第7話『現れたライバル!“銀色”の暗影』(後編)
翌朝。
黒田商会の事務所に、コツ、コツ、と控えめなノック音が響いた。
「……はいよー。クレア、誰か来たっぽいぞー」
黒田が書類をめくりながら声をかけると、クレアが扉を開ける。
そこに立っていたのは、ひとりの青年――ゴブリン族の青年だった。
年齢は黒田たちとさほど変わらぬくらいか。姿勢は低く、声は落ち着いていて、目には穏やかな光が宿っていた。
「……し、失礼します!昨日、広報部の募集チラシを拝見しまして……もし、まだ募集しているのなら、ぜひお話を伺いたいのですが」
手には折り目のついたチラシと、古びた木箱――なにかの道具らしきもの。
クレアが小さく頷き、室内に招き入れる。
「では、少しだけお話を聞かせてもらえるかしら」
青年は深く頭を下げて名乗った。
「ゴロと申します。元は山のゴブリン部族で、雑務や下働きをしていました。しかし……争いが絶えず、疲れてしまいまして。いまは、郊外の片隅で一人静かに暮らしております」
「争いが嫌いなのね?」
「ええ。強い者が声を上げ、弱い者が黙る。そんな仕組みには、もう関わりたくありません」
黒田が興味深そうに尋ねる。
「じゃあ、その道具は?」
「絵を描く道具や、紙芝居が入っています。街の公園で、子供たちに物語を語っていました。小銭はもらえませんが……目を輝かせてくれる顔が、嬉しくて」
クレアがじっとゴロを見つめ、やがてゆっくりと言った。
「……あなたは、伝えることが好きなのね」
「はい。誰かの心に、小さな火を灯せたらと……」
その瞬間、黒田とクレアの視線が合った。何も言葉は要らない。
黒田が立ち上がり、にかっと笑う。
「ゴロくん、君を広報部として迎えたい。紙芝居とチラシ、君の“伝える力”を活かしてみないか?」
ゴロの目が、少しだけ見開かれる。
「……よろしいのですか? 私のような、世間の端にいた者でも」
「むしろ歓迎だよ。“伝えたい”という気持ちを持っている君はもう、十分な“才能”を持っているよ」
「……ありがとうございます!」
こうして――
青年ゴブリン・ゴロは、黒田商会の広報部として迎えられることになった。
数日後。
ゴロはすでに黒田商会の一員として、事務所の隅に静かに腰を据えていた。口数は少ないが、与えられた仕事に対する姿勢は丁寧そのもの。
そして今、彼が見せているのは――一枚の手書きポスター案だった。
「……こ、これ、全部……ゴロ君が作ったの!?」
ルミナが思わずのけぞる。
テーブルの上には、手書きながらも洗練されたレイアウトのポスター案。色づかいは優しく、言葉は温かく、しかし説得力がある。
《信じるのは、声かけてくれたあの人達だった。
信頼できるセールス。———黒田商会》
クレアが目を丸くする。
「……これはもう、完全に“仕事”よ。商人街で普通に貼ってあっても違和感ないレベル」
サムも、眼鏡越しにじっと見つめながら頷く。
「理屈より感情に訴える、か。うむ……数字では測れんが、確かに効果はあるだろうな」
ゴロは照れくさそうに目を伏せた。
「ありがとうございます。街の子どもたちに紙芝居を見せる中で、何が心に届くのか、考えていたら……こういう言葉になりました」
黒田がにっこりと微笑んで、手を差し出す。
「ありがとう、ゴロ。君が来てくれて、本当によかったよ」
「……こちらこそ。自分に、居場所をくれて……ありがとうございます…!」
その眼差しは、どこか過去の黒田自身にも重なるものだった。
————それから数日後。
商人街のあちこちに、ゴロが作ったポスターが貼られ始めた。
やさしく微笑むイラストとともに添えられたこの言葉に、人々の目が止まる。
「なんだい、最近の黒田商会、活気づいてるわねぇ…」
「黒田商会さんは品物もちゃんとしてるし、噓はつかないから安心だよな!」
「“営業”っての、信用できるのかもな……」
————そんな声が、少しずつ少しずつ、広がっていく。
その様子を、商人街の裏路地からじっと見つめていた者たちがいた。
灰色のエンブレムを付けた者たち――グレーカンパニーの幹部たちだ。
「チッ……やるじゃねぇか、黒田商会……。まさか、ゴブリンなんかを使ってあそこまで仕掛けてくるとはな」
「へっ、口先だけだと思ってたが、ちゃんと種を撒いてやがる」
「いいさ。ならこっちも――“本気”を出すまでだ」
男たちの影がすっと通りを離れていく。
そう、営業バトルはまだ始まったばかりだ。
だが黒田商会には、仲間がいる。
数々の異なる“声”と“意志”が、ひとつの目標へと集い始めていた。
信頼は、声から始まる。
そして今日も、静かに、黒田商会の一日は回り続ける――。




