話が一人歩きする傾向もある事が判明した。
今回は話が一人で歩き回るどころか、好意的な解釈に個人的な願望も含まれて、無駄に話が大きくなっている気がする。
今までの間に帝都や西領からも人々が加わり、この反乱軍も南領の人間ばかりではなくなったはずなのだが、皆感化されてしまったのだろうか。一人ぐらい現実的な目で見てくれてもいいと思うのだが。
(ど、どうしたらいいんだ……)
正しく、孤立無援。だが、この罰ゲームだけは何としても避けねばならない。
ミルファの事が嫌だとかそういう事ではなく、このままこの罰ゲームを受ければミルファにまで迷惑がかかるのは必至だからだ。
昼間のやり取りを抜きにしても、今まで接しているからわかる。ミルファも自分に対して、そういう感情は抱いていない。困惑させるだけで済めばいいが、万が一本気で取られてしまったら無駄に悩ませることにもなりかねない。
(仕方がねえ……。何とか誤魔化すか)
腹を括ったルウェンは一か八かの勝負に出た。
「……わかった、お前等の気持ちはよくわかった」
ルウェンのこの言葉に、おおッと歓声が上がった。予想していた反応だが、そんなに期待に満ちた顔をされても困る。
「だがな、よく考えろ……? 相手はミルファ様だぞ? こんな罰ゲームなんていい加減な切っ掛けで告白するなんて許されるのか?」
「……!」
彼等のいずれもが、完全にふざけている訳ではない。純粋にミルファの幸せを望んでいる者も、南領の人間を中心に少なからずいた。
故にルウェンのこの言葉に、盛り上がっていた空気は幾分沈静化した。
男に乙女心なぞ理解は出来ないが、確かにカードゲームの罰ゲームで告白されるというのは、夢も何もあったものではない。劇的というもののむしろ正反対である事に気づいた彼等は、各々考え込むような顔になる。
その顔を見ながら、さらに一押しとルウェンが放り投げた言葉の爆弾は、的確に彼等の盲点を突いた。
「第一、お前等……俺が断られた場合の事を考えてねえだろ」
「うぅっ!?」
「非常時だぞ? ミルファ様にとっても大事な今、お互いにぎこちなくなったらどうしてくれる。今後の士気にも関わってくるかもしれねえじゃねえか」
「そ、そう言えば……!」
「でも……、ルウェン殿といる時は和やかな感じだし、なあ?」
「そうだがよ、ミルファ様真面目そうだからな……」
今更その事に気付き、ぼそぼそと話し合う彼等に、やれやれと心の内でため息をつく
「……わかりました」
やがて仕方がないと言わんばかりの顔で、罰ゲームを命じた男が引き下がったが、すぐにその顔は先程の『何だか嫌な予感』を感じさせる笑顔になった。
──そして。
「じゃあこうしましょう。ミルファ様に、もう一度剣の誓いをやって下さい」
「……へ?」
よもやそう来るとは思わなかったルウェンは、間抜けな声を上げた。
ミルファを剣の主として剣を捧げる一連の儀式は、少し簡略化した形ですでにセイリェンの街でやっている。いずれ全てが終わった後に改めて正式に行うつもりでいるが、基本的に一人の主に一度きりのものとされるものである。
確かにあの口上も改まってするには愛の告白と大してレベルが変わらない恥ずかしいものではある気がするが──。
「何でまた、それなんだ?」
異存と言うよりは素朴な疑問から尋ねると、男はにやりと笑って言い放った。
「俺がセイリェンで見てないからと言うのもあるんですけど、一応は保険です。だってあれも一生もんの誓いなんでしょ? ……その内、ちゃんと『愛の』誓いはしてもらいますからね」
「──……マテ」
その言葉に周囲が再び盛り上がった事は言うまでもない。