第11話『焼け野原のセールスマン』(中編)
午前。仮設市場の開場と同時に、周囲の住民たちが集まってきた。
「……なんだこれ」「本当にやってんのか?」「焼け跡の中で市を開くなんて……」
皆、半信半疑だった。
だが、その中に、懐かしい顔があった。
「黒田さーん!」
声を上げて駆け寄ってきたのは以前、通りかかった小さな村で井戸を
修理した時の村人たちだった。
「みなさんご無事だったんですね……!」
黒田はほっと胸を撫でおろした。
「うん。でも、家は焼けちゃって……でも、黒田さんがやってるって聞いて、希望が湧いたの!」
「なあ黒田さん、俺たちにも売らせてくれよ。倉庫にちょっとだけ野菜、残ってたんだ。商品に混ぜてくれたら嬉しい!」
黒田は迷わず頷く。
「もちろん!あなた方はもう、うちの“仲間”ですから」
荷馬車から物資を下ろしていたファーガスがそれを見て、微笑んだ。
「……営業というのは、売り込みだけではないのだな。理念を売り、信頼を買う。なるほど、“商売”とはこういうものか」
黒田が横に立ち、答える。
「僕ら営業は、商品を売る前に“人の思い”を届けるんです。それが、売る理由になる」
午後。市場には子どもたちの笑い声が戻ってきた。
「お菓子、一個だけ!」「おじちゃん、まけてー!」
「しょうがねえなあ!一個だけ、タダだ!」
復興支援の名の下、誰もが少しずつ、自分の“余裕”を分け与えていた。
やがて、最初は黙って見ていた大人たちも、財布を開き始めた。
「……あの人たち、本気でやってる」
「売れるわけないって思ってたけど、見てたら……なんか、買わなきゃって気がしてくるよな」
一人、また一人と、買い物袋を手にする。
それは物資の流通ではなく、“心”の流通だった。
──この日、「仮設市場」は100人以上の来場を記録した。
全てが焼けて失われたはずの街に、再び灯る灯火。
営業マン・黒田とその仲間たちの“熱意”が、焼け野原に風を起こしはじめたのだった。
—————数日後
仮設市場は今日も元気だった。
屋根は布と木の寄せ集め、壁は風が吹けば揺れるようなつぎはぎ。それでも、通りには人が集まり、笑い声が戻ってきていた。
クレアが帳簿を持って巡回し、サムが広場の一角で簡易の帳場を構える。
「ファーガス卿からの支援物資は、先月分と合わせて……うん、ようやく収支も見えてきたな。」
かつて焼け野原だったこの場所に、再び“商売”が芽吹き始めていた。
一方その—————
黒田は市場の端で、仕入れ品の箱を開けながら、ふと足元に何かがあるのに気づいた。
「……ん?」
紙だ。だが、風に舞ってきたものとは違う。意図的にそこに“置かれた”気配がある。
拾い上げると、古びた封筒。中に一枚の手紙。丁寧な筆跡と、異様な緊張感をはらんだ文面。
『僕は、真実を話したい。
明け方、ファーガス卿の倉庫裏で待つ』—————
黒田は、その文末にわずかに震える自分の指を見て、深く息をついた。
「……さて。面白くなってきたな」
————————
東の空がうっすらと明るみ始める頃。
ファーガスの倉庫裏は、まだ静まり返っていた。朝露の気配と、薄い霧が地面を這う。
黒田は一人、背中を壁につけて立っていた。
特に武器も持っていない。ただ、経験から来る勘と、好奇心だけが彼を動かしていた。
──そして、霧の向こうから足音。
小さな、だがしっかりとした歩みが近づいてくる。
現れたのは、思わず声をかけたくなるような少年だった。銀色の髪が夜明けの光を受けてほのかに輝き、頬にはそばかすが浮かんでいる。
そして宝石のような緑の瞳は、驚くほど澄んでいた。
「……黒田さんですね?」
「……ああ、そうだ。君は…?」
少年は、ほんの少し、胸元で拳を握りしめる。
「僕の名前は、“ロンド”。グレーカンパニーで法務官研修員として所属しています。」
黒田は相手を観察するように、ゆっくりと目を細める。
年のころは十代前半──にも見える。線の細い身体に、まだ幼さの残る輪郭。だが、背筋はまっすぐだった。
「グレーカンパニーに所属している君が、どうしてここへ?」
ロンドは、ほんのわずか逡巡してから、口を開いた。
「……僕は、小さい頃から法律の勉強をしてきました。王立図書館に通って、憲章も判例も、何百も読みました。勉強して、考えて、論理を磨いて……そうすれば、社会は変えられるって、信じてた」
そこまで言って、彼は少しだけ口ごもる。
「でも、あの会社は違った。力のある者が弱い者を黙らせる。貴族と結託して、市場を支配して…ついには商売の為に命までも奪う…それでも、誰も咎めない」
「……それが、許せなかったのか?」
ロンドは顔を上げた。その目は、今にも泣きそうなほどまっすぐだった。
「黒田さん。あなたたちのやっていること……民衆の為に、焼け野原に店を開いたこと、営業で人の心を動かしていたのを見て、思ったんです。あれこそが、“本当の商売”だって」
「だから……僕を、雇ってほしい。あなたたちの“頭脳”として」
黒田は眉を上げる。
「頭脳……?」
「僕は論理を組み立てるのは得意です。法律も、戦略も、調査もできます。でも……」
ロンドはぎゅっと拳を握った。
「でも、うまく喋れないんです。緊張すると、頭の中の言葉が全部バラバラになっちゃって……」
「だから、黒田さん。あなたが、僕の“口”になってください。僕はあなたの“頭”になります。──一緒に、正しいことをしませんか?」
沈黙。
朝日が倉庫裏に差し込み、光がふたりの足元に長い影を落とす。
そして、黒田はゆっくりと笑った。
「……信用できる目をしてんな、ロンド」
ロンドが目を見開く。
「ようこそ。黒田商会へ。取引成立だ!」
握手。小さな手と、大人の手が重なったその瞬間、異世界の片隅に、新たな“法務”が誕生した。




