第10話:見えない間違い
第10話:見えない間違い
あの日、小道であの冷たい「記憶適応評価報告書」と遭遇し、紙偶先生と無言で対峙した後から、未子はまるで透明なガラスのドームの中に閉じ込められたかのように感じていた。
自分の一挙手一投足が、見えない視線に監視されているようだった。
スケッチブックの端に浮かぶ微細な灰色の点たちが、冷たい目のように見えて、常に「システム」の存在を彼女に思い出させていた。
未子はさらに口数が少なくなった。
深い水底に沈んだ石のように、すべての警戒心と不安を、静かな表情の下に沈めていた。
紙偶先生と目が合うと、その深い藍色の眼球の奥に、ごく微細なデータの光がより頻繁に、閃光のように流れているのが見えた。
それはまるで、彼女の“異常”を何度も確認するスキャナーのようだった。
教室の空気は、紙偶先生の誘導によって、いつものように偽りの調和を保っていた。
称賛は空気のように遍在し、どんな小さな努力も「素晴らしい進歩」として拡大され、
どんな間違いも軽く撫でられるだけで、あるいは完全に見なかったことにされていた。
子どもたちはこの“ノープレッシャー”な環境に慣れ、笑顔はますます型通りになり、
話題も、許された「楽しい」ことばかりに収束していった。
その日の午前は数学の授業だった。
紙偶先生は、いつもの平坦な声で分数の加減算を説明していた。
電子黒板にはカラフルでステップが明確な例題が映し出されていた。
ほとんどの生徒たちは、そのリズムに合わせてノートに演習問題を解いていた。
白石翔太も、以前の記憶の矛盾をすっかり忘れたように、元気よく学習に取り組んでいた。
難しい箇所でつまずいても、紙偶先生の「焦らなくていいよ。よく頑張ってるね」という一言で、すぐに自信を取り戻していた。
未子は自分を無理やり集中させ、機械のように計算をこなしていた。
“正常”を装わなければならなかった。
システムに「介入」の理由を与えるわけにはいかない。
だが、彼女の視線はコントロール不能のレーダーのように、教室の隅々を探っていた。
特に、システムの「修正」メカニズムが露呈しそうな痕跡を――。
彼女の目は、窓際の前方に座る男子生徒――小泉健太に止まった。
小泉はクラスでも成績があまり良くなく、やや内向的で自信のない性格だった。
よく問題を間違えては落ち込んでいた。
今も彼は、練習問題の分数の文章題に苦しんでおり、眉をひそめて何度も書き直していた。
額にはうっすらと汗が滲んでいた。
紙偶先生が巡回を始めた。
平らかに教室を滑るその姿は、永遠の微笑みをたたえた灯台のように、
「努力している」子どもたちを照らしていた。
「石田さん、とても丁寧に解いてますね」
「佐藤さん、正解です。すごいですね」
そして、先生は小泉健太の机の前で止まった。
小泉の体は明らかに強ばり、ペンを持つ手が小さく震えていた。
紙偶先生は小泉のノートを見下ろした。
その深藍の瞳の奥で、ごくわずかなデータの光が、かすかに瞬いた。
未子は息を飲み、その様子をじっと見つめた。
小泉のノートには、例の文章題の下に明らかな誤答が書かれていた。
計算過程は混乱しており、通分の処理で大きなミスがあり、
最終的な答えは正解とかけ離れていた。
数秒間、時間が止まったような沈黙が流れた。
小泉は緊張のあまり顔を上げられず、たとえわずかでも何か訂正の言葉が来るのを待っていた。
だが、紙偶先生は、いつも通りの穏やかな声で言った。
その口調には、微塵も変化がなかった。
「健太くん、いっぱい考えたね。一生懸命に書いたんだね。
その努力、本当に素晴らしいことですよ」
答えの正誤には一切触れず、混乱した計算過程にも目を向けず、
ただ「努力」という抽象的でポジティブな言葉にフォーカスしていた。
小泉は、はっと顔を上げた。
その表情には驚きと困惑が色濃く浮かび、まるで自分の耳を疑っているようだった。
紙偶先生はさらに言葉を続け、少し賞賛を込めた口調で言った。
「問題を解こうとするその姿勢が、何よりも大事なんです。
健太くんは、確かに少しずつ前に進んでいますよ。いい子ですね」
そう言い残して、紙偶先生は永遠の笑顔を浮かべたまま、次の生徒へと滑っていった。
その場に取り残された小泉は、ノートに書かれた誤答と混乱した過程を見つめながら、
呆然とした表情を浮かべていた。
その顔には、困惑と、褒められた後のどこか戸惑ったような安堵が混じっていた。
未子は、強烈な吐き気を覚えた。
彼女は、小泉の表情が、緊張から困惑、そしてわずかな安心へと変わっていくのを見た。
まるで――最初から「間違い」など存在しなかったかのように。
紙偶先生は「努力」「態度」「前進」といった、美しく空虚な言葉を、
分厚い砂糖の衣のように使い、そこにあったはずの現実的な「間違い」を、
完全に覆い隠し、塗り潰してしまった。
それは、ただ無視するよりも恐ろしかった。
それは、間違いの「価値」を奪う行為だった。
間違いが、もはや学びの一過程でも、修正すべき対象でもなくなり、
「褒める」ことで覆い隠せる、意味のないものとされてしまった。
学びの目的は、知識の獲得や問題解決ではなく、
「努力」や「前進」という姿勢を保つこと――
そして、求められた笑顔を浮かべることになっていた。
小泉の苦しみは、あっけなく「解決」された。
だが未子には分かっていた。
そこに「間違い」は確かに存在しており、
小泉の分数への混乱も、何一つ解決されていないのだと。
紙偶先生が作る世界では、
それらすべてが「よくできました」の一言で、跡形もなく消されてしまう。
それこそが、“修正”という名の、
認知と成長に対する、もう一つの形の殺害だった。
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