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短編

モンスターな僕たちは

作者: 優衣羽

 

 人はみずからが愛するものごとによって、形作られる。

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749-1832




 子供の頃、おとぎ話のようなハッピーエンドを望んだ。


 平凡に日々を生きていたら、ある日突然機会を得たのにそれを奪われ、哀れに思った魔法使いが書けた魔法に王子の目を奪う。十二時越しても残った靴が、一夜の恋に執着した男に見つけられ幸せになる結末。


 多くの人から好かれ、たった一人に愛され、生きとし生ける意味を知る愛が死ぬまで隣で息をしている。そんな、くだらない物語。


 実際、おとぎ話なんてものはない。平凡に日々を生きていたらそれなりの人生が待っているだけだ。ある日突然王子様がやって来るわけもないし、魔法は誰かを魅力的にするために使われるわけじゃない。


 そもそもシンデレラは貴族の出身で、顔が良く継母たちにいじめられてもめげないという、とんでもない精神力の持ち主だったのだ。一人でドレスを作ってしまう腕があり、可愛くて優しかったから魔法使いが哀れに思っただけ。あれが不細工だったら魔法使いは魔法をかけないだろう。


 王子様が惚れたのは彼女が魅力的だったから。所詮一目惚れ。彼女の内面を見たわけではない。結ばれた後にシンデレラは心優しき人だったと知るのだろう。


 まぁ、ハッピーエンドのその後など誰も知らないわけだが。


 シンデレラはその後、王子様と生涯幸せに暮らしたのだろうか。嫁姑問題、王位の奪い合い、世継問題や価値観の違いなど。挙げればきりのない現実はおとぎ話の中で語るべきものではない。


 所詮夢物語なのだと、子供の頃の私は気づかなかった。




「ほら、挨拶して」


 両親に連れて来られた先、立派な洋館に思わずしり込みする。手入れされた庭、汚れ一つすらない石畳、咲く花々。森の中に建てられたそこはさながら楽園というにふさわしい様相で、いつの間にか物語の中に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。

 真っ白な肌に綺麗な髪を持つ女性はこちらを見てくすくすと笑った。


「ごめんなさい、いつもは人見知りをしないのだけれど」


「大丈夫よ。きっと何となく身体が理解しているんじゃないかしら」


 母と話す女性は私の前にしゃがみ込む。初めまして、染み一つない手がこちらに伸びた。


「これから長い付き合いになるもの。私は貴女と仲良くしたいわ」


「これはまた可愛らしい女の子だな」


 女性の後ろから現れた整った顔立ちの男性はこちらを見て柔らかな笑みを浮かべる。私はゆっくり、女性に手を伸ばした。触れた指先はとても冷たく、春の陽気には似つかわしくない温度だった。


「お名前は?」


「しのもり…篠森星(しのもりせい)です……」


「星ちゃん!名前の通りキラキラ輝く魅力的な子ね!」


 女性は嬉しそうに私の手を両手で包み込んだ。その辺にしときなさいと、男性が女性に声をかけた。


「怖がってるじゃないか」


「ああ、ごめんなさい……私ってば嬉しくて」


「だい、じょうぶ、です」


 離された手の代わりに急いで母の手を掴む。血の通った手の温もりに安心し母の背に身体を半分隠しながら二人を盗み見た。二人は申し訳なさそうな顔をしたが、両親と話始める。私は子供ながらに二人が人ではない何かだと直感で感じ取っていた。


 触れた冷たい手、青白い肌、年齢を感じさせない美しい容姿。何の確証もないのに怖くて仕方なかった。


「ティータイムにしましょう。星ちゃん、お菓子は好き?」


「好き、です」


「良かった!お母さんから星ちゃんがクッキーが好きだって聞いて焼いたの!美味しかったらいいんだけど……」


「お前ははしゃぎ過ぎだ」


「あら、貴方だってはしゃいでいたじゃない。屋敷中を掃除するよう命じて、星ちゃんが喜ぶような飾りつけを――」


花蓮(かれん)!」


 女性は両手で口元を覆い、怒られちゃったと母に話しかける。母は呆れ笑いを返し、父は複雑そうな表情を浮かべた。綺麗な女性の名前は花蓮さん。隣にいる男性は彼女の旦那さんのようだ。


