∫ 2-5.相対性理論 dt
まえがきは割愛させていただきます。
可能な限り、毎日0~1時の間に次話投稿いたします。
レイが月曜の一限目の講義室に入って行った。
まだ新入生向けの部活紹介や大学の追加オリエンテーションに関する立体表示がまだ継続されていた。
レイは歩いて、また人気のない前方の席に移動した。
レイの着ているポロシャツの中央にスペースコロニーが描かれていて、レイの動きを感知してクルクル回転していた。
レイが席に移動するその様子を見て、男女数人がコソコソ小さい声で話していた。
レイは横目でその様子を見ながら、席まで移動して座った。そして、波多野の言ったセリフを思い出した。
(気にしない、気にしない。気にしたら負けだぜ!)
そうだ。気にしないのが一番。そう心の中で唱えた。
ところが、そのコソコソ話していた男女数名がレイの方に近づいてくる。
レイは内心ドキドキした。
男女がレイの周囲まで来て、話し始めた。
「なあ、柊くん。」
「かすみから聞いたよ!教えるの、めちゃうまいって‼」
緊張でうつ向いていた顔を持ち上げて、その女子の顔を見る。
「ねっ、お願い!私にも教えて‼量子力学。週末やったんだけど、全然分かんなくってさ。」
「そう。おれも全然分かんなかったんだよ。やべぇと思ってさ。」
その時、波多野と女子二人が講義室に入ってきた。
レイの周りの人だかりを見て、波多野が急いでレイのところにいく。
「おいおい、お前ら。なにやってんだよ!」
「おっ、波多野じゃん。オメーばっかりずるいんだよ。
おれらも教えてほしいんだよ。量子力学。」
「おまえら、答え教えてほしいんじゃ…」
その言葉に女子の一人が反論する。
「私たちはかすみみたいに教わりたいだけ!あんたたちだけ、ずるいのよ。」
「えっ?そうなの?」
レイと一緒に勉強した女子の一人が話した。
「実は私が教えたの。
柊くんの教え方がすっごい上手で、この前の授業で先生が進めたところは全部理解できたし、問題も解けるようになったって。
この調子ならこの教科は絶対A+だって。」
「だって、かすみ、この前の授業の時、まるで分かってなかったのに。
まあ、私もだけど。
そのかすみがA+取るってんだから、よっぽどでしょ。
そりゃ、受けない手はないでしょ。」
その話を聞いて、ますます人が周囲に集まってきた。
最初に集まってきていた男子の一人がお願いする。
「そうなんだよ。だからさ、柊先生。お願いします。この通り。」
そう言って男子が手を合わせる。
それを見た他の人も柊先生に向けて手を合わせた。
レイは少し驚きはにかみながら、波多野の方を見た。
波多野はレイを見て、少し笑って、頷きながら掌を上に向けてレイに手を差し出した。
(どうぞ、思いのままにー!)
そう波多野が言っている気がして、レイがみんなに答えた。
「あの、良いですよ。ぼくで良ければ。
じゃあ、今週も週末やりましょうか。」
「やったー!」
集まっていたみんなが声を上げた。
レイの胸に描かれ、回転しているスペースコロニーの裏に一筋の流れ星が流れた。
波多野と女子二人が見合わせ、嬉しそうな、でも自分達だけの先生をちょっとだけとられた切なさを込めた笑顔をした。
教授が講義室に入ってきた。
その瞬間、ザワザワとみんな自分達の席に戻って行った。
教授はレイを見つけて、瞬間歩みを止めたが、再び歩きだし、教壇に立った。
レイにぎゃふんと言わされた関数概論の教授だった。
「えー、先週は講義をしないと話しましたが、君達からは授業料ももらっていることですし、やはり授業をするのが筋かなということで、授業をやりたいと思います。」
教授はチラチラとレイの方を見ながら話していた。
教授が授業をしている時に波多野がさっき集まっていたメンバー+女子二人、そして自分とレイを入れた勉強会メッセンジャーのグループを作って、メッセージを流した。
(この勉強会はあくまでも答えを聞くのではなく、考え方を柊先生に教わる勉強会であります。
異議のある人は参加いただかなくて結構です。日時、場所は追ってお知らせします。)
みんながBCDの画面を見て、少しザワザワした。
教授もそれに気づいたが、先週の事件で少し落ち込みぎみで何も言い出さず、授業は進んでいった。
「失礼します。」
レイは午前の授業を終え、昼食をとった後、糸魚川教授の研究室に入った。
ちょうど准教授、博士課程の学生と糸魚川教授が議論をしていた。
先週レイが聞かれた式のところから、その次の式まで導出しようとしているところであった。
「おお、柊くん、良いところに来てくれた。
あっ、紹介しよう。彼は准教授の牧瀬くん。
それと博士課程の横田くん、大野くん、相沢くんだ。」
准教授や博士課程の生徒たちもレイを見て、席から立ち上がった。
「はじめまして。柊レイです。」
「はじめまして。お噂はかねがね。本物に会えるなんて光栄です。」
准教授の牧瀬がそう言いながら握手を求めた。
レイも軽く会釈して握手に応じた。
博士課程の生徒たちも握手した。
「挨拶は済んだかな。柊くんが来てくれたら、もう百人力だ。
君たちもういいよ。下がってくれ。」
「あっ、はい。」
准教授や博士課程の学生たちは、この後の式展開が気になっていたが、教授には逆らえないため、席を後にした。
准教授たちが出ていったことを確認した後、糸魚川教授が少し声をあらげて言った。
「最近の若いものは勉強が足りてないな。この式の展開もできないなんてな。」
とレイの方を向いた。
「君なら分かるよね。」
ウォールディスプレイにはこの前聞かれた式が書かれていた。
そして、そこから次の式までの導出部分を書いているようであった。
もちろんこれは柊レイが書いた論文なので、当然全て一度計算したものであり、全て把握していた。
「これって今度の、来月のジュネーブで開かれる会議の発表内容ですよね?」
「ああ、その通りだよ。この前も言ったと思うが、一通りの説明をしなければならんのでな。
ただ全部を話すわけにもいかんだろうから、かいつまんで説明せにゃならんのだが、一度全体を復習しておいた方が良いと思ってね。」
教授はレイの目を見たが、まっすぐなレイの眼差しに目をそらして話した。
「ちょっと解いてみてくれるかな。
疑っているわけじゃないんだ。もし忘れていると大変だからな。ははは。」
糸魚川教授が笑いながら話した。
その時、土曜日に感じたあの感覚が再び甦った。
それはカフェで女子の一人があの言葉を言った時の感情と同じだと気がついた。
(だって、柊くんがいるんだよ!?
