第二章 騎士ルウェン(15)
市街地を戦場とした戦いは、援軍の到着により勢いを得た南領側に有利な展開となった。
地の利と、人の利──それに加え、皇女ミルファが自ら従軍している事も大いに影響を与えていた。
時間と共に負傷者も増え死傷者も出始めたが、守る者、攻める者、それを支援する者の連携がうまく噛みあった結果、大事には至らずに済んでいる。
そんな中、ルウェンもまたセイリェンの街を駆けていた。
「……ぅわああああああ!!」
角を曲がるや否や、横から帝軍の兵士が威嚇するように大声を上げながら剣を振り下ろしてくる。
ガッ!!
鈍い音が響き、衝撃が腕を走った。
上段からの剣撃を受け止めたルウェンは、そのまましばしぎりぎりと押してくる力に耐える。
久し振りの──あの悪夢ような夜以来の戦闘。だが、彼の本能は戦いが進むにつれて一気に目覚めていく。
フッ、と鋭く息をつくと同時に、力任せにその剣を弾き返す!
キィンッ!!
「……っ!」
弾かれた音は激しく、弾き返された側はその衝撃を受け止めきれずに僅かに体勢を崩した。
そこを今度は間髪入れずに横薙ぎに払う。兵士はその一撃をまともに受け、そのまま声も上げずに横倒しに倒れてそのまま動かなくなった。
それを確認もせず、ルウェンは更なる敵を求めて動く。
動きながらも今回の作戦に改めて感心していた。もうすでに、たった今剣を合わせた兵士の事など頭の中から消えている。
(こういうヤツは敵には回したくねえな……!)
本気でそう思う程に、ジニーの言う『影』の作戦はよく出来ていた。
帝軍は言うまでもなく皇帝側の正規軍だ。皇帝に仕える身である以上、その立場を誇示するように揃いの防具を身に着けている。
もちろん、得物の特性に合わせて肩当てがあったりなかったり、盾を装備していたりしてなかったり、と細かい部分には差がある。だが、一目でそれとわかる姿なのには変わりない。
対する南領側は防衛に回った本来の軍は正規軍だが、攻撃主体である者は全て傭兵──すなわち私兵だ。
多くが持参した装備を思い思いに身に着けている上に、正規軍のそれと比べればほとんどが軽装である。
すると結果的に、一瞬とは言え『南領の軍』を敵と思っている帝軍の認識が遅れがちになるのだ。──そのわずかな認識の遅れが、戦場では命取りになる。
攻撃する者が圧倒的に少ないにも関わらず、南側に有利なのはその事も理由の一つに違いなかった。
帝軍の主力部隊は占拠した港に集結している。そこに向かって進むと、当然ながら敵に遭遇する確率も高まっていった。
水の匂いに混じって燃えた船のものか、焦げた木と水を弾く為に塗られた塗料の臭いが漂ってくる。そして──血の匂いも。
単独行動を任されているとは言え、他の人間も同様に港を目指している。やがて視界に帝軍の兵士と渡り合う数人の人間の姿が飛び込んできた。
多勢に無勢、勢いは相手にある。それを確認して、ルウェンは一気にその場に向かって突き進んだ。
「……ッ!?」
正面にいた帝軍の兵士がルウェンに気付き、突進してくる彼を止めようと問答無用に切りかかって来る。
ガキッ!
受け止めると、重い衝撃と共に火花が散った。先程相手をした人間よりは使える相手で、力技が得意らしい。手応えが違う。
そう認識すると、ルウェンの顔に何処か楽しげな表情が浮かぶ。同時にその赤紫の瞳が僅かに赤みを強くしたが、それは彼自身にはわからない事だった。
ガッ、ガッ、ガガッ!!
そのまま打ち合う事、数合。上、左に右、と相手は続けざまに剣を振るってくる。
その相手の攻撃を全て受け止める。その度に衝撃が腕を伝わり、まだ完治しきっていない彼の肩や胸の傷に響いてルウェンは僅かに顔を顰めた。
「…っ、ぅおおッ!」
そんな彼の様子に勝機を見てか、相手が更なる気合を込めて剣を繰り出す!
──ガッ!!!!
全身の力をこめた渾身の一撃は、激しい剣戟の音と火花を上げてルウェンの剣にやはり受け止められる。
「今のは、ちょっと効いたなあ……」
ぼそりと呟きながらも、ルウェンはその顔に余裕すら見せる笑みを浮かべた。
「……!?」
その様子に慌てて剣を引くが、ルウェンの動きの方が速い。
「だが、この程度じゃ俺は倒せねえ……ぜっ!!」
重なり合っていた剣からふっと手応えが消えたと思った時には、ルウェンの身体は正面にはない。兵士の顔に動揺が浮かぶ。
──そして。
ザンッ!!
