1-(51) 敗者の決意
甲号会議は、散会した。
トートゥゾネの援軍は、決定されたのだ。
高官たちは足早に会議室をあとにし、これより国軍旗艦を中心に喧騒がきわまった。動員される艦艇に通達がなされ、泊地パラス・アテネから兵員移動が直ちに開始された。
誰もが忙しい。出発の準備は、安穏としていても終わらない。息つく暇もない激務といっていいが、それはむしろ高官たちにとって心地よい。やるべきことと、やれることが合致する瞬間。これほど人間を、意欲的にする瞬間はない。
天儀は、破滅的状況で、目標を提示し可能性を与えた、といっていい。
そして、義成といえば、自身の席から離れ後片付けの最中。義成の心中といえば複雑だ。全会一致という快挙に、感動半ば、困惑半ばといったところだった。
だが、結果は、結果だ。全会一致のトートゥゾネへの援軍の決定。そこだけ切って取れば、天儀総司令のやってのけたことは、見事以外の形容が見つからない。と義成も全面的に称賛するしかないが……。
――だが、結果だけを追いすぎた。
と義成は、考えていた。物事は、完璧を追いすぎると失うものがある。義成なりに、そのことは理解していた。
満場一致など必要ない。義成の考えでは、今回こそ軍部の暗部を叩く絶好の機会だったということだ。その機会を、みすみす逃したとすら思う。
義成が、そんなことを心に秘めるなか、義成の視界のなかで、軍官房長の六川と副官房の星守が天儀へ敬礼。二三言葉をかわして足早に部屋をあとにした。
義成は、統合参謀本部派が固まって座っていた場所へ目を移した。
――統合参謀本部の奴らももういないのか。
空席となったそこは、まったくなんの変哲のない白い机だけがあり、ほんの少し前まで、その席に統合参謀本部の大物や、将来ヌナニア軍を背負って立つこと間違いなしのアヘッド・セブンの面々が座っていたことなど、会議に参加していないものからすればわかりようがないだろう。
対して天儀の席は特別だ。総司令官の席。それがひと目ですぐわかる。義成は、天儀へ転じた視線をそのままに天儀へ近づいた。
もうこの広い部屋に残っているものはいない。助言するには、絶好の機会といっていい。総司令官は、控えめにいっても激務だ。天儀の側近の義成とはいえ、天儀と二人だけの時間は、そう多くはない。
一方、散会すると先んじて大会議室をあとにした統合参謀本部の面々といえば、アーニャを先頭に、艦内の通路を進んでいた。
アーニャにつづく高官たちのなかに、花ノ美とアバノアもいた。誰もが、ただ黙ってアーニャに従うのみ。そんななかアーニャのすぐうしろにつくアーサス一人だけが、緊張感なく手を頭の後ろで組んで進んでいる。
統合参謀本部派は、軍内でも規律重視。とくにアーニャは、そうだ。普段ならだらけた態度のアーサスへは、アーニャからの叱責が飛ぶところなのだが、いまのアーニャそれどころではなかった。
まったく、いまの彼女の心中は大嵐……。
待て待て、待てぇええ! 私が最前線だと!? ありえない。国軍旗艦で援軍!? で、私が最前線? ナイ、ナイ、ナイ。いま、トートゥゾネへいけば、待つのは絶対的戦闘。極限の死闘。戦闘になれば濃厚な死臭しかない。不運で生じる数パーセントの確率の流れ弾。私は、それを絶対に引き当てないという確証が持てるほど自信家ではない。私がヴァルハラに旅立つことは、あってはならない!
噂どおりの天儀め。やつは頭がおかしい。やつなら、この瑞鶴を最前列に配置しかねない。いや、天儀ならそうするだろう。
アーニャは、国軍旗艦のスペックも熟知している。砲戦能力も高いのだこの艦は。
最前列? マジか。私が? 最前線で最前列!? ナイ、ナイ。それだけはあってはならナイ。統合参謀本部だぞ。後方で温々するための統合参謀本部であって、最前線で死にものぐるいになるための統合参謀本部じゃない。おかしいだろ。
だいたい前線の後方基地にいるのだっておかしい。私は、本国にいるべき人材だ。泊地パラス・アテネだって前すぎる。後ろだ。私がいるべきは、もっとずっと後方。絶対に弾の飛んでこない安全地帯!
……そう。後方勤務が長く、戦闘地域にいてもバトルフェイズからは無縁だった高官たちの思考は、筋金入りの引きこもりだったわけだが、統合参謀本部勤めのアーニャも、その例に漏れずだ。
アーニャ・レッジドラクルニヤ。その悪魔の脳細胞を持つ彼女も、じつは見えていない側で、あのとき天儀の『国軍旗艦も援軍に編成する』という決定を聞いて驚愕していた。
不覚悟極まるは、アーニャ・レッジドラクルニヤ。いま、彼女は、気が動転し、顔からは血の気が失せ、呼吸は荒い。
だが、それを部下に気取らせないだけの気丈さだけは持ち合わせていた。それでも、いつものように部下たちへ威圧を飛ばし、睥睨してものいう気力はない。
そして腹立たしい。すべてが腹立たしい。いま、背後につづく部下たちは、まったく無能だ。コイツラ揃いも揃って脳みそなしのカカシだ。ゾロゾロついてきてなにがしたい。
憤慨もはなはだしいアーニャは、心の苛立ちを解き放つように、あとからついてくる部下へ早々に解散を命じた。
統合参謀本部派も、それぞれ役がある。戦うと決まれば忙しいのだ。いわれた彼らは、拍子抜けした顔をしてから、いわれたとおりに退去した。触らぬ悪魔になんとやらだ。
一人となったアーニャは、しばらく進むと通路の壁に左手を付き、右手でこめかみを押さえた。が、それだけでは足りない。アーニャは、早々にガクリと膝を折り、通路にうずくまった。
アーニャの悪魔の脳細胞も、まだこの段会では死にたくないという本能には無力だったというきか。
「戦死してしまうのか……?」
と、ボソリつぶやいたのが、すべての堰を切った。
――死にたくない。
という感情がアーニャの目から溢れだし、ぼたぼたと通路の床にしみを作った。怖い。なぜ自分がこんなめに、とすら思う。統合参謀本部だったのに。そう。統合参謀本部。それなのに最前線の最前列……。
――ちくしょうめ!
