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1-(55) 隠されていた危機

 甲号会議きんきゅうかいぎの全会一致での散会。


 大会議室を、あとにした六川公平と星守あかりは、ひとまずの安寧をえたといったといったところだろう。だが、二人としては、まだ、まったく気を抜ける状況ではない。これからトートゥゾネへいき、そして戦うのだ。二人は、すぐにその作業に忙殺される。

 

 今回の客のオーダーは、フランス料理のフルコースに、日本の懐石料理だ。しかも相手は、それを、いますぐだせというせっかちな客。こんなことは、料理人の神域に達したアントナン・カレームでも不可能だが、六川と星守は、それをやってのける必要がある。

 

 それでも、いまの二人に、ホッとした心持ちがないわけではない。あの普段、不機嫌なことの多い星守すら甲号会議での決定は、一安心というのに十分といえた。

 

 並んで歩く二人。六川が口を開いた。

 

「ふう。目の前の地獄篇インフェルノ行きは回避できた。場当たり的だったがね。」

 

 最悪の事態は回避したというような六川は、よほど気分がよかったのか、六川の言葉の意味がわからないという顔をしている星守へ、愁眉を開いた表情で、めずらしく答えを率先して披露し始めた。


「フフ、星守くん、わからないという顔だね。これはね本土決戦にはならずにすんだということだよ。」

「うっそ!? えぇ!? そんな事を考えていたんですか!」

「天儀総司令の強さは、そこだよ。というか自信の根源といっていいかな。彼には失うものが少なすぎる。僕らには本土決戦は論外という頭しかないが、彼はまったく違う。」

「……それって、つまり、天儀総司令は、本土決戦になれば、むしろ勝てると考えている?」

「ああ、彼はそう考えている。むしろそのほうが楽勝とすら思っているのではないかな。」

「ウゲ。さすがは人食い鬼。」

「会議の行く末があわやとなったとき、天儀総司令は、僕が動揺し後ろ向きな気持ちになったと思ったのだろうね。彼は、僕へこうささやいた。産業が戦争しかなくなった自由主義国家は絶対に負けない。ヌナニア連合は、資本主義と自由主義の国だ。当てはまる。安心しろ六川。国内での戦になれば絶対に勝てる。戦線崩壊など心配するな。これは一過性のものにすぎない。仮にフライヤベルクを丸ごと喪失しても俺が責任を持ってやる。とね。」

 

 星守は、絶句した。力強い言葉だが、なんとも鬼だ。民間人が泣き叫ぶさまが、天儀には思い浮かばないのだろうか。本土決戦とは、国内が根底から荒廃し、兵士ではなく、国民の命を弾丸に変えて戦うような状況に陥るといえる。


「……六川さんは、そこまで考えて、天儀の李飛龍艦隊の単独決戦という真意に賛成したですね。私は、天儀の奥底にあるのは、李飛龍艦隊による単独決戦プランだけで、そこを梃子に戦っていきたいだけだと考えていました。だけど、さらにその下にそんな恐ろしいものが埋まってただなんて……。」

 

 だが、六川は違った。天儀は、この会議が上手くいかなければ、天儀は援軍を送ったという形だけ作って、早々に軍の大方針を本土決戦に切り替えてしまうだろうと危機感を持ったのだ。


 トートゥゾネが失われれば、フライヤ・ベルクを喪失する。ヌナニア軍は、フライヤ・ベルク以降に、まともな防衛ラインを持たない。そのまま国内での戦になる公算が高い。というかそうならざるをえない。国内での戦にならないようにしろというは不可能だ。フライヤ・ベルクを破られたのだ。政治家も大衆も非難と糾弾を口にしても、目の前に現れた太聖銀河帝国軍という現実を受け入れるしかないだろう。そうなれば、戦うか、降伏するかだ。今回は、戦うだろう。悲しいがそうなる。


「事実そうだろう。彼の本心は、そこにあった。李飛龍艦隊に単独決戦させて、これからの戦いを展開させていくというね。だが、彼は、それが上手くいかなかった場合に考えがあっただというだけだ。」

「……本土決戦プランですか。」

 

 軍人なら考えたくもない悪夢だ。そうなった時点で大失敗といえる。本土に攻め込ませないことが軍人の重要な職責の一つだ。軍官房部もそれについては、危機意識は持ってはいたが、現実的に考えたことがあるかと、問われれば否だ。そんなことは統合参謀本部も考えていないだろう。付け加えておくと、本土決戦については、電子戦司令局も考えていないはずだ。つまり、ヌナニア軍の中核をなす軍三部といわれる重要機関のいずれもが、国内で戦いになった場合のプランを持たない。


 これは恐ろしいことに思えたし、そんなことに絶対なってはならないという感情が高ぶった。


 だが、天儀は並の軍人とは違う。トートゥゾネが失われようと、普通ならフライヤベルクに固執するだろう。軍人なら絶対にそれしか考えない。だが、天儀はあっさり、それを捨て去るのだ。敗れた袋はものの役に立たない。つくろって使おうなどと下策にすぎると、冷酷に判断するはずだ。フライヤベルクの放棄とは、天儀という悪党にとって当然の選択肢。人食い鬼たる所以は尋常ではない。

 

 トートゥゾネが保てないとなれば天儀は、すぐにフライヤベルクでの反撃に見切りをつけ、本土決戦にむけて、大胆に戦力温存へシフトするはずだ。手順よく、かつ迅速に各部隊を本国へ返して、周到な準備に入るに違いない。

 

