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1-(50) 会議の決着

 そんな一年後増援論派の心理を見抜いていたのは義成だ。義成からいわせれば案の定の事態といえる。

 ――だから天儀総司令は、彼らに発言させてはいけなかったんだ。

 と後悔を伴った苦味が義成の口中にしみた。今更ながら強引なやりかたをしてでも止めるべきだったとすら思う。

 

 なぜなら一年後増援論派らは、議論なれしていない連中ばかり。そんな彼らは、一度表に出した意見を撤回することにまったく慣れていないだろう。

 

 それだけではない。この手のケースで普段、黙っているものが発言するときは、それは考えに考え抜いた最良の意見で、これ以外にない最善策。……だと本人たちは思いこんでいる。

 

 義成が考えるに、一年後増援論派からすれば、天儀こそバカな意見で会議を扇動する無責任なアジテーター。彼らは、

『天儀め。さして深い思慮もなく否定しやがって!」

 と心中で憤っているに違いない。

 

 義成は、

「まだ決を取るのは早いです。」

 と、天儀へそっと耳打ちした。

 

 案の定、

「なぜだ?」

 と返してきた天儀に、義成は視線で一年後増援論派を指ししめした。天儀は、それだけで合点がいったようだ。


「チッ。まだやつらは納得していないのか。」

「ええ、彼らからすれば〝一年後増援論〟は、以前からネット上で友人たちと議論してきた秘策ですから。」

「なるほど。やつらにとっては、時をかけ考えに考え抜いた結論か……。」

僭越せんえつながら天儀総司令。いまは、ご理解を示されるときではないかと。一年後増援論は、自殺願望者といっていいです。増援論は、無根拠で、陰謀論的で、馬鹿げています。天儀総司令ご決断を。いまこそ統帥権とうすいけんを明らかにすべきです。」


 ついに義成は、一年後増援論派を解任しろと天儀へ迫ったが……。


「そういってやるな義成。飛び降り自殺だって考えに考え抜いた結論だろう。」

「なにを仰っているのですか。無用なことです。いけません。これ以上、会議を長引かせるべきではありません。ここは統帥権を明らかにすべきです。」


 義成は、カッとなった。バカな意見につきあって、これ以上会議の空気を悪くするのは時間の無駄だ。それこそ一年後増援論派と一蓮托生になりかねない。飛び降りたいという自殺願望者には、勝手に飛び降りさせておけばいい。なぜ自分たちまで一緒に死ななければならないのか!


「だがな義成。やつらが、それこそお前の言う通りの自殺願望者なら助けんわけにはいかんだろ。」

「な……!」

 

 義成は、巧みに言葉でかわされたと思ったし、天儀の切り返しに、反論ができない自分がいることを強く自覚した。そして、これが朝廟軍人か。と思った。たしかに、この男、思わぬ弁舌を弄する。こんなふうに切り返されては、義成としては、これ以上、断固解任を迫ることはできない。

 

 覆水盆に返らずとはいえども義成は、一年後増援論派を自殺願望者などという安直な例えをした自分を呪った。

 

 ――天儀総司令。何故、あんな無知蒙昧やからに無用な理解をしめすんですか!

 

 まったく腹立たしい。一年後増援論派も自分の愚かさもだ。義成は、キッと天儀を睨みつけたが。

 

「なあ、義成。俺は思うんだ。橋から川に飛び込むやつを見かけちまったら、何故か助けてしまうのが人間というものだってな。」


 瞬間、義成は、宙に放りだされたような感覚に見舞われ、身は雷に貫かれ、心が砕かれた。その瞬間、義成を襲っていたのは、まるで全身が粉微塵にくだけるたような絶大な衝撃。耳ではなく、身で知覚したゆえの衝撃は全身にしみた。


 義成は、それ以上反抗するすべを持たず沈黙。打ちひしがれて、天儀の説得を断念。

 

 そして会議は、一年後増援論派の数名が立ちあがり反対の意見をていし始めていた。


 言葉は不思議な力を持つといっていい。音にしてだした時点で、一年後増援論派のあいだに、恐ろしく強固な結束を生んだのだ。

 

 会議は、まさに義成が危惧していた事態に発展していたわけだが。だが、この事態を目の当たりにした義成は、むしろ天儀の判断力に心底感心するしかなかった。

 

 そう。もし天儀が、自分の意見に乗って安直に反対者の解任に走っていたら、と考えれば恐ろしい。おそらく三十名近い解任者がでていたろう。解任されたものは騒ぐだろうし、会議は、阿鼻叫喚の様相をていするに違いない。そして、こんな大規模解任を断行しては、総司令部は麻痺しかねない。戦いどころではなくなってしまう。

