Ep.9 片羽の蝶
「ん……ふぁああ…………朝……?」
翌朝、私は目を覚ます。
このベッドはかなり寝心地が良くて、
正直まだ眠っていたいくらいだ。
大きく背伸びして隣のベッドを見てみると、
綺麗にたたまれたシーツが目に入る。
どうやら先輩は既に仕事に行ったようだ。
時刻を見てみれば9時過ぎ。私も準備をしないと……。
(……あれ? そういえば今日は何をしたらいいんだっけ……?)
眠い頭で考えてみれば、そういえば何も聞かされていなかった事がわかる。
ひとまずシャワーを浴びて、朝食をとっていると、
携帯端末が光った。どうやら電話らしい。
宛先は、ダリアとなっている。
通話ボタンを押すと、軽快な声が端末越しに聞こえて来た。
『あ、メリア? おはよう。よく眠れたかしら?』
「えっと、おはようございます? はい、おかげさまでぐっすり……」
『それは良かった! ベッドの寝心地にこだわった甲斐があったわねぇ』
昨日の夜、先輩と話していた事や、『商人』、食事等に触れながら暫く会話を交わした後、
タイミングが出来たので、私の今日の業務を聞いてみる。
昨日は中途半端に終わってしまったから見当もつかないのだ。
しかし、業務について聞いた瞬間、先ほどまでのテンポの良かった会話は急に途絶え、
躊躇った様な雰囲気で彼女は答える。
『うーん……本来なら貴女の【色】が判定するまでは適当に過ごしていて欲しかったんだけど……』
続きを待っていると、彼女は溜息を付いて、意を決したように説明してくれた。
何でも、地下に居る【隣人】が、私をご指名らしい。
その【色】は私とほぼ同時期に保護されたもので、まだ危険性も分からないという。
だが、それを調査しようにも進捗は良くなくて、
昨日の夜に一言だけ、私に会わせてほしいと言っていたそうだ。
暴走する危険性と天秤にかければ、願いを叶える事は最優先。
しかし、抵抗する手段を何も持たない私にとってあまりにも危険で、無謀な事だった。
『と、いう訳なのよね……まぁ、でも何とかするから、今日は……「やります」……え?』
話の途中だったが、私はその業務をする事に決めた。
ダリアは一瞬呆けているうちに畳みかけるように説得する。
「確かに危険かもしれません。私はまだ【色】を扱えない。
でも、検査結果によれば既に目覚めているんですよね?
近くには居ないだけで、どこかには居るんです」
『まさか……それがこの件と関係があると思ってるの?』
ダリアは私と同じ考えに至る。
タイミングが偶然にしては出来過ぎているのだ。
私が保護された日と同じ日に保護された【色】。
それが私の【色】である。可能性としては低くない気がする。
「繋がりは感じられない。でも、予感があるんです。
私は、その【色】に会わないといけない」
私の決意に無言が返る。
だが、溜息と共に了承の声が聞こえた。
『……分かったわ。それが貴女の意思なら、私は選択を尊重する』
その言葉に感謝を告げようとするが、その前に『でも!』と遮られた。
『管理業務に関しての注意事項を、
今から時間まできっちり叩き込むから覚悟しなさい?』
私は果たして、業務が始まる前まで正気で居られるだろうか。
少しだけ……選択を後悔しそうになった。
……どれだけ時間が立っただろうか。
ダリアに呼ばれて、面接で使っていた部屋に来た後、
頭から湯気が出そうなほど情報を叩きこまれた。
【隣人】の扱い、室内でやる事、
何かあった時の避難経路等。
重要な事柄は全て端末にメモしたが、
正直見直す気力すら湧かない。
放心していると、向かい側からダリアの声が聞こえる。
「メリア? 大丈夫……じゃ、ないわよねぇ」
「……はい」
ちらりと見れば苦笑いしながら頬を掻いていた。
「本来なら、今日一日で詰込む量じゃないわ。
でもね、少しでも生存の確立を上げる為には必要な事なのよ」
