第二章 騎士ルウェン(13)
「ありがとうございました、叔父上」
軍議が終わり重臣達が退室してしまうと、ミルファは残った叔父に礼を述べた。
「実の所……、流石にこの事ばかりは反対されるのではと思っていました」
正直に思った事を口にすると、ジュールはその顔に心外だと言わんばかりの表情を浮かべた。
「何を仰る。殿下が挙兵すると言い出した時に言ったでしょう。──ならば、殿下を擁する地を統べる者として最大限の協力をする、と」
「確かにそう言っては下さいましたが……、事が事ですから」
セイリェンは南領の都市だ。そこを奪回する為に兵を動かす事は、最終的には南領に良い結果を齎すからこそ出来た事とも言えた。
しかし、そこから帝都──帝宮を目指すとなると話は別だ。
ミルファはセイリェン奪回後、兵の中から自分の志に同意する有志を募り、それ以外は全て南へ返すつもりでいた。
自分自身が言った言葉──『必要のない血が流れる事を避ける』為に。
だが、ジュールはそんなミルファに南の兵を預けると──そのまま彼等を自軍としても構わないと言ってくれたのだ。
「気になさる事はありません、殿下──いや、ミルファ」
領主の顔から叔父の顔になり、ジュールは悪戯っぽく笑った。
「本心を言わせて貰えば、叔父として姪を助けたいと思っただけの事だからね。──職権乱用とは正にこの事だ」
「叔父上……」
たとえそれが本心でもやはり申し訳ない気持ちは変わらず、思わず俯きかけたミルファにジュールは困ったように肩を竦めた。
「そんな顔をしないでくれないか、ミルファ。…まるで姉上に罪悪感を持たれたような気がして、居心地が悪いからね」
その言葉にミルファは思わず下げかけた顔を上げる。姉上──つまりそれはミルファの母、サーマの事だ。
「私は……、そんなにも母に似ていますか?」
それは南領の地へ来て過去何度も耳にした言葉だったが、ミルファ自身はそんなに似ているとは思えなかった。
何しろサーマの少女時代の姿など知る手立てはなく、まだ大人になりきっていない自分と対比させるにも、記憶に残る母はもっと大人の姿なのだから。
ジュールはその目を懐かしげなものにして、よく似ている、と応えた。
「瞳の色以外は、生き写しとしか言いようがない位だよ。──だからだろうな。手を貸したいと思うのは。重臣達もおそらく同じように思っているのではないかな」
「何故……」
母に外見が似ているというだけで、助力を得られるとは思えない。その疑問を口にすると、ジュールはミルファも知らない事を口にしたのだった。
「それはだな、ミルファ。本来なら、姉上がこの南の地を治めるはずだったからだよ」
「……え?」
耳にした言葉はミルファを驚かせるのに十分だった。
確かにミルファの母である南領妃サーマは、南領主の娘だった。それはミルファも知っている事実。
けれども、各地の領主は世襲制でそれぞれの地を治める事になっているものの、その領主に女性が立った事は今まで一度もないのだ。
「お母様が…南領主の後継だった……?」
信じがたいと言わんばかりの呟きに、ジュールは頷いて見せた。その目は過去を回想するように、ミルファの顔を見つめる。
「そうだ。皇帝陛下が皇妃にと望まなければ──史上初の女性領主が誕生し、私が領主になる事はなかっただろう。私も姉の補佐をするつもりで勉強はしていたが、ずっと姉が継ぐのだとばかり思っていたよ」
「そんな事が……」
ミルファが知るのは、南領妃としての母の姿だけだ。
だが、その話で何故サーマが皇帝の片腕として働く事が出来たのか納得した。領主の仕事も皇帝の仕事も、基本的な部分では一緒のはずだからだ。
そんな事を考えるミルファに、ジュールはしみじみと言葉を締めくくる。それは何処か悔恨の念が漂うものだった。
「もし、姉上が二十年前のあの時、帝宮へ行かなければ──今も時々そう思う。もちろん、そうだったならミルファが生まれる事はなかった訳だが、そうしなければ姉上はこんなにも早く亡くなられる事はなかっただろうかとね……」
+ + +
ミルファ従軍の話は、すぐに先行している兵士達の元へも届いた。
それはつまり、皇女がついに守りから攻撃に転じたということ。その知らせに彼等の士気は一気に高まった。
それは当然、そこに加わっているルウェンの耳にも入った。
(──思ったよりも早かったな)