 案内されるがままに屋敷へ入る。使用人の人たちが頭を下げていた。母の手を掴んだまま瞬きを繰り返すしかない私は目の前の非現実におとぎ話みたいなんて戯言を口にした。


「おとぎ話?」


 花蓮さんが振り返り目をぱちくりさせる。


「この子、おとぎ話が好きなんです。ドレスとかお屋敷とか王子様みたいな」


「やだ、可愛い!」


「きっとここがおとぎ話に出てくるような屋敷に見えてるのかも」


「見た目は、そうね。確かに古い建物だもの」


「実際Wi-Fiは通ってるしキッチンはシステムキッチン、エアコンも床暖房も完備だがな」


「貴方、夢を壊さないで」


 大人たちが話しながら裏庭に出る。管理された薔薇の花園が顔を出した。蝶が舞い輝くそこは、本当におとぎ話に出てくる世界だった。中央の白い円形のガーデンテーブルに六つの椅子が囲むように並んでいる。テーブルの上には三段式のティーセット。輝かしいお菓子の数々が所狭しと皿の上に乗っていた。


 それだけで警戒心はゼロになるのが子供である。私はお菓子に釣られテーブルへと走った。キラキラと眼を輝かせ置かれたスイーツを覗き込む。


「気に入った?」


 花蓮さんの問いかけに首を縦に振る。彼女は微笑み、座りましょうと声をかけた。全員が腰を掛けた時、自分の隣が空いているのに気づいた。二人は困った様子で頭を抱えている。


「ごめんなさいね、もう一人来るんだけど」


 見かけた?花蓮さんは近くに控えていた使用人に声をかける。しかし使用人は首を横に振った。


「どこ行ったのかしら」


「そのうち来るさ」


「せっかくの顔合わせなのに」


 大人たちがまた話始めて、私は一人クッキーに手を伸ばす。恐らく彼女が焼いたと言っていたものだろう。真っ赤なジャムが絞られたクッキーの真ん中に付いている。買ってきたものみたいだ。ゆっくり、それに口をつけようとした――


 瞬間だった。


 視界の先、薔薇の間で何かが動いた。動物だろうか。それにしては大きい。気になった私はクッキーを皿に置き椅子から降りる。どうしたの、と母の声も聞かずそちらに近づく。


 何かはこちらに気づき走り始めた。足音が遠ざかっていく。私は反射的にその何かを追った。薔薇園を抜け必死に走った先に見えた後ろ姿は、自分とそう変わらない身長の黒いフードを被った人だった。


「待って!」


 声をかけてもその人は止まらない。上がった息を整える事すら出来ず後を追う。しかし履き慣れない靴とおめかし用のワンピースが私の足をもつれさせた。


「あ」


 声を漏らしたのが先だったか。もつれた足はバランスを崩し身体が地面に倒れ込んだ。ズサッと大きな音が鳴り私の膝が石畳に擦れる。転んだと気づいた時に痛みが襲ってきて思わず泣きそうになる。砂だらけになった両手で必死に起き上がろうとした時だった。


 目の前に真っ白な手が差し出された。


 それは先程差し出された手よりも小さくて。でも自分より少しだけ大きい。私は顔も見ずその手を取った。冷たい手は花蓮さんの手を握った時と同じだったのに何故か安心してしまった。


 そして顔を上げた先、おとぎ話が始まったのである。


「ごめん、大丈夫……?」


 心配そうに声をかけた少年は目が合った瞬間息を呑んだ。黒いフードを被っていても分かる真っ白な肌が赤くなっていく。ぱっちりとした目、整った顔立ち、さながらおとぎ話から出てきた王子様のように見えたその少年は私を見て真っ赤になっている。


「あ、あの、本当にごめん。その、転ぶとは思わなくて……」


 怪我は?男の子はぎこちない態度で問いかける。そして私の膝を見て息を呑んだ。石畳にぶつけて擦った膝から血が出ている。見るからに痛々しい怪我に言葉を失ったままの私は視線だけを膝に向けた。


「やばい」


「え――」


 何が?


