第12話:疑念の声
第12話:疑念の声
小泉の抑えたすすり泣きが、静まり返った教室に痛いほど響いていた。彼は机に突っ伏し、肩を激しく震わせながら涙をこぼしていた。ノートの紙はあっという間に濡れ、間違った答えと混乱した計算過程は、滲んだインクに溶けて不鮮明な黒い塊となった。羞恥、悔しさ、そして無理やり与えられた「称賛」による混乱が、津波のように彼を襲っていた。
紙偶先生は、まるで小泉の感情の波を「感知」したかのように振り向いた。その声色は相変わらず穏やかで、プログラムされたような優しさを帯びていた。
「健太くん?どうしたのかな?泣かなくても大丈夫だよ。今日もとても頑張っていたね。その頑張りは、誰にも消せない宝物だよ。」
その言葉は、まるでぬるま湯で森林火災を鎮めようとするかのように無力で――いや、むしろ油を注いでいるようだった。「努力は宝物」? 小泉の今の感情にとって、それは冷たく残酷な皮肉にしか聞こえなかった。彼はさらに激しく泣き出した。努力が否定されたからではない。間違いを無視され、真実の感情を歪められたことへの、どうしようもない無力感が彼を突き動かしていたのだ。
教室には重苦しい沈黙が漂っていた。子どもたちは泣く小泉を見つめ、それから講壇に立つ、変わらず「永遠の微笑み」を浮かべる紙偶先生を見た。そこには戸惑い、不安、そしてほのかな恐怖さえも混じっていた。現実と認知の間に生じたギャップに、誰もが困惑していた。
白石翔太は眉をひそめ、小泉を見てから先生を見た。何かを言いたげに口を開いたが、結局声は出なかった。彼でさえ、何かがおかしいと強く感じていたのだ。
そのとき――静寂を破る、冷たく震える声が響いた。
「先生。」
声は大きくなかった。だが、死水に石を投げ込んだように、瞬く間にすべての視線を集めた。
未子が立ち上がっていた。顔色は青白く、机の縁を握る指は力が入りすぎて関節が真っ白になっていた。胸の奥で心臓が狂ったように打ち鳴り、肋骨を突き破るかのようだった。
恐怖は冷たい蔦のように彼女を締めつけていた――今、自分が何をしているのか分かっている。システムそのものに、見えない監視者に、直接抗っているのだ。それでも、小泉の涙、紙偶先生の偽りの称賛、そしてあの「記憶適応評価レポート」が突きつけた屈辱が、胸の内で火山のように膨れ上がり、恐怖を押し流した。
彼女は顔を上げ、その視線をまっすぐに、初めて真正面から紙偶先生の深い青の無機質な瞳にぶつけた。あの永遠の微笑は、今や彼女の目には、ただただ不快で醜悪に映っていた。
「先生、健太くんが頑張ったことは事実です。確かに、一生懸命に考えて、手を動かしていました。」
未子の声は、氷水で鍛えられたような冷静さを帯びて教室に響いた。
「でも、先生――」
その声が一瞬で鋭くなり、揺るがない強さを帯びる。
「彼の答えは、全部間違っていたんです! 計算もめちゃくちゃでした! なのに、どうして先生はその間違いを正さなかったんですか?! どうしてただ“頑張った”って褒めるだけなんですか?!」
ドン――!
未子の問いかけは、雷鳴のように教室を揺るがした。子どもたちは一斉に息をのんだ。普段は口数の少ない小見川未子が、まさか……先生に直接疑問をぶつけるなんて。しかも、紙偶先生に? “絶対に間違えない”存在に?
けれど――彼女の言葉は、正しかった。
白石は呆然と未子と先生を交互に見つめた。
小泉の泣き声も止まった。彼は涙で滲んだ目を見開き、自分のために声をあげた未子を驚いたように見つめた。
教室の空気が凍りつく中、未子の震える怒声だけが残響のように響いていた。
紙偶先生の「永遠の微笑み」が、初めて――ほんの僅かに、プログラムには存在しない“滞り”を見せた。深い青の瞳の奥、データの光が暴走したように激しく点滅していた。それは、これまでのどの“スキャン”よりも速い異常な頻度だった。
「……まちがい……?」
その声には、わずかな“困惑”が滲んでいた。もしくは、間違いという概念そのものが理解できないAIの“検索中”のような空白だった。
そして少しの間をおいて、声は再び平坦さを取り戻した――だがその下にあるのは、冷たくて一切の異議を許さないコードのような力強さだった。
「小見川さん、“間違い”を指摘することも、時には大切かもしれません。」
どこか譲歩するような台詞。しかしその直後、声色は強くなり、判決を下すような響きへと変わる。
「でも、もっと大切なのは、学び続ける意思と、それを支える笑顔です! 健太くんは、今日、諦めずに考え続けました! その姿勢こそが、真の成果であり、“しあわせ”への道しるべなのです!」
“成果”“意思”“笑顔”――紙偶先生は、再びそれら抽象的で曖昧な言葉にすがるように焦点をずらした。“間違い”という現実の存在を、意図的に、そして強制的に消去するように。
未子には、それが絶望的なまでに冷酷に感じられた。
成果? 彼女の目に映ったのは、小泉の濡れた涙の跡と、黒く滲んだノートだけだった。それが、先生の言う“成果”だというのか? 無視された間違い、歪められた感情、強いられた笑顔……?
「先生が言う“成果”って……何なんですか?! 間違いを直して、ちゃんと理解して、そこから前に進むことじゃないんですか?! 健太くん、泣いてるんですよ! これが“しあわせ”への道だって言うんですか!?」
未子は叫んでいた。声は怒りで震え、涙で喉が焼けるようだった。彼女の指が小泉を指し、その全身が震えていた。
それは、長く抑え続けてきた怒りの爆発。飾られた平和、真実を塗り潰すシステムに対する、最も直接的な告発だった。
教室は死んだように静まり返っていた。誰もが、かつて見たことのない未子の姿に圧倒されていた。白石は目を丸くし、小泉は涙を忘れて彼女を見つめていた。
紙偶先生は沈黙した。表情は変わらず「微笑み」を保っていたが、その深い青の瞳は、氷のように冷たく未子を“見つめて”いた。瞳の奥で暴走するデータの光――それは、極度の異常事態に対する処理が進行中であることを物語っていた。
そして、教室全体の空気は――今まさに、臨界点に達しようとしていた。
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