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天秤の月  作者: 宗像竜子
第一章 皇女ミルファ
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第一章 皇女ミルファ(2)

 狂帝が何故、自らの血を分けた子を殺そうとしているのか── その理由は依然不明のままだ。

 ただわかっている事は、皇帝の目的はあくまでも皇子・皇女の殺害にあり、それぞれが逃亡した先── ミルファの場合は、実母の実家だ── を滅ぼそうとしている訳ではないこと。

 事実、皇帝は宣戦布告する際に、攻撃する場所に対して、必ず次のような事を付け加える。

 曰く──


『我が目的はその地に滞在する皇子(皇女)の身柄に過ぎぬ。その身柄をこちらに引き渡すのであれば、これ以上の進軍も侵略もない』


 乱心したとは言えども、この世界を統べる皇帝の言葉だ。

 その言葉に従い、その地の安全を守る為に、その地を頼った皇子を差し出した場所があった。

 しかし、その地は確かに皇帝によって滅ぼされる事はなかったが、代わりに何処からともなく現れた魔物が横行し、最終的には多くの人命が喪われる事となった。

 その二つの出来事は、客観的に見て関連性がない。

 だがその事は、その後の人々の動向を決定的に変えた。

 と言うのも、目に見えてわかる人災よりも、普通の人間には追い払う事もままならない魔物の出現の方を恐れたからだ。

 そして、少なくとも現在、皇子・皇女が存在する北領を除く三方では、魔族出現の報告は皆無ではないがその出現率の差は歴然だった。

 そこに何らかの関わり合いがあると考えるのは、人として当然の結果だろう。

 …そうした例がなかったなら、場合によっては今頃ミルファも犠牲となっていたに違いない。

 逆に言えばそうした例があったからこそ、彼女が南領に辿り着いた時、その地の民は彼女を暖かく迎えてくれたのだ。


+ + +


「…もう、五年……」

 自室に篭ると、ミルファはぽつりと呟いた。

 ふと目を窓の外に見える青空に向け、その唇に微苦笑を浮かべる。

 あの空はここから遠く離れた帝都に続いている。その中心にある帝宮にいる父は、今も自分の死を願い続けているのだろうか。

 ── そう考えるだけで、胸が痛む。

 何度も命を狙われて、死地に遭遇したのも一度や二度ではないと言うのに、どうしていつまで経っても父の事を心の底から憎めずにいるのだろうか。

 決して口にする事はないが、ミルファは挙兵してからもずっとその事を思い悩んでいた。

 皇帝として多忙な日々を送るだけでなく、ミルファの母であった南領妃以外に三人の妻がいた事もあり、実際に父である皇帝と触れ合った記憶はそれほど多くはない。

 けれどもその数少ない思い出の中、父は確かにミルファを可愛がってくれた。

 遠乗りに連れて行ってくれた事もあったし、そんな時間がない時は一緒に中庭で花を眺めたり、他愛のないおしゃべりをした。

 大きく暖かな手。自分の拙い言葉を、聞き流しもせずにきちんと受け止めてくれた大好きな父。

 …そんな暖かな記憶を、どうしてもなかった事には出来ないのだ。

(何故、お父様は私達の命を狙うのだろう……)

 そもそも、彼が乱心した原因もわからない。一体何が、父を変えてしまったのか。

 それ以前にミルファには、あの廃屋で目覚める以前、父が乱心した辺りの記憶がほとんど残っていなかった。何かを見た気もする。それも── 出来る事なら、見たくはなかったものを。

 もしかしたら、その『何か』に父の乱心した原因の一端があるのかもしれないのだが、どうしてもそれを思い出せないのだった。

 あるいは── その可能性が大きいが── 自分で思いだしたくないと、心から願ったのか。

(…一体、私達の死にどんな意味があるのだろう……?)

