1-(7) フライヤ・フリューゲ奪還作戦 (1/2)
事実、あのときの天儀の予見どおり、軍および政府は大失敗していた。
――フライヤ・フリューゲ奪還作戦。
女神の角笛は、戦略的重心点。フライヤベルクという戦場で、もっとも重要な拠点の奪取のための大規軍事作戦。八個連合艦隊を投入したこの作戦に、ヌナニア軍は惨敗という以外の形容がない失敗を犯し後退。
世間には局地的な後退と発表したが、野党もメディアもそんな発表は鵜呑みにしてくれない。この奪還作戦の失敗は致命的だった。ただでさえ開戦で低下していた支持率はさらに急降下。
議会で失態をなじられた首相は、軍の内情をぶちまけるわけにもいかず冷や汗をかいて答弁するしかなかったが、軍の各サイドが自分たちの利益を優先し、奪還作戦を軽視したと思えば首相としては業腹以外のなにものでもない。
なんのことはない。政争に熱をあげ意思決定力に欠くヌナニア軍というのが作戦最大の失敗の原因だ。
――ならば!
意思決定ができるやつを、国軍最高司令官である〝首相〟が、軍へ与えてやろうという、うえからの配慮……!
そして天儀は、総司令官に任命され、ことは国軍旗艦瑞鶴の総司令官室に至る。
つまり、いまは義成の側近任命問題だったが、副官房の星守の激しい抵抗で、暗礁にのりあげるかたちとなっていた。
らちがあかない。と思ったのは、この部屋にいる四人全員だったが、行動を起こしたのは六川だった。彼は、咳払い一つしてから天儀へ言葉を発した。
「ところで天儀総司令に、お尋ねしたいことがあります。我々の提出した文章は、もう読まれたのでしょうか?」
「作戦書。」
と天儀がすぐさまおうじてくれたので、六川はかんばしい印象を覚えた。天儀が、すでにあの膨大な量の作戦書に目をとしてくれているなら話は早いし、同時に天儀の勤勉さに好感をいだいた。
なぜなら着任直後の総司令官は、分刻みで予定がいっぱいだ。それがすでに作戦書に目をとおしてくれているとは、天儀の作戦重視の姿勢を物語っている。
そう。これは交換条件だ。
軍官房長の六川としては、天儀と星守の対立がつづいてもらっても困る。両者は妥協すべきなのだ。そして、この問題の妥協点は、六川からすれば簡単だ。天儀が、軍官房部側の要件を呑む、そうしたらこちらも義成という青年将校の側近起用を認める。それだけの話しだ。
では、六川、星守ら軍官房部が天儀に呑んで欲しい条件とは、あらためていうまでもないが、六川に変わって星守が、
「コホン……。天儀総司令。お読みになられた作戦をどう思われますか。いえ、この際はっきり申し上げます。あの作戦を許可していただけますよね?」
と要求を突きつけた。
「だが、あれは、まだ雛形だろ。」
「いいえ。大筋は決定していますし、もう詰めの作業に入ってますので。」
「フム。なるほどな。準備済みといっていいのか作戦が。」
「ええ、そうです。準備済み。この反撃作戦は、すでに財務省にも追加の臨時予算の内諾を得ています。私たちのこの作戦は、この前の統合参謀本部が作成・指導し突発に的におこなわれ失敗したフライヤ・フリューゲ奪還作戦とはわけが違います。半年かけて綿密に準備したもので――。」
ここで天儀が手をかざして星守の発言を遮った。もうよくわかった。黙れ。これ以上時間をかけるのは無駄だというわけだ。天儀もせっかちな性格をしている。
「つまり、あの文章にあった作戦とやらは、時間をかけて作って、根回しも終わっているから、いまさら中止にはできんということだな。」
「あら、意外に話が早い。そういうことです。すでにこの作戦のために、軍の末端も準備に動き始めています。今更、中止してゼロから作り直せでは、軍全体の士気どころか、準備に関わった全員の面子は丸つぶれで、軍と政府との関係にも影響します。」
「そいつは大事だ。」
「おわかり頂けたようですね。では、天儀総司令。この軍官房部の反撃作戦、許可してくれますよね?」
だが、天儀は…‥。
「あれを許可するかどうかなど、とてもまだ答えられんなぁ。着任して数日だぞ。まずは正確な戦力の把握からだ。」
正論に見えるが、違う。この発言は、ほぼ拒否に近いのだ。
いまの天儀の立場を考えれば回答は、諾の一字以外にない。状況をかんがみれば、いまから新しい作戦など時間の浪費どころか現実的ではない。ゼロから作り直せば反撃作戦の実行は、どんなに最短で準備できても半年後になってしまう。半年後では、敗戦してしまっている可能性が高い。
そう。いまのヌナニア軍総司令官というポストにある人間の立ち振舞は一つだけ。軍官房部の準備した作戦の指揮監督役に徹すること。それが、ものの道理というものだ。
