第二章 騎士ルウェン(21)
……ザンッ!!
肉を切り裂く音と共に、確かな手応えを彼の手は感じ取っている。最初から切る事ではなく、牽制を目的としたはずの一撃は、予想以上の結果を齎す。
彼の腕の一部のようになった大剣は、そもそも持ち得なかったはずの切れ味を発揮して魔物の腕を切り裂いていた。
ギャゥアアアアッ!
すぐ側で魔物が苦痛の絶叫をあげ、ようやく何が起こったのかを視覚的にも理解する。
ほとんど皮一枚で繋がり、ぶらりと下がった魔物の腕。自分と自分の相棒によって為されたそれに、思わず瞠目する。
(マジかよ……)
信じがたい程に切れ味が増していた。ただでさえ度重なる戦闘で切れ味など皆無に近く、今までならせいぜい受け止められてしまうか、かすり傷を負わせる程度だったのがこれだ。
切り落とすまでは至らなかった腕は、青味を帯びた体液を撒き散らしながらもすぐに再生を始めてしまう。だが、これだけの深手になると完全に再生されるまでに時間がかかる。
すぐに反撃が来ない事をいい事に乱れた呼吸を整えつつ、周囲にすばやく目を走らせる。
闇に浮かぶ、光を帯びた武器や防具を視界の端に捉え、術が今ここで戦っている人間全てに作用している事を確認すると次に浮かんだのは疑問だった。
──一体誰が、そして何処からこの呪術を使ったのか。
援軍が来たのかと思ったが、それらしい気配はない。だが、何処かに呪術師がいるはずだ。それも、かなりの腕を持つ者が。
そうこうする間に魔物の腕は完全に再生する。
ブンッ、と試すように腕を振るった魔物の取り巻く空気が、先程までと目に見えて変わっている事に気付き、ルウェンは気を引き締めた。
どうやら先程の一撃は魔物の逆鱗に触れたらしい。だが、もう怖れも焦りも感じない。今の剣ならば何とかなる──そんな自信が生まれていた。
意識が切り替わると疲労感も遠のいた。剣を構え、魔物の攻撃に備える。
怒りに我を忘れたならば、確実に真正面から仕掛けてくる。そう予測しながら、睨み合ったのは極僅かな時間。
次の瞬間、魔物は一気に間合いを詰め、予想通り正面から襲い掛かってきた。
目で追い着くのも難しい速さ──だが相手の動きがわかっていれば、それを回避する事も難しい事ではない。
シャッ!
ルウェンの身体を切り裂こうと、魔物の腕が空を切って伸びる。
その爪は鋭く長い。反応が遅ければその爪に切り刻まれ、すぐに自らの血溜りに沈む事になるだろう。だが、ルウェンはその爪を避けず、剣を身体の正面に下げる事で受け止めた。
ガガ…ッギ……バキィンッ!!
先程までは受けるだけで精一杯だった一撃を、ルウェンの剣は受け止めるだけに留まらず、そのまま受けた爪を全て折り落とす。
切断された爪は飛び散り、大地へと音を立てて突き刺さる。その瞬間、感情をろくに見せない魔物が、初めて動揺したようにルウェンには見えた。
──その、一瞬を見逃さない。
振り下ろされたのは、左の腕だった。退避しようと腕を持ち上げた結果、防御ががら空きになっているその場所に、爪を切り落とした剣をそのまま横から叩き込む!
ドシュ……ッ
切れ味が増しているからこそ出来たその一撃は、深々と魔物の身体に突き刺さり、その奥にある器官をも切り裂く。
魔物のもう一つの弱点──その心臓を。
堪らずルウェンから逃げようと身を捩る魔物を許さず、そのまま力に任せて刃を抉りこませる──心臓の再生を阻害する為に。
傷口はその本能のままに再生を開始するが、魔物の肉は内にある刀身を排除する事は出来ずに、そのままそれを取り込むようにして絡みつく。
それを確認すると、完全に塞がる前にルウェンは一気に剣を手前へと引き抜いた!
