Ep.1 優しい目覚めをあなたに
ーーどれ程経っただろうか。
私は意識が覚醒したのを感じる。
目を開けば、辺りは真っ白で何も見えなかった。
身体に痛みは無く、何も感じない。
横になっているはずなのに、
まるで浮いているような……そんな錯覚を覚える。
疑問に思いながらも体を起こすと、
何も無かった世界に何かがちらついた。
翅だ。黒い翅。
白い世界の中で、視界の片隅に見える黒い翅。
どうにか視線の中心にそれを収めると、
翅が両方に付いている黒い蝶が見える。
「ここは……死後の世界なの?」
その蝶に向かって話しかけてみたが、応えは無い。
その代わりに、どこかへとゆっくり飛んでいく。
「あっ、待って……!」
奥へ奥へと進む黒い蝶を、見失わないように追いかけた。
足が思うように動かないが、蝶のスピードはかなり遅く、
つかず離れずの距離を維持している。
走ろうとすると足がもつれる為、歩きで追いかけていると、
視界の先に何かが見えた。
「これは……ブローチ?」
あの時、彼女から渡されたひび割れたブローチ。
それは、何故か宙に浮いている。
黒い蝶はその周りをぐるぐると廻っていて、
時折私の近くにも来る。
「取れば……いいのかしら……?」
不思議な光景に疑問を浮かべながら、
そのブローチを手に取ることにした。
どちらにせよ、他に出来る事も無いし、
これ以上状況が悪くなる事もなさそうだ。
意を決して手に取ってみると、
それは光り輝いて私の胸に吸い込まれていった。
ブローチが消え、ポツンと一人。
困惑するばかりの私に、誰かが此方に手を伸ばしてきた。
それは上から伸びてきているが、肘から上は見れない。
だが、不思議と恐怖は無い。
その腕を掴むと、声が聞こえる。
『さぁ、帰りましょう。 貴女の望んだ幸せな夢へ』
私はそのまま、腕に連れられ上へと昇る。
暖かい優しさに包まれているような感触だ。
(私の……望む場所……)
私は考えてみた。
本当に望む場所とは?
想像する幸せな夢とは。
少なくとも、こんな真っ白な世界ではない。
(こんな世界ではない、どこか別の場所。
家族と一緒に楽しく暮らせるようなそんな場所。
死への恐怖など感じる暇もなく、日々が幸せなそんな場所。
あとは……)
そんな風に望んだ場所を思い浮かべながら再度来る微睡みに身を任せると、意識は落ちていった。
ーー
「起きなさい」
ふと聞こえた優しい声に目が覚める。
「……ここは……?」
周りを見渡すとそこは私の部屋だった。
どうやらベッドの上で目が覚めたらしい。
「…………夢?」
夢にしてはしっかりと覚えている。
あの日から始まり、楽園で死ぬまでの出来事を。
恐怖、絶望、一時の平穏、幸せ。
それらがないまぜになった記憶が私を混乱させた。
寝ぼけた脳で朦朧とした記憶を巡らせていると
そばからまた声が聞こえる。
「メアリー? まだ寝ぼけているの?」
記憶の混濁に動じていた所為で目に入らなかった人物に、ようやく意識を向けた。
「……お母さん?」
それは母だった。私が失ってしまった家族。
もう会えないと思っていた懐かしい顔。
思わず涙が頬に伝っていく。
「本当に大丈夫? 熱でもあるの?」
母はいきなり泣き出した私に、焦るように問いかけてくる。
頭を撫でる手は暖かく、その心配が胸に染みる。
「うん、大丈夫……大丈夫だよ……。
ちょっと怖い夢見てただけ……」
そうだ。あれは夢、恐ろしい夢だった。
「……? ならゆっくりでいいから、準備して降りてらっしゃいな。
もうすぐご飯が出来るから」
「うん、ありがとう。お母さん」
母が降りていったのを確認すると私は側に立て掛けてある鏡を確認した。
「私だ……」
それは紛れもなく私であった。
少し背が小さい気がしなくもないが
それ以外はほぼ変わっていない。
「あれは……本当に夢?」
疑問が残りながらもふと、一つの写真たてに目が吸い込まれていく。
私は止めかけていた涙をまた溢れさせ、写真を抱き締めた。
「ありがとう。大好きな優しい執事さん」
そこには二匹の蝶と、微笑む私が写っていた。
あの出会いは、あの出来事は、夢じゃなかった。
あの蝶の執事のおかげで、私はここに居る。
私は、私の望んだ場所へと、帰ってこれたのだ。
そうと決まれば、両親に会いに行こう。
いつ、目が覚めてしまうかは分からない。
悔いの無いように過ごさなくては。
早歩きで部屋を出て階段を降りると、
見慣れた風景に、談笑している二人の家族。
彼らは私に気付くと、笑顔で挨拶してくれた。
「おはよう、メアリー。相変わらず寝坊助だな?」
リビングで小皿やコップを用意している父。
少し曲がった眼鏡の位置を直しながら、私に優しく声を掛けてくれる。
「本当にもう……貴女達はいつになったら一人で起きれるのやら」
そして、キッチンで鍋に向かいながらやれやれと話す母。
いつもの台詞、いつのも声色。でも本心では無いのが分かる。
だっていつも、私達を起こすその顔は凄く嬉しそうだから。
だから、たまに起きていても寝ているフリをしたり、
それがバレて突っつかれたりしていた。
そんな日常。懐かしい思い出。
涙がまた溢れそうになるが、必死にこらえる。
「おはよう。パパ、ママ。それと……」
私は、二人に挨拶を返して、あの子の姿を探す。
いつも私よりも早く起きていて、
静かに本を読んでいるのだ。
だけど、どこにも見当たらない。
「あれ、サリーナは?」
私の問いに、母は手を頬に当てて溜息をついた。
「起こしに行ったんだけどね、ぐっすりよ。
随分良い顔で寝ていて、起こすのも忍びないくらい」
「へぇ……珍しいね。いつもならメアリーより先に起きているのに」
「そうよねぇ。メアリー。あの子を起こしてきてくれない?