 本土決戦、もといい国内戦などヌナニアでは誰にも経験がない。唯一天儀を除いてはだ。本土決戦に関するノウハウは、天儀にしかわからないことが多すぎる。

 

 ヌナニア軍は、いよいよ天儀頼みに、いや、ヌナニア宇宙全体が、唯一天儀を頼むしかなくなる。天儀一極依存の戦争。これぞ、まさに地獄篇インフェルノ。六川が、絶対に回避すべき究極の事態だ。

 

「国内戦になれば、彼の独壇場だよ。僕の知るかぎり、いまのヌナニア軍の高官で、血で血を洗う民間人を巻き込んだ長期の戦闘の経験があるのは彼だけだ。」

「……秋津球あきつきゅうの内戦ですか。」

「ああ、あれは、いち惑星の内乱とはいえ、僕らの経験した星間戦争と異質だ。セレニスへグランダ軍が攻め込んだときとはわけが違うのさ。星間戦争は、基本的に民間施設や、そのインフラには手が触れられない戦いだったからね。両者ともルール厳守で、お行儀よく戦ったといえるかな。」

「太聖相手に国内での戦となれば、秋津の内乱と近い状態になる……?」

「ああ、そうだ。まるで違ってくる。これは最初から普通の宇宙戦争じゃない。今回、太聖側と結んでいる戦争協定は、星間戦争のときのものとはまるで違う。そうなると、太聖側は、民間施設にも容赦がないだろうし、まずインフラを破壊することに傾注するだろうね。ヌナニアに攻め込んできた太聖軍が望むのは、ヌナニアの全面降伏であり、全ヌナニア宇宙の支配だ。そんな戦いに、いずれは僕らはなれるだろうが、最初から得意なのは天儀総司令だけだ。国内が戦場になるとなれば、僕は絶対に何が何でも天儀総司令を押すしかない。それが、もっとも被害が少なく戦争が終わるからだ。」

「天儀総司令が、地を這っていた時代の経験は、私たちと質が違う……か。」


 考えてみれば思い当たることもある。惑星秋津の内戦で、各党の軍人として戦ったものたちで、いまでも軍人をつづけている人間は、星守のしるかぎりゼロ。例外は、天儀ただ一人。

 

 そもそも惑星秋津出身のヌナニア軍人を探すことも難しいだろう。それほどあの惑星の人間にとって戦争はトラウマで、禁忌だ。この超宇宙時代に、核までぶっ放したあの戦争は、人類の教訓といえば美しいが、汚点といっても過言ではない。


 私の、いえ、私たちの知るもっとも偉大な男は、国内戦にはむかないか……。星守は、少し寂しい気持ちになった。大恩人で、素晴らしい人。あんな優しくて優秀な人が、人後に落ちることがあるだなんて……。

 

 新総司令官の着任直前、待ちに待った総司令官の交代のとき。星守はある期待をしていた。ついに、あの人の復権の時がきたのだと!

 

 だが、目の前に現れたのはあの男。天儀だ。たしかに、この男も失墜していたから、復権になるには違いはないが。ニコニコ顔の天儀を前に、星守としては、コレジャナイ感は半端ない。世界を救ってくれるのは、真のヒーローであるべきだ。天儀これは違う。

 

 そんな折に、六川が、

「星守くん。それは違うよ。」

 といったのだから星守りは驚いた。言葉は、まるで自分の心の隅々まで見透かしているようだし、事実そうなのだろうと思った。けれど、不快ではない。超越した推理力をもつ六川の洞察には、温かみがある。


「強い人間は弱い。」

「……はあ?」

 

 困惑するしかない星守。今回の六川の言葉は、かなり難解だといえる。六川は、星守の心の動静を超推理したわりに、与えた言葉は氷山の一角のみ。星守は、六川から何故そんなことばがでたか皆目見当がつかないが……。



 たしかに、自身の痛みに鈍感な人間は、強いだろう。他人の傷みにも鈍感だから。だから残忍なことをしても平気だ。自分も傷つかないし、相手が傷ついていることもわからない。だから奪い取り、残酷な手で相手やりこめる。


 そして真っ赤に染まった手で、血だらけの果実を頬張って、うまいと笑顔をたれることができる。


 ――まさに天儀はそれ。


 だが――。

 

 六川さんの言葉どおりなら天儀は強い。他人の傷みにまったくむとんちゃくだから。けどこれじゃあまだ半分。最後の〝弱い〟になぜ転じるのか。天儀が弱い? 弱いなら私も倒せる? いえ、違うそうじゃない。脱線してる。強さが弱さに転じることがあるってこと?


 ――わからない。


 星守は、六川の言葉の前半部分だけは想像がついたが、そのさきになにがいいたいのか。前半部分から後半部分へ転じる理屈がわからない。そして六川が、その理屈のさきにどんな風景を見ているのかわからない。口惜しいが、こんなときにかぎって、尊敬する先輩は、答えを与えてくれないのだ。ほら今回もそうだ。


 六川は、君ならきっと答えがわかるさ、というような眼差しを自分へ送ってきている。


 星守りは、ため息一つ。


 これは答えをせがんでも教えてもらえないわね、と思って、今回の話題を宿題として心の戸棚にそっとおいた。ときをかけて、考えて、考えつづければ、ある日突然答えがでる。そんなことは多いのだ。重要なのは、真実を求める意思だ。諦めなければ、きっとそこへたどりつく。


 そんな星守を見て、六川は、

「心に愛がなければ、スーパーヒーローじゃあない。誰にその資格があるか、そんなのは関係ない。」

 とだけいったのだった。そのようすは、とても楽しそうだった。

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