1-(8) フライヤ・フリューゲ奪還作戦 (2/2)
現場側での総司令官の解任は可能だ。総司令部内で決を採り、一定数の賛成があればできる。脳梗塞で倒れて意識不明とか、心神喪失状態での解任というやつだ。
だが、そう。そんなことは無理だった。六川や星守の政治力と交渉能力、そして軍官房部の権力をつかえば、天儀の解任自体は可能かもしれない。だが、そのあとだ。
軍内で新たな総司令官を選出しようとしても揉める。それを見透かした首相は、直々に天儀を任命して軍へ送りつけてきた背景もある。加えて時間もない。いま、おそらく軍官房部が準備している反撃作戦は、三か月以内に実行に移される。そこから逆算すれば、今回の天儀の着任は、ギリギリのタイムリミットだ。
六川も星守も、いま、準備中の作戦に口を挟まれたくないが、作戦発動後とか作戦発動直前に着任してきた総司令官を担いで戦うことは避けたいはずだ。リスクが大きすぎる。
「やはり戦場は、天儀総司令を必要としていると考えます。いま、軍が準備している反撃作戦も総司令官がいなければ無意味です。重責を担う責任者を欠いて戦えば、また失敗します。」
義成が思うに、たとえば六川軍官房長が作戦の音頭をとっても、間違いなく統合参謀本部はそっぽをむく。統合参謀本部が、軍の主導権を握るのに最も邪魔な存在が軍官房部だからだ。そして統合参謀本部が乗り気でないとなれば、前線の司令官たちは動揺して消極的な動きに終止するだろう。
義成は、チラリと天儀を見た。
――いまは、この男以外に選択肢がない。
政治の意向などしらない義成が、なぜ天儀が総司令官だったか想像すれば……。理由はいろいろ頭をよぎるが、一番の理由は単純明快だ。誰もやりたがらなかったから。だから天儀だったのだろう。忌憚すべき状況だが、いまは天儀しかいないのだから、天儀でやるしかない。
そして、天儀で、やるしかないなら義成が必要だ。この男の暴走と、非人道をとめられるのは、自分だけ。そして、あらゆる誤りを是正する。私生活から軍事指揮まで、天儀を是正する。まさに天儀の監視役! いや、監督、目付け係、教育者。それが義成の天儀の側近就任への真意だ。
「天儀総司令と軍官房部は、お互いを必要としている。そこに自分を加えていただけば万事がつつがなく進みます。」
黙り込むしかない星守に対して、六川は一考してから。
「彼は、どんな男なのですか?」
と六川は、義成ではなく天儀へ問いかけた。
「義成は、正義を好くし、正義を欲する男だ。私の喉元に、それを突きつけて迷うことをしない。」
「ふむ……。なるほど。」
「どうだ私の側近には相応しだろう。」
この言葉に、六川でなく星守が反応した。
「ふ~ん。つまりご自身の監視役を、ご自身で選ばれたと?」
とびきり意地悪な顔での嫌味だったが、天儀はむしろ破顔。
「そういうことだ。手間が省けたろ。どうせ君らは私を疑いの目で見ないではいられない。私がなにをするか不安で、とんでもないことをしでかさないか心配でたまらないはずだ。だから私は、君らの意向に沿った人事をしたのに、それが星守副官房はいけずだ。私をなじるものだから、つい、あんな心にもない言葉を口走ってしまったのだ。」
「ついですって!」
星守が叫ぶなか六川は冷静だ。
「なるほど監視役。参月少尉は、ある種の特務を担うのですね。」
と口にしてから義成の目を真っ直ぐ見て。
「わかったよ参月少尉。だけどね。天儀総司令は、悪人と断定できずとも善人とはいい難いお人だよ。君は、それを承知しているのかい?」
「はい。」
義成は揺るぎなく即答した。むしろ六川の問に、だからこそ、側近になりたいのだといいたい。
「では、もう一つ質問だ。参月少尉。いや、義成くんともう呼ばせていただこうかな。義成くんは、天儀総司令が、間違いをおかしそうになったら……。つまりは人の道に外れるようなことをしたら側近の君はどうする?」
義成の応答は素早い。迷わない。
「コロ……、ではなく、処します!」
あまりに素直にあっさり断言したものだから六川も星守すらも驚いた。そんななか、当の天儀は、
「ほらどうだ。素晴らしい監視役だろ。こりゃあ悪いことはできんなぁ。」
と一人ご満悦。
天儀は異常で、そして、やはり義成も異常か。なぜなら普通は、六川の問に対して、少しは迷う。
というより、飼い主に忠実でない犬は、噛まれるはず助かった側から見ても問題だ。命じられたのに噛むのを躊躇した犬を、噛まれず助かった人間も評価しない。むしろ逆で、主人に不忠と断じるだろう。
星守がこめかみを押さえて、
「はぁー。処すっていいなおしたからってどうなの。いいかたの問題じゃないでしょ。ええ、殺すって、まあ、いいけど、いや、よくないわよ。あなたって色相きれいだけど、とんだピュア・サイコパスじゃない。」
という芳しくない反応を見せたものだから義成は少し慌てた。過程をすっ飛ばして、結論だけ口にするのは良くない。誤解を招く。しまった。やってしまった。前置きを口にしてから、最終的な行動を口にすべきだったのだ。
「星守副官房それは誤解です。自分は、天儀総司令が過ったからといってただちにコロ、ではなく、処すわけではありません。その前には十分な忠告と助言をします。それでも天儀総司令にお考えを改めていただけないのであれば、最終的な行動に迅速に移ります。すなわち即コロ、でなはなく処しますが。ですが、それは、処す前に――。」
慌てていう義成はみっともない。星守は呆れてため息をつくなか、六川も苦い表情を見せてから義成の言葉を、
「もうわかった。いいよ。」
と遮った。
遮ってからの六川は、すでに義成から興味を失ったのか、フライヤベルクという戦場の状況について話題を移してしまったものだから義成は慌てた。
――ちょっとまて、俺の人事はどうなった!?
