1-(32) その対応策は
――ありません。
という応じの言葉を誰もが連想した。なぜなら、ここまでのアーニャと星守のクエッションとアンサーは、室内を失望感で満たすには十分すぎたのだ。そう。そもそも、あるわけがないのだ。繰り返しになるが、対策がないから甲号音なのだ。
星守は、あえてそれまでと同様に表情を微動だにさせず。
「あります。」
ときっぱりと宣言した。
おお……! という小さなどよめきが室内広がると、星守は口元を少し歪ませ、アーニャを下目づかいで見た。アーニャ・レッジドラクルニヤ。統合参謀本部少佐。こいつの目的は、質問を重ねることで、私たち軍官房部の信用を失墜させること。
――けどそうはいかない。
統合参謀本部議長代理の犬。本国から派遣された障壁。星守からして、アーニャ少佐始め最前線にいる統合参謀本部派は、この戦争の邪魔をするだけの存在。天儀とは、また色の違った邪魔者だ。
星守の言葉に、アーニャは気に入らなそうに押し黙った。
「あら、失礼しちゃったかしら。私も統合参謀本部からありがたいご助言をお聞かせいただきたいところなのですが、まずさきに私の準備した星守プランを披露させていただきたいと思います。」
統合参謀本部派の意図は、この会議で主導権を握ることで、そのまま戦争遂行の主導権を軍官房部から完全に奪い取る心積もりだろう。そのためには、統合参謀本部派は、散々に星守ら軍官房部の非をあげつらい、足を引っ張り、会議を混乱させてくるはずだ。だが、そうはさせないのだ。星守の決意は硬い。
「トートゥゾネ戦線の敵軍の狙いは、李飛龍艦隊の退路を遮断したうえで殲滅することと考えられます。完全通信遮断と四倍の敵という難局は無理ゲーそのもの。そこで、私は、皆さんにトートゥゾネを放棄し、新たな八番目の戦線を構築するというプランを提案します。」
室内には、なるほど、という空気と同時に、
「アホをいうな。あんたは、自分の言っていることを理解しているのかッ!」
というアーサスの怒号が飛んだ。あまりに度を越した暴言といえるが、これはまったくの正論だった。そもそも、第六戦線トートゥゾネを放棄すれば、戦争の趨勢は決定的になる。
花ノ美もアバノアも待ってましたとばかりにアーサスに追従し、次々と声をあげた。
「敵に、トートゥゾネを完全に掌握させたら最後ですよ。正気ですか?」
という花ノ美の言葉を補うようにアバノアが続いた。
「コホン。わたくしの意見をいわせていただければ、トートゥゾネを得た敵は、他の戦線へ自由に戦力を送り込むことが可能となりますの。つまり、ヌナニア軍の各戦線は、正面に敵を抱えながら、いつどこから現れるかわからない敵に怯えながらの戦いを強いられる。」
「というか怯えるだけですまないですよ星守副官房。もとから抱える正面の敵と交戦していたら、トートゥゾネから新たな敵艦隊が現れて、挟撃されてジ・エンド。ちょっと星守プランはないと思います。」
この正論の連撃に、星守は果敢だった。いま、泊地パラス・アテネにある予備戦力を全力投入し、敵がトートゥゾネ内にいるうちに新しい戦線を構築すれば、トートゥゾネ方面の敵は新戦線に対応せざるを得なくなり、自由に他の線戦に戦力を繰り込むことなど不可能。そう反論した。
「実戦をわかってないわね貴方たち。トートゥゾネを得た敵が、自由自在に他の戦線に戦力を送り込むことができるなんて机上の空論にすぎないのよ。それこそ新戦線が出来上がった状態で、そんなことすれば、むしろヌナニア軍にとってはチャンス。私の作った新戦線から手痛い反撃を食らう。こっちは、手薄となったトートゥゾネを奪い返せる。」
「チッ。大層な机上の空論だな。星守戦線ってかァ。」