 口に出す前に男の子の口が私の膝についた。驚きの悲鳴を上げる間もなく、彼は私の傷を舐めて。


 尖った歯でその血を吸ったのである。






 これが私、篠森星と月島亜蓮(つきしまあれん)との出会いである。


 何とも衝撃的な出会いのおとぎ話は、始まった瞬間に終わりを告げた。彼が捕食者で私が餌だという事に気づくのにそう時間はかからなかった。




 篠森家は明治時代から貿易業を営んできた。現在では業界で知らぬ人はいない大企業である。そんな家に生まれた私はお嬢様で。年の離れた兄が後を継ぐ事もあってか、何不自由なく生きてきた。


 そう、あの日までは。


 その昔、篠森は家業を発展させるに辺りあらゆる手段を使った。私はよく知らないが、あまりにも多くの人々を犠牲にしたらしい。


 結果、篠森は多くの人から恨まれた。命の危機にさらされる事も多々あったが祖先に貿易業から手を引く選択肢はなかった。そのため篠森は邪魔者を排斥する必要があった。さて、どうするべきか。欲に塗れた祖先はある日、とある一族に出会い、誓約を交わした。その一族は篠森を恨む人間を処理する代わりに一つ条件を出した。


 それは代が変わるごとに篠森の人間を一人、生贄として一族に与える事だった。


 祖先はそれを了承し自身の孫娘を捧げた。孫娘は丁重に扱われたのち、祖先が死に代が変わった瞬間に全身の血を吸われ殺された。


 篠森が誓約した一族は人ならざる者であった。彼らは血を吸い生きる怪物。


 吸血鬼だったのである。




 そうして発展してきた篠森は現代でもその風習を守り続けた。しかし時代が変わり、怪物の血が薄れた一族は人の血を吸わずとも生きていけるようになった。関係は終わりを迎えるかと思われたが、篠森側は彼らを自由にすれば今までの悪行全てが明るみになる事を恐れ、彼らに縋った。


 一族側は約束を守ればこの先ずっと、篠森を守ると言い条件を提示した。


『娘を寄こせ』


 さて、もうお分かりだろう。ここで捧げられた生贄は私。


 家の繁栄のため、何も知らず吸血鬼一家に放り込まれたのである。








「星ちゃん、遅刻するわよ~」


 階下から聞こえた声に慌てて返事をしブレザーの袖を通す。鞄を肩に階段を駆け下りネクタイを結びながらダイニングに入った。席につき新聞を読んでいた男性は顔を上げわずかな笑みを浮かべる。


「おはよう、星ちゃん」


「おはようございます、おじさま」


「星ちゃんおはよう。今日の朝ごはんはホットケーキよ」


「おはようございます、おばさま」


 十年前、初めて会った時から変わらない見た目の花蓮さんと旦那さん―通称おばさま、おじさまはニコニコしながら料理を運ぶ。私は腰を下ろし髪をひと撫でして身だしなみを整える。おばさまがホットケーキの乗ったプレートを目の前に置いた。


「はい、どうぞ」


「おいしそう、いただきます」


「召し上がれ~」


 ナイフとフォークで一口大に切り分け口に入れたホットケーキは、ほんのりとした甘みが絶品で蜂蜜とよく合う、お気に入りの朝食だった。おばさまは満足そうに私の食事シーンを見ておじさまの隣に座りコーヒーを啜った。


「星ちゃんはいつになったらお母さん、お父さんって呼んでくれるのかしら」


「それは……」


「強制するようなものでもないだろ」


「確かにそうね、ごめんなさい」


 星ちゃんのパパとママは一人だけだものね、とおばさまに謝られ慌ててホットケーキを飲み込む。


「ちが、そういうわけじゃないんです!」


「あら」


「むしろ本当の親よりパパとママだって思ってるけど……」


「けど?」


 尻すぼみに消えていく言葉におばさまは首を傾げた。


 十年前のあの日、初めてこの屋敷に来た日に私は月島家の子になった。厳密に言うと、姓はまだ篠森のままだが生活の基盤はこの家である。実家には一年に一度帰ればいい方で関係もないに等しい。


 私はあの日、家業を優先した篠森に捨てられ置いて行かれたのだから。


 どんな暮らしが待ち構えているのかと怯えていたが、大変幸せで平和な暮らしだった。むしろ、実家にいた時よりもずっといい生活をしている。


 おじさまは怖そうに見えるがとても優しく、困った事があればいつでも助けてくれる。おばさまは実の娘同然と言わんばかりに仲良くしてくれる、明るくて気さくな人。料理が好きで使用人はいるもののキッチンは彼女の城である。


