第四章 呪術師ザルーム(17)
「……ほい、上がり」
手札が揃いコールをかけると、真剣そのものの顔をしていた他の面子から、一斉に悲鳴が上がった。
「ぎゃあああ!!」
「またかよ!?」
「嘘だろ……ルウェン殿、強すぎ……」
「チクショウ、負けた!!」
あれから一刻ほどが過ぎ、そろそろ酒が回り始めた人間から遠慮がなくなってくる。最初の恐縮しまくっていた態度は何処へやら、言葉も砕けたものになりつつあった。
ルウェンが抜け、残りは更に真剣な顔で最下位を決める勝負を始める。ちなみにルウェンは、ほぼ圧勝と言って過言ではない結果だった。
あくまでも息抜きのお遊びである。ほどほどに遊んでいたが、最下位には一度もなっていない。
すでに例の『罰ゲーム』の指令を数名に下したが、それが結構容赦のないものだったせいか、妙に周囲の戦意を上げてしまったらしい。
先程からそろそろ他の者と代わろうとしているのだが、『もう一勝負!』と引き止められているのだ。
(いい加減、罰ゲームを考えるのも面倒になってきたなあ……)
一度や二度ならそうでもないが、三回を超えればネタも尽きてくる。
ここらで一度くらいは負けるのが得策かもしれない、などと周囲のゲームに真剣そのものの彼等が知ったなら怒り出しそうな事を考えていると。
「よっしゃ! 上がりぃ!!」
「俺も!!」
「なにィーっ!? ま、負けた……」
どうやら勝敗が決まったらしい。
二位三位となった青年達が勝ち誇ったポーズを決めている横で、がくりと敗者となった青年が肩を落としていた。見た所ルウェンより年下──二十歳そこそこの若者である。
まるでこの世の終わりでも前にしているような憔悴しきった様子が、彼がいかに真剣だったのかを伺わせる。たかがお遊びのはずなのだが、この熱中度合いはどうだろう。人は何かが賭けられていると必死になる生き物らしい。
「うう……。今度こそは思ったのに……」
「残念だったなー! さ、ルウェンさん! こいつの罰ゲームを決めてくださいよ!」
「そうだなあ……、うーん」
しばし考え込みつつ、ちらりと罰ゲームを受ける側を見ると、笑えるくらいに悲壮な顔をしている。
少し気の毒な気もしたが、ここで手を抜くと先に負けた人間から文句が出るだろうと、心をあえて鬼にしてルウェンは口を開いた。
「じゃあ明日の昼間、皆が見ている前で腕立て伏せ五百回」
「えっ! 五百……。うう、わかりました……」
「もし出来なかったらどうするんです?」
笑みを含んだ、意地の悪い質問が何処からか飛んでくる。
「そりゃ出来るまでに決まってるだろ。途中で力尽きたら、また最初からな」
対するルウェンがわざと真面目くさった顔で答えると、罰ゲームを受けた青年は真っ青になって叫んだ。
「なななな、そりゃあんまりですよッ!!」
それもそうだ。下手すれば、五百回し終わるまで延々とやり続けねばならない。しかも後になればなるほど、成功率は下がる一方だ。
しかし、妙に一致団結した仲間達は冷たかった。
「何だ、お前。出来ないのか?」
「それ位は出来て当たり前だろ」
「そうだそうだ。それなら筋力も鍛えられて一石二鳥じゃないか。なあ」
「ま、頑張れよー」
所詮は他人事である。
彼等も当事者なら、今頃必死になっているに違いない。筋力に自信がある者には大した事ではないかもしれないが、そうでない者には結構厳しい数である。恥ずかしさというものは皆無だが、誤魔化しが効かない分、ある意味過酷だ。
青年は見た所中肉中背でそこまで筋肉質という感じではない。ひょっとすると戦闘員でない可能性も高く、そうなると五百回は出来そうで出来ないぎりぎりの線かもしれない。
ちょっと酷だったかと思いもしたが、いまさら撤回も出来ないのでルウェンはあえて無言を貫いた。
「よーし、それじゃもう一勝負!!」
