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天秤の月  作者: 宗像竜子
第一章 皇女ミルファ
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第一章 皇女ミルファ(11)

 目に緑が優しい。

 穏やかな陽射しが降り注ぐ── 陽だまりの庭。明るい光の下、色鮮やかな花が風に揺れる。

(ああ、これは夢だ)

 目の前に広がる美しい光景に、ミルファは思った。

 何故ならそこは、今の自分からはもっとも遠い場所。何もかもが穏やかで優しかった頃の── 幸福の象徴だから。

 その事を証明するかのように、庭の中頃に人影が見えた。

 陽射しに輝く、銀の髪。

 ほっそりとした、どちらかと言うと痩せ気味の小柄な姿。

 十七歳のミルファの目にはそう見える。けれど…かつては、その顔を見上げていたのだ。その違いが、益々これが夢なのだと知らしめるようで、切なさは募った。

 声をかける事も出来ずに立ち尽くしていると、やがて向こうの方が彼女に気付いて、光に溶けるような笑顔を見せた。


「ミルファ」


 その声に、胸の奥が痛みを訴える。

 痛い── 否、熱い。

 応えようと思うのに、咽喉の奥で言葉が詰まって、声が出なかった。

 そんなミルファの元に、その人は歩み寄って来る。そして、少し心配そうに顔を覗き込むと、なだめるように言う。

「どうしたの…何か、あった?」

「……ケアン」

 ようやくの思いで名前を呼ぶと、その人── ケアンは視線で言葉を促してくれる。

 …そう、いつもそうだった。彼はいつも、ミルファの言葉を優先してくれた。

 普段は周囲の大人も驚く程に口達者なのに、感情が高ぶり過ぎると途端にうまく思っている通りに話せなくなった自分を、決して急かす事なく、一通り話が終わるまで聞いてくれた。

 あの頃、その事がどんなに嬉しかったか。

「…何でもないの」

 答えて無理矢理笑顔を顔に貼り付けると、ケアンは心配そうな雰囲気はそのままだったが、ならいいんだ、と笑ってくれた。

 見つめてくれる優しい眼差しの色は、今、二人の上にある春の空。

 無意識に胸元に手をやると、そこには聖晶の感触があった。

 そうだ、これを返さなくては── そう思い、首からそれを外そうとした、その時。

「…駄目だよ、ミルファ」

 静かな口調ながらも、きっぱりとケアンはそれを遮った。

「え?」

「それは身に着けていて。出来る限り…ずっと」

「でも…! これは、ケアン、あなたの──!」

「…きっと、それは僕の代わりにミルファを守ってくれる」

 その瞬間、視界は暗転した。

「ケアン!?」

 陽だまりの庭も、ケアンの姿も消え失せ、ミルファは夢である事も忘れて動揺した。

 周囲を見回し、先程までそこにいた姿を捜す。けれども、彼の姿はもう二度とミルファの前には現れなかった。

「ケアン!」

 必死に呼びかけるミルファの耳に、やがて囁くような声だけが届いた。



 ── キヲツケテ、ミルファ。


+ + +


「…──っ!?」

 眠りの最中、嫌な胸騒ぎを感じてミルファは飛び起きた。

 視界に飛び込む私室の様子からして、まだ夜は明け切っていない。額に浮いた冷汗を拭いながら、胸騒ぎの理由を考える。

 …確か、何か夢を見ていた。

 その内容は目覚めと同時に薄れて消えたものの、何か暗示的な言葉を聞いた気がする。

 そう── 『気をつけて』と。

 この身に危険が迫っているのだろうか? 確かにその可能性はあるだろう。

 今も、父は自分の命を狙っているに違いないのだから。だが…それとはまた別に、嫌な予感を感じるのだ。

 もっと別の──。

「…まさか」

 閃くと同時に、ミルファは寝台から降りていた。夜着の上に、薄手のショールを羽織るのももどかしく、廊下へ飛び出す。

 夜明け前という事もあり、館の中は静まりかえっていた。おそらく、まだ大半の人間が夢の中にいるのだろう。

 その静けさに、ミルファが立てる軽い足音だけが響く。

 向かう先は、同じ階にある彼女の『影』の私室。いくら彼でも眠っている可能性は高かったが、そうせずにはいられなかった。

「…ザルーム……!」

 流石に時間帯を考え、扉を叩かずに押し殺した声で呼びかける。すぐに応えが返るとは思っていなかったので、もう一度呼びかけようとした時、不意に目の前の扉が開いた。

 起きていたのか、それとも眠っていなかったのか── そのいずれかはわからなかったが、いつもどおりのローブ姿が扉の内から姿を現す。

「…どうぞ、ミルファ様」

 中へと招き入れながら、彼は静かにミルファの来訪の意を問うた。

「このような時分に、いかがなさいましたか」

 年頃の女性が、このような時分に出歩くのは世間一般では感心されない事だ。

 だが、彼はそれを咎めるつもりはないらしく、逆に普通の様子ではないミルファを気遣うような様子すら見せた。

 そんな彼の布で隠された顔を見上げ、ミルファは思いつめた目で口を開く。

「…頼みがある」

 言いながらも、手は首から下げたケアンの聖晶に伸びている。それはあの始まりの夜以来、不安になったり迷いが生じた時のミルファが見せる癖。

 それを目に留めて、ザルームはゆるりと頷いた。

「何なりと。…一体、どのようなご用件でございましょう?」

「無理は承知で頼む。…今から、東領へ行って来てくれないか?」

「…東領……」

「嫌な予感がする。兄上の身に、何か起ころうとしているのではないかと…人や鳩では時間がかかり過ぎる。だから……!」

 縋るような口調での願いを、ザルームは無言で受け止めた。

 ミルファが自分の為に彼の力を請う事は滅多にない事だ。

 彼の力が強大であると知っていながら、どんなに苦境に立とうとぎりぎりまでその手を拒む。禁欲的なまでに。

 それだけ、ミルファの動揺が激しいという事なのだろう。

 だが──。

 やがてザルームの口から紡がれたのは、ミルファの意に反するものだった。

「…申し訳ございません。何なりと、と申し上げましたが…それだけは聞き届けられそうにございません」

「…!?」

 返って来た暗い声音は、常以上に沈み、苦痛すら感じさせるものだった。

 ミルファの顔が青ざめる。怒りの為ではない。彼が『出来ない』と答えた、その事実の裏にある事態に衝撃を受けた為だ。

「── 何があった…!?」

 震える声で問い詰めると、ザルームは僅かに迷う素振りを見せたが、やがて重いその口を開いた。

「…この十日ばかり、東の地へ《目》を飛ばして様子を見ておりましたが、数刻前より全く東の様子が見えなくなりました」

「!」

「何者かがかの地にて、大掛かりな呪術を使用している可能性が……。空間が現在、非常に不安定になっております。今はこちらからは呪術の類を使用する事は出来ません。無理に使用すれば、反発しあい、事態を悪化させる恐れもございますゆえ──」

「そんな……」

 嫌な予感が当たった。しかも── もしかしたら、最悪の形で。

 すうっと頭から血の気が引く感覚がし、ミルファはぐっと足に力を入れて耐えた。

 今は倒れている場合ではない。それにまだ、全てが終わってしまった訳ではないのだ。

「…今は待つしかないのか」

「はい…お力になれず、申し訳ございません」

 唇を噛み締め、ミルファは一刻も早く夜が明ける事を願った。

 夜が明ければ人々は目覚め、世界が動き出す。そうすれば、東の状況も多少なりと掴めるはずだ。

 この、夜が明ければ──。

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