 大層可愛がられて育った私が、二人の事を未だおじさま、おばさま呼びをするのには理由があった。そう、これこそが未だ篠森の姓を名乗り続けている理由である。


「……おはよ」


 気怠そうな声がリビングに届き顔を向ける。同じブレザーに袖を通し、カーディガンの代わりに黒いパーカーを着込んでいるその人は母譲りの容姿が成長と共に男らしさを増して魅力的になってしまった。


 私の婚約者だ。


 眠そうに瞼を擦りながらこちらを見た亜蓮と目が合う。途端口角が緩み優しい声が耳に届いた。


「おはよ、星」


「お、はよ」


 亜蓮は何食わぬ顔で私の横に座り朝食に手を伸ばす。おばさまはニマニマしながら私たちを交互に見ていたが、これは今に始まった事ではないのでスルーだ。




 そう、私が未だ篠森の姓を名乗っているのは彼との関係が原因だ。


 亜蓮が私の膝から血を吸った日、本来であれば月島家の養子になるはずだった私は彼の泣き言を聞き入れ今に至る。


『月島になったら星ちゃんは僕の兄妹になっちゃうんでしょ?嫌だ』


『僕、星ちゃんの旦那さんになりたい』


 そう、このたった一言で私の人生はさらに狂った。あの日、一目惚れをしたのは私だけではなかったのである。しかしおとぎ話の現実にまだ気づかなかった私は亜蓮の言葉に気を良くして彼の手を取った。


『星も、亜蓮くんのお嫁さんになりたい』


 この戯言で私は月島亜蓮の婚約者として、この家に住む事になったのである。




「二人とも、昨日は夜遅くまで起きてたんだから今日は早く寝るんだぞ」


「うん、分かってるよ」


 おじさまの言葉に亜蓮は手を休める事無く返事をした。私はというと、思考の世界から戻ってきたばかりで慌てながら頷く。私が二人の事を未だおじさまおばさま呼びなのも、亜蓮と結ばれていないからだ。どうなろうと結婚するのは確実なのだから言えばいいのに、何だかむずがゆくて言うに言えないのだ。


 私が彼のお嫁さんだと、胸を張って言うようなものだから。


「そうだ星ちゃん、もうすぐお誕生日だけど何か欲しいものはある?」


「特には……思いつかないです」


「えぇ~、十八歳のお誕生日よ?お洋服でもアクセサリーでも靴でも、何でもいいのに」


「うーん……」


 来月の頭に自分の誕生日がある事をおばさまの発言で思い出した。年々月日が経つのが早くなっていく。老人でもないのにもうそんな時期かと少しばかり驚いてしまった。


 欲しい物と言われても、大体私の欲しい物はいつの間にか揃えられて当日に大量のプレゼントとして部屋に置かれているのだ。おじさまたちが私の好きそうなものをピックアップして贈るのがお決まりになっていて、私自身贈られた全ての物が趣味に合うので満足する以外ない。


 のだが、毎回欲しい物を聞かれるのは結構困る。


「母さん、星が欲しい物なんて大体分かってるでしょ」


「でも本人の口から聞きたいじゃない?こういうの」


「何かあれば教えてくれ」


 おじさまの言葉に頷き朝食を食べ進める。後から来たというのに先に食べ終わった亜蓮は、食器を片し私のネクタイを正した。


「歪んでる」


「うそ、ごめんありがと」


「ううん、僕の方こそいつもありがと」


 さらっと言われた感謝の言葉に思い当たる節があり、どういたしましてと返しデザートの苺を口に放り込んだ。行こう、と亜蓮が手を差し出して私はその手を握る。冷たい手はいつの間にか大きさが変わってしまった。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい~」


 外に出たと同時に亜蓮は黒いフードを被った。繋いだ手は離さず歩き始める。私はよく晴れた空を見ながら物思いにふけった。




 月島亜蓮は吸血鬼だ。


 といっても血を主食にしているわけではないし、十字架は効かない、にんにくはむしろ好物だったりする。長い時間を経て、吸血鬼の一族月島家に残ったのは人より長い寿命と老いぬ身体だ。人間が百歳まで生きるなら、月島家は三百歳まで生きるみたいな、そんな話。明治時代、祖先と誓約を交わしたのはおじさまのおじいちゃんにあたる。ちなみにそのおじいちゃんは早くに亡くなったんだとか。


