第五章 皇帝カルガンド(5)
ここにせめてジニーがいれば味方になってくれるのだろうが、残念ながらあちらはあちらで忙しいらしく、今日はまだ顔も見ていない。
「もうどうとでもしてくれ……」
運んでいた荷物も運び終わっており、手が空いているのは事実なのだ。おとなしく白旗を掲げると、フィルセルはしたりとばかりに笑う。確実に確信犯だ。
「それじゃ日が暮れる前に行きましょう! ……リヴァーナさーん! 荷物持ち確保しましたよー!!」
どうやら他にも連れがいるらしい。何処かで聞いた名前だと思いつつ、フィルセルが手を振る方向に目を向けると、見覚えのある姿が佇んでいるのが見えた。
(あれは……)
短く切られた髪、女性にしては丸みの乏しい細身の姿。──リヴァーナ=シアル=トリーク。南領から従軍している医師の一人だった。
「どうも、ルウェン殿。その様子だと体調は完全に戻ったみたいですね」
相変わらずの淡々とした声に、ルウェンは苦笑した。
「ああ……。その節は世話になったな」
言葉通りついこの間まで世話になっていた医師だと言うのにすっかり名前を忘れていた。一度は互いに名乗りあった事もあると言うのに。
「気にする必要はありません。私がしたのは、せいぜい薬湯を調合した程度です」
それが仕事だと言わんばかりの言葉だが、呪術を解除した際の余波に影響を受けて昏倒していたルウェンが次の日に動けるようになったのは、彼自身の体力もあるだろうがその薬湯の効力も大きい。
職業柄、施療師にはよくお世話になるものの、医師の世話になる事は少ない。それでもリヴァーナがかなりの腕を持つ事はわかった。
「そういや、ルウェンさんとリヴァーナさんはもう顔見知りでしたっけ」
何となく和やかな空気の中、彼等のやり取りを横で聞いていた何気ないフィルセルの言葉で、その時の事と次第を思い出したルウェンは心の内でげっそりとなった。
特に何も疚しい事はなかったのだが、ティレーマとの密談の後でリヴァーナに遭遇し、リヴァーナから話を聞いて血相を変えたフィルセルに部屋を強襲された記憶はまだ新しい。
リヴァーナもまた思い出したのか、何処となく同情するような視線を向けられた。
「その節は申し訳ありませんでした。フィルは生まれた時から知っているものだから、どうも聞かれると答えてしまって……」
「……生まれた時から?」
親しいのだろうとは思っていたが、まさかそんな単語が出るとは思わずに反芻すると、何故かフィルセルが威張るように胸を張った。
「そうですよー。あたしのお母さんが医師だったって話しましたっけ? リヴァーナさんとは同じ師についてた姉妹弟子だったんですよ。うちは両親が揃って出かける事が多かったから、よく面倒見てもらったんです。言うなれば……そう、『育ての親』みたいなものですね!」
「まあ……、そういう事です」
「へ、へえ……」
(この人が面倒みて、何をどうやったらこう育つんだ?)
感情の起伏が乏しいリヴァーナと、必要以上に感情豊かなフィルセルは、並べてもそんな繋がりは何処にも感じられない。どちらかと言うと正反対のような気がするのだが──これが世に言う『反面教師』という物なのだろうか。
「世間話はこの位にしてそろそろ行きましょう。ルウェン殿が同行してくれるのなら有難い。量を気にせず遠慮なく買い出し出来ると言う物です」
「あ、そうですねー♪ じゃあ、保留にしていたやつも一緒に持ち帰りましょう!」
「……」
──性格は似ていないが、自分の扱いはどちらも同じようなものらしい。あからさま過ぎて何だか反論する気も失せ、ルウェンはひっそりと溜息をついた。
確かにリヴァーナやフィルセルに比べれば力はあるだろうが、限度という物がある。願わくば、自分の力でどうにか出来る程度に納まってくれればいいのだが……。
(この場合、持ち切れなかったりしたら俺のせいになるんだよな、やっぱり……)
救いを求めてさりげなく周囲を見回すものの、こんな時に限って誰も通りかからない。ルウェンは諦め、すでに軽快な足取りで先を歩く二人の後に続いた。
+ + +
薬種問屋は何処も大体似たような場所──少し薄暗い路地や医師の住居の近く──にあるのでわかりやすい。三人とも初めて訪れた街ながらも、二人ほど道を聞くだけで無事に辿り着けた。
「それじゃリヴァーナさんと二人で買って来るんで、ルウェンさんはここで待ってて下さいね?」
ルウェンが物珍しさで周囲を見ている間に、二人で何事か話し合っていたかと思うと、フィルセルがそんな事を笑顔で言い放つ。