アーサスからの特大の皮肉だったが、星守はむしろ自信ありげに、
「ええ、星守戦線は、敵の企図をくじくでしょうね。付け加えておくと、星守プランの有用性は、現状あるもので対応できるという点です。」
と鼻息荒く応じた。
この態度に、アヘッド・セブンら統合参謀本部派がいきりたったが、その熱が言葉となって吐かれることはなかった。幼女先輩ことアーニャ少佐が、静かに挙手したからだ。とたんにアーサス始め統合参謀本部派の若手も沈黙し、発言をアーニャへ譲った。いまのアーニャは、悪魔の異名に相応しい風格を発揮している。
「星守プラン……。結構なことだが、李飛龍艦隊の処遇はどうする?」
「通信が可能となり次第、後退を指示します。」
「どこへ?」
「泊地パラス・アテネ方面です。加えて、撤退してくる李飛龍艦隊を迎えるために、こちらも援軍を直ちに進発させます。つまり我々は、李飛龍艦隊と合流し新鮮線を構築するわけです。」
この星守の言葉に、
「クソほど現実的じゃねえと思うがなァ。」
とアーサスが、ちゃちゃを入れたが、これはすぐさま悪魔アーニャの怒りを買うことになった。
「大尉、誰が発言していいといったッ。」
「さーせん。」
とまったく反省の色なくいうアーサスをアーニャは無視し星守りへ問をつづけた。
「仮に、李飛龍艦隊が交戦し敗滅したらどうする?」
「そうなることは望んではいません。けれど、仮にそうなった場合も問題なし。李飛龍と交戦すれば、敵も無事じゃない。逆に確実に新戦線を構築できる材料となりますね。ま、とはいっても私としては、李飛龍艦隊には絶対の絶対に戦力温存厳守。確実に撤退してもらいますけど。」
星守の考えでは、最悪の最悪、李飛龍が交戦回避に失敗しても、敵に大損害を与えくれるはずで、そうなれば敵はトートゥゾネを得ても、すぐに次の行動には移れないという見通しを持っている。だが、統合参謀本部の切れ者アーニャからすれば、それはあまりに甘い見通しといえた。
「率直にいおう。欠陥だらけの作戦だ星守さん。」
さん、よばわりの挑発に、星守は、
「あら、心外。」
と、あしらい簡単には乗らなかった。本当の敵からの攻撃には冷静に対処。アーサスらなど雑魚なのだ。本命の本命は、議長代理だが、その前に立ちはだかるのがアーニャといっていい。
「李飛龍艦隊が、泊地パラス・アテネ方面に逃走するなど、敵は織り込みずみだ。この空前の大規模通信遮断作戦だぞ。絶対にうまくいかんな。それに、李飛龍艦隊が敵と交戦した場合に大損害を与えられるという根拠は何だ? 四倍の敵だぞ。一瞬で摩滅して終わりだ。この点だけ見ても星守プランは、話にならん。一個艦隊をドブに捨てる下劣な作戦だ。」
「あら、そこまでいうなら、統合参謀本部は素晴らしいプランをお持ちのようですねアーニャちゃん。」
ちゃん付けは、アーニャの幼い容姿を皮肉った究極の禁忌に触れるレベレルの挑発だったが、悪魔も冷静だった。いや、むしろアーニャは、この瞬間を待っていたといえる。
アーニャが、あごをシャクった。それが合図だ。
アーサスが起立し、
「統合参謀本部のプランは、李飛龍艦隊に、天括球方面への後退を命じることだ。」
と作戦の格子を披露した。
第七戦線の天括球は、泊地パラス・アテネからもっとも遠い戦線で、泊地とは真逆にある戦線と想像すればいい。つまり、アーサスは、敵の思わぬ方向へ李飛龍艦隊が逃がせばいいといったのだ。敵は絶対に、李飛龍艦隊が、逃亡することを見越している。なにせ四倍だ。まともなやつなら戦わない。というか誰だって戦わない。なら、逃亡先として、敵が絶対にありえないと思っている方向へ李飛龍艦隊を動かす。それは、どこか? そう。それが天括球方面だ。