 月島家に嫁ぐ女性は人間で、吸血鬼の血を呑む事で同じ時間を生きるようになる。おばさまもそうやって人ならざる者になったらしい。呑んだ日に老いが止まり、長い時間を生きるようになる。


 人と交わった事で薄れた血は月島家を自由にさせた。太陽の下を歩いても何ら問題は無く、一般人同然の生活を送っている。ただ長い寿命に恐れを抱く人々を懸念して、表立った動きをする事はない。あくまで篠森の約束を守り裏から支えている形だ。


 まぁおじさまはビットコインで有り得ないくらい儲けて大富豪なのだが。そこは置いておこう。




 血は薄れたが先祖返りというのはあるもので。亜蓮は両親と比べて吸血鬼の要素を強く受け継いだ。太陽があまり得意ではなく長時間当たると気分が悪くなってしまうため、外を出歩く時は帽子やフード、サングラスを被っている。


 基本低血圧で早起きは苦手。運動神経はいいけれど、陰でじっとしていたいタイプ。


 一番は吸血衝動。亜蓮は月に一度、血を呑まないと体調を崩してしまう。呑まない限り渇きに耐え続けなければならない。そんな厄介な所だけを受け継いでしまった。




「元気?」


「え?」


 不意に声をかけられ我に返る。満員電車の中、角に私を追いやり自分が壁になった亜蓮は顔を覗き込んできた。


「昨日、ごめん」


「何で謝るの?」


「星に辛い思いさせてるから」


 ドアが開き人がなだれ込むが亜蓮の身体は動かない。体幹鬼強いなこいつ、と思いながらも彼は私の肩に頭を預けた。


「気にしてないよ」


「でも……」


「本当だよ。亜蓮と一緒にいるって決めた日に覚悟したもん」


 私の言葉に亜蓮は溜息を吐いた。それでもごめんねと呟く彼はどこまでも優しい。


「星本当に欲しい物ないの?」


「ないよ~だっておばさまたちが全部買ってきちゃうし」


「……僕の敵は父さんと母さんか」


「でも絶対亜蓮とは被らないよね」


 毎年贈られる大量のプレゼントとは別に、亜蓮はいつもプレゼントを用意してくれている。二人がくれるプレゼントとはまた違うベクトルで気に入って、何より大切にしたいと思わせてくれるのだ。


「今年……ネックレスにしようかな。三年前に渡したデザインより大人っぽいの」


「この子も代替わり?」


 首元に光るピンクゴールドはハートと花のモチーフだ。三年前にピンクゴールドが可愛いと言った私の言葉を聞き逃さなかった亜蓮から贈られたもので、以来肌身離さずつけている。