「……わかってます、が……」
大事な事だってのはわかる。が、それはそれ、これはこれ。
元々私は勉強が出来る方ではないのだ。
時刻を見れば12時をとうに超えている。
一度休憩をすることにした私達は、軽く昼食を済ませた後、
雑談しながらお腹を休ませた。
そして……時間が来た。
「……タイムリミットね。
まだ少しだけ詰込みたかったけれど、これ以上は支障がでるでしょう。
不本意だけど、今の手札で相手してもらう事になるわ。
メリア。覚悟はできているかしら?」
私の名前を呼んだ彼女は一層顔を引き締めている。
まだ心の何処かで不安が残っているのだろう。
でも、覚悟は既にできている。
「はい、私の業務は該当する【色】との交流。
相手の能力、目的を見極め、安全性を調査する事。
そして、私を選んだ理由も聞き出す。ですね?」
「そう、これから貴女には死地へ赴いてもらうことになってしまうけど……
危なくなったらすぐに避難するか、緊急用電話を使用して。
自分の身を一番に考えなさい」
「はい、大丈夫です。まだ死ぬわけにはいきませんから」
彼女は私の本心からの答えに満足しながら頷くと私の担当する部屋の場所を教えてくれた。
「貴女の担当場所は8階層【B-07】よ」
担当場所を教えてもらい、部屋から出ようとすると、
ダリアは、あっ、と声を漏らす。
何事かと彼女を見れば、申し訳なさそうに私に尋ねて来た。
「今更なんだけど……貴女、虫は大丈夫? 蝶とか平気?」
「蝶……ですか? 嫌いではないですけど」
質問の意図がわからないまま答えてしまったが、彼女はその答えを聞き頷く
「実は……その【色】は……」
ー輝石の楽園 地下8階層ー
「【B-07】……ここね……」
私はダリアから教えてもらった場所へと向かっていた。
目当ての部屋を見つけると直前に言っていた彼女の言葉が頭をよぎる。
虫は苦手ではない。例外はあるが……。
「まぁ、考えても仕方ないか……」
私は逡巡していた心を引き締め、深呼吸をした。
もしかしたらこれから危険な目に合うかもしれない。
死んでしまうかもしれない。などどうしても考えてしまう。
震える手をギュッと握りしめ、数少ない勇気を振り絞って部屋を開けるボタンに手を翳す。
ゆっくりと開いていくドアの向こう側は、たくさんの蝶が舞っている綺麗な場所だった。
「えっ……」
思わず声が漏れる。まさかこんなに緑溢れ、色鮮やかな蝶が舞っている光景など誰が予想できただろうか。
そんな綺麗な光景に目を奪われていると、ふと何処かから声が聞こえてきた。
『こんにちは、お嬢様』
いきなり話しかけられた事に驚き、声の主を探す。
すると、たくさんの蝶に囲まれている一際大きい蝶を見つけた。
その蝶の翅は黒色、身体は白と黒色で彩られていて、
目は桃色に輝いている。また、羽には雲の様な模様があり、
大きさ以外でも他の蝶に比べて目立っていた。
ここまでなら、まだ普通の蝶と言えるかもしれない。
だが、その蝶は羽が片方欠けていて、大きい倒木で体を休めていた。
『おや、その様に見られると照れてしまいますね』
私は咄嗟に身構える。いくら綺麗な場所でもここは【色】のテリトリーなのだ。
危険があるかもしれない場所で暢気に見入っていた自分を殴ってやりたい。
だが……そんな私を見ても片羽の蝶は動じず、ただ淡々と紳士的な口調で語りかけてきた。
『ああ、あまり身構えなくても結構ですよ。
最初からそんなでは疲れ果ててしまいますからね』
「貴方……話ができるのね」
蝶の冷静な語りに対し、私は率直な感想をぶつけてみる。
『ええ、色々と博学なものでして』
「そう、それは凄いわね……」
『お褒めに預かり光栄にございます』
紳士的な蝶は、倒木の上でお辞儀をするように羽をたたみ、首をもたげた。
(……案外危険はあまりないのかしら?)
