第2話『管理という名の正義、彼女は在庫の中にいた』
――午前九時。地方市場。
黒田の露店は、今日もにぎわっていた。
「いらっしゃいませ〜! 本日限定、にんじん三本で銀貨一枚ですっ!」
ルミナの明るい声が市場の空気を引き締める。
元農家の娘というだけあって、野菜の魅力を伝える口調と笑顔は堂に入っている。
黒田はその様子を見ながら、店の端で帳簿をぱらぱらとめくっていた。
「……ん? 数が合わねぇな……?」
売上と在庫表に、微妙なズレがある。野菜の数も、入荷記録も、なにかちぐはぐだ。
「ルミナ、今朝のカボチャ、五個納品したって言ってたよな?」
「は、はい! 五個で合ってますっ!」
「でも帳簿じゃ七個。しかも、三個は中が腐ってたって客が――」
「えっ!? そ、そんな、昨日の夕方、すごく元気だったのに!」
黒田が頭をかかえる横で、ルミナも真っ青になる。
「おいおい、まさか在庫管理まで手が回ってないのか……?」
まさにその時。
「おいコラーッ!! どこだ! この小麦仕入れたのはァァァ!!」
怒鳴り声とともに、市場の奥から現れたのは屈強なパン職人の親父。手には半分湿った小麦袋。
「こちとら今朝のパン、全滅じゃねーか! ふざけんな! おかげで朝の売り上げが!」
「えぇぇえ!? ま、まさか、それって昨日の……私、仕入れたやつ……?」
「ってことは、完全にこっちの責任だな……やべえ……!」
黒田が謝りに出ようとした、その瞬間。
「黙ってて。ここからは私の仕事よ」
すっと前に出てきたのは――紫の長い髪を持つ美女、クレア。
かつての宮廷秘書官、いまは市場の在庫管理係。
「この小麦……昨日の午前に搬入されたロット*ね。袋の底が湿ってる。朝露と保管の甘さが原因。次回から乾いた藁を敷くように」
「つまり。悪いのは野菜屋の彼女じゃない。市場全体の保管体制が甘かったの。責任を押し付けたいなら、市場管理長を呼んで。あとはどうとでも話をつけるわ」
「……チッ、分かったよ!」
パン職人はやや毒気を抜かれた顔で去っていった。
その後、ルミナは泣きべそ顔で何度も頭を下げ、黒田は溜息まじりに言った。
「……あの人、すげえな。瞬時に状況を整理して、ちゃんと相手にも筋通して。ああいうのが“管理職”なんだろうな……」
すぐにお礼を言おうと、黒田は在庫エリアへ向かった。
「クレアさん、さっきは本当に――」
「仕事しただけよ。べつに感謝なんて要らないわ」
彼女はぴしゃりと言い放ち、視線すら向けずに去っていった。
*
それから数時間後――
市場の裏手。
荷台の影で、クレアは一人、木箱に腰を下ろしていた。手には、半分開いた記録帳。
「はぁ……あの時みたいに、また……」
彼女の瞳が、遠くを見ていた。
かつて――王国記念式典。
同僚の秘書官に罠を仕掛けられ、責任を押しつけられた日。
それでも、彼女は「誰にも迷惑をかけないように」と、静かに職を離れた。
それが、“クレア”という名の誇りだった。
けれど、市場という雑多な場所で、誰にも顧みられず、在庫の数を毎日ひたすら数えているうちに、ふと思う。
(私、何のために……?)
「……あ、いた。クレアさん」
静かに近づいてきたのは、黒田だった。
「また感謝しに来たわけ? もう言ったはずよ」
「いや、そうじゃなくて……ちょっと、あんたの話が聞きたくてさ」
黒田は、クレアの隣に腰を下ろす。
「俺さ、サボってたんだよ。転生前、会社でも“窓際族”って言われてて。ある時仕事で大ミスかまして、みんなから煙たがられてて。で、雷落ちて死んだ。笑えるだろ?」
「……あなた、正気?」
「自信はないけどな。でもさ、あんたの目を見てて思ったんだ。多分俺たち、似た者同士だって」
クレアは、しばらく黙っていた。
だが、ゆっくりと口を開く。
「私も……信じてた人に、裏切られた。……逃げたわけじゃない。でも、ずっと“どこにも居場所なんてない”って思ってた」
「だったら、うちに来ればいいじゃん。黒田商会。まだまだ小さなチームだけど、在庫ぐちゃぐちゃ、野菜腐って、帳簿も適当。でも、これからちゃんとした“組織”にしていきたいんだ。あんたの力が必要なんだよ」
「……言っておくけど、甘やかすつもりはないからね。あの子にも、あなたにも」
「おう。スパルタ歓迎だ」
クレアは小さく笑った。
その笑みは、市場に吹いた風よりも柔らかく――
どこか、前を向いているようだった。
こうして、元・宮廷秘書官は黒田の一員となった。
“在庫”と“過去”を整理するのは、きっと彼女の得意分野なのだ。
*ロット:「まとめて作った分」や「まとめて売った分」のことを「ロット」と呼びます。
たとえば工場でジュースを1万本つくるとき、1000本ずつまとめて作るなら「1000本=1ロット」と考えます。ロットごとに製造日や材料が違うこともあるので、品質管理や在庫管理でも大事な考え方です。