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天秤の月  作者: 宗像竜子
第四章 呪術師ザルーム
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第四章 呪術師ザルーム(5)

 主位神官の元を辞して、ティレーマは今まで私室として与えられていた部屋に向かい、荷造りをした。

 元々、私物は少ない。最後に服を着替えるべきか悩み──結局そのままでいる事にした。

 その胸元に、常にあった淡桃色の聖晶はない。

 今でも正式には西の主神殿の正神官であるティレーマは、身を寄せていただけのこの地方神殿では、実質的には還俗は出来ない。あくまでも形だけのものだ。

 主位神官もそれがわかっていて、『神官である事を忘れろ』と言ったのだ。だからこそ、ティレーマは自ら聖晶を手放す形でけじめをつける事にした。

 命の危険から持ち主を守るというそれを、主位神官は最初受け取ろうとはしなかったが、口約束だけでは先々問題になるかもしれないというティレーマの主張を受け入れ、最終的には受け取ってくれた。

 そもそも、神官の能力は聖晶に依る物ではない。身に着けていなくても聖女としての力は使えるし、神官としての術も使える。神官としてふさわしくない行いを取ったり、正規の手順で還俗しない限りは。

 今の状態のままならば主位神官がティレーマに聖晶を返し、またティレーマがそれを受け取る事を拒否しなければ、また元の神官に戻る事も不可能ではない。

 ──今だけ。

 全てが終わる時までの、限られた自由だ。だからこそ、ティレーマは神官服を脱がなかった。それは、戒めだ。この束の間の自由に溺れてしまわない為の──。

 こちらに戻って来る度に少しずつ整理や掃除をしていた為、準備はすぐに整った。部屋を出て玄関へと向かう。

 その途中で幾人かの神官達とすれ違ったが、彼等はこのままティレーマがここを離れるとは思っていないのか、荷物を持っていても特に気に留めた様子もなく、いつも通りの笑顔で会釈してくれる。

 当初は一人一人にきちんと別れを告げようと考えていた。けれど実際に別れを前にし、何となくこれでもいいような気がした。

 いつか必ずまた、ここを訪れる事を心に誓う。その誓いが自分の指針にもなるだろう。だから、お別れは言わずに。

 玄関先では共に神殿に来ていた少女がティレーマを待っていた。

「あ、ティレーマ様! 挨拶、終わったんですか?」

 医師も施療師もいなかった神殿に、怪我人の治療を目的に反乱軍から派遣されていた人々が数人、少し離れた場所で動き回っている。少女──フィルセルもその一人だった。

「ええ、待たせてしまってごめんなさい」

「大丈夫ですよっ。そんなに待っていませんから」

 従軍しているだけあって、肉体的にも精神的にも『大人』ばかりの医師団の中、最年少のフィルセルはどうしても目立つ。

 だが、その屈託ない明るさと人見知りしない性格は、パリルの、特に幼い子供達には歓迎された。

 施療師としての腕はまだまだだが、ともすれば沈みがちなパリルの民に、その前向きな明るさは必要なものだった。適材適所とはよく言ったものである。

 彼女を派遣する事に決めた人間がそこまで考えていたかはわからないが、いるといないのとではおそらく少々違う結果になっていただろう。

 ティレーマもまた、フィルセルの明るさに助けられた一人だ。

 何しろ、当然ながら反乱軍は知らない人ばかり、ついでに不信心者も多く、神官に囲まれて生きてきたティレーマにとってはなかなかに馴染みづらい場所だったのだ。

 しかもティレーマは本人の意識はさておき、皇女である上に、反乱軍を率いるミルファの姉である。どうしても遠慮が先に立ち、向こうからもおいそれとは近付いて来ない。

 そんな中、ティレーマに自分から声をかけて来た数少ない人間の一人がフィルセルだった。

「……あれ? ティレーマ様、聖晶は?」

 僅かな変化を目ざとく見つけて、不思議そうに尋ねて来る。一番最初に言葉を交わした時もそんな感じだった。


『それが聖晶なんですか? 紅水晶みたい。綺麗ですね~♪』


 ──それが第一声。

 ティレーマがミルファの姉という事はわかっていたようだが、好奇心が勝ったらしい。それ以来、気がつけば顔を合わせると話をするような間柄になっていた。

 フィルセルと一緒にいる所をよく目にするジニーという名の少年が言うには、自分はフィルセルに『懐かれた』らしい。ついでに何故か同情するような目を向けられたのだが、その真意は今の所不明なままである。

