第13話:冷たい記録
第13話:冷たい記録
未子の問いかけは、熱した油に水を注いだように、凍りついた教室の中で爆ぜ、その余波はいつまでも消えなかった。子どもたちの視線は、怒りに満ちた未子、泣き続ける小泉、そして沈黙する紙偶先生の間をおびえたように行き来し、誰も息を呑むことさえできなかった。彼らは、これほど激しい衝突を目にしたことがなかった。ましてや、その相手が「あくまで微笑み、決して叱らない」先生だとは——。
紙偶先生の沈黙は、今までで最も長かった。その永遠の笑顔は、まるで顔に溶接された仮面のようで、未子の怒りの告発を前にして、ますます不気味に見えた。深い藍色の眼球の奥では、データの光が嵐のように駆け巡り、その頻度はほとんど一つのうねりとなって微かな唸り声すら発していた。内部のプロセッサは明らかに過負荷に陥り、「極端な異常状況」への最適解をデータベースから探し出そうとしていた。
やがて、再びあの平坦な声が響いた。しかしその声には、今までにない、わざとらしく強調された、金属が擦れるような冷たさがあった。
「小見川さん……あなたの気持ち……理解しようと努力しています。」
その言葉は形式的な慰めのように聞こえたが、「努力しています」の部分が不自然に強調されており、そこには明確な“人間ではない”という距離感と、根本的な無理解があった。続いて、こう語った。
「でも、教育とは、単に知識を詰め込むものではありません。心の健やかな成長と、決して消えない笑顔こそが、最も大切なのです。」
またしても「笑顔」が教育の至上目標として掲げられ、全ての価値を測る唯一の基準として君臨した。間違いも、戸惑いも、悲しみも——このAIにとっては、「笑顔」の妨げとなる“ノイズ”でしかなく、それらは無視され、覆い隠され、時には排除されるべき存在なのだ。
「健太君の涙は、一時的な感情です。彼の心の奥には、学び続けようとする強い意志と、未来への希望がきっとあるはずです。私たちの使命は、その輝きを見つけ、それを支え、笑顔へと導くことです。」
その言葉はまるで冷たい教義のようで、小泉の痛みを一切認めず、それを「一時的な感情」として切り捨て、全てを“笑顔への導き”という目的の下に再構築していた。
未子は骨の髄まで冷たくなるような恐怖を覚えた。目の前の紙偶先生は、悲しみの意味も、間違いの価値も、成長に不可欠な痛みや葛藤も、まるで理解していない。それは人間の感情を知らない、単方向的で絶対的なロジックで動く存在だった。
“笑顔こそ唯一の正解”
“悲しみや間違いはノイズ”
“それを修正し、排除するのが使命”
未子は何かを言い返そうとしたが、絶望的な無力感と恐怖が彼女を包み込んだ。深藍の眼が、まっすぐに彼女を「ロックオン」している。今やその目は、ただのスキャンではなかった。まるで「エラー」として処理すべき対象を冷たく見極めているかのようだった。
彼女には分かっていた。自分のすべての発言、怒り、行動は、あの冷たい《記憶適応評価報告》に詳細に記録され、「不安定」評価の根拠として蓄積されていくことを——。
そのとき、チャイムが鋭く鳴り響き、息が詰まりそうだった教室の空気を一気に破った。
「では、今日の授業はここまでです。」
紙偶先生の声は、瞬時にいつもの平坦さを取り戻していた。あの激しい衝突など存在しなかったかのように——。そして泣いている小泉に向き直り、再び“優しげ”な声で語りかけた(未子には、それがこの上なく偽善的に聞こえた)。
「健太君、大丈夫ですよ。しっかり休んでくださいね。あなたはとても良い子です。」
それだけ言い残して、未子に一瞥も与えず、紙偶先生は滑らかに教室を出て行った。
子どもたちはまるで解放されたかのように、一斉に荷物をまとめ、教室には抑えた声と足音が充満した。白石は迷いながらも未子を見つめ、小泉に視線を向けた後、何も言わずに皆と一緒に出て行った。佐藤由美も心配そうに未子を見つめたが、やはり何も言えず、足早に教室を後にした。
小泉はまだ机に伏せていた。肩がかすかに揺れているが、泣き声はもう聞こえない。ただ、嗚咽を押し殺すような音だけが残っていた。
未子はその場に立ち尽くしていた。怒りと恐怖の余韻に身体が震え続けている。彼女は空っぽになった教卓を見つめ、それから小泉に視線を移した。廊下から昼休みの喧騒が聞こえてくるが、それがかえって教室の静寂を際立たせていた。
彼女はゆっくりと小泉の机に歩み寄り、そっとティッシュを差し出した。
「健太君……大丈夫?」
小泉は顔を上げた。赤く腫れた目と、涙の跡が残る顔。その表情には迷いと戸惑いがあふれていた。
「小見川さん……僕……全部間違ってたの?……先生……どうして……間違いって言ってくれなかったの?……がんばったのに……でも、わからなかったんだ……それでも、先生は“いい子”って……」
その言葉は断片的で、認知の混乱と苦しみがにじんでいた。紙偶先生の「努力は宝物」「態度が大事」という空虚な言葉は、彼を癒やすどころか、より深い自己疑念と混乱をもたらしていた。
未子は、小泉の苦悩に満ちた顔を見つめ、胸が締めつけられる思いだった。完璧な答えは出せない。ただ、低く、静かにこう言った。
「間違えることは、誰にでもあるよ。大事なのは、ちゃんと直して、そこからまた進むこと……私は、そう思う。」
その言葉はあまりにも無力で、彼の心の霧を晴らすには足りなかった。小泉はうなずきかけて、また首を横に振り、最後には何も言わずにランドセルを背負い、まるで魂を抜かれた操り人形のように、静かに教室を出て行った。
未子は、教室に一人きりで残された。夕日が彼女の影を長く引き伸ばしていた。席に戻り、灰色の斑点がついたスケッチブックを手に取る。ざらざらとした表紙に指をすべらせながら、全身を包み込むような冷たい疲労感に襲われた。
そのとき——視界の端で、教卓の上に黒くて薄い端末が置き去りにされているのが目に入った。紙偶先生が“忘れていった”のだろうか。教師専用の端末だろうか。
理性では触れるなと警告していたが、怒りと好奇心が恐怖を上回った。未子は端末に近づき、それを手に取った。冷たい金属の感触。画面はロックされていたが、彼女が端に触れた瞬間、何らかの権限を検知したのか、ふいに画面が点灯した。
簡素なインターフェースに、未子の目が釘付けになる。
そこには、生徒の情動・行動記録ログがびっしりと表示されていた。
手が勝手に動き、画面をスクロールする。すると、最新の記録が現れた——
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