第三章 聖女ティレーマ(6)
「神官にも上下の別があり、それを位階と申します」
立ち話も辛いだろうと、適当に広げた敷布の上に思い思いに腰を下ろした中、ザルームの声だけが響く。
「最上位は帝都に置かれし大神殿の長──主席神官。その下にその補佐となる三人の次席神官……、東西南北に置かれた主神殿に置いても、さらにその下に置かれた地方神殿にも同様のものが存在し、実際には非常に複雑なものとなっています。たとえば、大神殿の最下位に当たる見習い神官は、見習いでありながらも主神殿の役付き神官と位の高さが等しいといった具合です」
そこで語られる内容はルウェンの知らない事ばかりで、ザルームの博識さがそれだけでも窺い知れた。二人は感心しつつも、ただ黙って話に耳を傾けるばかりだ。
「ただ、この位階は単純にその能力を示すもので、ルウェン殿のような兵士の上下のそれとは大きく異なります。呪術の世界においても上位下位の別はありますが、呪術師は基本的に単独行動が基本なのでそこまで厳密ではありません。言うならば位階は全てが名誉職というか、役職的なものなのです。ですが逆を言えば、努力でどうにかなるものでもない」
そこで一度言葉を切ると、ザルームはその手を持ち上げる。
長い袖から出されたまるで骨に皮だけ被せたような肉白い手に、ルウェンは思わず息を飲んだ。その骨ばった掌を上に向けると、ザルームは布の内で低く呟く。
「──メイ・イルシュ・フォルン」
すると一瞬にしてその掌に拳大の炎が生じ、ゆらりとその身を揺らした。
「お、おい!?」
「ザルーム様!?」
大きくはないと言え、確かに伝わる熱と存在感に二人は揃って青褪める。
だが、ザルームの掌は炎を乗せても焼ける事はなく、そこに燃えるものなど何一つないのに炎は二人の視線の先で燃え続けた。
「……ご心配なく。呪術の炎は基本的に術者を傷つけはいたしません」
言うや否や、ザルームはその掌の炎をいきなりぎゅっと握り締める。
「っ!!?」
大丈夫だと保障されても、目と心に優しい光景ではない。ジニーに至っては、叫びこそしなかったものの、すでに涙目になっている。
一体今のは何だったのかと思いながらも、思わず手にかいた汗を服の裾でさりげなく拭い、ルウェンは今の行動の意味を問うた。
「──今のは?」
対するザルームは、その問いが来るのを見透かしていたようにごく普通の口調で返答する。
「今のが”呪術”です。私の術力とこの場に存在する要素を──今回はわかりやすく火の要素でしたが──『言葉』により結び合わせる事で生じるもの。つまり術力が弱くとも、その場の要素が濃い場合は比較的大きな術も使えるという事でもあります。ところが、神官の場合そういう事はまず有り得ません。何故なら彼等の力──神力は、自分自身の持つ力だけで行使されるからです」
「……? それで、それが『聖女』とどう関係するっていうんだ?」
「大きく関係します。まず『聖女』は神官でありながらも、その位階制度を無視した存在であり、そしてその神力は通常とは違う形で発露するのです」
そろそろ混乱し始めた頭に、ザルームの核心とも言える言葉は馴染まない。
首を傾げるジニーとルウェンに、ザルームは気を悪くした様子も見せずにさらに噛み砕いて説明した。
「つまり……、ティレーマ様を例に挙げるならば、あの方は位階においては西の主神殿の正神官──見習いより上という低い立場に過ぎませんが、『聖女』としての力を持つが故に特別扱いをされているのです。位階が役職ならば、『聖女』というのは称号と捉えると近いでしょう。……もっとも、ティレーマ様の場合、その聖女としての力の為により複雑な立場に置かれているようですが」
「複雑……? 聖女である事に何か問題でもあるのか?」
多少飲み込めたものの、謎が謎を呼んでいるようでなかなか頭の中が整理出来ない。ザルームの説明が難しいのではなく、神殿の在り方が元々非常に複雑なのだろう。