もうすぐご飯が出来るから」
母はそう言うと鍋を回し始める。
良かった。ちゃんと居るみたい。
もしかしたら。とは思った。
ここに居るのは、皆死んでしまった人達で、
生きている妹の姿は無いんじゃないかって。
でも、私の望んだ夢だから。
妹の居ない世界は、私の望む場所じゃない。
私は引き返して妹の部屋に行く。
妹の部屋は私の部屋の隣。
降りる前に寄ろうとは思っていたが、
一階に居ると思ったのでスルーした。
部屋のノブに手を掛けると簡単に開く。
ベッドの膨らみがゆっくりと動いているのを見て安心する。
何処にも異常はない。
何も変わっていない。
彼女はベッドですやすやと眠っていた。
思わず頭を撫でると幸せそうに微笑んでくれる。
「……ありがとう」
心がギュッとなり、涙が零れ、
ついそんな言葉が漏れる。
彼女に会えたから?
幸せな場所に送ってくれたから?
理由は分からないけど、感謝の気持ちであふれていく。
すると、彼女が目を覚ました。
「お姉……ちゃん?」
寝ぼけまなこでこちらを見る妹に、
笑みを浮かべてまた彼女の頭を撫でる。
あの時の憔悴しきった声じゃない。
泣き叫んで苦しんでいた声でもない。
ただ、いつもの様に。
優しく平穏な声。
「おはよう、サリーナ。随分な寝坊助ね……」
私が声を掛けると、彼女はいきなり抱き着いてきた。
それは先程までと違って、悲しそうな顔で……。
私の存在を確かめる様な強い抱擁。
「おはよう。お姉ちゃん。……なんだか怖い夢を見たよ。
化物に襲われて、家族を失っちゃう夢だった」
彼女も、覚えている。
という事は……この夢は繋がっているのだろうか。
だけど、わざわざそれを伝えて、悲しませる必要もないだろう。
……いや、起きた時に間違いなく知る事にはなるのか……。
(いいえ、違うわね。今教えなくても、直ぐに知ることになる。
……でも)
今はこの子の苦しむ顔を見たくない。
それはただの自己的な感情。
でもここは、私の夢だから。
だから安心させる様に、彼女に抱擁を返した。
「そう、そうね。怖い夢だった。でももう大丈夫。
きっと、あなたを守ってくれる【家族】に……出会えるから」
ダリアさん、サルビア先輩。エリカやカレン。鬼灯達。
それと……。
「守ってくれる人……?」
不思議そうに私を見上げる彼女に、
「きっとあなたも好きになるわ」と呟いた。
妹は強い。だから、守られてばかりではない。
共に戦う事を選ぶはずだ。
でも、せめて準備が出来るまでは。
……ちゃんと守られますように。
「お姉ちゃんは? 一緒じゃないの?」
言葉が詰まる。どう答えるべきだろうか。
悩んでいると、急に眠気が襲ってきた。
(……おかしいわ……なんだか酷く眠い。すぐにでも意識が飛んでしまいそうな)
もしかしたら、時間が来たのかもしれない。
「私は……後で行くわ。少しだけ……寝不足みたい」
後で……もし叶うならそう願いたい。
もう現実で会える事はないと分かっている。
人は死んだら生き返れないんだ。
でも、ここは夢。
現実で会えなくても……彼女を見守る事が出来たら。
一言だけでも良い。夢の中で会話する事が出来たら。
(なんて……都合が良すぎるか)
あまりの眠気に船を漕ぎそうになり頭を振る。
妹の方を見れば、心配そうにこちらを覗いていた。
「大丈夫。少しだけ、少しだけ眠るだけよ」
私の言葉に彼女は少しだけ俯くと、
またこちらを見上げて笑みを浮かべる。
「そうなんだ……じゃあ……おやすみなさい。だね。
お姉ちゃん」
そう言って涙ながらに笑う彼女の頬に、
私はキスをした。
きっと、彼女はわかっている。
賢いから……全部察してしまっただろう。
悲しませたくないのに。
大丈夫だって言いたいのに。
もう応える事は出来ない。
足に力が無くなって、膝をつくと、
妹が支えるように抱き留めてくれた。
今度は私が、彼女を見上げる形になる。
私を呼ぶ声が酷く遠い。
(サリーナ。ずっとあなたを見守っているわ。
パパ。いい加減眼鏡を直したらいいのに。
ママ。……料理……食べたかったなぁ……次は……絶対に……)
私の大切な……本当の家族達を想いながら、
最後に、一言だけ呟いた。
「……おやすみ……なさい」
そして、意識が途絶える前に祈りを捧げる。
”優しい目覚めが、サリーナ。あなたに訪れますように”と。




