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天秤の月  作者: 宗像竜子
第四章 呪術師ザルーム
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第四章 呪術師ザルーム(13)

 一晩で廃墟となった街は、人々の努力によりかつての活気を少しずつ取り戻し。夕暮れ時には、以前と変わらず各家のかまどから出た夕餉の支度をする煙が空へ細く伸び始める。その煙を目にしたフィルセルは明るい声をあげた。

「やっと着きましたね、ティレーマ様!」

「ふふ。一時はどうなるかと思いましたが……、大きな怪我もなく何とか明るい内に辿り着けましたね」

 西へと太陽が傾き、その光が僅かにオレンジ色を帯びる中、二人はパリルの街の目前にまで辿り着いていた。街の方から吹いてきた風に乗って運ばれてきた、微かに漂う料理の匂いが、二人をほっとさせる。

 それは生活のにおい──人がそこに、いる証。生きているからこそ感じられるものだ。

 何しろ二人が森で遭遇したガーディは、襲われたらまず無傷では済まないと言われている。そんな危険に遭いながら、フィルセルが転んだ際に膝を軽く擦り剥いた程度で済んだのは、実際奇跡的な事だと言えた。

「ザルームさんのお陰ですね。後でもう一度、改めてお礼を言わせて頂かないと……」

 二人をあわやという所で救った呪術師──ザルームの姿を思い浮かべながらティレーマが呟くと、フィルセルも小さく唇を尖らせつつ同意の声を上げる。

「あたしも言いたいです。今回もすぐにいなくなってしまって、十分にお礼が言えませんでしたし。──ミルファ様のお呼びなら、仕方ないですけど」

 結局ザルームとは挨拶こそ交わせたが、彼がミルファから呼ばれたからとすぐに姿を消してしまったので会話らしい会話も出来なかったのだ。そこからパリルまでの道のりで、フィルセルとザルームの関わりを聞いたティレーマはくす、と小さく笑いを漏らした。

「あの方をよりにもよって『渡し守』と勘違いしたなんて……。ふふふ……っ」

「あっ、もう……! 忘れて下さいよ。だってあの時、本当に死ぬと思ったんですからね!!」

 ぷう、と頬を膨らませて抗議するフィルセルに、ティレーマは何とか笑いを治める。

 ──『渡し守』とは、生者と死者の世界を分かつ『川』で、死んだ人間の魂をあちら側へ運ぶとされる存在の名称だ。

 伝わっている姿形は恐ろしい化け物であったり、美しい女性であったり、地方によって異なる。だが共通事項がない訳ではなく、それは渡し守が渡す相手の前に姿を見せる際に全身を覆い隠すように黒い布を纏っているという事だった。

 言われてみれば、確かに目にしたザルームの姿格好に近い。

 しかし、身に着けていたのは黒ではなく黒みを帯びた沈んだ赤だったし、西領の末端にある主神殿周辺における一般的な渡し守の姿は『性別のない子供』とされている為、唐突に姿を現した時もティレーマ自身はそこまで連想しなかったのだ。

 だが、フィルセルは初めて彼の姿を目にした際、その時の状況から突如現れた彼を渡し守だと思い込み、ザルームに対して『あんたにまだ用はないわ、渡し守!』と言い放ったのだという。

 ──ちなみに、南領の都ライエ周辺では渡し守が『目の見えない老人』と伝わっているので、極限状態だったであろうフィルセルがそう思ってしまったのも仕方はないかもしれない。

「第一、いきなり何もない所から現れるんですもの。驚かない方が変でしょう?」

「ええ、確かにそうだと思いますけど……」

 気持ちはわかるが、助けようとした矢先に相手から渡し守扱いされた挙句『用はない』と言われたザルームは、さぞかし面食らったに違いない。

 先程簡単に挨拶を交わした程度の相手だが、只ならぬ気配を感じた人物だけにその様子や心境を想像するとどうしても笑いが込み上げて来るのだ。必死に自己弁護するフィルセルがまた、それに更なる拍車をかける。

(……ミルファに仕えているという話も本当のようだし、フィルやジニーとも顔馴染み。あまり話せなかったけれど、きっと優しい方なのでしょうね)

 そう思いつつも、ミルファと共に行動するようになったこの半月で、彼の話をまったく聞いていなかった事は少し引っ掛かる。

 ジニー経由というフィルセルの話では、彼は参謀的な役割を果たしている存在らしいが、今まで幾度もミルファと話をしたのに名前もそうした存在がいる事すら聞いていないのだ。

 それ程までに隠さねばならない存在なのか──それとも。

(まだ……普通の姉妹のようには、なれないって事かしら)

 心の内で苦笑する。

 十五年振りに顔を合わせてから、この半月で多少は打ち解けてくれ始めている気がするが、まだまだ完全には心を許してくれているとは言えない。血の繋がりこそあれど、十五年も顔を合わせなかったばかりか、帝宮にいた頃もろくに交流のなかった自分達がいきなり分かり合う事など不可能だろう。

