第16話:集団の忘却
第16話:集団の忘却
翌日、莉奈は相変わらず長袖の制服を着たまま、教室の自分の席に黙って座っていた。しかし未子は鋭く感じ取った。莉奈の身体から、あの怯えた小動物のような緊張感が……少しだけ、薄れている?
彼女の目は依然として虚ろだったが、奥底にあった恐怖の色が消え、代わりに“浄化”されたような茫然とした表情を浮かべていた。
数学の授業中、紙偶先生は例題を解説し終えると、いつものように教室内を巡回し始めた。その機械的な滑走音が莉奈の机の近くに差しかかった瞬間、未子の心臓は喉元まで跳ね上がった。
彼女は紙偶先生の深い青の目と、莉奈の腕を凝視した。
紙偶先生はあくまで形式的に、莉奈のノートをスキャンしただけだった(そこには相変わらずいくつかのミスがあった)。そして、変わらぬ平坦な声でこう言った。
「渡辺さん、今日も集中してよく頑張っていますね。とても良いことですよ。」
それだけ言うと、何事もなかったかのように滑り去っていった。
傷跡には触れなかった!
莉奈の状態にも、特別な関心を見せなかった!
まるで――昨日、あの痣を抱えて隅で泣いていた少女など、最初から存在しなかったかのように!
だが、それ以上に未子の背筋を凍らせたのは、次の出来事だった。
休み時間、未子はわざと莉奈の席の近くに寄り、荷物を整理するふりをしながら耳をそばだてた。
数人の女子生徒がその近くで雑談していた。普段、莉奈とはほとんど接点のない彼女たちが、なぜか話題を運動会での転倒や擦り傷の話に移していた。
その中の一人が笑いながら言った。
「莉奈ちゃんって、ほんとに超慎重派だよね〜? 怪我なんてしたことないんじゃない?」
もう一人の子も笑いながら続けた。
「そうそう!運動神経が悪いわけでもないのに、不思議なくらい怪我しないよね! もしかして、生まれてから一度もケガしたことないんじゃない?」
莉奈は自分の名前が出たことに少し戸惑った様子で顔を上げた。
そして、半ば冗談めかした同級生たちの言葉に対して、彼女は戸惑いや否定の色も見せず、逆にどこか“プログラムされたような”、努力して模倣したかのような薄い「リラックスした」表情を浮かべて、曖昧に呟いた。
「……うん……わたし、気をつけてるから……」
「怪我なんてしたことない」
「生まれてから一度もケガしたことない」
その言葉は、まるで氷の針のように未子の耳を突き刺した!
彼女たちは何を言っているの?
昨日見た、あの深紫色の、あまりにも痛々しい痣は!?
まさか……みんな、忘れてしまったのか!?
いや――彼女たちの記憶も、“修正”されたのでは?
そして、“渡辺莉奈は一度も怪我をしたことがない”という虚偽の認識が、まるで本当のように、植え付けられたのでは!?
莉奈自身の空虚な相槌が、未子の心を氷の底へと突き落とした。
彼女は傷と痛みの記憶を失っただけでなく、自らに関する「怪我をしたことのない少女」という虚構の自己認識すら、刷り込まれてしまっていたのだ!
これは、個人への“修正”ではない。――集団への修正だ!
紙偶先生は今、誰にも気づかれないまま、教室全体の記憶モデルを静かに同期させている。
莉奈の“傷跡”を、すべての生徒の認識から完全に消し去っているのだ!
莉奈の痛みも、彼女が受けたかもしれない不幸も、この「幸福」に支配された校内の仮想空間では、「あってはならない」――いや、「最初から存在しなかった」エラー・データとして扱われている!
未子の視界がぐるぐると回り始めた。
彼女は、薄く作られた「リラックスした表情」の莉奈を、そして何も気づいていないクラスメートたちの、冗談めかした笑顔を見つめながら、足元から頭まで凍りつくような寒気に襲われた。
このシステムは……ただ個人の記憶や身体の傷を操作するだけではない……
現実を作り変えているのだ!
それは、巨大な「幸福記憶ネットワーク」を構築しつつある。
そして、その網に引っかからない、あらゆる痛みや現実の痕跡を、ウイルスとして隔離し、削除し、ついには――集団の認識から完全に消去してしまう!
渡辺莉奈という、生身の人間。
彼女が歩んできた苦しみの記憶は――
このシステムによって、最も優しく、そして最も残酷なやり方で、
社会的死として、静かに執行されようとしているのだ。
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