「時間をかけて作ったんですよ?」
「時間をかければ良い作戦なら、一生かけて作ってろ。」
「……ひどい。皆の思いがつまっています。勝ちたいという願いだけでなく、悔しさ、やるせなさも。勝つために前線と後方の力を結集したものがこの作戦です。」
「同情するぜ。涙ぐましい努力に敬意すら覚える。」
「……では、許可することを約束してください。」
「それとこれとは別問題だ。お気持ちだけで勝てるなら苦労はない。願いが強きゃ勝てるなら、作戦練るより僧侶に祈祷でもさせたほうが勝てるんじゃあないのか。」
この対立に六川は、感情をあまり表にださない彼にめずらしくため息をついて首を振った。予想はしていたが、これでは先が思いやられるというものだ。
「ふぅー。……でしょうね。では、今回の人事の件は、私ども軍官房部は受け入れかねます。」
プイとそっぽをむく星守にたいして、天儀も静かに感情のボルテージをあげた。
「いい度胸だ。一度ならず二度も負けたいとは、見上げた負け犬根性だなお前はッ。」
状況に合致した計画でなければ現状は変えられない。という天儀の強い気持ちは、星守の冷たい態度と、無理解への苛立ちから思わぬ形となって口から吐かれた。
途端に星守の顔が真っ青になり、唇を噛み締めた。
星間戦争は旧グランダ軍の勝利で幕引きとなった。そんな戦争で、旧グランダ軍を率いた天儀は主役といってよく、旧セレニス軍だった星守は引き立て役の惨めな敗者でしかない。
これには六川も頭を抱えるしかない。焦りすぎたとも思うし、時期尚早だったとも思う。六川ら軍官房部の天儀への最大の懸念は、戦いへプロセスやアプローチが自分たちと天儀とではあまりに違いすぎる点だった。天儀という男が異質すぎるのだ。
異質な天儀からすれば、まともな軍官房部の作った計画は物足りないどこではなく不満が多いだろう。つまり、天儀の総司令官就任に、六川や星守は自分たちが、いま、準備中の反攻作戦の不許可という面白くない未来を警戒していたのだが。
ここで取引を持ちかけたのはマズかったか。と、六川は心中ではがみした。落下傘的に軍に舞い降りた天儀の軍での立場は脆弱だ。提案に天儀は、足元を見られたと感じたのだろう。作戦の内容いかんではなく、取引を持ちかけたこと自体が天儀を不快にまみれさせた。
どのみち天儀は、あの作戦を許可するしかない。状況的にそうならざるをえない。だから、早い段階で内諾を得たい。六川は、焦りすぎたといっていい。
結果はどうか。最悪だ。ウインウインとばかりに持ちかけた取引で、天儀から引きだせたのは強烈な拒否だけ。得られたのは、協力したい者同士の対立。六川が、自身の打算的な行動を後悔したそのときだった。
「わかりました。自分の側近任命はなかったことにしましょう。」
発言したのは、参月義成だった。この発言に全員が驚いた。
梯子を外されたかたちとなった天儀などは、とても慌てたようで、
「おい、お前の人事だぞ。この人事はお前の意思もくんで――。」
と強い口調で義成を糾弾したが、義成はみなまでいわせず。
「いえ、天儀総司令。あなたの負けです。」
「負けだと!?」
「ええ、暴言を吐いた。」
「俺が暴言だと? いつ? どこで?」
「……なるほど、わかっていらっしゃらない。」
たしかに、天儀とて義成いうことがわからないわけではない。だが、天儀としては、最初に立場の弱さに付け込んできたのは相手で、自分は防衛にほんの少し打撃力を発揮したに過ぎない。それを、やり過ぎのルール違反だと断じれ、腹が立つやら驚くやら。そもそも俺は、義成お前のために必死になっているのに、本人がそれをいうか。と呆れもするというものだ。
不機嫌に黙り込むしかない天儀に変わって六川が、
「いいのかい?」
と義成へ確認した。六川としても驚きだ。六川は、義成の言に強い誠実さを感じもしたが、物足りなさも感じた。引きさがるにしても、あまりにあっさり引きさがりすぎだ。
けれど義成は、
「ええ、この話はなかったことにしましょう。」
そうきっぱりいい放った。
ただし、義成の言葉はそれでは終わらなかった。本人がそれでいいなら。と困惑する六川と星守へ義成からは追加の言葉が送られた。
「ただ、残念ですね。この人事は理にかなっていた。」
「理にかなっているですって?」
と問い返したのは星守だ。
「ええ、今回の話は、お二方の懸念を払拭するに十分な人事でした。残念です。」
「ちょっとちょっと。六川さんと私の心配は――。」
「違いますね。お二方の真の懸念はそこではない。」
