第5話『信頼の重さ ―クレアの涙と黒田の器―』
朝の柔らかな光が、王都の裏通りにある一軒の店舗を照らしていた。
そこに、看板がひとつ――《黒田商会》。
ついにギルドとして正式認可された、黒田たちの拠点だ。
その事務所の一室で、黒田が真剣な表情で椅子に腰かけ、テーブル越しに3人の仲間たちを見渡した。
「――これより、第一回営業ミーティングを開始する!」
……沈黙。
「ミー……ティン……グ?」
ルミナがぽかんとした顔で繰り返す。
「それって……なんかの道具? 売れるやつですか?」
「何かの儀式かと思ったわ」
クレアが腕を組み、やや警戒する。
「……なんか、響きだけは強そうだな」
サムは眉間に皺を寄せ、胡散臭そうに呟いた。
黒田は頭を抱えた。
「お前ら……ミーティング知らないのか……!」
がっくり肩を落とす彼だったが、すぐに顔を上げ、口調を整える。
「いいか。ミーティングってのは、組織の命綱だ。今日やること、課題、役割分担――全部ここで確認する」
「つまり……仕事前の準備体操、みたいなもんかの?」
「惜しいけど違う! いやまあ、そんな感じだ!」
黒田は羊皮紙に書き込みながら説明を続けた。
黒田:業務全般と戦略リーダー
ルミナ:販売営業と黒田の訪問同行
クレア:事務・在庫・管理・顧客対応
サム:会計・経理・請求対応
「会社ってのは、“チーム戦”だ。情報と信頼が命。だからこそ、俺たちは“同じ地図”を持たないといけない」
ルミナはガタッ!と席を立ち
「地図!わたし地図なんてもらってません…!どうしたらいいんですか!?」
黒田は呆れたようにクスッと笑い
「地図ってのは例え話だ…同じ方針を持っていこうなってことだ」
「はぇ!?そうだったんですね…!し、失礼いたしましたぁ…」
恥ずかしそうに椅子に戻るルミナ
ルミナの天然ボケで場が和んだ
* * *
ミーティングを終え、黒田とルミナは新商品の営業へと市場へ出かけた。
一方、事務所では、クレアとサムが伝票の整理と配送準備をしていた。
「うーん、この伝票……これ、リッツ卿宛てで合ってるのよね…?アグナー地区の郊外の番地…だったけど」
「アグナー地区か……いや、それは……確かそこは。
“ファーガス卿”が統治している地区じゃなかったかの…?」
サムが怪訝な顔で呟く
「えっ…?」
クレアの手が止まる。
だが、そのとき既に、配送の馬車は出発していた。
――宛先は、希少鉱石の購入希望を出していたが“落選した”大貴族・ファーガスの屋敷。
「……っ!」
クレアは外套を掴んで飛び出す。
馬車の後を必死に追うが、石畳の道の先で角を曲がった馬車は、もう見えない。
「間に合わなかった……ッ!」
ただ呆然と立ち尽くすクレア————
————夕方
営業から戻った黒田に、クレアは恐る恐る声を掛ける。
「黒田さん…ちょっと…」
「ん?どうかした?」
クレアは意を決して頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……! 例の希少鉱石の…配送伝票の宛先、間違えて……っ! 私、ちゃんと確認したつもりで……!」
あってはならないミスを犯したという責任と罪が、過去を思い出させ、震えが止まらないクレア。
(きっと追い出される……嫌われる……また私は……独り…)
だが、黒田は静かに微笑んだ。
「怖かったろ。よく言えたな」
「……え?」
「自分のミスを認めて、謝るのって、勇気がいる。だから俺は、お前を誇りに思うよ」
クレアの瞳が大きく見開かれる。
「ミスなんて誰でもする。大事なのは、次どう動くか、だろ?」
その言葉に、張り詰めていたものが一気に崩れた。
「ぅう……黒田さん…!すみませんでした…次は気をつけます…!」
クレアは声を上げて泣きじゃくる。
ルミナがそっとクレアの肩をさすり、サムがため息をつきながら頭を撫でた。
————翌朝。
一行はファーガスの屋敷を訪れた。
門の前で事情を説明し、しばらく待たされたのち、一行が通された応接間には、壮年の男が背筋を伸ばして立っていた。灰色の髪、鋭く光る瞳、長身で、細やかに整えられた髭。
「――して、お前たちが。黒田商会の者か」
その一言だけで、室内の空気が冷え込んだような錯覚がした。
黒田は臆せず
「はじめまして、ファーガス卿。黒田商会の黒田と申します。この度は……大変なご無礼をいたしました」
丁寧に一礼し、視線を上げる。ファーガス卿は、腕を組み、じっと彼を見据えていた。
今回の件での一連の流れを端的に説明した。
そして———
「なるほど……つまり、我に届いたのは“間違い”だったと」
ファーガス卿は、どこか皮肉めいた微笑を浮かべながら言った。
「お前たちの目の前に居るのが…誰だかわかっているのであろうな…?」
空気が重い————
隣で座るクレアはキュッと悔しそうに唇を噛む。
————大貴族“ファーガス卿”
黒田商会が営業する販売店だけでなく、得意先、商業ギルド
そして、黒田商会本部を構えている場所は、ファーガスの息がかかっている“お膝元”であった————
つまり、ファーガスの機嫌を少しでも損ねるような真似をすれば
設立したての力のない黒田商会など、簡単に捻り潰されてしまうのだ。
「————お前は黒田とか言ったな。」
「…えぇ。」
「お前は、この我に“間違えたから返せ”そう言いたいのだな。
その主張にどんな筋があるのか。説明してもらおうじゃないか」
———黒田は間髪入れず即答する。
「弁解の余地はございません。ただそれでも、貴方のような高貴なお方であれば、この話を聞き入れてくださると、私ども信じて参上しました」
「なぜ、余がそれを受けねばならぬ?」
黒田は一歩前に出ると、穏やかに言葉を続けた。
「確かに、あなたは購入希望者の一人でした。しかし最終的に購入者はリッツ卿に決まりました。もし、貴方がこのまま商品を手元に置かれた場合————」
「……?」
「市場での競争の透明性が失われ、今後の供給者たちが“誰に優先して売るべきか”に混乱が生じます。これは、ひいては貴方のようなご高名な貴族の名誉に、かすかな影を落とす可能性もある」
ファーガスの瞳がわずかに細められた。
「――続けよ」
「つまり……本来の取引を正しく戻すことこそが、
“貴方の信頼と品格を守る”最も有効な選択です」
しばし沈黙。
応接室を包む、圧のある沈黙の中、ファーガスはふっと鼻を鳴らした。
「……ふむ。信頼と品格、か。なかなか良い響きだな。面白い。その言葉に免じて、受け取った鉱石は返却しよう。そして、黒田。お前の運営する市場も通りすがりにでも視察してみようではないか。」
「……ありがとうございます、ファーガス卿」
「ただし――次はないと心得よ。黒田商会とやら」
黒田は深く頭を下げた。
「肝に銘じます」
屋敷を出たあと、クレアは空を見上げた。
青く、高く、広がる空の下で、肩の荷がふっと軽くなる。
「……ありがとう、黒田」
「礼を言うのはこっちだよ。お前が隠さなかったから、こうして対処できた。これからも頼むぜ、クレア」
クレアは目元を軽く拭って、微笑んだ。
「……了解したわ、社長」
次回へ続く…