動くとしたらセイリェンを完全に奪回してからだと予想していたが、遅かれ早かれこの日が来ると睨んでいたので驚きはない。
むしろ、皇女ミルファが従軍するのはルウェンにとっては願ってもない話だ。
ルウェンは腰に下げた新たな『相棒』に目を向け、それを軽く叩くと不敵に笑った。
「……こりゃあ、いい所を見せとかねえとな?」
彼等遅れること、一日。
ついに皇女ミルファは、自ら戦場へと足を向けたのだった──。
+ + +
ミルファが合流し、北上した南領軍がセイリェンまであと半日程にまで迫った日の夜半、野営地に緊急の伝令が駆け込んだ。
目的地であるセイリェンから、間で交代しながらとはいえ、歩いて半日はかかる距離を数刻で走破して届けられた知らせは、当然ながら良い知らせではなかった。
「──帝軍が動きました!」
明日の事を話し合っていた所へ齎されたその言葉に、その場はたちまち緊張した空気に包まれた。
「状況は」
「帝軍は日没直後にシェリス河より港を包囲、現在は駐留している者で防衛に当たっておりますが、港が落とされるのは時間の問題かと……!」
今はもうすでに月が太陽に変わって空を支配している時分だ。
侵攻を受けて数刻──事態がどうなっているのかわからないが、おそらく良い方向には動いていないだろう。
「港……」
ぽつりと呟き、ミルファは考えを巡らせた。
(──商船に化けていたという事か……)
日没まで港に帝軍の船が接近していた事に気付かなかったという事は、おそらくそうした偽装がされていたという事に違いない。
そうでなければ、商人達がそれに気付いて警戒したはずだ──油断していたと言えば、それまでだが。
今まで正攻法しか取らなかった帝軍だったが、どうやら力押しだけの攻撃はやめたらしい。思い返せば一月前、東領を陥落させた時も、今までなら起こさない行動を起こしていた。
セイリェンを囮にし、ウルテを経由し東領へ──その後なりを潜め、ほとぼりが冷める頃に一夜で東の領館を制圧。そのやり方は今までの皇帝のやり方にないものばかり。
それはミルファに強い違和感を感じさせた。
何かが、違う。それが何かと考え、ミルファは一つの可能性に気付いた。
(──裏に、何者かがいる)
たとえ乱心したとしても、人の本質や行動原理がそう変わるものだろうか? しかも、突然前触れもなく。
皇帝は『支配者』だ。人の上に立つ者。
その地位に相応しく、今まで皇帝は姑息な手は一切使わず、正面から押し、その力でねじ伏せるやり方をしていた。
──今回と、東領の件は、皇帝以外の何者かの手の介入がある気がしてならなかった。それも随分と頭が切れ、狡猾な──。
(……呪術師)
思い出したのは、最初にルウェンに会った時に言っていた事だった。次いで、脳裏を見慣れた赤黒いローブが過ぎる。
「──……」
チクリ、と胸に刺さったままの棘が痛みを訴えたが、ミルファはすぐにその痛みを追い払った。
今、重要なのはセイリェンをどうするか、だ。余計な事を考えている暇などない。そこにはまだ生きた人間がいて、危機に直面しているのだから。
一気に頭の中を切り替えると、ミルファはすぐさま状況を分析し、伝令へ指示を与えた。
「すぐに防衛を割り当てた兵から、その半分をセイリェンへ先行させなさい。選抜は各指揮官に任せます。今から行けば夜明け時には間に合うはず──こちらからの攻撃は無用です。民の身の安全を最優先しなさい!」
「はっ!」
「そして残りの兵には今の内に体力を温存するように指示を。──夜明けと共に一気にセイリェンを目指します。その後、すぐに戦闘に入れるよう準備を怠らないようにも伝えなさい」
てきぱきと指示を飛ばすミルファの顔は冷静そのもので、口調も決して鋭くはない。だがその言葉は彼等の心を打ち、緊張と士気を否応なく高めた。
「セイリェンには兵に先行して人を走らせ、援軍が到着するまで何とか状況を維持せよと伝えなさい。多少、帝軍に主要箇所を落とされても構いません。戦力が大幅に減るような事だけは避けるようにと……!」
「承知いたしました!」
ミルファの言葉を受けて、伝令が駆け出してゆく。
出せるだけの指示を飛ばし小さく息をつくと、それを確認したように、その場にいた重臣達も部下を指揮する為に次々に動き出す。
外が一気に慌しい空気になると同時に、人が去ったその場は急に静まり返った。
「……」
手を組み、今後の事を忙しく考え始めたミルファの背後に人の気配が生じたのはその時だった。