みなまでいわせずに言葉をさしはさんできた義成に、星守はムッとなった。しかも、この参月義成という青年将校は、まだ口にしていないどころか、本人が自覚していない心配事がわかっているというのだから驚くしかない。
黄金の二期生。噂どおりの生意気さ。と思った星守は、キッと義成をにらみつけたが、義成にてんで効果はなく、彼は「つまりは、お二人の心配は、こういうことでしょう」と前おいて論じ始めた。
「腹が減ったという天儀総司令に、おにぎりを渡したらが最後。次に出会えば具は鮭がよいといわれ、その次には米が硬いと文句をいわれ、さらには添え物ぐらいつけろと注文をつけられる。そういうわけです。」
平然と放った義成に、一瞬、場は静まり返ったが、最初に六川が口元に拳をやってクスリと笑った。だが、笑えないのは天儀だ。
「え、ちょっと待て義成。それはつまり私が、物乞いやホームレスってことなのか?」
驚いていう天儀に、義成無常。
「事実でしょう。ちょっと前までも、今も。」
こうバッサリ切り捨てた。
天儀白目。完全沈黙。厳しい現実を、口さがない言葉で突きつけられることほど堪えることはない。
たしかに、これは本当にまったくの事実だった。
経歴抹殺刑は、あらゆる経歴の抹殺を意味する。これで、なにが困るかといえば、第一に電子マネーを持てない。いまどき現金を持ち歩く人間はいない。だって現金で精算してくれる店舗自体がほぼ皆無。
つまり、経歴抹殺刑になると、近所のコンビニエンスでおにぎり一つ買えない。経済が究極に電子化されたこの世界で、きわめて困った状態といえた。まったく宇宙時代に、天儀がどう生きていたのか、義成は皆目見当がつかない。それこそ雑草をむしって食っていた生活としか思えないのだが……。
そして、いまの天儀の立場だ。落下傘的に軍に舞い降りた天儀は、軍内に党派をまったく持たない。しかもヌナニア軍では、その評価怪しすぎる過去の人。いまの天儀は、まず軍官房部という一番の部下に、ほどこしをうけなければ、なにもできない状態といっていい。
「一つ許したら、なし崩し的に他の要求も飲まされていく連鎖が発生し、あれよあれよと反撃作戦も取り潰される。それどころか勝つことに見境なく、やりたい放題。お二人の真の心配はこれです。」
なるほど。ムカつくけど当たっているかも。と星守は思った。作戦を許可されないことも心配だが、それは懸念の種の一つにすぎず心配事の本質は、戦場にでた天儀という男が制御可能かどうかだ。解き放たれた怪物は、すべてを破壊しつくすまで止まらないだろう。認めたくないが、そんな恐怖はある。
「へー。あなたなら天儀総司令を制御できると?」
義成が、あっさりうなづき肯定した。
これに人を色で形容する癖がある星守は、
――ピュアカラー!
と義成を断定した。だってそうだろう。どうもこの義成という青年は、戦場の天儀を御せると思っているらしい。だが、戦場での天儀は、御しがたい荒馬だ。それは誰にとってもだ。敵味方関係なく翻弄されることになるだろう。それがわからないだなんて、ピュアすぎるにもほどがある。
「マジ、ピュアカラー!」
と星守は、義成へむけて避難の言葉を放ったが、もちろん義成にはてんで効果はない。
「ピュアカラー? まあ、いいです。どうでしょうか六川軍官房長。」
義成は、怪訝な表情をしつつも六川へ話を振った。この場で一番の裁量権をもっているのは六川。六川が、どういう考えなのか、それがしりたい。
「なるほどね。僕は、いいと思うけどなあ星守くん。」
「いえ、彼は、わかってないと思います。考えが甘いんです。」
「そうだろうか。」
信頼する上司の言葉に、星守は不満げに天儀を見た。天儀は、不遜な表情だ。
『ム・カ・ツ・ク!』
と心のなかで叫んだ星守は、ますます考えを頑迷にした。
だが、天儀の不遜な表情も当然だ。なにせ六川の反応は、すでにかんばしい。天儀からすれば、最早この人事は、とおったにひとしいといえる。天儀からすれば六川さえOKなら、星守の意向などカスにひとしい。
カスとはではいわないが、同じことを考えたのは義成もだ。義成は、星守へ止めの言葉をむけた。
「では、いまから新しいのを決めますか?」
「ウッ!? ……いうわね。ピュアカラー。」
「自分は一身上の考えから、お二人の懸念は深く、それは深く理解します。そうです。天儀総司令の信用に値しないかもしれない。それでも戦場は、天儀総司令を必要としています。」
それでも星守は、かたくなだ。
「そうかしら。全然いらないと思うわよ。この人。」
「なるほど。それは、よほどのご覚悟がおありですね。では、やはり、いまから新しい総司令官を選出なさいますか?」
すると星守は、ついに気に入らなそうに沈黙してしまった。