 

 義成が自身の考えの浅さを目の当たりにするなか、一年後増援論派の代表者は、室内へむけて、

「決戦回避。いまは絶対に戦力温存して、一年後満を持しての反撃を展開すべき!」

 と力説していた。

 

 だが、一年後増援論派以外の高官たちは、鼻白んだ。彼らは、もう一年後増援論派の言葉に動じることなく、むしろ奇異な目で一年後増援論派を見ていた。九時間で援軍可能ならば、それをするにこしたことがない。この状況での援軍は、軍人として当然すぎるのだ。

 

 傍観者側からすれば、ここまで一年後増援論派が、トートゥゾネの救援に強固に反対するわけがわからない。必死に反対する彼らは、まるでカルト集団。もはや一年後増援論という宗教だ。

 

 そして、そんなカルト集団の相手をするのは、やはり天儀しかいない。

 

 天儀は、

「規模は? その増援とやらの規模はどれぐらいなのだ。」

 と代表者へむけて問いかけた。


 天儀の問に、一年後増援論派の代表者は驚いた。彼とて、自分の派の置かれた不利な状況が理解できないわけでもない。だが、総司令官に楯突き、ここまで反抗して、引くに引けないのも事実。あとは、騒ぎ立て自身の論の正当性を叫びつづけて、おそらく自分はこのまま解任一直線。そう思っていたところに、まさか天儀は話を聞いてくれるというのだ。


「それは……!」

 と、いいよどむ代表者へ天儀はつづけた。


「増援は、いつくる? 何年何月何日の何時何分何秒に、私はその増援を手にできる。」


 一年後増援論派の代表は、黙るしかない。そして一年後増援論派全体に困惑の空気が広がった。そう。答えたいが、誰も答えられない。増援は一年後で、それははっきりしないことで、それこそ規模と時期を明言できるのは……。

 

 そんなおりに、

「首相は……。」

 と天儀が口走ったので、一年後増援論派の代表者は、食い気味になり、天儀の発言に割って入った。


「そうです。首相です!」


 そう。首相しかいない。援軍の規模と、時期はまだ首相しかしらない。すべては首相の心の中にしかない。

 

 が……。


「首相は、私の手を取り、星系軍は有能揃い。とても有利だからぶちかましてこい、とはいったが、増援準備のことはいわなかったぞ。きみのいう一年後の増援が真実ならば、きわめて重要な情報だと思うのだが、首相は、何故、総司令官である私へ増援計画のことをいわなかったのだ?」

「それは……!」


 ――貴方が、信用されていないから!

 とは絶対にいえない。そうとしか考えられないが、それを口にするのは無理だ。だから代表者の男は、ネット上で増援論否定をしてくるものへ有効だった反論を口にすることにした。

 

「とてもグレードの高い軍事機密だからです。一年後にヌナニア軍が、一千万もの戦力を投入してくるとしれば、敵はいますぐに大損害を覚悟して、すべての戦線で決戦を仕掛けてくるでしょう。いまは、ヌナニア軍は劣勢で戦えない。一千万の増援がきて確実に勝てるようになるまで、ヌナニア軍は弱く見せている必要があるのです。」


 完全論破の必殺のレス。男は、それを必死に会議室内へ解き放った。

 

 けれど必死となる代表者の思いとは裏腹に、天儀は軽快に机を叩いて、

「なるほど。おい、ついに増援の規模が明らかになったぞ。一千万の増援だそうだ。」

 と揚げ足を取るように会議室へ放った。


 会議室内のそこかしこで、失笑がもれた。露骨に呆れ顔になるものもいて、逆に一年後増援論派は、いたたまれない気分となったのか、視線を落としたり、頭をかいたりと落ち着かない。

 

 まったく話にならないといっていい。とてもグレードの高い軍事機密ならば、むしろ総司令官の天儀がしらないはずがない。天儀は、フライヤ・ベルクという戦場全ての責任者だ。天儀に、この情報を与えないことは不利益しかない。そもそも戦力一千万。この数字が曖昧すぎる。艦艇の数なのか、人員数なのか、これがどういった数字なのか意味不明だ。

 

 そう。天儀が、認知していないこと。それが、なによりもこの噂の真相を物語っている。

 

 誰もが、天儀が、そろそろこの喜劇を終わらせるだろうなと予感していた。流れとはいえ代表者をしている男を解任し、一年後増援論派を黙らせ決を採る。代表者の解任に、何人かは騒ぎ立てるかもしれないが、それも解任すれば事足りる。

