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天秤の月  作者: 宗像竜子
第二章 騎士ルウェン
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第二章 騎士ルウェン(18)

ゆるいですが少々残酷なシーンがございます。苦手な方はご注意下さい。

 一瞬にして、港は混乱に陥った。

 魔物の数は全部で六体──東領を襲撃した数に比べれば少ないが、この場にいる人間の数とその強大さを考えれば数など関係ない。

 常識的に考えれば、今の状況は次の一言に集約される。


 ──絶体絶命──


 一触即発の空気を最初に破ったのは、極度の緊張と恐怖とで自制心を喪った帝軍の兵士だった。おそらく彼は今まで魔物を見た事がなかったのだろう。その目は恐怖に濁り、顔色は蒼白だった。

「う、うわああああっ!!」

「──待て!」

 周囲の人間が慌てて制止するが間に合わない。

 兵士は大声を上げながら、剣を手に正面にいる魔物へ向かってゆく。その攻撃は自暴自棄なもので、防御やその後の事など考えていないのが目に見えて明らかだった。

 闇雲に剣を振り回すその様子は無謀なものでしかない。しかし、かと言ってその後に続く勇気は仲間の兵士達にはなかった。


 ガギッ!!


 嫌な軋むような音を立てて、彼の剣は魔物の太い腕に食い込む。

 だが、それが魔物へ傷を与えた訳ではない事がその音を聞くだけで傍で見ている者にもわかった。


 ──パキィンッ!


 次いで剣が二つに折れる。

 それは彼が向かった魔物の体表が、岩石並に硬い事を周囲に知らしめた。

「……ヒッ」

 得物を失った事でほぼ丸腰になった事を自覚した兵士は青褪め、引きつった悲鳴を上げる。

 勢いで突進した彼に、咄嗟の判断など出来るはずもない。そのまま刃を失った剣を手に、立ち尽くすだけだ。

 そんな兵士を無慈悲な赤い瞳は見下ろし──その口に当たる部分が僅かに笑みを浮かべるように動いたが、それは夜の闇が邪魔して狂乱状態にある兵士にも、それを見ている者にもわからなかった。

 ──やがて魔物はその岩のような太い腕を持ち上げる。

 兵士は動けない。

 逃げろ、と誰かが叫んだが、その時には腕が振り下ろされていた。


 ビュオッ!!


 重い空気を切る音がしたと思った時には、魔物の正面にいた兵士の身体は、その腕に跳ね飛ばされていた。

 身体をくの字に曲げ、恐ろしい勢いで腕が振り下ろされた側とは反対側──木箱などが無造作に積み上げられている場所──に突っ込む。

 激しい音を立てて兵士は木箱の山に激突し、やがてその身体はまるで壊れた人形のように地面に転がった。

 ……もう、動く気配はない。おそらく今の衝撃で内臓が破裂したか、折れた骨が心臓や肺を傷つけたのだろう。

「──……」

 それはほんの僅かな時間の出来事。しかし、それはその場にいた人間を更なる恐怖へ誘うのに十分だった。

 一気に恐慌状態に陥り、悲鳴を上げながらその場から逃れようと動く人々に、それまで様子を見ているように動きのなかった魔物がその牙を剥く!

 血に飢えたような瞳を爛々と赤く輝かせ、六体が一斉に動く。それは正に獲物を追う、肉食獣さながらの動きだった。


 ──ダンッ


 石畳を蹴り、飛び上がった魔物が逃げる人々の前に回り込む。その巨体に似つかわしくない、恐るべき跳躍力だ。跳んで回り込む、動作にすればそれだけの事だったが、それは兵士達を立ち竦ませた。

 逃げられない、という意識が彼等の足を縛る。そしてその背後には、また別の魔物が迫りつつあった。

 前後を挟まれ、戦う意志どころか、思考能力を失った彼等に魔物は襲いかかる。魔物の手に武器はないが、その腕とその爪、その牙がそれを補って余りある。


 ビュッ!


 皮の鞭を想わせる音と共に、その腕の射程範囲にあった人間が数人一度にまとめて地面を転がった。そこへ魔物は自身の爪を振るう!


 ザンッ!!


 血飛沫と共に、何人かの首が転がる。悲鳴すらも上がらない、一瞬の事だった。

 それを目の当たりにし、無事だった人間は地面を這うようにその場から逃げようとするが、その動きは緩慢で魔物の目から逃れられるものではない。

 次から次へと、その命を散らして行く。石畳が赤く血潮で染まる。

 誰もが自らの死を感じていた。ここで死ぬのだと思った。それでも逃げようとするのは、単に生存本能が働いたからに過ぎない。

 そこにあるのは、絶対的な力に対しての無力感と諦めだった──少なくとも、その時までは。

 だが、一人だけこの状況でも戦意を失っていない人間がいた。

 その唯一の例外──ルウェンは周囲の状況を余所に、単身、魔物と対峙していた。

 六体の内の一体──全体の形は人に近い。だが、歪な肩の形に身体に対して小さい頭部、異様に長い二本の足は人には決して有り得ないもの。

 比較的長身の彼よりも、二回りは大きいそれをめつける。

 すでに太陽の光はなく、月の光だけが光源の状態で、その詳細な肉体的特徴まではわからない。だが、その異形を前に彼は自分へ言い聞かせた。


 倒せない相手ではない……!