そんな思考が少しよぎるが、直ぐに振り払う。
いくら保護下とはいえ、化物には変わりない。
また、彼らには油断を誘うやつがそれなりにいると事前に聞いていた。
私は相手に弱みを見せない様冷静に業務を務めることにする。
「じゃあ、いくつか質問させてもらってもいいかしら?」
私の業務は相手を知り、望みを知り、叶えられそうならそれを叶える事。
だからまずは手っ取り早く相手に色々と聞いてみるとしよう。
『ええ、構いませんよ。私も少し退屈しておりましたので、丁度良かったというものです』
紳士な彼はあっさりと了承した。それに驚きつつも安堵し、質問を始めていく。
「貴方の名前を教えてくれるかしら?」
『申し訳ございませんが、私にはまだ名前がありません』
しまった。一般的な流れで名前を聞いてしまった私は後悔する。
どうやらまだ名前が刻まれていない個体の様だ。
つまり、声の主であるこの蝶は、現状【黒色:蝶】という仮定の名前になる。
さて……初撃を思いっきり外してしまった。機嫌を損ねていないといいのだが……
蝶をちらりと見てみたものの、感情は分からず、言葉で示すことにする。
「ごめんなさい……つい」
『構いませんよ。それでは、次の質問をどうぞ』
どうにか許しは得られたので、質問を続けよう。
「じゃ、じゃあ。貴方はどこで生まれたの?」
『…………そうですね、私はこの支部の近くにある廃墟におりました。
覚えているのはたった一つ、自分の使命だけ』
(使命……?)
少しだけ間があった事に違和感を感じるが、
気のせいよね……と心でつぶやいておく。
「ん~……貴方はなんでここ来たの?」
『己の使命を果たす為、自らここへ参りました』
さっきも言っていた、使命って言葉が気になる。
「使命ってことは貴方は目的があってここに来たってことかしら?」
『ええ。……悪夢を晴らす為。大切な人を”守る”為。
もしくは……辛い今を忘れさせて、永劫に幸せな夢を見せる為に』
ダメだ。ますますわからない。でも何か心に引っかかる。
そう、夢。永劫の夢。悪い予感がある。
「……その、永劫の夢って……」
『ああ。分かりやすく言いましょうか。安らかな死ですよ』
ドクン。と心臓が跳ね、足が自然と後ろに下がる。
でも、蝶に害意は感じられない。
私は勇気を振り絞って歩みを止め、続きを促した。
『この世界は、不条理です。小さな切っ掛けが大きな悪夢を生む。
死に怯え、苦しみ、この世を恨む人もいるでしょう。
ならば、悪夢に苦しむ前に、夢へと誘うのもまた選択の一つではないでしょうか』
「その夢は……本当に救いになると?」
「ええ、きっとそれはこの世界にいるよりもずっと」
幸せな夢。その言葉は私の心に強く響く。
あの日の私がそれを聞けば、きっと私は呑まれていた。
あのまま朽ち果てていくよりは幸せな夢を見れた方が良いのではないかと。
でも今は、ここで働いている。私を、私達を救ってくれた支部長の為に。
だからまだ、死ぬわけにはいかない。
「…………無理やりやるわけじゃないのよね?」
「ええ、本人が望まない限りは絶対に」
その言葉に酷く安堵した自分がいた。
もし、ここで眠らされてしまったら私は幸せどころか後悔の念に押しつぶされた事だろう。
まだ命がある事に安堵しつつ、これまでの事を踏まえて考える。
(この蝶は、おそらく私を殺す事は無い)
それは確実だろう。そのつもりなら、おそらく私はとっくにやられている。
(この蝶は、殺す事よりも、守る事を重視している)
あくまで、幸せな夢とは最終手段。
前半に言っていた悪夢を晴らす、守るという言葉が最優先な気がする。
(最後に、この蝶と私に繋がりは……)
ある……気がする。
いや、そもそも私がここに来た理由だ。
この蝶は、私を呼んでいた。なぜ忘れていたのか。
