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天秤の月  作者: 宗像竜子
第一章 皇女ミルファ
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第一章 皇女ミルファ(4)

 東領── 帝都より東側に位置するその場所は、他の地とは全く様相を異にする場所である。

 領地の大部分が海に覆われ、大小さまざまな島が多数存在するそこは、産業的な面では遅れと取るものの、戦略的な面で見る限り、これ以上戦いにくい場所もない。

 と言うのも、島と島の間を移動するには当然ながら船を使用するしかないのだが、その場を流れる海流は非常に気まぐれな上に複雑で、東領の民でも思うままに船を操れるようになるのに十年はかかると言われる程なのだ。

 土地の利は明らかに東の地を知る者にあり、下手に攻撃しようものなら、逆に痛手を受けかけない。

 同時にそのような場所であるが故に、各地で目撃される魔物の出現も格段に少なく、かつてはどちらかというと他よりも低く見られがちだったそこは、今では滅亡に瀕している北領や帝都などから人が流れて来るような有様となっていた。

 余りの多さに、現在では双方共に出入りを厳しく制限している。特に帝都からはどんな小さな刀剣を所持していても立ち入りが禁止される程だった。

 もちろん、それは皇帝からの侵略を警戒してのものなのは明らかだ。

 何しろ、東領には現在、今は亡き東領妃が産んだ皇子がいる。名をソーロン=トゥレフ=ガロッドといい、現皇帝の第一皇子だ。

 彼は皇帝乱心後、速やかに母の生地である東の地へ下り、一年後そこで挙兵した。

 土地の利と、何より現在唯一生き残っている皇子という事もあり、同様に挙兵したミルファが周囲の理解を得るのに苦労したのと引き換え、兵を集める事も特に苦労せず、帝軍とも今までほぼ互角に渡り合っている── が。


+ + +


「…もう五年だ」

 眼下に海を見下ろす東領主の館の一室で、彼── ソーロンは忌々しげに呟いた。

 父譲りの栗色の髪を乱暴にかき上げながら、どさり、と革張りの椅子に腰を下ろす。

「いい加減に痺れが切れてきたぞ。我が父上は、一体何を望んでいる?」

 苛立ちを隠さない言葉に、部屋の隅で控えていた青年が仕方なさそうに答えた。

「…殿下のお命では?」

「そんな事はわかっている! …問題は、私や妹の命を奪ってどうしようとしているのか、だ!」

「そんな事、皇帝陛下に直接聞かないとわかるはずないじゃないですか」

 言葉はそれ以上とないものだったが、答えた青年の口調はおよそ真剣みというものが欠けている。

 嫌な予感がしてソーロンがふと声の方を見ると、青年は自分の愛刀を今にも鼻歌交じりになりかねない様子で磨いていた。

 仮にも主人に当たる人間を前に取る態度ではない。その無礼甚だしい態度にかっと頭に血が昇るのを覚えると同時に、ソーロンは怒鳴っていた。

「ルウェン! 貴様、それが剣の主を前にして取る態度かッ!?」

 その怒りの声に対し、ルウェンと呼ばれた青年は一瞬目を丸くしたものの、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

「だって仕方ないでしょう。殿下のそれ、今までに何度聞いたと思ってるんですか」

 向けられた赤紫の瞳は、あからさまに呆れている。

 その視線に更に頭に血が昇りかけたソーロンだったが、彼の言い分にも納得する部分もあった為に、ぐっと怒りを飲み込んだ。

 自分でも最近、落ち着きがないと思う。あまりにも長く続く均衡状態に、精神が耐え切れなくなりつつあるのか。

 ソーロンは小さくため息をつく事で怒りを散らすと、出来るだけ穏やかな口調を心がけて彼の信頼する部下に謝罪した。

「…済まない」

「イライラする気持ちもわかりますよ。私もいい加減、事態がもう少し動かないかと思ってますしね」

 言いながら、すっかり磨きあがった剣を鞘に収める。

 主人の前で剣を手入れするなど、本来ならあってしかるべき事ではない。普通なら主の許しがなければ剣は抜いてはならないはずだ。

 けれどもソーロンはその事に関しては特に気にした様子もなく、彼がするように任せていた。

「腕を振るう場所がなくて、不満か? 『返り血のルウェン』?」

 苦笑混じりに尋ねられ、ルウェンは軽く片眉を持ち上げる。

「とんでもない。この剣を振るう機会がない事はいい事ですとも」

 だが、神妙に答える口調に対して、何処か不敵なものを感じさせる笑みはその言葉を裏切っていた。

 やれやれ、と今度はソーロンが呆れる番だ。

 『返り血のルウェン』── その何処か血腥ちなまぐい二つ名は、普段の彼を見るに相応しいもののようには思えないのだが、時としてその名が決して伊達や酔狂でつけられた訳ではないと感じる時がある。

 飄々(ひょうひょう)とした言動の裏にある、好戦的な面が覗いた時、それなりに付き合いの長い彼も『こいつは敵に回したくない』と思う。

 残虐性がある訳ではないし、戦場に立つと人が変わる、という訳でもない。

 ただ── 感じるのだ。この男が、『戦う事を心の底から楽しんでいる』事を。

 人の命を奪う行為に対する罪悪感を知らないのではないか、そう思える程。見ていると命をかけた渡り合いなのに、まるで試合を勝ち進んでいるような錯覚を感じてしまう。

 …おそらく、その感覚は危険なものだ。

 なのに何故か、平和な時代に育ち、ろくに戦いの場を知るはずがないというのに、戦いを渇望するような様子を見せる彼に気付くと見入っている。

 戦う為に生まれたように、生き生きと剣を振るう彼はそこにいるだけで士気を高めた。

 そして── 彼が戦場に立った時、どんなに困難に思える局面でも必ず事態は好転するのだった。…彼の活躍によって。

 元を正せば皇帝に士官していた身で、その乱心後に皇帝を見限って東の地へ流れて来たという身の上ながら、気がつくとルウェンという男は、東領にとっても、ソーロンにとっても、なくてはならない存在になっていた。