「ッ!?」
一瞬にして横に回りこんだルウェンは、そのまま一度下げた刀身を上へと斜めに走らせる。空を切ったそれは、がら空きだった兵士のわき腹に痛烈な一撃を与えた。
「…ぐッ!!」
以前のような切れ味重視の剣ならば、おそらくこの一撃で勝敗は決まっていただろう。だが、今の愛刀はどちらかというと剣よりも棍棒の方に近い。
ただし、その破壊力は棍棒よりはるかに強かった。
致命傷は与えなかったが、おそらく肋骨は何本か折れただろう。それでもなお、ルウェンの攻撃で体勢を崩しながらも構えを取ろうとする兵士は見上げた根性の持ち主だった。
「そう来ねえとな……!」
あえて体勢を整えるのを待ち、ルウェンは楽しげに呟く。
この戦闘が私闘や試合でない事は十分理解している。だが、それ以上にルウェンは久し振りの戦闘を楽しんでいた。
高揚する精神とは裏腹に、状況を図る目もちゃんと働いている。
彼が目の前の兵士を向かったのは、この場で一番力のある人間だと察したからだ。おそらく、小隊長辺りだろう。
それを相手にする事で、他の兵への戦いが有利になるよう働きかけたのだ。
実際、指揮の中心となる人間が戦闘に手一杯になった事で、他の帝軍の兵の動きが若干鈍っている。
(……。そろそろ片をつけるか)
頃合だ、そう認識すると横からの一撃で体勢が傾きながらも剣を構える兵へ、ルウェンは一気に勝負に出た。
「──!!!」
速い、と相手の顔が物語る。驚愕に見開かれた目に、ルウェンの姿は一瞬にして迫った。
──ドッ!!
「──ぁ……っ」
ルウェンの一撃を剣で受け止める事も出来ず、今度は正面からまともに受ける事になった兵士は、大きく目を見開いたまま、かはっと呼気だけを吐き出した。
一撃が入ったのは、胸部。
胸当ての上からの一撃は、先程の一撃に加え更なるダメージを与えていた。防御も出来ずに受けた結果、そのまま勢いを殺せずに跳ね飛ばされ、背後の壁に身体を打ちつける。
そのまま兵士はずるずると崩れ落ち、ぐったりと地面へ沈んだ。
強打した金属製の胸当てはルウェンの一撃により陥没し、それに守られた部分の被害が相応のものである事を示している。
「……一丁上がり、ってか?」
ぐるりと見回せば、他の兵の戦いにも決着が着きつつあった。その場にはすでに十数人の戦闘不能者が転がっている。こちら側も負傷者が出ているが、ほとんどが帝軍の兵士だ。
それを見つめ、ルウェンは眉間を不審そうに寄せた。
ここまでの間にルウェン自身もすでに十名近くの兵と戦っていたが、まだまだ余力がある。
たった今渡り合った兵士に関しても言える事だが、あまりにも手応えがない気がしてならなかった。
(気のせいか? なーんか、呆気なすぎる気がするんだが……)
東領にいた頃にも何度なく戦った帝軍だが、これ程あっさりと倒せた事はなかったような気がする。今回の作戦で相手の判断が鈍ったとしても、だ。
以前はそれこそ、やるかやられるかの選択も多かった。何人かの命と引き換えに、ルウェンはこうして今も生きている。
敵がわざわざ手を抜くはずもないし、自分がいきなり強くなったはずもない(しかも、ついこの間まで剣すら触れなかったのだ)。
という事は──敵兵自体のレベルが低くなっているという事だろうか。
(それも有り得ない訳じゃねえけど……)
現在の皇帝の所業は、決して全ての民に受け入れられている訳ではない。むしろ、その逆だ。
力ある者が皇帝の下から離脱し、たとえばこの南などに下っていてもなんら不思議ではない。ルウェン自身も、かつて帝軍から東領へと流れた身だ。
(だが、こんなに短期間でそんなに弱体化するものか……?)
ミルファも感じた同様の違和感を、ルウェンも抱いた。
間違った行いをしつつも、今まで帝都で大がかりな内乱や暴動が起こらなかったのは、皇子・皇女の命を狙う以外── 帝都の統治に関しては、今まで以上に積極的に働きかけたからだ。
特に出没率の上がった魔物に対する対応は速かった。だからこそ、帝都の民は皇帝を未だに支持するのだ──本心は別として。
為政者として以前通りに『名君』であればこそ、この五年もの間、四方を敵に回していられたのだ。
──何かが、変だ。
あの東領が魔物に襲われた時から、何かが決定的に変わってしまったような気がする。だが、それが何かと考える暇はルウェンにはなかった。港の方から帝軍の応援が来たのだ。
新手の出現に意識を切り替えると、ルウェンは再び新たな敵へと向かって走った。