少しでも支援をうけたいのが、いまの李飛龍艦隊だ。それが策源地である泊地パラス・アテネから遠のくというのは、敵からすれば半ば自殺行為に映るだろう。
アーサスが披露したプランに、アーニャが目を細くして満足気に口角をあげた。
アーニャは、アヘッド・セブンの引率者。つまり、アヘッド・セブンを自由につかえる立場。そう。アーニャは、このクソ生意気なクソガキどもを、どれだけ酷使してもいいのだ。
――どうもブリッジの様子がおかしい。
と異変を察知したアーニャは、総司令部内にいる統合参謀本部派の同調者に報告させた。統合参謀本部は、軍内にこういった独自の情報網をもっている。
そんな情報源の一人から、アーニャはトートゥゾネの危機をしったのだ。しったアーニャの行動は素早い。すぐに部下に情報を集めさせ、集めた情報をもとに、アーサスらアヘッド・セブンに、ただちに対応作戦を作るように命じたていたのだ。
――いまとなれば議長代理殿の厚すぎる信頼もありがたい。
最初は、アーニャも絶望を感じていた。開戦前に花形の統合参謀本部入り。あとは安全安心の後方で温々と過ごすだけ。そのつもりだったに、まさかまさかの開戦。それでも最初は、政治家どもの無能をあざ笑ったが、そのあざけりは自身への嘲笑でもあった。アーニャは、すぐに議長代理によびだされ、
「ドラクル少佐。国家に忠誠心厚く優秀な君にぜひとも頼みたいことがある。」
といわれたのだ。つづいて詳細な内容を聞かされたアーニャは卒倒しそうになった。おいおい正気か、示した忠誠の代償が最前線で死んでこいとは、あんまりだ。
なんと議長代理殿は、アーニャに生意気でどうしようもないクソガキとともに前線にいけという。取り入りすぎた。と、アーニャは後悔した。
高給と高待遇が欲しかった。だから、さらなる出世を目論見、議長代理の槇島岶秋へ接近した。うまくいった。アーニャは、すぐに便利づかいされるようになった。だが、有能さを示しすぎた。議長代理は、アーニャをとてもつかえる人材と判断し、最前線で影響力を発揮するための道具として戦場へ送り込んだ。
「この統合参謀本部プランでは、李飛龍艦隊が温存される可能性はきわめて高い。かつ、第六戦線内に、李飛龍艦隊はとどまることになるので、敵はトートゥゾネを完全掌握できない。仮に敵が、天括球方面にいる李飛龍艦隊を無視して、泊地パラス・アテネへ進もうとすれば、李飛龍に背後を突かれる。同様の理由で、敵は他の戦線にまとまった戦力も送り込めない。第六戦線の抑止力は、薄れこそすれ死なない。」
なるほど。アーサスの披露したプランは、一見して星守プランより優位に思えたが、星守はこの作戦の弱点を見逃さなかった。
「ふーん。まあ、そこそこね。統合参謀本部が作ったにしてはね。」
「ほう、いうじゃネーか。」
「それじゃあシックスゼロのきみに質問。仮に敵が、天括球方面へ逃れた李飛龍艦隊を追ったらどうするの? 結局、李飛龍艦隊は四倍の敵にもみ潰されるわよ。」
「そいつは簡単だ。泊地パラス・アテネから、第六戦線トートゥゾネへ圧力をかける。ひとまず逃げてもらった李飛龍艦隊には、その後トートゥゾネ内で動き回ってもらって時間稼ぎしてもらう。その間に、総司令部は、こっちで援軍を編成し、トートゥゾネへ送り込む。」
「ふーん。なるほどね。」
「援軍の編成が完了すればこっちのものだ。敵が、李飛龍艦隊と援軍の両方へ同時に対応してきてもよし、どちらか片方に傾注すれば、敵の背後を突けるぜェ。」
自信ありのアーサス。統合参謀本部プランの実態は、ほぼアーサスプランといっていい。アヘッド・セブン序列一位は、噂に違わず天才的だ。