 何もかも、違い過ぎる。今まで生きてきた環境も、生き方も。価値観や、きっと今まで見てきたものだって──。

 どうしても埋める事の出来ない距離がある。だから話してくれない事があっても仕方がないと、頭では理解している。それでも──。

(やっぱり、少し……淋しい、わね)

 関係ないと言われれば、そうかもしれない。

 自分は形だけとはいえ神官ではなくなったが、それでもこの手は誰かを傷つける事を躊躇ためらうだろう。自分が傷付く場面であっても、ろくに抵抗すら出来ないかもしれない。

 戦いの場においては、本当に何も役に立たない。時として足手まといになる事もあるだろう。それでもここにいるのは、ミルファが願ったから。側にいて、見届けて欲しいと望んだからだ。

(……いえ、それだけじゃない)

 何より自分自身が、そうしたいと思ったからだ。

(そうよ……。こちらから、聞けばいいんだわ)

 手を伸ばさなければ。足を踏み出さなければ。ただ向き合うだけでは、距離は決して縮まらないのだから。

 やがてパリルの街の入り口が見えてくる。どちらにしても、ミルファに帰還した事を報告しようと思っていたのだ。それと、自分が今日決めた重大決心についても話さなければならない。

 それにあまり話したくないが、あの木立で襲われた事にも触れておいた方がいいだろう。今後も人が通る可能性のある道だ。怪我人が出るような事は避けたい。

 ──それ以外にも、話をしたって構わないはずだ。報告のような事務的な事だけでなく、それこそフィルセルと今日話したような他愛のない事を話していけない理由はない。

 急には無理でも今ではたった二人の姉妹なのだ。家族なのだ。普通の家族とは少し形が違っても、その事実は変わらない。

(話を、しよう……ミルファと)

 ミルファも一つの軍を率いる立場だ。小さな子供でもないから、煙たがられるかもしれないし、詮索するなと牽制されるかもしれない。

 けれど、自分が今神殿を出てこの場所にいるのは、ただ黙って見ているだけの為ではなかったはず。

 助けたいと──支えたいと、そう願ったからのはずだ。

 戦いでは役に立たないのなら、それ以外の事で役に立てばいい。血の繋がった家族だからこそ、出来る事がきっとある。だから、まずは話し合う所から始めよう。

 まずは、そこから──。


+ + +


 軽く小休止を取った後、やけに静まり返った宿屋の廊下をティレーマは幾分緊張した面持ちで歩いていた。普段でも静かなのだが、今日に限ってはいつも以上に自分の立てる靴音が気になる。

 ただ妹に会って話すだけなのに何故こんなに緊張するのだろう。そう思いつつも、無意識に肩に力が入るのを止められない。

 まずは無事に戻って来た事の報告、それからこれから先も同行するつもりで神殿にいとまを告げてきた事──形ばかりだが、神官でなくなった事も話さなければ。

 後は道中でガーディに襲われた事と、その窮地をザルームに助けられた事と……思い返せば報告する事がいくつもある事に気付く。

(……あまり長居をしては、迷惑かしら?)

 ふと心配になるが、ここで遠慮してはいつまで経ってもこのぎこちない関係は変わらないと自分に言い聞かせる。

 時と人の手で磨きをかけられ、美しい飴色を帯びた階段を昇り、最上階の三階へと辿り着く。

 三階の一番左奥の部屋をティレーマが、階段を上がってすぐの部屋をミルファが使っている。一度部屋に戻り、簡単にでも身支度を整えてから尋ねるべきか考えたが、間もなく夕食の時間だ。

 ガーディに襲われた騒動で所々土汚れが気になるものの、ティレーマはそのままミルファを訪ねる事にした。ほんの少しだけ躊躇ためらってから、階段同様に月日を感じさせる扉を軽く叩く。

 しかし返ってきたのは予想しない静寂で、ティレーマは困惑した。この時間帯ならば自室にいるだろうと思っていたのだが──。

(いないのかしら)

 それならそれで特に問題はないが、意気込んでいただけに少し勢いを殺がれたのも事実だ。軽くため息をついて緊張を払うと、ティレーマは念の為ともう一度扉を叩き、声をかけた。

「……ミルファ? いませんか?」

 しばらく待ってみるが、やはり返って来たのは静寂だった。諦めて一度部屋に戻ろうとしかけた時──中で小さく物音がしたような気がした。

「ミルファ……?」

 寝ていた所を起こしてしまった可能性に思い至ったものの、ティレーマはすぐにその考えを否定する。いくら多忙を極めるミルファでも、他の人々が動いている状況で体調が悪くもないのに寝たりはしないだろう。

「ミルファ? あの……」

 それでもいつもならすぐに返ってくる声がない事に気が引けて、出直す事を告げようとした時、中から声が聞こえてきた。

「……。姉上……?」

 それは、確かにティレーマの腹違いの妹──ミルファのものだった。

 けれど聞こえてきた声は、一瞬別人のものではないかと思えるような、憔悴しょうすいしきったもの。

「──ミルファ?」

 驚いて思わず扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。

 何か──もしや急に体調でも悪くなったのではないか、その一心で扉を開くと、ミルファは部屋の中央で力なく座り込んでいた。

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