「来た時はつけてましたよね……? あ! も、もしかして落としちゃったとか!?」

 早合点して、自分が落としたように『大変、探さなきゃ!』と慌てるフィルセルに、ティレーマは思わず吹き出した。

「……何で笑うんですか、そこで」

「ふふ……、ご、ごめんなさい。ええと……、そうね、ここで立ち話をするのもなんだから、歩きながらにしましょう。フィルの方はもういいの?」

「はい、あたしは特に荷物とか持って来てませんし。他の人達も一晩様子を見て戻るそうです」

「そう……、じゃあ、行きましょうか」

 何事もなかったかのように促し、ティレーマは先に歩き出す。

 傾きかけた陽の光が、背後から道を照らし出す。途中で一度足を止め、背後を振り返りかけたが、結局そのまま振り返る事はしなかった。

 自由に──何物にも縛られる事なく。

 その言葉に背を押され、心の赴くままに信じた道を進む。だから振り返る必要はない。


 また、いつかここに戻って来るのだから。


+ + +


「ええっ!? 神官……辞めちゃったんですか!?」

 聖晶を手放した事と次第を聞いたフィルセルは、パリルへと続く街道のど真ん中でそんな驚きに満ちた大声を上げた。

 パリルの壊滅以来、すっかり往来の途切れたそこに二人以外の人影はない。

 いないが──その分、その声は必要以上に響き渡り、少し離れた木立からバササッと音を立てて驚いた鳥が飛び立つ程だった。

「フィル……。そんなに驚かなくても……」

「す、済みません……! でも、これを驚かずに何を驚けと言うんですか~~!?」

 フィルセルも一般の人々同様、ラーマナに対する特別な信仰心はなく、神官の事などろくに知らないが、聖晶が彼等にとって重要なものであるという認識はある。

 それをあっさりと手放したなどと言われて、驚くなという方が無理に違いない。言葉でも態度でもそう訴えるフィルセルに、ティレーマは苦笑するしかなかった。

 フィルセルでさえこれ程驚くのだ。他の人間もおそらく同様の反応を取るだろう。

(……ミルファはどうかしら)

 未だ完全には打ち解けたと言い難い、腹違いの妹の反応を想像してみるが、何故かフィルセルのように驚く気がしなかった。

 驚くよりもむしろ──。

(──怒る、かも……)

 感情の起伏をほとんど見せないミルファだけに、怒る姿も想像し難い所だが、驚くよりはまだしっくり来るような気がした。

 今更ながら、少々無謀な事をしてしまったかもしれないと思ったが、それでもこの選択は間違っていないと自分に言い聞かせる。

「いくら形だけでも……聖晶を身に着けていて神官ではありませんなんて、あまりに説得力がないと思いませんか? フィル」

「……それは、そう思いますけど」

 ティレーマの説明に一応は頷くものの、フィルセルはでも、と切り返す。

「──聖晶がなかったら、命の危険が増してしまうんじゃ……?」

 はばかるようにぼそぼそと言われた言葉は、的確にティレーマの痛い所を突いていた。

 そう──そこが問題なのだ。

 主位神官もそれを危惧して受け取ろうとしなかったし、ティレーマ自身はその事を理解した上で預けてきたものの、この点を突っ込まれると何も言い返せない。

 あの場でいざという時どうするかまで、これという方策を考えつけはしなかったのだから。

 命を狙われている自覚がないと思われても仕方がない。だからこそ、ミルファが怒りそうな気がしたのだが……。

「……わたくしも、ミルファのように剣の使い方を学ぶべきかしら」

 特に良い考えも浮かばず、何となく思った事を口にする。

 今まで殺生だけでなく傷つける事自体を禁じられてきただけに、剣が使えたからと言って反撃など出来ないだろうが、何もないよりは良いような気がしたのだ。

 しかし、それを聞いたフィルセルの反応は予想以上に激しいものだった。

「何言ってるんですか、ティレーマ様っ! そんな事する必要はありませんよ!!」

 拳を握り締めての主張に思わず気圧されながら、ティレーマは言い募る。

「で、でも、フィル。自分の身を自分で守れないから、問題があるのでしょう?」

「そうなんですけど、でも駄目です!! 確かにミルファ様はルウェンさんから剣の手ほどきを受けていらっしゃいますけど、ミルファ様の場合は南領にいた頃にしっかり基本を学んでいるんですよ? ティレーマ様は今まで、剣なんか触った事もないでしょう。もし……、うっかり手元が狂って怪我したり、か、顔に傷とかついてしまったら……!!」

 答えつつも、実際そうなってしまった場合を想像してしまったらしく、フィルセルの顔から、さああっと音を立てる勢いで血の気が引いた。

「いやああっ、そんなの許せませんっ!! ティレーマ様のお顔に傷だなんて!! ともかく駄目です、絶対に駄目ですっ。そうですよ! そういう事は本業のルウェンさんとかに任せておけばいいんです!! 兵士様には傷なんて勲章みたいなものですものっ!!」

 至極真面目な顔で、立て板に水の勢いできっぱりと言い切る。その迫力に負けて、間でまったく口を挟めなかったティレーマははて、と首を傾げた。

(ええと……? 今の主張だと、何だか命より顔の方が大事って聞こえた気がするのだけど……)

 実際その通りだったが、自身の容姿に関してまったく無頓着なティレーマは、まさかね、とそのまま流した。

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