 

 喜劇の終劇は、遠からず。それでも、このときはまだ喜劇はつづいている。

 

「それでもきみとしては、増援を待つべきというのだな。では、一千万の増援とやらの時期はいつなのだ?」

「それは……。ですから一年後ですよ!」

「……わけわからん。その一年後とやらは、いつくる?」


 天儀の強い調子の問に、代表者は沈黙。天儀は、仕方なく他の一年後増援論派の人々を見たが、誰もが目をそらし、顔を伏せたので、天儀は、ため息一つして、他に聞く相手もいないからといった感じで義成へ。


「義成特命。一千万の増援の時期を、きみはしっているか?」


「はい。」

 と義成からは、明朗な返答。だが、天儀から見て義成は、先程のことを引きずっているのか、ふてくされているように見えた。義成は、本意は一年後増援論派の即時の解任だ。こうして天儀が、時間をかけていること事態が不満なのだろうが……。


「ほう。しっているのか。さすがだな。では、増援の時期はいつだ?」

「一年後です。」


 残念天儀。側近の義成からも返ってきたのは、一年後という聞き飽きた言葉だけ。


「……はぁ。君も一年後か。」

「ええ、一年後ですね。」


 義成からの応答は、明朗できっぱりしたものの連続だったが、一番の側近からも返ってきたのは〝一年後〟という言葉だけ。天儀としては、憮然ぶぜんとするしかないが、一考した天儀は質問を変えた。


「義成特命。その情報の出どころは、どこだ? どこの誰が、一年後増援があると明言しているのだ。彼の強気を見るに、よほどの人物がその論を吹聴しているのだろう。」


 自分の望む答えでなかったから同じ問を繰り返す。遠からず望む答えはでるだろうが、それははたして、どういったものなのか。愚かしいかぎりといっていい。同じ問を繰り返し、二回目以降で、転じてでてくる我が意に沿う回答とは、いかにしても怪しむべきだ。

 

 そして、なにより天儀は、義成を信じていた。義成は、必ず俺の問いに答えてくれるはずだ。これまでのように。


 けれど、今度の天儀の問に答えたのは、義成でなく一年後増援論派の代表者。沈黙していたかれ彼は、義成の天儀への応じを見て、義成が一年後増援論派と見たのだろうか。ともかく彼は、果敢に言葉を放った。


「義成特命は、しらないと思いますよ。いえ、しっていても答えません。それほどグレードの高い軍事機密ですから。」


 もちろん天儀は、男の言葉を聞き流し義成に回答をうながし、義成は応じた。天儀の期待どおりに。

 

「噂話です。ネット上されているものです。」

「ほう。そんな噂があるのか?」

「はい。半年前から一年後に、本国から大規模な増援があるという噂が、フライヤ・ネットで持ちきりです。否定論もあるのですが、ネット上では一年後増援論派が支配的で、否定派は袋叩きのような状況です。」


 優秀義成。秘密情報部の特殊工作員エージェントの彼は、独自調査で原因となる投稿すら突き止めていた。


 一年後増援論。その根本的な出どころは不明だったが、最初は軍人の中でも政策通ぶる連中が集まるネット上のギークなコミュニティで〝一年後増援論〟が投稿されたのだ。それをインフルエンサーが見つけ、インフェスで紹介したことで噂は爆発的に広がった。まさに陰謀論の展開そのものといっていい。


「ふむ。半年前の一年後というと……。つまり、私は、あと半年この戦場で粘って待てば一千万の増援を手にできるのか?」

「いえ、いまも〝一年後に〟です。付け加えるなら、それは明日も、そして明後日も、百日たっても一年後です。」


 一年後を強調していうだけの義成だったが、天儀すでに義成の言わんとするところがわからいでか。


「なるほど……。完全に理解した。そういう理屈か。」


 そういうと天儀は、立ちあがって一年後増援論派へむけて、

「その一年後とやらは、いつくる一年後だ!」

 と、これまで以上に強く問いただしたが、一年後増援論派の代表者は、一年後……、と壊れたようにつぶやいただけだった。そして、彼はうつむいた。机には、ポタポタとしずくが落ちた。


 そのようすを見た誰もが、無様だ、と思った。そして誰もが、天儀総司令は、この男を手ひどく罵倒するだろうなと思った。一年後増援論派さえ、そう思った。


 まったく目の前の男は、人食い鬼なのだ。そう。経歴抹殺刑ダムナティオ・メモリアエでも噂だけは生き残る。とくに悪いものはそうだ。

 