「…わからないと言えば」

「なんだ?」

「相変わらず、妹君はこちらからの手を突っぱねているんですか?」

 ふと思いついたようなルウェンの質問に、ソーロンは苦虫を噛み潰したような顔になる。それは彼の苛立ちを募らせる要因の一つでもあったからだ。

「── ミルファ、か」

 現在生き残っている、二人の異母妹の一人。

 母が違えば、自ずと顔を合わせる機会も少なくなる。その上に、彼とミルファでは年が十歳近く離れている。

 直接会って話した事など年に数える程だったし、しかも最後に会ったのはミルファが十二の誕生日を迎えた宴の席だ。

 五年後の姿など想像もつかないし、どういう少女なのかなど、当然わかるはずもない。

 それでも最初の内は、生き延びた末の妹という事で、ソーロンは特に悪感情を抱かなかった。むしろ、逆に長兄である自分が庇護せねばと思ったくらいだ。

 …が。

 それは二年前までのこと。

 何を思ったのかミルファは、十五の若さで父に対して挙兵した。それはソーロンの、ミルファに対する感情を塗り替えるのに十分な出来事だった。

「あれが何を考えているのか知りたいとも思わないが、状況というものをもう少し考えて欲しいものだ」

「兄である殿下を差し置いて、自ら立ち上がった事ですか」

「そうだ。下手に出てやれば調子に乗って…十七の小娘に何が出来る!?」

「何がって…でもお言葉ですが、殿下。この二年の妹君の評判はこの東の地にも聞こえて来るほどですよ? 少しは認めてやっても……」

「だからこそ、だ!」

 拳を机に叩きつけての言葉に、ルウェンはおや、と目を見開く。

 元々、ソーロンは感情で人の良し悪しを決めるきらいがあるが、ミルファに対するそれは、少々度が過ぎているように感じられた。

 それは、ひょっとすると同族嫌悪のようなものかもしれないが、そういう感情はルウェンには理解出来ないものだった。

「あれはわかっておらんのだ。父を討つという事も、兵士の命を預かるその重さも。自分の身に降りかかった悲劇に酔っているだけだ。そんな者が皇位を望むなど…許される事ではない……!」

「……」

 一方的に決め付ける言葉に、ルウェンは反論を口にしかけて、結局やめた。ここでそんな事を言えば、火に油を注ぐだけだろう。

 ルウェンが聞いた限りでは、皇女ミルファはソーロンが言うような、勘違いも甚だしい人物のようには思えなかった。

 第一皇子という立場に付け加えて、東領という地形的にも恵まれた場所に拠点を持つソーロンと比べ、ミルファは末の皇女という身分といい、大して大きくもない川を挟んで帝都と陸続きという悪条件を持つ。

 にも関わらず、二年という短い期間の間に、徐々にだが力を増し続けているのは、偶然や強運で片付けられるものではなく── むしろ逆に堅実さと根気強さ、そして人望の厚さを感じずにはいられない。

(…よく考えれば、あの皇帝の右腕とも言われた南領妃サーマの娘だ。政治的手腕も、このお坊ちゃんよりずっと上かもしれないな……)

 かつては皇帝に仕えていた身だ。

 四人いた皇妃の中でも南領妃を冠せられた人物が、長い歴史の上でどれ程に稀有けうな存在だったのか、聞くともなしに知っている。

(ま、直接見てみなきゃ、どんな女かわからねえけどな…って、今の所は会う予定すらないが) 

 心の中で一人ごちて、ルウェンは未だに不機嫌な顔をした剣の主に声をかけた。

「そろそろ軍議の時間のようですが?」

 その言葉にちらりと卓上の時計に目を向けたソーロンは、はあ、と小さくため息をついた。

「…先に行け。少し頭を冷やしてから行く」

「了解しました。では、先に失礼いたします」

 疲れたようなその言葉に、ルウェンは床に跪くと礼を取り、慇懃無礼いんぎんぶれいにも取れる口調でそう言うと、ソーロンをその場に残して退出して行く。

 その背が扉の向こうへ消えてしまうのを見届けながら、ソーロンはもう一度ため息をついた。

 …自分でもわかっているのだ。ミルファに対して、何処か意固地になっている事を。

 だが、庇護しようと伸ばした手を拒み、それどころか肩を並べようとする母親の違う妹の事を、どうしても認められない。

 女だからと軽く見る訳ではないが、未来の皇帝として勉学だけでなく武術などにも励んだ日々を過ごした自分と、ただ母親や周囲の大人の愛情に包まれ、甘やかされて育ったであろう妹とでは、そもそも心構えが違うと思うのだ。

 ── しかし、ソーロンは失念していた。

 ミルファが挙兵するまでの三年の時間の内、最初の一年は帝宮での生活とは正反対の、生きるか死ぬかの瀬戸際の生活を送っていたという事を。

 その後の二年、ただ無為に日々を過ごしていた訳ではない事を──。

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