 その自己暗示は、彼の周囲から音を消し去った。

 極限まで研ぎ澄まされた神経に、周囲の阿鼻叫喚は届かない。感じるのは目の前の魔物の存在と、自分だけ──。

 先に動いたのはルウェンだった。

 だが、それは先程の兵士のそれとはまったく異なる。彼の顔には恐怖はなく、その目は冷静そのものだった。

 一気に詰め寄り、彼我の距離を縮める。向かってくるルウェンに魔物もすぐに迎撃の体勢を取った。


 ジャッ!!


 一瞬にしてその爪が伸びる。そしてその五本の鋭い爪は、そのままルウェンを切り裂くべく襲い掛かった!


 ガキンッ!


 斜め上方から来た斬撃を、両手で持った剣で受け止める。

 じぃんと重い衝撃が伝わり身体全体へと浸透するが、もはや痛みをルウェンは感じていなかった。

「……っ、うらあっ!」

 気合諸共、その爪を力任せに横へ払い除ける。すぐに魔物は弾かれた爪を引き返し、今度は横薙ぎに動かして来るが、それをルウェンは飛びすざって回避した。

 身体に直撃はなかったものの、爪が通り過ぎた後に生じた風が、ルウェンの前髪を僅かに散らす。

 おそらく、爪一つ一つが鋭利な刃と同様の切れ味を持っている。そう認識しつつ、彼の足は止まらない。再び距離を縮めるべく、動く。

(──やれる)

 それは確信。ルウェンの顔に僅かに笑みが浮かぶ。

 思い出すのは、あの夜。彼が重傷を負い、一生の剣の主を喪った──苦い夜の記憶。

 今戦っている魔物は、力においても速さにおいてもその時に戦った二体に劣っている。もちろん、だからと言って弱い訳ではなく、油断をすれば命を落としかねない状況なのは確かだ。

 だが、彼は笑った。

 僅かに生まれた心の余裕が、ぎりぎりまで引き絞られていた彼の精神と視野を解放する。それは彼の行動をさらに柔軟なものにした。


 ……ギリッ


 再び爪を受けて、剣が軋む音を立てる。

 以前の剣ならばこの時点で刃こぼれし、場合によっては折れていたかもしれない。

 だが、新たな相棒は軋む音こそ立てるものの、もともと切れ味を重要視していないが故に頑丈で、魔物の力を受け止めてもまだ余力がある。

 新たな相棒を選ぶ際にわざわざ慣れない大剣を選んだのは、魔物の存在を意識しての事だった。

 あの夜の事は教訓として彼の身体と心に刻まれている。

 苦い悔恨も、無力感も、やり場のない憤りも── 全てこれからに昇華して。

(……倒す!!)

 強い意志を持った瞬間、彼の目は赤く染まった。それは目の前の魔物の赤い目と似て異なる輝き。魔物が流された血による赤ならば、ルウェンのそれは燃え盛る炎の赤だ。

 そして──生命の、赤。

 彼の頭は目の前の敵を倒す事だけに集中する。もう、後の事すら頭にない。

「ぅおおおおおっ!!」

 吼えると同時に爪を弾き返し、そのまま低い体勢を取りながら魔物に一気に接近する。そして。


 ──ザシュッ!!


 そのまま魔物の足元を擦り抜けるように、横へと駆け抜けながら剣を走らせる。それは十分な体重と勢いを受けて、深々と魔物の足の肉を切り裂いた。


 バッ!


 僅かな時間差で傷から勢いよく魔物の体液が吹き出し、ルウェンの身体を頭から赤黒く染め上げる。ぐい、と目にかからないようにそれを乱暴に拭ったルウェンは、そうしながらも次の行動に出た。

 魔物の再生力は半端ではない。

 案の定、足の傷からはすぐさま肉が盛り上がり、ふさがり始める。だが、その攻撃と傷とで魔物の体勢が僅かに崩れているのを見逃さない。

 そのまま反撃の暇を与えず、再び剣を構えると、そのまま横に剣を走らせる!


 ゥウァオオオオ……!


 切れ味の鈍い剣で力任せにつけられた足の傷は再生が幾分遅い。塞がる前に脇腹を抉られた魔物は、たまらず叫び声を上げて仰け反るようによろめいた。

 その一瞬、前の防御ががら空きになる──そこを!

「……、ハッ!!!」


 ズシュ……ッ


 返す刃で一閃した剣は、彼の気迫を受けて驚異的な破壊力を発揮した。

 再び血飛沫が上がったのは魔物の弱点である──首。その半ばまでを引き裂くように切り裂かれ、魔物は完全に反撃を忘れた。


 ───ッ!!!!

 

 首を傷つけられもはや声の出せない魔物は、大きく口を開けて声なき絶叫を上げた。

 そのまま体勢を崩し、背中から地面へと倒れる。ズン、と地響きが走り、それは恐慌状態にある人々の元へも届く。

 何事かと反射的に顔を向けた先──倒れた魔物を目にした瞬間、彼等は我を取り戻した。

 魔物の攻撃から必死に逃げ惑いながらも、彼等の目はそのまま剣を振りかぶり、魔物へ止めを刺そうとする男に向かう。

 それは、正に不可能だと信じられていた事が可能になる瞬間だった。

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