「うん。この前可愛いって言ってた星のモチーフのやつとかどう?」


「折角なら一緒に買いに行きたいなぁ」


 最近忙しかったから、と付け加えれば亜蓮はわずかに口角を上げた。


「あ」


「何?」


「欲しい物決めた」


「お」


 嬉しそうな亜蓮をよそに私はスマートフォンを取り出しおじさまにメッセージを打つ。


「…何で父さん?」


「亜蓮から貰いたくないから」


「何を……あー、星?」


「なぁに?」


「…ううん、何でもないよ」


 すぐに既読がつき、おじさまから可愛らしいスタンプが届く。キャラじゃないねぇと笑い合い電車を降りて学校に向かった。






「星ちゃんこれ、一足早いけど」


 その日の夜、おじさまから渡された箱に驚きを隠せず声を上げる。おばさまは裏庭に、亜蓮は夜の散歩に出かけているので屋敷には私たちと使用人しかいない。


「朝言ったばっかなのに」


「でも星ちゃんが欲しい物を言うのは珍しいからね。それに早めに欲しいんじゃないかって」


 長い箱を受け取りリボンに手をかける。上質な赤いベルベッドが解けていく。


「昨日壊しちゃったのかい?」


「壊したというか、使い物にならなくなったって言うか」


「そんな派手な真似したのか?」


「詰まっちゃったんです。本当はすぐお手入れしなきゃだったのに、亜蓮と――」


 言いかけて口を閉じる。おじさまは楽し気に続きは?と聞いてきた。


「ちが、違いますよ!そんなんじゃないです!」


「婚約者だから別に何も止めないよ?ただ結婚するまでは――」


「し、してません!!本当に!違う!!」


 顔に熱が集まるのが分かり慌てて首を横に振る。おじさまはケラケラ笑って、からかい過ぎたと息を吐いた。


「あんまりやると亜蓮にばれたら怒られるから」


 私の頭に手を置いたおじさまは耳元に顔を寄せる。


「ちょうどお仕事入ってるよ」


 その言葉に私は箱を握り締めた。






 深夜一時過ぎ、屋敷近くの森で亜蓮はしゃがみ込んでいた。吸血鬼の要素を強く引き継いだ彼にとって夜は活動時間であり、日中よりも快適に過ごせる。本当なら毎日明け方まで起きて昼過ぎまで眠る生活をしたいが、学校もあるためそれは出来ない。


 何より、星と過ごす事が出来なくなってしまう。


 七歳のあの日、転んだ星に手を差し伸べてから亜蓮の人生は彼女でいっぱいになった。俗に言う一目惚れが、今も効力を成しているなど誰が思うだろうか。けれど亜蓮には、星が世界で一番大切な存在である事には違いない。


 先祖返りの代償で幼い頃は特に、日光が苦手だった。今でこそ帽子やフードで遮れば外を出歩いても問題ないが、幼少期はそれすらも苦しく感じられた。でも星がこの家に来て出歩いている所を話しかけるために外に出るようになって耐性がついた。我ながら健気であると亜蓮は苦笑する。




 星に好きでいてもらうために必死で頑張り今に至るなんて、彼女は知りもしないだろう。あの日、膝から流れた血を吸ってから自分が吸血鬼だと知っても星は傍にいてくれた。それだけで充分過ぎるほどだったのに、今度は早く彼女を人ならざる者にしたくて堪らない。


 だが星も自分もまだ高校生だ。せめて大学を卒業するまでは彼女を人間でいさせたいのだ。けれどそれを塗り替えてしまうくらいの吸血衝動を彼女に感じる事がある。


 以前血を吸えなかったタイミングがあった。厳密に言うと、摂取する予定の日が色々あって数日伸びた。あの時の飢えと渇きは耐え難い物だった。星を遠ざけて何とかしようと思っていたのに、自分を心配した彼女が目の前に現れてその血を吸ってしまったのである。


 倒れるまで血を吸って、我に返った時青白くなった星を見て気が動転しおかしくなったのを未だに忘れられない。幸いにも彼女は助かったが、死んでもおかしくなかったと言われている。


 それから彼女を避けたのに、星は反対に距離を詰めてきた。怒ってないよ、仕方ないよ、私の血で良ければいくらでもあげるよ、亜蓮が辛い思いするよりずっといい。こちらを気遣う言葉ばかりを吐いた星に、自分を大切にしてくれと怒鳴りつけて泣かせたのも忘れられない。


 彼女がいなくなってしまったら、それで終わりだというのに。


 けれどそのせいで彼女は。




 大きな溜息を吐いて立ち上がる。最初から怪物が簡単に幸せになる物語など存在しない。星はおとぎ話が好きだった。だから彼女の言う王子様のようになりたくて一生懸命頑張った。今もそうだ。十年一緒にいるのに、彼女に好かれたくて離れて欲しくなくて、いつも喜ぶ事ばかりを考え隣を譲らない。


 星はどう思っているだろうか。明言はしないが同じ気持ちである事は分かっている。ただ彼女から選択肢を全て奪ったのは自分だ。


 両親は最初、吸血衝動がある自分のために篠森家の人間を迎え入れようとした。つまり養子という名の餌。けれど我々の血筋は繁殖能力が低い。娘が欲しかった母は星を知り、彼女と家族になりたがった。父もそうだ。息子と娘がいる生活を二人は望んでいた。


 けれど彼女に一目惚れをしたから。星は養子ではなく婚約者という立場でこの家にやって来た。もし養子として来たら、自分以外の選択肢もあったはずなのに。星に言えば怒られそうだから言わないけど。



 でも彼女は、これがおとぎ話でない事を自分より先に理解してしまった。


「帰ろ」


 既に眠っているであろう彼女の寝顔でも見て、安心しながら眠りにつこうと踵を返した、その時だった。


 ターンと、静寂に包まれた森に僅かな音が反響した。顔を上げ音の方向に走る。銃声だと気づいたのはあまりに覚えがあったから。けれど銃声にしては静かな音が聞き慣れなかった。