『てめえは宇宙服に詰まった糞だ!』

 

 旧軍時代に天儀が放ったこの罵倒は、十分後に一人の優秀な軍人を宇宙の闇へと旅立たせた。ハッチの緊急開放の警告に駆けつけたものが、機密扉の窓からエアロック室を覗いて見れば、そこには開け放たれたハッチだけ。そのさきに見えたのは、怖いほど美しい星々……。人食い鬼の所以は、あまりに業が深い。


 だが、自分はそうはなるまい。と、一年後増援論派の代表者は思った。いや、一年後増援論派の誰もが、そう思った。どんな罵倒をうけても耐えて、生き残るのだ。たとえ心が粉々に砕けても、砕けた粉を集めて生き残る。そもそも天儀に楯突いた時点でもはや手遅れだったとすら思う。こうなれば、心に鎧を着せ、心を万力で潰すような罵倒に耐えるしかない。


 だがしかし、天儀は……。

 

「そうか一年後か。ああ、そうだな諸君らのいうとおりだ。一年後だ。」

 

 言葉は不思議と室内によく響いた。そして言葉を吐く天儀の表情といえば、悲しさと、やるせなさをたたえていた。天儀は、静かな声で続けた。


「だが、私にはわかる。その一年後はこない。」


 無情な宣告だったが、慈悲深き声だった。一年後増援論派すら思わず顔をあげて、声の主をみてしまうぐらいの惹きつける声だった。だが、そんな慈悲深い声を発しているのは、あの鬼といわれる総司令官。いま、顔をあげたものたちの目に映っているのは、間違いなく天儀だ。


「私は、グランダ宇宙の惑星秋津わくせいあきつの出身ということは諸君も承知しているな。私の故郷は、秋茜あきあかねと形容されるような美しい惑星だったが、ご存知のとおり内戦で無茶苦茶だ。いまも復興中。経済的にもとても低迷している。昔は、紫微宇宙圏しびうちゅうけんで一二を争う経済圏。あれだけ繁栄していた我が故郷も今は昔。政府の特別経済支援指定地域の中核だ。」


 内戦後の惑星秋津、もしくは秋津球あきつきゅうは、無惨と残骸が転がっている、とまでいわれたほどの荒廃ぶりで、惑星首都こそ華々しく復興したものの、まだ少なくない都市で、戦闘で破壊されたビルが残っているほどだ。

 

 そして、天儀の故郷、旧グランダ時代に起きた惑星秋津の内戦は有名だった。この宇宙時代に、政治闘争が十年にもおよぶ武力紛争に発展したことと、グランダ皇帝が軍事介入し鎮定したこと。それをきっかけにグランダの皇帝独裁が強化されたという流れは、最近起きた歴史上の重要な出来事として、教科書にもでてくるぐらいだ。

 

 誰もが天儀の言葉に耳を傾けた。これは最近あった過去の戦争の当事者の話で、いま戦争をしている人間にとって、かつその戦争のもっとも矢面に立たされている者たちにとって重要な話と感じたからだ。一年後増援論派もふくめ全員が、一人の男へ意識を傾注した。


「最初は、半年で内戦は終わるといわれた。私は、半年を待った。そうすると半年後に、誰かが、一年後には終わるといった。そして一年待ち、内戦が二年半目にはいるころには一年後に終わるとまた誰かがいった。そんなことが繰り返され十年たった。二十二歳だった私は、三十二だ。」

 

 言葉を切った天儀は、耐えた。目をギュッと閉じ、感情がこぼれ落ちないように耐えた。天儀は、いまでもわからない。何故あんなに戦うハメになったのか。わからない。何故、死んだのかわからない。何故、泣いているのかわからない。何故、こんなに苦しいのかわからない。戦争は、あらゆるものを奪い去った。もはや自分を誰かは、誰も知らない。自分すらわからない。天儀となった自分は……。


「諸君の気持は、よくわかる。一年後を信じたい。私もかつて信じた。だが、一年後は一生こない!」


 怨念のような言葉だった。だが、それだけに説得力はあった。


「そして、この会議だ。」

 と静かに継いだ天儀は、ここからは、これまでと打って変わって身振り激しく、まくし立てた。


「でた。まーた一年後論。で、その一年後はいつくる? と問えば一年後だと答える。で、一年後にいつだと? と聞けばしってるぜ。聞くまでもない。また一年後だというんだろ。おい! その一年後はいつくる!!!」


 ああ、永劫にこれを繰り返し十年だ。まったく素晴らしく空虚な十年だった。十年殺し合えば、敵も味方も精魂尽きて、やる気も失せる。実際そうだった。世の中は厭戦機運えせんきうんで、一杯で軍のタカ派すら戦うことに嫌気が差していた。だが、すでに誰も平和など思いだせない……。

 

 そして講和は、唐突だった。天から降臨した裁定者がすべを決した。戦いは勝者なしのドロー。ああ、粘り勝ちだ。認めるぜ有用な戦術だ。勝ちも負けもなく、平等に負けて終了!


