桜桃 ~彼氏はかっこつけたいお年頃。幼馴染とソメイヨシノと~
花が枯れ、実を結ぶ頃。
おれに芽生えたこの思いも、膨らんでいくのだろうか。
春。出会いの季節。
おれは真新しい制服に袖を通し、期待に胸を高鳴らせ高校の門をくぐった。
高揚した気分を隠すために、あえてぶすっとした顔を作る。
浮かれきった間抜け顔だけは晒したくない。
スタダを決めるには、アホな陽キャに分類されるのは避けなくては。
陰キャと思われるのも論外。
とくかく第一印象が肝心だ、と以前読んだ雑誌に書いてあった。
今日は入学式だ。
案内に従い1-Dの教室に入ると、緊張した表情の新入生が座っている。
コイツらが、おれの・・・。
クラスメイトと呼ぶにはまだ早い、初対面のヒトたち。
運良く同じ中学の知人を見つけた男子がじゃれ合ってる。
おれにはわかる。お前ら、中学ではそんなに仲良くなかっただろ。
女の子はやたら距離感近く、友人同士ボディタッチをしてる。
不安から自分を大きく見せてるんだ。
棒切れ振り回して、威嚇するチンパンジーと同じようなやつらだ。
マウンティング。
おれは目線を切り、黒板を確認する。
単純に苗字のあいうえおで配列された席順。
渡良瀬 雄大。
おれの席は窓際後ろだな。
浮き足立つ心を抑え、わちゃわちゃしてるやつらを抜け、席に着く。
がたがたん。
しまった。思ってたより大きな音を出しちまった。
ふぅ。
クールに振舞え、おれ。
ビークール。
ああ。サクラだ。
ふと目をやると、校庭に見事なサクラが咲いていた。
ピンクの花びらが、はらりはらりと振り落ちる。
サクラ、か。
その瞬間、おれの忘れていた記憶が呼び起こされた・・・。
思えば、あれは初恋だったのかもしれない。
おれには、幼馴染の女の子がいた。
家が隣同士でトシも同じ。
オテンバなその子に手を引かれ、よく公園で遊んでいた。
近所のおばさんに、モモちゃんとユーダイくんいっつも一緒ねって笑われるくらい、おれと彼女は二人で一つだった。
小学校に上がる年の春。
幼馴染は父親の転勤で、引っ越していってしまった。
お別れに、おれは種をあげた。
彼女が大好きだったさくらんぼ。
これを植えたら大きくなって実がなって、お腹いっぱい食べられるからねって。
お互いにすぐまた会えると、ニコニコ手を振ってサヨナラをした。
別れというものを理解するには、おれたちは幼すぎたんだ。
いや、わかってなかったのはおれだけなのかもしれない。
モモの目は、少し伏せていたような。
小学校に入学すると、新たな友人達と遊ぶのに忙しくなった。
ゲーム。サッカー。流行のおもちゃ。
夏休みに彼女からの手紙が届いた。
でも、それにも、その翌年の年賀状にも、おれは返事を出さなかった。
そのまた来年には、便りはこなかった。
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退屈な式後、教室では初動の早い女の子達はもうすでに、やんわりとしたグループを形成しつつあった。
スクールカーストが透けて見える。
やれやれ。
短いホームルームの後、おれは逃げるように席を立った。
その場に残って輪の中に入りたいような気もしたけど、やっぱり無理だ。
調子に乗って恥をかくのが目に見えてる。
フォーマルなスーツで身を包む保護者や、新入学の生徒でにぎわう玄関を抜け、まだ通い慣れない町を駅に向かって歩く。
駅の券売機の前で愕然としてしまった。
お金が、足りない。
財布の中のコインでは、おれの降りる駅まで行けないんだ。
はあ。
定期も間に合わなかったし、電子マネーも持ってない。
仕方なくおれは次の駅まで歩くことにした。
親に電話するのも、ためらわれた。
もしもしママ、電車賃が足りないんだけど、迎えに来てくれる?
