第11話『焼け野原のセールスマン』(前編)
朝焼けが街を赤く染め始めた頃、空気にわずかな違和感が混じっていた。
風が、焦げたような匂いを運んできた。
「……なんだ、この匂い……?」
黒田が小声でつぶやいた直後、街の遠くから、地響きのような轟音が響いた。
「魔物だー!魔物が来るぞォーーッ!」
誰かの叫びが空を裂いた。
次の瞬間、地平線の向こうから、黒煙が立ち上る。群れをなした異形の影が、怒涛の勢いで街へなだれ込んできた。
──ゴブリン族の襲撃
まるで軍隊のように、先頭が道を切り開き、後続が略奪と破壊を繰り返す。戦術的ですらある進軍だった。
「全員、逃げろッ!命あっての商売だッ!」
咄嗟の黒田の怒号が、街の混乱にかき消されるように響く。
クレアはルミナの手を掴み、店の帳簿を抱えたサムとともに裏通りへ走った。
「荷物なんかいいからッ!早く、こっちよ!」
一方、ゴロは慌てる人々を安全なルートへと誘導していた。
「こっちです!この通りはまだ塞がれていない!」
彼の冷静な指示がなければ、多くの者が巻き込まれていたことだろう。
誰もが必死だった。だが──それでも、守り切れなかった。
————————
明け方、黒田商会の面々は街を見下ろす小高い丘に立っていた。
そこから見えたのは、まるで地獄のような光景だった。
木々は焼け落ち、石造りの家々すらも倒壊し、黒煙が未だ空を這っていた。
──そしてその中心には、崩れ落ちた黒田商会の事務所。
「————ああああ……ッ!」
ルミナが泣き崩れる。
「せっかく、せっかく皆で……!」
「……ごめんなさい、……私が、もっと早く気づいてれば……」
隣で肩を震わせるクレアが、声を詰まらせる。
サムは逃げる前に拾い上げた、焼け焦げた黒田商会の表札の欠片を
ただ、黙って見つめていた。
彼の目にも、老境の理性を押しのけるような哀しみがあった。
「……クソが」
黒田が、唇を噛みしめて吐き捨てる。
拳を固く握ったその手には悔しさだけが滲んでいた————
だが、そのときだった。
「黒田さん」
背後から、そっと呼びかける声がした。
振り返ると、そこには、少し俯いたゴロの姿があった。
「話があります。……人目のないところで」
黒田は頷き、人目を避けるように林の奥へと向かう。
ゴロは深く息を吸い、口を開いた。
「……あのゴブリン族の動き……あれ、間違いなく
“統制された動き”でした。つまり————誰かが率いてる可能性があります…」
黒田はしばし黙ったまま、真っ直ぐゴロを見つめた。
「……お前は、俺たちの味方だ。信じてる。だから、言ってくれてありがとな」
「……っ」
ゴロの目が、一瞬だけ潤んだ。だが、彼はすぐに顔を引き締める。
「このままでは終われません。僕にできることがあれば、何でも言ってください。僕は、黒田商会で生きると決めたんです」
黒田は頷き、ゴロの肩に手を置いた。
「よし。お前がその覚悟なら──こっちも、腹を括るとしようぜ」
————————
丘を下りた黒田たちは、半壊した街の一角に集まっていた。風はまだ、焦げた木材の匂いを運んでいた。
がらんとした広場。かつて露店が並び、人々の声であふれていたこの場所も、今は瓦礫の山と化している。
「ここしか……もう、使える場所はねえな」
黒田は静かに言った。土埃にまみれた足元を見ながら、空っぽの視線を遠くにやる。
「でも、やりますよね…?」
ルミナが言った。泣き腫らした目のままで、無理にでも笑顔を作ってみせる。
「だって、営業って“何もないところ”から始めるもんでしょう?うちの畑だって、最初は雑草まみれだったし!」
クレアが、そっと頷いた。
「……在庫も什器も記録も、全部なくなった。正直、再建なんて夢のまた夢かもしれない。でも……」
彼女はまっすぐ黒田を見た。
「わしもじゃよ」
サムが杖を突きながら進み出る。
「数字はゼロからでもまた積み上げられる。だが、人の絆と信頼だけは、一夜では戻らん。……わしはそれを、守りたい」
ゴロも、黙ってうなずいた。
「広報の設備も、道具も全部なくなりました。でも、伝えたい気持ちは残ってます。あのチラシを配ってた日々を、僕は……忘れません」
──そのときだった。
「ふむ。どうやら“黒田商会”は、まだくたばっておらんようだな」
低く響く声が、彼らの背後から届いた。
振り向けば、立派な馬車と共に現れたのは、
かの大貴族─ファーガス卿だった。
「ファ、ファーガスさん!?」
ルミナが目を見開いた。
ファーガスは、傍らの従者に目配せし、荷馬車からいくつもの麻袋を下ろさせた。中には、保存食・布・木材・薬剤などの大量の備蓄品
「ファーガス卿…!?これはどういう…」
黒田は驚いたように歩み寄る
ファーガスはしばし視線を遠くにやった。
「貴族として民を守ること。それを、我は“肩書き”で行ってきた。だが……おぬしらは“営業”で、それを成した」
黒田「……」
「かつて商人だった我はいつしか、“大貴族”という称号を与えられ、崇められてきた。そのうちに忘れていた、商人としての“誇り”—————
思い出させてくれたおぬしら『黒田商会』には恩がある。」
——今度は、我が恩を返す番だ——
黒田は、ぐっと拳を握った。胸の奥が熱くなる。
──初めて会ったとき、ファーガスはただの横柄な貴族だった。
だが、営業という手段を通じて、少しずつ信頼が芽生えた。やがて、互いの“立場”を超えて、言葉を交わせるようになった。
そして今──
「ありがとうございます、“ファーガスさん”。」
黒田がそう呼ぶと、ファーガスは目を細めた。
「ふむ。その呼び方は、少々くすぐったいのう」
「でも……こっちのほうが、今のあなたには似合ってますよ」
ファーガスは、にっこりと笑った。
「……さて、手伝うぞ。わしとて、木箱くらいは運べる。老体に鞭打つのも、たまには悪くない」
ファーガスはそう言って、自ら木材を担いだ。驚く従者たちに手で制しながら、ずしりと重い木の束を地面に下ろす。
「──さあ、“営業の力”とやら、見せてみよ!」
黒田商会「はいッ!」
クレア「仮設市場、立ち上げましょう!」
サム「ふむ……屋台の骨組み図は、わしが設計してみようかの」
仲間たちの声が、がれきの街に再び響きはじめた。
仮設市場──それは、焼け野原の中から生まれる、小さな希望の始まりだった。