……ギッ!!!!
軋むような悲鳴が魔物の咽喉から迸る。
その強力すぎる再生力が仇になり、絡みついた肉ごと剣に貫かれた心臓が外へと引きずり出されていた。
同時にそこから熱い体液が噴出し、またルウェンの身体に降りかかったが彼は気にしなかった。ただ一度、返り血で滑る柄を握り直した以外は。
ぐらりと魔物の身体が崩れた。逃げようと身体を捻った状態のまま、その目からは光が失せどう、と音を立てて横倒しになる。
その重みでルウェンの剣へと絡みついた肉、そして心臓へと繋がっていた太い血管もまた、ブチブチと耳障りな音を立てて切り離された。
──こうして、また一体。
残るは三体。すぐさま次へと向かおうと身を翻したその矢先。頭の中に、何者かの『声』が響いた。
《……魔物を、出来るだけ一箇所へ寄せて下さい》
「!?」
思わず足を止めたルウェンは、反射的に上空に目を向けていた。
──その時、何故目を空に向けたのか彼にもわからない。だが、その行動は間違いではなかった。そこにあった常軌を逸した光景に、一瞬状況を忘れて見入る。
禍々しく光る赤い月──それを背に宙に浮かぶのは、見間違いでなければ明らかに人間である。……人が宙に浮けるなど、聞いた事もない。
月を背にしている為に詳細な外見はわからなかったが、その人物が布らしきものを頭から被っている事だけは確認出来た。
(あれは……!)
それを認識した瞬間、脳裏を駆け抜けたのは、まだ東領にいた頃の記憶だった。
ソーロンの元へやって来た正体の知れない呪術師──その姿を改めて思い返すと、その時に聞いた言葉も一緒に甦った。
『……またお会いするような事があれば、このような物騒なやり取りはなしでお願いしたいものです』
(南の…呪術師だったのか)
再び会う事があるとしても、よもやこんな場所でとは思わなかったが、何かが腑に落ちた。
そう言えばあの時も、目の前で姿を消すという離れ技を使ってくれた。ならば、宙に浮いても大して不思議ではないではないか、と。
そしてどうすれば宙に浮くなどという芸当が出来るのかルウェンにはわからなかったが、彼にも一つだけ確実にわかる事があった。
先程の剣を強化する呪術を使ったのがこの呪術師であり、つまり今この時点でおいては味方なのだということ──。
そこに再び『声』が聞こえてきた。
《一箇所に寄せる事が出来ましたら、出来るだけ遠くへ退避を。……少々乱暴な手を使用いたしますが、魔物の動きは完全に止める事が可能です。そこを──叩いて下さい》
それはある意味、無茶な相談だった。
魔物を一箇所に寄せるだけでも骨が折れる作業なのは目に見えてわかるのに、しかもその後すぐに退避せよ、など無茶を通り越して無理とも言える。
(簡単に言ってくれやがる……!)
だが、腹は立たない。むしろ、面白いとさえ思った。──勝てるかもしれない、とも。状況だけを見れば決して有利になった訳ではないのにだ。
──だからこそ。
「乗って…やろうじゃねえか……」
どうやら騒ぎにならない所を見るに、『声』が聞こえたのはルウェンだけのようだった。最初からルウェンに対して送ったのかもしれない。
残っている三体は例の体表が硬いものと、標準的なものが二体。今動ける者と協力し合えば、一箇所に寄せるのは時間は相応にかかるだろうが決して不可能ではない。
状況は何も変わっていないのに、無意識の内にルウェンの口元に笑みが浮かんでいた。
「お手並み、拝見させてもらうぜ……!」
こちらからの声が届いているのかは定かではないが、挑発するように言い放つと、ルウェンは三体の魔物を一箇所に集めるべく応戦している味方に向かって走り出した。