「そういえば、あなたは何故私を呼んだの?」
『それは、この子達の話を聞いて、興味を抱いたからですね。
同時期にここへ来たのでしょう?』
蝶は翅で無数の蝶を指しながら答える。
(成程、ね……)
また、違和感だ。蝶は何か隠している。だが……
「私達、どこかで会ったことがある?」
『これは異な事ですね。もし私の様なモノが居たなら、そちらが覚えているはずでは?』
はぐらされているのか、本当に知らないのか。
今の私に判断することは出来なかった。
その後も質問をいくつかしたが、結果は芳しくなく、
時計を見れば、事前に言われていた時間が迫っていた。
「さて、今日はここまでね」
質問も終わり、私は腕を伸ばして呟く。
すると蝶は少し悲しげな声でこう言ってきた。
『申し訳ございません。あまり期待に沿えなかった様で、
無駄な時間を浪費させてしまったことでしょう』
蝶は最初から最後まで紳士な対応だった。
おかげでこちらもやりやすかったのだ。
だから私は彼を慰めるように答えを返した。
「そんなことないわ。貴方は凄く紳士的で話しやすかったもの。
質問だけだったけど、少し楽しかったわ」
楽しかった。それは紛れもない本心で、会話をしていく内にその気持ちは大きくなっていた。
『そうですか、それは光栄でございます。
私も楽しい時間を過ごさせていただきました』
どうやら彼も同じ気持ちだったらしく、なんだか少しうれしく感じた。
そして業務時間終了のベルが鳴る。
保護された【色】との交流は体力・精神力共に消費するので、
作業時間という物が決められていた。
大体3時間程で、それ以上の交流は特別な事情が無い限り認められていない。
『皆、お疲れ様~。業務時間は終了よ? 職員一同、次の仕事まで自由にするように』
そして、ここは残業は基本的になく、職員達は業務時間が終わると自由に過ごすことができる。
娯楽施設、飲食施設などそういった面がかなり充実しており、それぞれの職員は出入りが自由だ。
……じゃあ施設の運営はどうなっているのか。それは業務ではないのか。という疑問がある。
だが、園環の人達があくまで趣味で店番している為仕事ではないと言い張っているらしい。
ダリア曰く、「疲れてないならいいけど……」という事らしいが……。
因みに、様々な事情で店番が居ない場合、
その間機械が代わりに経営するらしいので、皆に不自由はない。
(業務の危険性を除けば自由なのだから、端から見ればここは天国ね。
……命に危険があるからこその現状なのだろうけど……)
と、いう訳で私も帰宅することにする。娯楽も飲食もそんな気分ではないし、
業務前のアレコレでひどく疲れているのだ。寮に戻って休みたい。
帰る前、蝶に挨拶をしておこうか。
「じゃあ、私はもう帰るわ。また、明日も同じ時間に来ると思う」
ダリアは今回の交流で、特に問題が無ければ、ここは私の担当になる。
そう言っていた。だから暫くは毎日顔を会わせる事になるだろう。
実際目が合っているのかは分からないけど。
『はい、お待ちしております』
簡単な会話を交わし、ドアロックを解除しようと手を伸ばしたとき、
ふと聞きたいことを思い出した。
「私、これから貴方の事なんて呼べばいいの?
【黒色】? それとも紳士な蝶?」
そう、名前だ。いつまでも蝶じゃ味気ない。
『そうですね。私の事はなんとでもお呼びください』
しかし返事はご自由にと来てしまった。これは非常に困る。
お母さんに夕飯何にするか聞かれた時、なんでもと答え困らせた気持ちがわかった気がする。
「ん~~……、じゃああなたは自分の事、なんて呼んでるのかしら?
あ、黒とか蝶以外でね」
その問いかけに蝶は少しだけ迷うそぶりを見せると、
自身の事をただのしがない執事だと名乗ったのだった。