いまの流れでは、側近の件はOKされたのか、却下されたのか判別不能。義成からして失言してしまったのであれば天儀の側近というポストは流れたと考えるべきだが、いまの六川の反応は微妙すぎる。
だが、六川は義成の心中のなどには、かまってくれず次の話題に移ってしまった。気が気でない義成を一人おいて場は、天儀への報告会へ転じた。
「置いておいた報告書は、どの程度読まれましたか?」
「あんなもんは、もう全部読んだよ。十日分だったからな。」
「そうですか。読んで下さいましたか。」
「たった十日分だ。ここ半年分の報告書はどこへ消えた?」
報告書とは、日に二回総司令官に机の上に置かれるその日一日戦場で起きたことをまとめた極めて重要な報告書だ。瑞鶴についた初日の天儀は、これまで約半年分の報告書が、自身のデスクの上に山積みされていることを想像し内心うんざりしつつも総司令官室に入ったのだったが、机の上に置かれていたのはたった二十冊の薄い報告書だけ。
天儀は、いぶかしんで周囲に落ちていないかとか探し、はたまた盗まれたことすら疑ったが、報告書は二十冊だけだった。そして天儀は、とりあえず一番上の報告書を開いて……。
話を戻そう。六川は、天儀の問には応じず天儀もそれ以上は追求しなかった。星守もだんまり。そんな光景を、義成が奇異の目で見守るなか六川は、戦場の説明をたんたんとしていった。
「以上、戦力の配置は、このようになっておりますが。そうですね。個々の戦力に話を移す前に、おつたえすべきマル秘の重要事項があります。天儀総司令は、フライヤベルクの戦況については、どれほどご存知なのでしょうか。」
「どれほどご存知か、ときたか。なぁ六川軍官房長。仮に戦況有利で、私が呼ばれるのか?」
瞬時に、六川の口が重く閉じたと見た天儀が間髪入れずに、
「負けそうか?」
と矢継ぎ早に畳み掛けた。まるで詰問するような調子だ。
そして、やはり六川の口は動かなかった。不利は予想済みの天儀とはいえ、もはや失笑するしかない。
天儀は、国軍旗艦瑞鶴に着任するまで手にした資料と、移動中に情報と助言を与えるためと、つけられた若い将校二人の言葉とが、食い違っていることにすぐに気づいていた。資料はどう見ても有利には見えない。それなのに、彼らの口にすることは聞こえのいいことばかりだ。天儀は、すぐに、やはりフライヤベルクという戦場は、どう考えても不利と看破した。
そして、いま、目の前の沈黙だ。わかりやすすぎるほど、わかりやすい。軍も政府もいい加減だ。
「そらみろ案の定だ。なにが、おつたえすべきマル秘重要事項だ。戦況不利、負けそうって話だろ。聞かずにわかるマル秘事項とはこれいかにだ。」
「……。」
「なあ六川。私は、べったり糞の付いたオムツのような、どうしようもない戦場を前任者から引き継ぐってわけだ。その糞べったりのオムツをどうするかは、私へ一任。オムツの汚れが落ちなければ首相や君らは、私を糾弾するってわけだ。全部、天儀というやつが悪いで片付ける。まったく無責任な話といっていいなッ。」
だが――。
「それがいい。いいよやってやるよ。その損な役をな。」
「助かります。」
と重く閉じていた六川の口がやっと開いた。
「あの――。」
と義成が恐る恐る口を挟んだ。話が一段落したようなので、意を決して発言したが、タイミングとしては微妙だ。義成だって、正直こんなタイミングでしゃしゃりでたくなかったが、自分が総司令官の側近に決まったのか、そうでないのか確認せずにはすませない。
けれど天儀ときたらひどいものだ。興味なさげな顔で、
「なんだ。まだいたのか義成。」
と義成の発言をあしらった。
義成は驚き思わず口から、
「え?」
と狼狽の音がでた。そんな義成を横目に、星守が、
「そりゃあ側近に、決まったんだからいるでしょ。」
と天儀を非難するようにいったものだから義成は、またも驚いた。驚きの音は同じだ。
「え?」
なお、この、〝え?〟は、いつ決まってたの? の〝え?〟だ。
宇宙の神秘か。いつ決まっていたのか義成には、わからない。難しすぎる。あの過程のどこで、OKがでてていたのか。現場の軍人の先輩方のやり取りは難解過ぎる。
そんなか六川が義成へむけすっと敬礼して、
「義成くんおめでとう。苦労が苦労多く、実りの少ない役割になると思うが、君がこんな役を買ってでてくれ、僕らとしては大安心だ。なにせ天儀総司令は、勝つとなると見境ないし、僕らも天儀総司令の強引さに振り回されて、なかなかコンプライアンス的助言や、倫理の観点からの問題提起は難しくなるだろうからね。君が専門で、それを担当してくるのは大助かりだ。」
と祝福を述べてくれたものだから、義成はまた驚くしかない。
今度は、心中で、
――え!?