ある意味一方的な物言いである。半ば有無を言わさずにここまで連れて来られたルウェンは絶句したが、すぐに自分を取り戻した。
「いや、いきなりここで待てって言われてもだな……」
そこは家路を急ぐ人などでそれなりに人通りの多い通りに面しているが、一般的な薬種問屋の立地条件に則した、やはり光を避けるような薄暗い場所だった。
と言うのも、薬草の中でも苔や茸の一種は光を嫌う性質があるからだ。そうした物は希少性があり、自然界での採集が難しい物も多い為、人工的に繁殖させる研究を行う者も多い。キーユの薬種問屋の主もそうした者の一人なのだろう。
そうなると必然的に光を避ける場所に店を出す事になる。昼間でも薄暗い場所だ。夜ともなれば、明かりになるような物なしには足元も危うくなるに違いない。
「本当にここで待っていていいのか? 店までついて行かなくても……」
今までの道のりを見るにキーユは比較的治安が良いようだし、いきなりならず者に襲われるような危険性はないかもしれない。
だが、どちらも年若い女性には変わりない(フィルセルは若いというよりは幼いと表現すべきだろうが)。女性達だけを薄暗い界隈に送り出して、自分は表で待って良いものだろうか──いや、おそらく常識的に考えて良くない。
大人であるリヴァーナは心得ているだろうが、フィルセルにはどうしても保護者的な気持ちになる。そんな義務感に近い感情から尋ねると、それまで黙っていたリヴァーナが代わりに口を開いた。
「心配して下さるのはありがたいですが大丈夫です。必要なものはもう決まっていますし、さほどお待たせはしません。……聞いた話ですとさほど大きな店ではないそうですから、三人で行く程ではないかと思いまして」
「ルウェンさんが縮んでくれるならいいんですけど……、無理ですしね?」
言外にでかい図体でついて来られても困ると言われているようで正直面白くはない。一方的に荷物持ちにしたかと思えば、今度は邪魔者扱いと来た。
だが、二人の言う事もわからなくもなかったのでルウェンは譲歩した。
「縮んで堪るか。……わかったよ、ここで待ってればいいんだな」
今まで全く縁がなかっただけに、薬種問屋とやらがどんな場所なのかそれなりに興味はあったものの、そこまで言われてわざわざついて行くほどの情熱もない。
ルウェンの言葉を受けてリヴァーナとフィルセルは頷き合い、それじゃと言い残して迷いのない足取りで薄闇の奥へと姿を消して行く。
その様子を見送り、ルウェンは肩を竦めるとさて、と周囲を見回す。さほどかからないと言われても、何もせずに待っているのも手持無沙汰である。しばらく考え、路地の入り口が見える範囲で周辺を見て回って時間を潰す事にした。
キーユに入ってから感じていた事だが、商業都市と呼ばれるだけにどちらかと言うと住宅地と言うよりは商家が多いようだ。
古びた石畳の道は年月で磨耗はしているものの頑強で、重い台車にも耐えられるようになっている。これは農村などでは見られない物だ。交通手段が陸路のみという違いはあるが、何処となく南領の商業都市セイリェンを彷彿とさせる町並みである。
日が暮れ、流石に店はほとんどが閉まっている。開いているのはこれからが稼ぎ時の酒場や軽食を扱う食料品店位のようだ。
(そういや、まだ夕飯食ってないんだよなあ……)
食料品店の看板を眺め、今まですっかり忘れていた事を思い出す。
野営の準備が終わってから夕食を摂る予定だったのだが、その前に二人に捕まったので食べ損なったのだ。おそらくリヴァーナ達もまだだろうが、それなりに労働した後だけに周囲から微かに漂う料理の匂いは空腹に響く。
(……うーん)
一度気にかかると、空腹感が強まって来た。一応、今も勤務時間に相当する訳だが──仮にも皇女に剣を預けた騎士の身で買い食いするのはやはり駄目だろうか、とぼんやり考える。
しかし、反乱軍に属する人間ならさておき、キーユにルウェンの顔を知る人間がいる可能性は限りなく低い。たとえ買い食いしてる所を見られたって、誰もそれが皇女の騎士とは思うまい。
そんな本能と職業意識の間で葛藤をしながら、ちらりと路地の奥に視線を向ける。……まだ二人が戻って来る様子はない。
(腹が減ってちゃ力も出ねえし……、そうなると二人にも迷惑かけるよな? ──よしッ!)
無理矢理自分を弁護すると、ルウェンは先程から香ばしい匂いを周囲に漂わせている露店の一つに足を向けかけ──そのまま足を止めた。