うん、最悪だ。
母親に「あなたが産んだ息子はアホですよ」って宣告するようなもんだ。
黙って歩く方がマシ。
住宅が立ち並ぶ線路沿いの道を、おれは一人うつむいて歩いた。
ごとんごとんと電車が通るたびに、今朝に時間が戻ればいいのにと願った。
おい、おまえ。
入学式だからって興奮して、うっかりお金を入れ忘れるなよ。
そうおれに言ってやりたかった。
いくつかの踏切を横目に見て、隣駅が見えてきただろうか。
ふと、ふわりとやわらかな風が吹いた。
ひらひらと花びらが風に舞い、おれの足元に落ちる。
サクラだ。
満開のサクラが、庭から塀の外へ少しはみ出すように枝を広げている。
おれは足を止め、サクラを見上げた。
その木はまだ若く、幹も頼りなかったが全身全霊で春を喜んでいた。
よくわからないけど、この家のシンボルツリーなんだろう。
花の一つ一つが、春を告げるラッパのように見えた。
青空とのコントラストが鮮明で、ピンクがかった白いサクラは良く映えてる。
きれいだ。
しばし立ち尽くし、花に見入っていたおれは、あることに思い当たった。
家の人に怪しまれないだろうか。
きぃぃぃ。
ブレーキがきしむ音がした。
おれの心臓は飛び上がった。
驚いて振り返る。
自転車には女の子が乗っていた。
あれは、同じ高校の制服?
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「なにか、ウチに御用ですか?」
突然の耳をつんざくブレーキの高音と、たたみ掛ける質問に、おれの胸は早鐘を打った。
「いえっ。あのっ」
動揺を隠せない。
無理して身に着けたクールの仮面が崩れ落ちてしまった。
怪訝そうな顔でおれを見つめる女の子。
「もしかして、キミ・・・」
女の子の唇には、見覚えのあるほくろがあった。
がたんごとん。
電車が起こす風にサクラの花びらが舞った。
幼馴染との再会は、サクラの木の下で執り行われた。
春を告げるラッパがファンファーレを鳴らす。。
彼女のボーイッシュだった髪は長く伸び、肩に届いてる。
立ち振る舞いがすっかり女性らしくなっていて、おれはとても驚いた。
でも、笑い方は昔のままだった。
おれとモモは、二人の時間を取り戻すためたくさん話をした。
話題はいくらでもあった。
泣き虫だったアイツは、甲子園に絶対行くって強豪に進学したよ、とか。
でもアイツ、推薦だったのに学力ギリギリ過ぎて足きりされそうになって涙目で焦ってた、とか。
おれは嫌だったのに、モモが無理やり連れ出して迷子になったよなあ、とか。
おれのオヤジは相変わらずヘタなカラオケを歌ってるよ、とか。
変わったこと。変わらないこと。
うれしそうに話すモモの顔を見ると、おぼろげな思い出がよみがえる。
つないだ手の感触。秘密の約束。
髪をかきあげ、アルバムを覗き込む横顔がおれの顔に近づく。
どくん。
なにかが体の真ん中からせりあがってくる。
声が、漏れてしまいそうだ。
内側から湧き出る熱いものが、吐息に変わった。
はあ。
おれははっきりと恋に落ちていった。
初恋。再恋。
これをなんと呼べばいいのだろう。
言えねえよな。
おれの独り言は、彼女の耳には届かなかった。
おばさんが部屋に、さくらんぼのタルトを持ってきた。
偶然の再会をおばさんも喜んでくれてるようだった。
おいしそうにタルトをほおばる幼馴染。
まだ、さくらんぼは好きなままみたいだ。
それがとても嬉しかった。
そしてそんな風に感じる自分を嬉しく思った。
おれがあげたさくらんぼの種は、結局、植えずに取っておいてあるのだという。
庭に咲く桜は、引っ越してきた時に彼女の父親が、娘に淋しい思いをさせたからと買ってきた苗を大事に育てたものらしい。
あの種が大きくなったのかと思ったと告げると、彼女は笑った。
「ソメイヨシノの実は、食べられないんだって」
「それに、さくらんぼって一本の木ではできないみたい」
彼女の笑顔が、まぶしかった。
なんだ、そうかよ。
おれはそっけない返事をする。
そうでなければとても口に出せない願いが、漏れ出してしまう。
じゃあ、今度、植えようよ。
あの種をさ。
何年先になるかわからないけど。
その実を二人で食べよう。
できることなら。
さくらんぼみたいに、手をつないで。
―終―