 仮に、仮にだ。こんなふうに戦争が、泥沼化した場合の勝者とはどこにいるのだろうか。第三国ら送られる判定勝ちか? 勝手に勝利宣言すれば勝者となりうるのか? だが、こんなものは惨勝ざんしょうだ。負けたようなみじめな勝利といえる。これでは、まったくなんのために戦争したのか……。

 

 天儀の叫びに、誰もが『無意味な戦争』という言葉を連想し恐怖した。莫大な資金と物資、気の遠くなる時間を投資し、いや人の命そのものを投資してやったことは無意味。軍人にとってあまりに恐ろしい結末だ。

 

 場が悄然しょうぜんとした。そんななか話すのを一旦中止した天儀は、目の前の机を踏み越え、一年後増援論派へ駆け寄った。そして、代表者の手を取り語りかけた。


「十年で何人が死んだ。十年で生まれるべき命がいくつ消えた。十年でどれだけ悲しみを生産し、どれだけ楽しみを奪ったのか。我々が一年待てば、それだけ悲しみが増え、喜びが失われる。だが、いま、このとき、この瞬間戦えば、一年間は失われない。私は、絶対に待ちたくない。諸君の力を貸してくれ。どうしてもだ。君らは軍の精鋭だろ。私も君たちも戦争をするプロじゃない。本当の軍人は、戦争を終わらせるプロだ!」


 この時点で、一年後増援論派のなかには、感極まって泣きだしたものまでいた。いや、一年後増援論派だけではない。少なくない高官たちが、すでに目頭を熱くしている。


 ――君には息子がいるな三歳の?

 と天儀は、手を取った男へ言葉をかけた。代表者の男は、目を真っ赤にして、鼻をすすったが、それでもうなづいた。

 

「家に帰って、その息子になんという? いま戦えば、お父さんは十年続く戦争を一年で終わらせた。十年分の悲しみを減らして、十年分の幸せを生みだしたと自慢できる。だが、一年待てば違う。一年分の悲しみを増やして、一年分の幸せを奪って、君は息子の目を見れるのか?」


 天儀に手を取られた代表者だった男は、周囲をはばからず泣きだした。いや、代表者だった男だけでない。いまや室内から一年後増援論派は消え去り、一年後増援論派だったものたちは、衆目をはばからずおえつし、袖で顔をぬぐっていた。


 無様でも生き残りたかった理由はなにか。家族だ。それだけだ。絶対に死ねない。その理由は、家族のため。だから、この世で最も恐ろしい男に楯突いた。だが――! 自分たちはなんておろかで、取り返しのつかない間違いを犯そうとしていたのか。いま、なにより脳裏によぎる家族の笑顔。それが胸に痛く食い込み、自分たちが誰なのか、何者なのかを教えてくれている。


 そんな光景を義成は、胸を熱くしつつも冷静に見ていた。いま、義成の目に映る天儀は、あまりに悲しい。君たちには戦争を終わらす力がある! なのに何故、君たちはその力をつかってくれないんだ! 正義の力を持つのに、なんで助けてくれないんだ! そう泣きながら叫んでいるように見えた。

 

 けれど衆目には天儀は、陽光をおびたように暖かく頼もしい。ここ一番の局面で、天儀が発揮したのは、勇ましさではなく絶大な包容力!


「戦争を終わらすのは、いま、このときだ。十年の戦争を一年で終わらせる。私は、そのために首相からここへ派遣されたのだ。全員でトートゥゾネへいって、李飛龍の艦隊とともに敵を撃破し、一撃で戦争を終わらせる!」


 ――そして全員で英雄となる!

 

 総司令官天儀の言葉が終わると同時に、トートゥゾネへの援軍の是非への決が取られた。軍官房長の六川は、その作業を粛々と進めた。

 

 トートゥゾネへの援軍は、全会一致で決定された。国軍旗艦瑞鶴は、欠くことない、その中核である。

 

 誰もが、もう戦いを躊躇ちゅうちょしなくなっていた。


「明日を勝ち取り、未来を守る!」


 この日、天儀が放ったとされるこの言葉は、ヌナニア軍の合言葉となった。

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