しかも呪術師よりも馴染みのない世界の話だ。特別扱いと聞いてもどう悪いのかピンと来なかった。しかし、ジニーはその言葉に何か思い当たったようだ。もしかして、とおずおずと口を開く。
「あの……、皇位継承権の問題ですか?」
その言葉は正鵠を射ていたらしく、ザルームはゆっくりと頷いた。
「他の主神殿にいる聖女達は皆、その能力によりそれぞれの重職につかれています。一番有名なのは、南の主神殿に在する聖女マラーハ。彼女は聖女であると同時に、次席神官という要職を担っています。他の聖女達も同様に何らかの役職を持っていますが、ティレーマ様はどんなに能力が秀でていようと、現在の立場から上に上がる事はありません。それは全て──神官であると同時に皇女である為なのです」
「ちょっと待った。何で皇女だと……上の位になれないんだ?」
「そんなの決まってるじゃないですか。正神官よりも上の……ええと位階? になったら、万が一の時に還俗出来なくなってしまうからですよ」
「は? 神官ってのは、一度なったら一生じゃねえのか?」
今まで全く縁のなかったルウェンには未知の情報だったが、ジニーが知っている所を見るとそれは比較的一般的な知識だったらしい。
てっきり神官とは神殿に入った時から神官として生きる事が決まっているのだと認識していた。手に聖晶を持って生まれてきたその時点で、先の人生も決まっているのだと──。
驚きを隠さないルウェンに、ジニーが苦笑する。
「違うそうですよ。僕もそこまで詳しくは知りませんけど……いくら聖晶を持って生まれたからって、必ずしも全てがラーマナに対する信仰心を持てる訳じゃないでしょう? 正神官までは一般の成人のように全ての見習いが対象になるみたいですけど、そこから先は本人の意思が尊重されるらしいです」
「……という事は、あれか? 聖女ティレーマは神官として生きたいと望んでも叶わないって事か──皇女であるせいで」
言いながらも、ルウェンの顔は困惑としたものへ変わる。複雑というよりは、中途半端な扱いという感想を抱いた。その思いはザルームも同じらしく、続いた言葉は何処か重かった。
「皇族の血は何よりも優先されるものです。皇帝の不在は在り得ない。その為にも必ず『皇帝』を継ぐ存在がいなければならないのです。せめて……『聖女』の力を持っていなければ、まだ現在の状況を甘受できたかもしれません。しかし困った事に、ティレーマ様の力は他の四人の聖女よりも強いようです。だからこそ、神殿側も出来る事なら手放したくないと考えているようですが──」
一体何処からそんな情報を仕入れているのか、ルウェンは驚くよりも疑問に思った。
ザルーム自身は『世間一般よりは詳しい』と言っていたが、今話している事は神殿内部の人間でもなければ知らない事ではないだろうか?
先程聞いた、動かずにして周囲の事を探れる呪術で調べでもしたのだろうか。随分と内情に通じている気がするのだが──。
「……。それで聖女の力って、一体どういうものなんですか?」
ルウェンがそんな疑問を考えている横で、ジニーがふと思いついたようそんな事を口にする。
そもそもザルームに会いに来た目的を思い出し、ルウェンも促すように視線をザルームに向けると、ザルームはしばし言い淀むように沈黙した後、静かに口を開いた。
「──『癒しの奇跡』」
「……癒し?」
「はい。聖女の力はそう呼ばれています。あらゆる病も命に関わる怪我も、完全に治癒させてしまう──それも、ごく僅かな時間で。元々、神官は大なり小なり他者に対する治癒能力を持っているのですが、どちらかと言えば本人が持つ治癒能力を高める程度のものに過ぎません。これは当然、呪術でも不可能な事です。しかし、彼女達はそれを覆してしまう。……調和を司るラーマナに仕える神官の中で、最も尊ばれると同時に、最も異端に属する者。それが──『聖女』です」