と叫んだ。
「は? なに驚いてるのピュアカラー。」
と、星守が呆れた顔で義成を見た。
そういえば、最初、義成は、ピュアカラーといわれても、わけがわからなかったが、取り敢えずそれが自分のあだ名的なものだと飲み込んでいた。だが、考えてみれば不思議だ。ピュアカラーとはなんだ? 慌てた義成が、そんなことを唐突に思いだし、慌ただしく脳で処理するなか星守の義成への言葉が続いた。
「それにしても実質、雑務係やりたいって義成少尉は、変わり者よねぇ。ほんといまどき奇特。見上げた滅私奉公の精神。黄金の二期生って出世主義者ばかりだと思ってたから、あなたみたいなボランティア主義の良心もいるのね。」
「え!?」
また驚きの声をあげた義成を、怪訝に思った星守が、義成の顔を穴のあくほど見てから。
「……あの、もしかして義成少尉さん? あなたなにもわからず承諾してたの。え、嘘でしょ。あなたまさか、天儀総司令の言葉を信じて自分が監視役で、助言できる立場、つまり参謀とか、そういう立場になったと思ってた?」
「そ、そうではァ……!」
「そう思ってたわけね。」
「……いや、まあ、そういう立場には、なるかなぁとは考えましたが。」
狼狽する義成に、星守はニンマリだ。
「あーら、残念。それは騙されたわねぇピュアカラー。超哀れ。」
意地悪な笑いをうかべる星守の言葉を、天儀が、
「いいよ。なんでも助言してくれ。戦いに関することから私生活まで。大歓迎だ。私はむげにはしない。」
と否定したが、義成はその言葉をまったく信じることができない自分がいることに気づいていた。義成は、信じたくないが、認めざるをえない。騙されたことに。
義成は真っ青になってガクリと床に膝をついた。そんななか天儀と星守の話はつづいた。
「むげにはしないなんて、嘘ばっかりですね。何一つ助言なんて受け付けないくせに。いい義成少尉。これからあなたが、やらされるのは、この男が面倒くさいと積み上げた書類の山の処理よ。」
「なんだ人聞きの悪い。騙してはいない。私が持て余した書類の処理。そういった仕事も時としてあるだろうが、私が悪いことをしたら止める権利を与えたのは事実だ。うん、処していいよ。処してさ。でもよ……。」
天儀が、床に膝をついた義成を睥睨し、
「そんなことができる状況ならなぁ!!」
とたたみ掛けた。
「騙されたぁああああ!」
と、義成は、たまらず頭を抱えて叫んでいた。
目下、戦況は不利だ。そんななか総司令官が突然、不審死すれば、戦況へ良い影響など与えるはずがない。いや、自然な突然死でもだ。
つまり戦況不利では、義成は天儀を殺せない!
では、状況が有利になればどうか? 天儀は手段を選ばず勝つ、つまり悪いことをしてまで勝つ必要がなくなるので、結局、義成は天儀を殺せない。
そもそも戦争の真っ最中での総司令官の死など状況にかかわらず最悪だ。少し考えればわかりそうなものだが……。
それに参月義成。考えの甘さもあった。総司令官の側近とは、参謀的ポストになれるかも、側近の立場を少し美味しいものだと考えていたのも事実……。
義成が見上げた天儀の顔は、邪悪な笑みで満ちている。
――くそ。やはりあのとき処すべきだった!
昨日だ。着任式のその日。この総司令官室で待ち伏せしていたあのとき、アホ面引っ提げて入ってきたこの男を処すべきだったのだ……。だが、後悔先に立たず。義成は、天儀暗殺の絶好の機会を、みすみす放棄していた。