まず一段落着いた事で、また次の勝負の声が上がる。
しかしそろそろ夜も更け、不寝番の者以外はそろそろ就寝すべき時刻だ。それを理由に抜けようとしたルウェンだったが、周囲から猛反対を受けた。
「冗談じゃないです! なあ!」
「おお、勝ち逃げなんて許せるか!」
「せめてあと一勝負!」
ぎゃあぎゃあと四方八方から抗議され、ルウェンはやれやれとため息をついた。こういう展開になるのだったら、さっさと一回くらい負けておくべきだった。
「仕方ねえなあ……。じゃあ、あと一回だけな」
諦めて頷くと、周囲でわあっと歓声が上がった。
「よっしゃあ!」
「次こそは勝ぁつ!!」
「今度こそ!!」
何をそんなに、と言える程の盛り上がりに少々気圧されつつ、ルウェンは再びテーブルについた。
すると今度は誰が挑むのかという問題で揉め出した。俺が俺が、と名乗りを上げる中、やがて今の所、総合で勝ち数が多い者順という事に決まったらしい。
(──さて、こっからが問題だよなあ)
そんな彼等を眺めつつ、ルウェンは心の中で苦笑する。
勝つ気満々の彼等には悪いが、今回は最初から負けるつもりなのだ。そうすれば彼等も落ち着くだろうし、気持ち的な消化不良が起きずに抜ける事が出来るに違いない。
だが、問題はどうやったら彼等に疑問を抱かせずに負けるかという事だ。
普通なら勝ち続けるよりもずっと簡単のはずなのだが、今までが今までだっただけにあからさまに負けるのは非常に難しい。
しかもこういう時に限って、配られた札は良手揃いと来ている。こういう時は自分の妙な運の良さが恨めしく思うルウェンだった。
+ + +
「── ッ、よっしゃ来た!! 上がりィッ!!」
パシイッと、カードを台に叩きつける軽く鋭い音と共に、息の詰まるような緊迫した空気をを破ったのはそんな声だった。
それを共に、周囲からおおー! と野太い声が上がる。
結局、ルウェンが何とかわざとらしくなく負ける事が出来たのは、負けようと決めてから実に数ゲーム後の事だった。
負ける事がこんなに難しいなんてどうなっているんだ、と自分の強運に文句をつけたい位に疲れていたが、これでようやくこの場から解放されるというものだ。
やれやれ、と心の中でため息をつきながら、ルウェンはすでに勝者に決まっていた男に顔を向けた。
「……じゃあ、罰ゲームとやらを聞こうか」
歌えやら踊れやら、ともかく思いつくままに無茶な罰ゲームを適当に命じた身である。負けると決めた時点で、それなりの覚悟はしていた。
負けてじたばたと往生際の悪い言動をする者もいる中、ルウェンの態度は傍目には非常に男らしく見えたが、それがこの場から解放される為の苦肉の策だとは誰も思うまい。実際、そんなルウェンを流石だと尊敬の目で見つめる目は一つや二つではなかった。
だがいざルウェンが負けた所で、ネタが尽きつつあるのは誰しも同じだった。勝った男は思案顔で悩んでいる。赤い顔を見るに、酔いも彼の思考がまとまるのを妨げているようだ。
その内、痺れを切らした者からさっさと決めろ、だの野次が飛び始める。これにはルウェンも同感だった。
(いやもう、何でもいいんだけどな……)
もしや、自分に対して何か遠慮でもしているのだろうか。だとしたら、一言そんな必要はないとでも言ってやるべきかもしれない──そんな風にルウェンが考えていると、男はようやく何か思いついたらしい。
酔いが漂う男の顔に、何かを企むようなにんまりとした笑みが浮かんだ。
「決めましたよ、ルウェン殿」
「……聞こうか」
頷きつつも、何となく引き気味になる。何だか、やたらと嫌な予感がする。この手の予感は大抵当たるものだ。
周囲も何が出るかと、ごくっと咽喉を鳴らして男の発言を待つ。やがて男は、浮かれた顔でこれぞ妙案とばかりに、ルウェンに対する罰ゲームを命じた。
「──愛の告白をして下さい。ミルファ様に」