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天秤の月  作者: 宗像竜子
第二章 騎士ルウェン
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第二章 騎士ルウェン(24)

 セイリェンの戦いから、明けて十日。

 今回の戦いで被害にあった街の復興も進み、人々に本来の活気が戻りつつある頃、ルウェンの元を訪れた者があった。

 数日前に今回の働きを評価され、正式に皇女ミルファへ騎士として仕官する事が決まり、一躍英雄扱いを受ける事になった身である。

 そんな彼に会いたがる者は少なくなく、与えられた宿の一室へ来客がある事自体はそれほど珍しいものではなくなっていた。

 その為、特に気にもせずに叩かれた扉を開いたのだが──その向こうにいた人間の顔を見た瞬間、彼は見事なまでに固まった。

 にこやかで明るい、無邪気な笑顔。南領の人間には多い黒髪は肩の上辺りで切り揃え、緑を帯びた茶の瞳は悪戯っぽく輝いている。

「フィ……、フィル……!?」

 思わず名を口にすると、その笑みは一層深まった。そう、そこにいたのはかつて彼の看護人兼監視人だった施療師見習いの少女──フィルセル=リッド=マグリス、その人だったのだ。

「お久し振りです、ルウェンさん♪」

「久し振りって、お前、南の領館に残ったはずじゃ……!?」

 あからさまに動揺するルウェンに、フィルセルはむっとしたように唇を尖らせて抗議する。

「なんですか、その迷惑そうな言い方! 仕官が正式に決まったって聞いたから、こうしてわざわざおめでとうって言いに来たのに」

「だ、だってな……」

 フィルセルの言い分ももっともだったが、ルウェンがそんな態度を取ってしまうのも仕方がないと言えば仕方のない事だった。

 このまま帝都に向けて進軍するなら、おそらく全てが終わるまでは会う事もないだろう──そう思っていた人間が、いきなり前触れもなく現れたのだ。しかも……少々、思い出したくない記憶がある人間が。

 悪い事に今回の戦いで彼の傷は増えており、完治していない傷を抱えて極限まで身体を酷使した結果、二日程倒れていた身である。

 果たしてそれを知られたなら、どんな説教(あるいは肉体的制裁)が待っている事かと本気で怯える彼は、とてもではないが魔物の集団相手に勇敢に戦い、大活躍した人間には見えない。彼を英雄だと慕う人間には到底見せられない姿である。

「来たって……。そういや、お前一人なのか? ジニーは?」

 怪我の事に話が及ぶのを避け、さりげなく(少なくとも彼はそのつもりだった)話題を変えると、フィルセルは特に気にした様子もなく、笑顔のままあっさりと答えた。

「来てますよ? 今は上官の方の所に挨拶に行ってます。その内、こっちにも顔を出しに来ると思いますよ。……と言うか、今回はジニーが従軍する事を志願したんで、それじゃあとあたしも便乗したんですけどね。医師とか施療師の人間は多くはないし、人手はいくらあってもいいと思いましたし」

 そのあまりにも気軽な物言いに、ルウェンは思わず頭を抱えた。

 わかって、いるのだろうか。

 ここから先は戦いの連続になる可能性は高い。つまり──それだけ命の危険も増すのだ。

「フィル……お前な、これは物見遊山とは違うんだぞ? ったく、よく保護者が許したな」

 つい説教じみた事を口にすると、フィルセルは僅かに小首を傾げて答えた。

「保護者なんて、もういませんけど。あたしにも、ジニーにも」

「……!?」

「だから、ちゃんと自分で考えて決めたんですよ。危険なのはちゃんとわかってますから」

「……」

 自分で蒔いた種ながら、予想外の結果にルウェンは何も言えなかった。

 確かに今の時代、大人になる前に両親を失う子供は少なくない。……否、むしろ多い。ルウェン自身、幼い頃に流行病で家族を一度に失った身である。

 そういう現実を理解していながら、無神経に『保護者』という言葉を口にした事に反省の念を抱いていると、いつの間にかすぐ側に近寄ってきていたフィルセルが彼の顔を見上げてにこり、と笑った。

(──!)