あっという間に柊くんが解いちゃうでしょ。すぐ終わるよ。)
その時にレイは悟った。
以前は必死に夢中になって追い求めたはずなのに、糸魚川教授から6次元の謎の解明と聞いても高揚感がないのが何故なのかを。
しかし、そんなことは言い出せなかった。
初めてレイは感じていた。
この生活の中に自分の居場所と思えるところが生まれていることを、それを手放すことが少し怖いと感じていることを。
しぶしぶウォールディスプレイの前に立ち、式を書き始めた。
この時から糸魚川教授のところに来て、会議をすることがレイの苦痛となってしまった。
糸魚川教授のところにいく時間以外の授業は全て出席した。
レイには少し退屈な授業が多かったが、それでも一般教養で学ぶ内容には、レイの知らない心理学や文化人類学などがあり、刺激となることもしばしばあった。
(三年からの特別編入ではあったが、一部一般教養も必修となっていた。)
週末の授業は同じカフェで行ったが、回数を重ねる度に人が増えていき、一ヶ月後には二十人近くになった。
カフェはほぼ貸しきり状態になっていて、とても忙しい週末となった。
それでもみんなの分かってくれようとする意思が感じられ、とても幸せな時間を過ごしていた。
その勉強会を通じて、友達も増えた。
勉強会だけじゃなく、授業の時や食事の時も一緒に時間を過ごす仲間が徐々に増えていった。
レイにとってそれは今までの人生で初めて感じる『友達』という概念だった。
そして、それは波多野という人物が作ってくれていることも十分に認識していた。
その様子をミライが見ていた。
お昼休みなどの時間に仲間に囲まれているレイを横目に、ミライも友達と一緒に授業を受ける日々を続けていた。
過ぎていく日々の中で、レイはときおりディスプレイに一瞬ノイズが走るのを感じた。
その度に、レイの頭に小林と浜辺の言葉が思い出された。
レイはあの二人がまたこの学校中の能力を使って、何かやっているのだろうとその都度刺激を受けていた。
充実した日々の中にも、レイにとって、つらいこともあった。
勉強会とは対照的に糸魚川教授と行う会議の苦痛度は増す一方だった。しかもそれは連日行われた。
レイが単に式を解いて見せるだけの苦痛の時間であった。
会議をしのぐために式の展開をレイに書かせているというのがレイの認識だった。
レイから見ると糸魚川教授は明らかに理解していないと分かるが、知っている素振りをして、レイに展開を進ませる。
相対性理論のように、みんなとの勉強会はほぼ丸々一日がかりの大仕事であったにも関わらず、あっという間に時間が過ぎ、糸魚川教授との式展開は一日二、三時間程度ではあったが、レイにとって、とてつもなく長い時間に感じられた。
だが、前者の時間を持つためには後者の時間を耐えるしかない、今のレイには前者の時間を捨てることなどできなかった。
そんな生活を続けて、ジュネーブに行く約一週間前となった。
レイが土曜日の学習会を終え、心地よい疲れで部屋に帰ってきた。
みんなで食べる晩御飯は本当に美味しかった。
だが、部屋に戻ってきたレイの表情が暗く変わった。
また、来週、糸魚川教授のところに行かなければならない。
そう考えた瞬間から心が曇ってしまった。
レイはおもむろに机に座り、アプリを立ち上げ、金曜日にやった式展開の続きを書き始めた。
式の展開はほぼ最終段階に入っていた。
ところが、レイの認識では糸魚川教授は何も変わっていなかった。
レイは最後までの式展開を夜通しかけて、作成していた。
生体センサが過度のストレス状態を感じとり、アラームを鳴らした。
それでもレイはアラームを消し、展開を続けた。
朝になり、レイはとうとう最後の式までの展開を書き終え、ファイルをセーブした。
椅子の背もたれにゆっくりと身体を大きく預け、顔を上に向け目を閉じて、大きく息を吐いた。
三秒静止の後、再び机に向かい、書いたファイルを添付して糸魚川教授にメールを書いた。
「式の展開をやっておきました。
細かく書きましたので、これで分かっていただけると思います。
が、少し体調が悪いので、明日から国際会議まで研究室には行けないと思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。」
そして、そのメールを送信した。
「よし。」
レイの目は少し決意したような目であった。
<次回予告>
変わり始めた柊レイの世界。
友人たちとの楽しい瞬間、教授との息苦しく長い時。
複雑な想いを抱えたまま、彼はジュネーブに旅立つ。
そして、そこで何かと出会うこととなるのだった。
次話サブタイトル、「ジュネーブの星空」。
次回もサービス、サービスぅ!!
<あとがき>
アインシュタイン博士が相対性理論の説明をする際に、この回と同じような話をされたそうです。
楽しい時間は速く過ぎ去り、苦痛を伴う時間は長く感じる。
まさに柊レイが感じている時間感覚と同じですね。