アーニャが軍人を志したときは、第四次星間戦争の前。旧グランダにおいても旧セレニス軍においても、軍がもっともよかった時期だった。
旧グランダ帝国と、旧セレニス星間連合の戦い。交戦と停戦をつづけた約百年。それがついに終わったのが数年前。そう。数年前までつづいていた戦争バブル。それがはじけた。戦争が終わったのだ。だが、戦争バブルが終わろうとも、その余波はまだまだつづくと思われた。
終戦直後に士官学校を卒業したアーニャは、エリートだった。通常、四年ぐらいかけて卒業する士官学校を、たった九ヶ月で卒業。しかも卒業成績はトップだ。
士官学校の生徒の年齢には幅があるが、単純に考えればアーニャは、四つうえ上級生に混じって卒業試験をうけ、トップで合格したというわけだ。それもたった九ヶ月で。
そのときの世は、天儀の独壇場。皇帝の一番の軍人は超独裁者。この男が、いるかぎり巨大な軍隊が維持され、軍人は世界のカーストの上位にありつづけるだろう。そう思った。
だが、天儀はあっさり消えた。よくわからない理由で、皇帝の不興を買ったというが、はっきりした原因は不明だ。経歴抹殺刑は、天儀だけでなく軍人のすべてを帳消しにしたといっていい。
ヌナニア連合成立後に訪れたのは、すさまじい軍縮の嵐と、六川公平によるゼロベースの組織再編。
大丈夫。まだ慌てるような状況じゃない。私は、心配ない。旧士官学校をトップの成績で卒業したという裏付けを持っているし、統合参謀本部入に成功したのだ。
まだバラ色のキャリア人生は、かろうじて維持されている。大暴落しようが、統合参謀本部。軍内の相対的な位置づけは高い。それに士官学校トップ卒という経歴は、将来的に軍の最高階級を約束してくれている。
だが、井の中の蛙とはいったものだ。宇宙は、あまりに広い。旧国とくらべ国域を二倍にし、経済を三倍にした国家ヌナニアは、たった数年でとんでもない化け物を生産して、軍に送りつけてきた。アヘッド・セブンという化け物だ。優秀すぎる。とアーニャは絶望した。
しかも、グランダ帝国の残痕といえる李飛龍。
こいつは、なんなのだ。あの歳で、艦隊司令官に任命され、それがさも当然のごとく振る舞う童顔のチンピラ貴族。しかも周囲も、それを大歓迎。李飛龍だけが、例外中の例外。異例中の異例。特別扱いの特別扱い。制度外の男。兄の七光とか、伝統的な家系の恩恵とかズルすぎる。こんなチートが許されるのか。アーニャは、激しく憎悪した。
そう。制度だ。なんと制度も改定されたのだ。ヌナニア軍は、ヌナニア星系軍士官学校をでたものへ優先的に軍のポストを与える方針を取り、旧軍の士官学校卒業のアーニャは、キャリア組の最前列からあっさり転落。気づけば、どうあがいても出世は頭打ちという悲惨な状況に陥っていた……。
何も悪いことはしていないのに、どうして? 状況が変わった。それだけのことが、アーニャの人生を根底から崩した。世界の動かす主とはいわずとも、イニシアチブを持つ側にいたはずが、いまは完全に時代の潮流に翻弄されるがままだ。
世の中で軍人がもっとも偉かったのではないのか? それが軍人は、一定の尊敬はされこそ、世界のカーストの上位から一気に転落している。
本来あるべき姿に戻ったといえばそれまでだが、だが、アーニャは納得がいかない。極めて高い社会的ステータスと、超高待遇を期待して軍隊へ入ったのだ。
しかも、あまつさえ、いま、天儀は、アーニャに最前線で死ねというのだ。全身全霊で駆けてきたサクセス・ストーリーが、これではあんまりだ。
いま、アーニャの視界には、にじんではっきとわからない床しかない。
みじめだ――。
世間を高い塔のうから見下ろすはずが、現状はどうだ。まったく完全に見下されている。窪地にいるカエル。いや、これぞ井戸の中にいるカエルだ。笑いながら、なかを覗き込んでくる人間どもは、井戸の底のアーニャの存在に気づきもしないだろう。いてもいなくても同じなのだ自分は。
アーニャは、
「天儀め! 天儀め! 天儀め!」
と叫びつつ、拳で自身の感情が溢れてできた水たまりを何度か叩くと、両手の袖で顔をゴシゴシと拭い。立ちあがってその場を去ったのだった。