 それは、かつて南領で療養中に幾度となく見た特徴的な笑顔。

 ヤバい、と思った時には遅い。フィルセルは笑顔のまま、その手で景気付けるようにスパーンと彼の胸を叩いていた。

「~~~~~~ッッッ!!!!?」

「もうっ、何を暗い顔してるんですか、ルウェンさんらしくないですよっ!!」

 ぎこちない空気を吹き飛ばす、明るい声。

 しかしルウェンはそれ所ではない。東領で負傷し、ようやく治りつつあった肋骨に受けた衝撃に声すら出なかった。脂汗を流しながら、無言で耐える。

 そんな彼をきれいに無視して発展途上の胸を反らすと、フィルセルはまるで宣言するように言い放った。

「まあ、安心してくださいね。これからはあたしがいますから、怪我をしても大丈夫! 心置きなく戦ってください。死んでさえなければ何とかしますから♪ ねっ?」

 それは何も知らない者が聞けば微笑ましい限りの発言だったが、言われた当人の顔は見るからに引きつった。

 引きつったまま──その口元に無理矢理笑みを貼り付ける。実に涙ぐましい努力である。

「あ、ありがとよ……、心強い……な……」

「はい! どーんと大船に乗ったつもりで任せて下さい!」

「あ、ああ…ハハハ…」

 表面上は何とか笑顔を浮かべながらも、ルウェンは心の中でこれからは何があろうと重傷を負う事は避けねば、と心に誓っていた。


+ + +


 その翌日。全ての船を失くし、魔物相手の血戦が行われた港で、鎮魂の儀式が執り行われた。

 死傷者の多くはその魔物との戦いで出たものである。その中には帝軍に属する人間も多く含まれていた。

 そんな彼等の魂の安らかな眠りを祈る為に、ミルファは地方神殿からわざわざ神官までも呼んだ。今までの戦いではなかった事だが、人々はそれを歓迎した。神官による鎮魂を彼等も望んだ為だ。

 何しろ、今回の死者はほとんどが普通の死に方をしていないのだ。

 普通の葬儀が行われる時も大抵水場が選ばれる。それは命を失った者は『河』を渡り、そこで全てを洗い流されて無に帰すと考えられているからだった。

 簡略ながらも祭壇が設えられ、そこに派遣されてきた神官が立ち、厳かに聖句を唱え始める。


「──ここに哀れなる魂が為、祈りを捧げん。唯一の神にして、秩序を司りし神ラーマナよ。死の運命に殉ぜし子等の魂を導きたまえ。迷う事なく河岸を渡れるよう、手を差し伸べたまえ。彼等の魂が癒され、再び生命と身体を得る時まで、穏やかなる眠りを享受するよう祈らん。──新たな生において、この者達に祝福と幸があらん事を」


 それは死出の旅に出た魂を送る弔いの言葉。何一つ持って行く事の出来ない彼等への唯一のはなむけ──。

 先の生にて不幸の中で死んだものは、次の生ではより幸福になれるという。それを信じて祈る事だけが残された者に出来ること。

 しめやかにその儀式が終わると、ミルファが代わって立ち、その場にいる人々を見渡した。設えられた壇上には上がらず、人々と同じ高さに立った彼女はそこで宣言した。

 曰く──『これより皇帝を討つべく、帝都に向けて進軍する』、と。

 その言葉を、その場にいた人間は真摯な眼差しで受け止める。ついに時が来たのだと彼等は肌で感じていた。何か目に見えない、大きな流れが動き出す──そんな感覚を。

「今回の戦いで多くの血が流れました。喪われた命を贖う事は出来ません。しかし……これ以上、必要のない血が流れる事は防げるはずです」

 しん、と水を打ったような静けさの中、シェリス河から聞こえる水音とミルファの凛とした声だけが響く。

 それは何処か厳粛で、さながら先程の儀式の続きのようだった。

「私の為に戦う必要はありません。あなた方の大切なものを守る為に、あなた方の幸せの為に……、私が望むのはそんな自ら戦う意志。それがなければ、これから先の戦いは決して切り抜ける事は出来ません」

 淡々と訴えかけるミルファの言葉は、彼等の耳を打ち胸に届いた。食い入るように彼等はそこに立つ一人の少女を見つめる。

 彼等の命を預かる──将来、彼等を治めるかもしれない少女を。

「──忠誠は無用です。現状を許せず、元の平穏を取り戻したいと望む意志があるのなら、私と共に参りましょう。……あなた方の手を、貸して下さいますか?」

 忠誠心ではなく、自分の意志で──そう告げたミルファに、彼等は一瞬沈黙した。

 従え、と命じられるのには彼等は慣れていた。そしてそれを受け入れる事も当たり前になって久しかった。……それが自分の本心にそぐわなくても。

 だが、ミルファはそんなものはいらないのだと言った。欲しいのは志を同じくする人間──『同志』なのだと。

 それは本来ならば人にかしずかれて当然の皇女が口にするはずのない言葉。だからこそ、彼等は咄嗟に反応が返せなかった。

 だが──緊張に満ちたその沈黙は、次の瞬間、割れるような歓声によって破られていた。

 口々に自分の名を呼び、笑顔を見せる彼等に、ミルファもまたその面に笑みを浮かべて応える。

 それはぎこちなくも随分と長い事封じられていた、心からの笑顔だった。それ故にそれは強く心に焼き付く輝きに満ちていた。さらに歓声は高まる。

 権力でもなく、武力でもなく。

 ミルファはその言葉と笑顔で、彼等の心を掴んでいた。忠誠を望まなかったが故に、逆に確固たる忠誠心が彼等の中に生まれる。皇女ミルファ──彼女にならば、命を預けられると。

 ミルファはまだ年若く、同じ年頃の娘達に比べ、どちらかと言えば華奢で非力に見えた。けれど、彼等は確かにその時、その姿に新しい時代に続く光を見たのだ。


+ + +


 その後、多くの人々が見守る中、一人の兵士が皇女ミルファへ剣を捧げた。

 今回の戦いで多大なる働きを見せ、正式な騎士としてミルファへと仕官する事になった男の名はルウェン=アイル=バルザーク。

 それは遥か後世まで語り継がれる事になる、『不敗の騎士』ルウェンの名が歴史に刻まれた瞬間であった──。

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