 もしかすると、篠森を恨んだ人間がやって来たのかもしれない。父や使用人たちが篠森との誓約を守り、彼らを憎み犯行に及ぶ人間を消しているのは知っていた。自分が終わらせた事はないが、星が襲われかけた時に半殺しにした事がある。月島にいるのに姓がまだ篠森のせいで、彼女は時折狙われてしまう。




 でも。




 男の悲鳴が聞こえた。そして、何かを突き刺す音。悲鳴はさらに上がり助けてくれと声が木霊する。辿り着いた先、見慣れた小さな背中が銃を振り上げた。先には剣。見慣れぬ銃剣は振り下ろされ男の首を掻っ切った。


 血が飛び散り雲に隠れた月が顔を出す。剣先に滴る赤に昨日摂取したばかりだというのに喉が鳴った。


「星」


 名前を呼んだ。小さな背中はゆっくり振り返る。月明かりに照らされた頬や服には赤が飛び散っていた。


「亜蓮」


 星はにこやかに楽しげな声で僕の名前を呼ぶ。


「おじさまが新しいの買ってくれたの。昨日お手入れする前に亜蓮と寝ちゃったでしょ?だから詰まって使い物にならなくなっちゃったから」


 星は銃剣を両手で持ち嬉しそうに微笑む。錆びにくいやつなんだってと会話を続ける彼女は、僕が壊してしまった宝物だ。


「これで亜蓮が辛い思いしなくて済むね」




 その言葉に、汚れる事もいとわず腕を引いて抱きしめた。すっぽりはまった彼女の身体は先程まで人を殺していたとは思えないほど細くて、柔らかくて、悲しいくらい温かかった。


「亜蓮いる?」


「……昨日吸ったからいい」


「そっか…おじさまが試すのにお仕事くれたんだけど、いらなかったね」


「うん。ごめんね、ありがとう」


 彼女の頬に飛んだ血を舐めれば星はくすぐったそうに目を細める。けれどどんな人間の血も星の血に叶う事はないと分かっていた。


「帰ろう」


 銃剣を奪い取って、着ていた服を一枚、彼女の身体にかける。使用人に位置情報だけを送り処理を頼んだ。一刻も早くこの場から彼女を連れ去りたくて、その手を強引に引いた。


「亜蓮?大丈夫?」


「うん、大丈夫」


「今日も寝るの遅くなっちゃうね」


「…明日サボって出かけようか。母さんたちには言っておくよ」


「本当?」


「うん、星が仕事したって言えば許してくれる」


 地面を踏み鳴らす音と自分たちの声だけが聞こえる静かな森、足元を月が照らしている。


「あ、そうだ」


「ん?」


「欲しい物ある」


「何?」


「お揃いが欲しい。ネックレス」


 はにかんだ星は年相応の女の子で、思わず眉が下がってしまう。そうだね、明日買いに行こう。そう言って屋敷の前まで来た時、星の足が止まった。


「星?」


「亜蓮は?欲しい物ない?」


「僕?」


「うん、貰ってばっかりだから」


 血が飛んだ服、華奢な身体、数十分前まで人を殺していたとは思えない少女。彼女がもうこんな事をしなければいいと思うのに、そうさせてしまったのは自分だ。


 だって僕のせいで、星は人殺しを始めたんだから。


「星」


「なあに?」


「…仕事、やらなくていいよ」


「どうして?」


「星が頑張る必要ない。僕が自分で殺して血を吸えばいいんだから」


 僕の言葉にきょとんとした星は噴き出す。クスクス笑って頬に手を添えてきた。


「確かに最初は怖かったし苦しかったよ」


 でも。星の唇が間近に迫り息が止まる。微笑んだ彼女はどうしようもなく美しかった。


「今は楽しいから辞めない」




 僕が壊した宝物。大切で仕方なかった女の子。僕という怪物を愛したせいで、人の身でありながら怪物になり果てた一等星。


 きっとこの先も、手放す事が出来ないモンスター。


「でもどうしても、亜蓮が嫌なら辞めるね」


 なんて、辞める気もないくせに。止める事も、出来ないくせに。その唇を塞いで、僕は生涯この事を後悔しながら、彼女を愛していくのだろう。




 僕たちは、どうしようもないモンスターだ。

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