 魔物の出現と自分達の命に実際に関わりがあるのだとしても、それがどういうものかがわからない。

 この南領に辿り着いてから、それなりに手を尽くして過去の文献などを調べたものの、かんばしい結果は上がらなかった。

 考えれば考える程、重く沈んでいく心。無意識に手が動いて、ミルファは胸元をぎゅっと握り締めた。

 華奢な身体を包むドレスは暗く落ち着いた色合いで、どちらかと言うと質素なもの。その布地を通して、指先は一つの感触を確かめる。

 硬い、石のようなその感触に、ミルファの表情は僅かに和らぐ。

 目は未だ窓の外に向けられたまま、けれどもそこに見ているものは、もう遥かな地にいる父の事ではなかった。

「…ケアン……」

 そっと静かに呟いて、ミルファは服の下からそれを引っ張り出した。

 爪の先程の、空の色をした丸い石。それを持ち上げると、ミルファはその石に面影を重ねるようにじっと見つめた。

「あなたは…今、何処にいるの……?」

 無意識に口調は幼い頃のそれになる。

 彼女の首にかけられて、普段は服の下に隠されているその石は、限られた人間だけが持つ『聖晶』と呼ばれるもの。

 それはミルファ自身の物ではない。あの廃屋から逃げる最中、いつの間にかミルファの首にかけられていた物だ。その存在に気付くと同時に、それが示す意味にミルファは青褪めた。

 それは守り石。神の祝福を受けて生まれた人間を、身の危険から守ると言われるもの。

 それを本来の持ち主ではない自分が持つ事実、そして目が覚めたその場にその持ち主がいなかったという事実に、身体が震えた。

 聖晶を持って生まれてきた者は、物心がつくと家族の元を離れて各地に置かれている神殿に入り、神官となる為の修行に入るのが常だ。

 その神殿の最高峰が帝都にある大神殿で、そこに入るには相応の能力が必要になると言われている。

 今、ミルファが持っている聖晶の本来の持ち主── ケアンは、その大神殿の長く続く歴史上、最年少の記録を塗り替えて神殿入りした少年だった。

 皇帝が乱心した当時、十四歳。ミルファより二つ年上の彼は、ミルファの遊び相手兼先生だった。

 引き合わされたのは八歳の頃。

 七歳にして大神殿に入ったケアンは、もうその頃には神官見習いとして日々の勤めを果たしており、大神殿の長である主席神官の覚えも良く、成人とみなされる十五歳を待たずに正神官になるのではないかと言われる程だった。

 ミルファは彼から儀礼用の作法や、独特の表現や文法、言い回しを学んだ。

 正式な神官でもない彼が教師として派遣されたのは、後に聞く所によると、神殿側の苦肉の策だったらしい。

 他の兄姉と少し年が離れていた上に親しい友人もおらず、代わりに周囲の大人に甘やかされて育ったミルファの扱いは難しく、彼より年嵩の神官達が皆、さじを投げたからだ。

 結果として、それはミルファにとっては良い結果に結びついた。

 『神童』との誉れも高いケアンだったが、本人はどちらかと言うと内向的な、およそ傲慢さというものの対極にある人物だった。

 年が近いという事、そしてその人柄で、ミルファは周囲が驚く程の早さで彼に懐いた。

 ケアンも同世代の人間と接する事が皆無だったからだろう。ミルファを身分とは関係なしに、実の妹に対するように接してくれたと思う。

 ── あの頃、帝宮で最もミルファの近くにいた人。

(…生きて、いるわよね……?)

 ここに彼の聖晶があると言う事は、今の彼を守るものは何一つないということ。

 神官として日々修行と勉学に勤しんでいた彼は、普通の十四歳の少年に比べれば非力で。

 …恐らく、武器など扱えもしなかっただろう(それ以前に、神官は自ら殺生を行う事を禁じられている)。

 あの狂乱の最中、自分に聖晶を託して彼は何処に消えたのか──。

 ただ一つ希望があるのは、この聖晶の輝きが、今もなおあるという事だ。後に知った事だが、その一つ一つ違うという聖晶の色は、持ち主が死ぬと喪われてしまうらしい。

 つまりこの空色がある限り、彼はこの地上の何処かで生きているということ。

(どうか、無事でいて)

 その事を信じて、今は祈るしかなかった。何処かで生きているのなら、きっといつか再会を果たせる。そうしたら、この聖晶を返して礼を言うのだ。

 本来の持ち主ではないミルファに、この聖晶は本来の守護の力を発揮する事はない。彼が何を思って、自分にそれを託したのかもわからない。

 けれどもたとえ気休めに過ぎなくても、それを身に着けているだけで、確かに何かに守られているような気持ちがして心強く感じた。

 時折襲いかかる孤独感や、押しつぶされそうな重圧を前にした時、この石は確かにミルファの心を救ってくれたのだ。

 …── 否。

 礼を言いたいだけではない。本心はただ、もう一度彼に会いたいのだ。

 優しかった父と母を、形は違えども一時に喪ってしまったミルファにとって、過去の幸せが夢ではなかった事を知るのは、恐らくこの地上では彼だけしかいない。

 残酷な悪夢にも似た現実を共有出来るのは、もう彼しかいないから──。

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